『公研』2022年12月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

 

ロシア-ウクライナ戦争に翻弄される1年となった。

国際政治学は人類の今を掴まえることができるのだろうか?

世界宗教の首都エルサレムで2022年に起きたことの意味を考える。

 

 

エルサレムで人間観がひっくり返る

 池内 今日は「2022年の世界を振り返る」をテーマにお話ししていこうと思いますが、言うまでもなく今年はロシア・ウクライナ戦争に明け暮れた1年でした。この戦争の経緯については、節目ごとに様々に議論されてきましたから、メインテーマであることは間違いないでしょう。私自身は2022年の半分くらいをイスラエルで過ごしました。首都のエルサレムに生活拠点を置きながら、テルアビブ大学のモシェダヤン中東アフリカ研究センターに上級訪問研究員として通勤していました。

 この10月には岩間先生をイスラエルにお招きする機会もありました。先生はドイツの政治外交史がご専門ですから、世界史のいわば王道を歩んで来られました。鉄道に喩えれば、ヨーロッパの文明は新幹線が走るメインストリームで、中東は各駅停車のローカル線と言えるかもしれません。今日はイスラエルというローカルな地点から、今のグローバルな課題を考えていけたらと思います。

 岩間 ドイツはまさに新幹線の結節点がある中央駅ですよね。500年単位で見ればヨーロッパ文明は下降局面に入っていて、特に冷戦が終わってから世界の重心はアジアに移ってきていますが、ドイツはメインストリームであり続けてきました。一方で、ローカル線としての中東もずっと並んで走り続けてきました。ヨーロッパ文明にとって中東は、ユダヤ教やイスラム教のルーツでもありますが、自らの文明の礎であるキリスト教のルーツです。だから新幹線とローカル線は、まったく交わらずに並走しているわけはなくて繋がっているし、所々で交差しているんですよね。

 そして、ときどき衝突事故が起きている。十字軍が中東に行くことがあれば、トルコが拡大してきてヨーロッパに出てくるときもありました。私自身は、ドイツを研究対象にしながらも常にローカル線の存在感は感じていましたが、行ったこともなかったので未知の世界でした。だからローカル線を見に行きたい、そうすれば主要線路で起こっていることがもっとわかるのではないかという気持ちはずっとありました。

 池内 初めてのイスラエルの印象はいかがでしたか?

嘆きの壁(2018年9月3日撮影)

 岩間 人間観がひっくり返るような大きなショックを受けました。エルサレムでは、教会の床に跪く老人や、嘆きの壁で泣き崩れる若者を見ましたが、あのエネルギーたるやものすごかったじゃないですか。むせ返るような濃密な宗教空間に入って、今まで人生60年近く考えて学んできた「近代」とは何だったのだろう、と人間としての危機に陥りかねないぐらいでした。あの夜、皆さんはワインを飲んでご機嫌だったんですが、私は今見たもののショックで、自分の足元がスポーンと穴が開いたような感覚があって、めまいと吐き気がしてワインどころではありませんでした。あれから頭のなかを整理しようとしているんですけど、まだ混乱したままです(笑)。

 池内 わかる気がしますね。私自身も何十年も前に勉強し始めたときから、その衝撃を薄めたかたちでずっと抱えている気がしています。

 岩間 結局、何が私を揺るがしたのかと考えると、利益なんて求めていない信仰に価値を置く人たちの姿を目の当たりにしたことだと思うんです。私たちが知っている経済学や政治学は、人間は利益を求めるという前提に立っていますよね。ご飯が食べられなかったり戦争が起こったりすると困りますから、それを避けるためにはどういった利益誘導が適切なのかを考えるのが近代の学問ですよね。

 けれども、エルサレムにはそれにまったく当てはまらない人たちがいました。彼らは教会や嘆きの壁で救済を求めているし、繋がりを求めている。だから利益だけで語っても、この人たちの心にはまったく響かないのではないか、という実感を持ったんです。

 ヨーロッパは、16世紀以降の啓蒙主義により、人間は古き迷妄から解放されて、理性と科学に基づいてすべて判断する能力を獲得したという物語を共有していますよね。そこから近代化、産業社会化が進展していって、市民社会、民主主義を手に入れ、幸せになるというメインストリートを走ってきたわけです。ところが、ローカル線に乗ってみたらそんな物語はどこにもなかった。むしろ世界は今でもローカル線の乗客のほうが多いし、割合的にも増えている印象があります。

 思い返せば、9・11後の2003──イラク戦争開始直後に初めてアメリカに行ったときも、ヨーロッパ近代とは違うものを感じました。アメリカは思想的・宗教的には啓蒙主義以前に旧大陸から分かれているわけで、幹線を走ってきたと思ってきたアメリカにも実はローカル線の世界で暮らす人がたくさんいるわけです。

 日本はどこで参加したのかはわからないけど、おそらく17世紀くらいから近代性が次第に高まっていって、明治維新以降は「完全に」とは言わないけど、エセ近代の世界のなかにずっといますよね。そういう位置にいるため、アジアやアフリカの人に対して、段々と近代社会になって法治国家になり、最後は民主主義国家になって私たちのような人々になる、というストーリーを描きがちなのだと思う。けれども、それが当てはまる世界のほうが少数派なのだとすると、私が学んできた学問ではどうやってこの世界に太刀打ちすれば良いのだろうか。その壁を痛感したのが私にとってのエルサレム訪問でした。

 

「対テロ戦争」の時代は終わった?

 岩間 そもそもアラブをご専門にされている池内さんが、なぜユダヤ人の国であるイスラエルに活動拠点を移されたのですか? アラブ諸国からすれば、敵対関係にある国ですよね。

 池内 アラブ人側の公的な言説としては、「イスラエルは悪だ。あんな国はなくなってしまえ」とずっと言い続けてきました。だからイスラエルを訪問したこと自体をアラブの人たちには黙っておくことが多いし、そもそも行かないんです。また、アラブ世界のそういった公的言説に強く同調した、日本の中東関係者の間からの同調圧力によって不利を蒙る場合がありますから、決して「行きました」とは言わないというのが長く通例でした。だから私は「イスラエルに客員研究員に行きます」と公言した、ほとんど初めてのアラブ研究者ではないかと思います。イスラエルにあえて行くことは、自分がこれまで受けてきた教育をいっぺん巻き戻すぐらい勇気が要ることでした。

 岩間 何かきっかけがあったのですか?

 池内 アラブ世界が発信源のイスラーム主義による国際テロリズムが国際政治の問題としては主流ではなくなり、米国が全力で取り組んできた「対テロ戦争」の時代が終わったことを実感しているからですね。アフガニスタンから米軍が撤退したことに象徴されていますが、アメリカの中東に対するやる気が明らかに感じられなくなりました。今イスラーム的な思想の国際関係への影響力は落ちていて、活動も小康状態にありますから、主要な政治問題にはならなくなっています。

 中東は、近代化への対抗軸を提起し続けていました。イスラーム法の施行といった、いわば「イスラーム的なオルタナティブ」を示すことで、西洋近代の支配を覆すという、大きなアジェンダを100年以上も掲げ続けてきました。それが実現すれば、英・仏などの植民地主義にも、米国の単極支配にも対抗できると、奮い立たせてきたわけです。

 このアジェンダの実現を試みた究極のかたちが、2010年の半ばから後半にかけて活発に活動した「イスラーム国(IS)」でした。「イスラーム法を施行すれば近代に我々の直面した問題は解決する」という信念はかなり広く中東、特にアラブ世界で共有されていました。実際にイスラーム法を施行できていない段階では、この夢は人々を奮い立たせ、現状批判の根拠となりました。しかし、「イスラーム国」で実際にイスラーム法を施行し、カリフを名乗って統治してみた。そうしたところ、やはり近代に抱えた問題は解決しなかった。アラブ世界の昔年の問題の解決という意味ではなんら成果をもたらすこともなくイスラーム国は解体されました。近代化に対抗する中東側のカウンタープロジェクトは、ここで一段落してしまったな、というのが私の認識なんですね。

 中東は近代の国際政治システムにおける「危機の震源」であり続けてきましたが、ネガティブな意味での中心性が弱くなっているのであれば、必ずしもそこに張り付いている必要はないかな、とも考えるようになりました。もちろん、イスラーム教の政治的な影響力がなくなったわけではありません。中東の圧倒的多数の人々にとって、イスラーム教への信仰の力は決して弱まったわけではない。けれども反米を軸とした中東の反近代化の波は、今は一番低いところにきている。もちろん100年単位で考えると、将来的にはまた必ず高まってくる時期があるでしょう。ただ、それが何十年後になるのかはわからないのが現状だろうと思うんですね。

 

アメリカの中東への関心は浮き沈みがある

 岩間 イスラームの反近代化への波が一段落付いたことはわかりますが、それがなぜイスラエルに向かうことになるのでしょうか?

 

神殿の丘の上 イスラーム教の聖地「岩のドーム」

池内 あまり理論的につながった話ではなく、バランスを取ろうという感じですね(笑)。これまでアラブ側に傾き過ぎて研究してきたから、逆にその「敵」とされてきて目を向けることも公には避けられてきたイスラエル側にあえて行ってみようという気持ちが沸いてきました。イスラエルに拠点を築いて、イスラエルから国際的に発信をするという研究計画書を書いて日本学術振興会の科研費の申請をしたのが2019年のことでした。これが採択されて、2020年度から3年間にわたって、イスラエルに拠点形成をして国際発信活動を行う予算を得ました。

 しかし、そこにコロナ禍が襲って、2年近くも、現地での活動の開始が遅れてしまった。イスラエル側にも入国に制限が課された時期があり、日本から出張で行っても帰ったら長期間隔離される時期もあって、渡航が不可能か、現実的ではなかった。今年の3月からそれが緩和されてきたので、2022年度末、つまり2023年3月末までに予算を執行するべく、イスラエルに足繁く通い、2週間から2カ月程度の滞在を繰り返すようになりました。そこで、『公研』202211月号「めいん・すとりいと」で書いたように、エルサレムに住んでテルアビブに通勤する日々が始まりました。

 ただしエルサレムに拠点を持ったからといって、中東の政治や紛争の真っ只中に身を置く、ということにはなりません。もう50年ほどイスラエルをめぐり国家間の戦争は起きていませんし、最近の安全保障の課題は科学技術や情報をめぐるものが中心になっています。

 研究の方法としても、アラブ・メディアが発信する言説を読み込んで、その表と裏を考察するような伝統的なスタイルでは見えてこない部分が増えてきました。アラブ諸国とイスラエルの支配エリートや専門家が、水面下で協議し協調する動きが進んでいますが、アラブ民族主義をメディアを通じて鼓吹して民衆を沸き立たせて支持層にするという政治手法はもうそれほど有力ではありませんから、一般民衆にあえて知らせることもなく、説得する努力もさほど払わず、重大な決定が行われていき、結果として民衆の反対もそれほど強くなく、受け入れられていく。

 ちょっと前であれば、中東の支配層や高度な専門家層の間で行われる議論や意思決定を観測するには、中東の国々の首都よりもむしろワシントンに行けばよい、という時代がありました。イランのように明確に反米を国是とする体制の国を除けば、中東の主要な国々は次々と米国側寄りになり、外交や安全保障政策はアメリカとの関係を最大の要因として決まっていた。建国以来、米国と「血と油」の絆で結ばれてきたと評されるサウジアラビアは当然として、トルコやエジプトも、アメリカとは同盟あるいは事実上の同盟関係にあります。最も重要な事項は自国で議論するのではなく、ワシントンで議論して決まってしまうという実態があった。

 対テロ戦争の時代には、アメリカは中東にとても力を入れていましたから、端的に言うとワシントンで、肩で風を切って歩いている人は、広い意味での中東の国の人たちだった。それも紛争で危なくなっている国の人たちのほうが、アメリカにとって重要であるがゆえに大事にされて予算もいっぱい付いて米国の要人がしょっちゅう会ってくれる。アフガニスタン人しかり、イラク人しかり。「価値を共有する同盟国」であるはずの日本政府の外交官や閣僚・官僚がアメリカの有力者に会おうとしてもなかなか大変なのに、中東の国の人々はワシントンで米国の首脳に頻繁にアクセスできたのです。

 ところが、アメリカは対テロ戦争の切り上げを明確に打ち出してからは中東にはリソースを注がなくなります。わかりやすく言うと、アメリカの有力な政治家や彼らを支える優秀な官僚たちが中東にやってこなくなったし、電話すら掛かってこない。

 なお、ロシアのウクライナ侵攻が始まる直前の昨年末ぐらいからまた雰囲気が変わって、トルコ、サウジ、イスラエルなどと頻繁に連絡を取っていたようです。おそらく、ロシアのウクライナ侵攻が不可避という情勢を見て、対ロシアで地政学的に重要なトルコや、エネルギー供給をめぐって協力を求めたいサウジアラビア、ロシアに特有のアクセスを持つイスラエルなどに協力を求めたのでしょう。これは米国が「中東離れ」を進めた昨今にはあまりないことでした。「対テロ戦争」の頃は中東の問題を解決するために中東の国々の人たちと話をする必要があったのですが、ロシアの問題を、中東の国々と一緒に解決しようとする新しい状況事象が生まれてきています。

 

「来年はエルサレムで」

 岩間 今回イスラエルを訪れて新発見だったのは、ユダヤ教の祝日は電車やバスまですべて止まることでした。こういう国があるんだって驚きましたね。

 池内 今年は10月の前半から中盤にかけて、丸2週間ぐらい、ユダヤ教の祝日が連なっている時期があって、その期間は公共交通機関も一切止まってしまう日が多く、お役所も大学も長期間閉鎖されてしまう。8月から9月は夏休みだったのに、今度は宗教の祝日が連続して休みになってしまう。そうすると何もできなくなる。

 岩間 イスラーム教の国ではいわゆるイスラームの法と市民法との乖離がよく問題になりますよね。ユダヤ教の場合はイスラエルの立法との間に困難は生じないのですか?

池内 イスラーム教の場合は、神によって啓示された法と人間が制定する法との間にかなり明確な相違があり、両者に摩擦や対立がありますが、ユダヤ教の場合もこの二分法は同じです。人類社会に存在してきた法は大きく分けると、神が人間に命令を下した(と信じられている)ことに由来する法と、人間が社会の意思の表出として制定したことによって正統性を持つ法があります。この二つは起源が違うだけでなく、そのあり方と内容において大きく対立することがある。神は啓示によって人間に命令して義務を課します。ここで言う義務を追う主体は人間で、義務を負う対象は神です。

 それに対して人間が制定する近代の法は、権利を問題にしています。人間同士の関係や、あるいは国家と人間との関係における、権利です。権利と共に義務についても規定しますが、これは人間同士のもので、神に対して人間が負う義務とは別種のものです。

 神が人間に課した義務としての法と、人間の間の権利を定めた法との間で、矛盾が生じ、対立が生じる場面は多くあります。しかしユダヤ教の場合は、イスラーム教に比べると、矛盾しにくいところがあります。なぜなら、ユダヤ教は国家の支配者の宗教ではなかったので、彼らの護持する法には公法的領域が少ない。わかりやすく言えば、ゲットー(ユダヤ人居住区)の中で、あるいは家の中でのみ通用するような法ばかりが啓示されていることになる。例えばヨーロッパのユダヤ人はゲットーや家の外に出れば、キリスト教徒の領主が定めた法律に従うことになります。

 岩間 私的空間の中でだけ、ユダヤ教の法は守られていたわけですね。

 池内 はい。ユダヤ人は国家権力を掌握して自らによる統治を長期間維持できたことがほとんどありませんでした。まさにエルサレムに行けば、神殿の丘の上に、ユダヤ人の神殿はありませんしそこは異教徒の領域になっている。神殿が異教徒の支配者によって壊され、残された城壁の一部に向かって祈っているかたちです。歴史上の大部分の時間を、ユダヤ人の国家が消滅し破壊された状態で生きてきて、その状態に応じた法が発達したために、ユダヤ教の律法には国家の制度や統治に関する部分は希薄です。ですので、異教徒が制定し施行する法に重なり摩擦や衝突をもたらすような部分が少ないのです。

 イスラーム教の場合は、近代に西洋から持ち込まれた法体系と、イスラーム法の体系に、重なるがゆえに対立する部分がかなりある。例えば、イスラーム法的に正しい政府をつくろうとすれば、預言者ムハンマドを代理・後継するカリフが本来は共同体の指導者であるべきですが、近代の中東諸国はそこにはなるべく触れないで、実効支配する権力者に認められている裁量権の範囲内で、カリフなしに統治しているような体裁で現状を追認してきた。

 ところが、ユダヤ法の場合は、そういう便法をとる必要が元々ないわけです。現世においてはユダヤ教徒ではない異教徒(英語でいう「ジェンタイル(gentile)」が幅を利かせていて、ユダヤ人は異教徒に支配されて生きていくことが長いユダヤ人の歴史の大半だったので、ユダヤ法そのものがこの状況に適応してできている。もはや前提として、現世を支配しているのは、異教徒の不義の支配者で、現世の公的空間ではユダヤ法は適用されないことが当然とされている。ユダヤ人は公的空間では異教徒の支配に服し、神の法ではない異教徒の法の下で過ごすほかない。ユダヤ人は家の中では神の命令である聖書を読んでユダヤ法に従って過ごすことで来世の幸福を得る。異教徒の支配は来世では覆され、罰せられるという終末論的な信仰です。こうしてユダヤ人は、2000年に及ぶディアスポラ(離散)の時代を生きてきた。

 岩間 国家がなければ、法を適用する領域もないわけですね。

 池内 そうです。ユダヤ教の最大の祝祭の一つである「過越の祭り」の祝詞の末尾には「来年はエルサレムで」という決まり文句がありますが、しかしこの「来年」とはほとんど「来世」とほぼ同じ意味で、実現しないことが前提になっていて、つまり希望であり夢なんです。ところが、1948年にイスラエルが建国され、1967年の第4次中東戦争で西壁(嘆きの壁)を含む東エルサレムを占領し併合を宣言したことで、ユダヤ人にとっての千年来の夢が、現実のものになってしまった。エルサレムを首都とするユダヤ人の国をつくってしまったわけです。

 ただ、イスラエルという国は建国時は西欧的な世俗的な民族主義をめざす人たちによってつくられたものであって、イスラエルでも公的空間は世俗法で統治し、ユダヤ教の宗教規範は家の中で守っていれば良いという考え方が有力でした。それがイスラエル建国の父たちの主流派でした。旧約聖書を文字通りそのまま読む限りでは、「自らの力でイスラエルという国家をつくれ」と神に命じられたとは言いにくい。

 

信仰なしにはイスラエルは存在し得ない

ベツレヘムの生誕教会

岩間 神の意志に逆らって国をつくっては酷い目に遭ってきた。

 池内 ユダヤ人の歴史は、国をつくるたびに異教徒によって破壊されることの連続です。神は全知全能と信じられているので、起こったことはすべて神の意志であって、人間にとってあまりに不当だと思われることも正しく、意味があるとされるわけです。つまり、神の意志によってユダヤ人は国を滅ぼされ、神殿を壊され、ディアスポラさせられた。

 同時に、ユダヤ教はこの苦難を耐え忍んで家の中で聖書を読んで生き延びれば、やがて神がその意志で任意の時期にエルサレムに神殿を打ち立てユダヤ人の王国をつくってくれる。それをユダヤ人は信じて待つしかない。待っていれば神がユダヤ人のために国を建ててくれて、ユダヤ人だけが天国に行ける。この神の意志に逆らって、現世にイスラエルという国をユダヤ人が自分の手でつくること自体がユダヤ法的には違法であるとすら言えるわけですよね。

 ただし、今のヨルダン川の西岸(ユダヤ・サマリア)を含むパレスチナの土地の多くの部分は聖書においてユダヤ人に与えられた約束の地だとは読める。そこから、パレスチナにアラブ人がその後に住んでいたとしても、神の法のほうが上位にあるのだから、権利はユダヤ人にある、というのがイスラエルに帰ってきたユダヤ人の認識です。つまりイスラエルという国をつくることに関しては、それが宗教的に命じられたものなのか、宗教の法を国家の統治の基本とするかに関しては意見は分かれていても、ユダヤ人がパレスチナの土地の所有権を持つ、というイスラエル国家建設の前提となる信念や根拠は聖書に求められているのです。

 そうなると、イスラエル国家を人間の意志でつくることについては消極的だけれども、しかしできてしまったイスラエルには住んでよくて、そして神に与えられた約束の地を耕すのは神の命令に従う義務だと考えて、ヨルダン川の西岸の入植地建設を支持する、ということになります。近代国家の命令には従わないけれども、神の課した義務を履行する権利は主張する。これを世俗的な近代国家を建設したユダヤ人も受け入れざるを得ない。世界中からユダヤ人がパレスチナにやってきてイスラエルが成り立っているのは、パレスチナの地をユダヤ人に与えたことが神の意志でありユダヤ人は帰れるならそこに帰るのが義務である、という信仰なしにはイスラエルは存在し得ない。

 世俗的で政教分離の考え方で民族主義によって国をつくりたいという人は、今ではおそらく多数派ではないと思います。またそういう世俗的なユダヤ人にとっての理想的な国家は、すでにアメリカで実現していると考えることもできるので、世俗的なユダヤ人としてはあえてイスラエルに移民する必要はないわけですよね。他に行き場がなかった初期の段階はともかく、後から移民してくる人たちは基本的にユダヤ教の考え方や聖書に従って生きたいからイスラエルに来る。そうすると、神が「産めよ、増やせよ」と言っているから、子どもを5人も10人も持つ、人間がつくったに過ぎない国家を支える兵役や経済活動はしない、という超正統派がイスラエルに集まってきて一大勢力になっていく。

 ですから、世界各地では場合によってはユダヤ人の世俗的な人からは狂信者のように見られていた人たちが、多くイスラエルに移住してくる。宗教的な観点でイスラエルを選ぶ人たちが多いので社会が構造的に宗教的になっていくんですよね。

 11月の総選挙の結果ネタニヤフ首相が返り咲くことになりましたが、彼は民主的制度の中で選挙で勝つために同盟者を選ぶので、こういった超正統派の人たちに手を伸ばして取り込んでいきます。そうして打ち出した政策が国際的には評判が悪くても、内政上の基盤は強いのです。

 

根強く残る宗教改革以前の感覚や世界観

 岩間 偶然ですが、私最近合唱団に入りまして、初めて教会で宗教曲を歌ったんですよ。コロナで人生の壁にぶち当たり、何か違うことがしたくなって、音楽が好きだから歌いに行ったんです。キリスト教の宗教曲ですから、「イスラエルよ、神を待ち望め。救済は訪れる」といった歌詞が延々と続きますよね。でも、イスラエルに行く前と後とで、こういう歌詞の実感が全く変わりました。合理的な価値観が根付いている私たちからすれば、ルターの後の時代には、こういう世界観は徐々に薄れて行っていたのだと思っていました。つまり、主権国家体制が成立したとも言われる1648年のウェストファリア講和などいくつかの段階を経て、喪われていったものだと。

 けれどもそれは思い違いであって、宗教改革以前の感覚や世界観を今も強く実感できる人が、実はこの世界にたくさん生きているのだなということが、体感できました。

 池内 イスラーム教の場合は宗教改革を経ていませんから、信仰の強さ、疑いのなさは揺るがないものがあります。「イスラーム国」の挫折でカリフ制という政治体制をつくろうという考え方自体は当分の間弱くなりましたが、その前提となる信仰への信頼は何ら変わっていないわけです。カリフ制樹立が一時的に挫折したからと言って、根本となる規範を書き換えることにはつながりません。宗教改革の方向には進んでいません。

 カリフ制は現状ではどうやらうまくいかないことがわかった。けれども別にそれでイスラーム教の規範が傷ついたわけではなくて、人間世界がそれに対応できるまで進歩していないことが確認されたに過ぎないわけです。

 岩間 確かにイスラーム教は過激さがやや薄まった印象はあるけど、イスラーム教自体の力は増していてアジアでも広まっている感じがありますね。私の勤務先の政策研究大学院大学で接している東南アジアの留学生を見てもヒジャブ(スカーフ)を被っている女性の比率はどんどん増えています。

池内 アジアではひたひたとイスラーム化が進行していますよね。近代化や経済発展が進むにつれて世俗化が進むのではないかという見方もありましたが、そうはならなかった。なぜかと言えば、近代化で発達したメディアの力をイスラーム教の普及に利用したことが大きい、と私は考えています。

 ラジオ、テレビ、衛星放送そしてインターネットなどメディアの発展によって、国境を超えて情報が中東にもイスラーム世界にも大量に入ってくるようになりました。それはそれで楽しむのだけれども、価値の部分では欧米の規範を受け入れるよりも、むしろより正しくイスラーム教の考え方を実践しようという方向に意識が向かいました。

 イスラーム世界には、欧米中心の世界とは別の、もう一つの同心円状に広がる中心・周縁関係があります。イスラーム教発祥の地で聖地であるメッカやメディナ、イスラーム教の教学や理論、政治思想を活発に打ち出すカイロなどが中心で、そこから周縁に位置している南アジアや東南アジアに情報が伝達されることになります。メディアの発展は、過去にはアジアには及んだことがなかった情報を運ぶことになりました。

 岩間 そうした際に媒体となる言語は英語ですか?

 池内 かなりの部分が英語です。そこがおもしろいと思いますね。

 

神の言葉を理解するための言語

 岩間 第2言語である英語を使って繋がっているわけですね。言語的にはあまり問題はないんですか。

 池内 言語的にはアラビア語と英語はかけ離れていますし、アラビア語で神は啓示したと信じられているので、アラビア語とその他の言語では、宗教的テキストの真性さはまったく別次元です。西暦7世紀のアラビア半島で下された極めてローカルな規範を永遠普遍の神の最後の命令と信じるのがイスラーム教で、アラビア語で神の命令そのものを読みたい、聞きたい、誦えたいというのがイスラーム教徒の願いです。とはいえ、イスラーム教は、普及の過程で単純化され汎用性を高められていることも事実です。だから多くの人にとって第2言語である、グローバルでいい加減な英語とも、相性がいい面がある。アラビア語ができない人たちも、英語を通じて、シンプルなかたちでイスラーム教の信仰を強めていくことができる。英語を通せば、啓典そのものへのつながりは多少阻害されても、10億人をはるかに超える数の世界中のイスラーム教徒と同胞意識を持つことができます。

 私が見ている20数年の間でもイスラーム教が英語で伝達される領域が格段に広がったし、英語の規範的な序列も上がりました。コーランは本来アラビア語で与えられたものですから、それを英語に翻訳したものは不完全であってアラビア語原典に当たらないと真の信仰には至れないという考え方があり、今もあります。アラビア語ができることは、神の言葉そのもので神の意志を推し量れるのですから、アラビア語ができるかできないかで、信仰の次元に大きな差があるはずです。しかしグローバルなイスラーム教徒の共同体への帰属意識を高め、礼拝からジハードまで、基本的な規範を共有するには、次第に英語でも十分と思われるようになってきたんですね。実際にイスラーム教徒同士の交流や情報の流通がしやすくなって、そこで英語で話が通じれば、教義の深いところはともかく、政治的な意思疎通は英語でやろうということになる。

 岩間 今アラブ語ができる人は、イスラーム世界全体でどのくらいの割合なのでしょうか? ルターが登場した16世紀頃のヨーロッパにおいてラテン語ができる人ぐらいと思っていいのでしょうか。

 池内 もっとあります。アラブ諸国の人口は全体では(移民が多数を占める国も多いのですが)4億人程度になり、全世界で多く見積もって20億人程度のイスラーム教徒の中での割合は、中世ヨーロッパでラテン語ができる人と比べるとかなり多いですね。また、特定の知識階層に広まっているのではなく、アラブ人が多数派の国では誰もがアラビア語を喋れる。文化的・宗教的な言説を発信する中心のエジプトだけで1億人います。

 岩間 喩えて言えば、ラテン語を喋って生きている人たちが今でも4億人いることになるわけですよね。

 池内 そうです。重要なことは、今現在アラビア語で育ち、現代アラビア語の教育を受けると、コーランが読めてしまうことです。つまり、コーランが成立した時代から、語彙や文法がそれほど大きく変わっていないということです。

岩間 なぜそれができたのでしょうか。アラビア語の構造にある程度の理由があるのですか?

 池内 言語そのものの構造に起因するのではないと思います。これまでのイスラーム世界の各地で、各時代に、コーランの文法と語彙でアラビア語を教え続けてきたから、今でも、コーランが読めてしまうのです。教育によってコーランの時代のままアラビア語を固定する教育が、宗教機構とそれをささえる歴代の政権によって支援されて行われてきた。宗教の規範を固定し継承し伝えていく、政治権力の途切れなき作為とそれを受容する社会がなければ、言語はあっという間に変化し多様化していきます。中央集権の国家機構という意味では、イスラーム世界の権力は、分裂していきました。しかしどの政治権力も、宗教学者たちが護持するイスラーム教学を支援し、共通のアラビア語の文法と語彙でコーランを読み継ぐことを支援してきました。このイスラーム教の教学体制と、それへの政治権力の支持が、現代まで途切れることなく続いてきたがゆえに、今のアラビア語を学ぶと、ほとんどそのまま7世紀のコーランが読めてしまうのです。

岩間 それはすごいことですね。

 

コーランはいかにして普遍性を獲得したのか?

池内 それがなぜ可能だったのかは、理解して説明することが難しいのですが、共同体が分裂したり変わらないようにする仕組みが宗教の教義の体系の中にあるのでしょう。例えば、ムハンマドは「最後の預言者」であるとされる。なので、後の時代に違う預言者が出てきて分裂することがないんです。「自分は新しい預言者だ」と主張する人がでてきたら、それは定義的に偽物であるとみなされて、信者たちに相手にされない。「コーランのこの部分は実は間違っていたから書き換えたほうがいい」という議論をあらかじめ不可能にしてあるので分派が起こりにくい。

 そうやって維持してきたことで、宗教の教義大系の大規模な分裂と対立が、シーア派を除いてはほとんどなく、途切れずに同じコーランの読み方とそこから導き出される変わらない教義を各時代できちんと教えてきました。時代によって教育制度には変遷があれども、同じ体系を教え続けてきたのです。近代の直前の段階で、寺子屋的な施設が津々浦々に整備されていました。そこで、まさにコーランをどの時代でも変わらぬ語彙と文法で、暗記させ暗誦させることから始まる教学体系を継承してきました。この上手くできたシステムをその時々の津々浦々のさまざまな政治権力が支援して実施してきたことで変化させなかった。こうした普遍性と持続性のある制度は、ヨーロッパにも日本にも見当たらないと思います。

 我々は、日本人であっても『源氏物語』をほとんど読めないですよね。

 岩間 読めないです。

 池内 『源氏物語』の語彙と文法を理解できるように、1400年以上も教え続けられたら、我々も読みこなせるわけです。けれども、そういうことは起きなかった。もしそうだったら、日本の社会や政治体制は根本的に違うものになったでしょう。おそらく今とはまったく違った変化を許さない何かになるのだと思います。

岩間 コーランはソフトウェアとして優れていたのでしょうね。今回同じ聖書の詩篇を、ラテン語とルターのドイツ語で歌うという経験をしたのですが、ラテン語と比べると、ルターが詩を書き、バッハが作曲したドイツ語の曲は、同じ詩篇でも、微妙にエンファシス(重点)が違うと感じました。世界がちょっとズレていて、やはりより近代に近くて、すっと入ってくる印象があります。

 それにルターの書いたドイツ語はかなり理解できるんです。私は高校生の時にオーストリアにいたんですが、授業でシェークスピアを読まされました。最初は苦労したけれども、しばらく読み進めると文章のリズムや美しさがわかるようになりました。現代英語とかけ離れた古典だという意識を持つことなく読めたんですね。そのシェークスピアの英語よりも、ルターのドイツ語のほうが現代語への距離は近いと感じました。

 ドイツ語には元々たくさん方言があって、今でも各地に強い方言が残りますが、それでも統一ドイツ語というのができたのは、ルターの聖書によるところが大きいんですね。このルターのドイツ語版聖書が、やはりソフトウェアとして優れていたのだろうなと歌いながら思いました。

 

ロシアはローマ帝国に憧れ続けている

 岩間 話題をロシアに移します。ロシアもウクライナも新幹線ではなくてローカル線ですよね。ロシアの歩みを振り返るとロシア正教が一つのポイントになりますね。

 池内 正教の一番重要な部分は、政教の結びつきです。国家と教会が手を携えている関係です。教会は神から与えられた規範を維持することを努めますが、教会自体は権力を持っていません。そこで教会の規範の実施を、国家権力が支えます。今のプーチンとロシア正教会最高位のキリル総主教の関係も同じです。イスラーム教の政教関係も基本的には同じシステムです。

 正教やイスラーム教に見られる政教関係は、ローマ帝国のコンスタンティヌス1世がキリスト教を公認したことからつくられました。エルサレムの聖墳墓教会の建築を命じたのもコンスタンティヌス1世です。

 イスラーム教も政教が結びついたローマ帝国のシステムを取り入れたことで普遍化していきました。オスマン帝国は地理的にも政治体制としても東ローマ帝国の後継国家といえます。イスラーム世界がローマ帝国の領域自体を飲み込んでいき、その過程でほぼ同じシステムを身に着けたわけです。ヨーロッパでは近代に至る過程で政教分離が進みます。カソリックの力も落ちて、かつプロテスタントが国家と教会の関係を変えてしまいました。

 ですから、ローマ帝国の政教が結合する政治体制はオスマン帝国が最も忠実に継承したのかもしれません。

 岩間 ガバナンスシステム自体も継承したのですかね

 池内 ローマ帝国の統治のシステムを部分的に継承しています。ロシア帝国は遠く離れた別の環境ですからそれほど忠実にシステムは継承できなかったでしょう。けれども、あるいはだからこそ、今でも憧れ続けているのだと思います。

 岩間 ローマ帝国になりたいわけですね。だから中央アジアやトルコや東ヨーロッパなどに一生懸命手を伸ばそうとすると。

 池内 実際にエルサレムに行くと、国家は教会の庇護者であることがよくわかります。ヨーロッパの文脈では、近代前半の帝国主義の時代にはすでに政教分離しているように語られていますが、まさに宗教のために、近代の植民地獲得競争で経済的には重要ではないはずの、いわばローカル線の支線の端にあるようなエルサレムに、列強各国が進出しています。エルサレムに行っていただけると、帝国主義時代の足跡がくっきりと残っています。聖墳墓教会の周りだけでもロシア、ドイツ、フランス、イタリアなどが押し寄せてきている。

 岩間 オーストリアもありましたね。

 

聖墳墓教会をめぐって

聖墳墓教会

 池内 そうした各国は、その当時、オスマン帝国に対して利権を要求するわけですが、衰退していたオスマン帝国はそれに屈して譲り渡していくことになります。そこで、オスマン帝国が切ったカードがエルサレムの利権でした。

 列強はエルサレムに利権を得て、自国や関係の深い宗派の巡礼者たちを迎え入れる宿泊施設をつくります。病院も。自分たちの言語で祈れる教会や礼拝堂を建てます。そこに居着く人たちが通う学校、寄宿舎をつくり、居留民を保護する領事館もつくります。ロシア帝国の場合は、オスマン帝国にいるギリシャ正教やアルメニア正教も含めた正教の信徒たちを保護する権限を要求します。フランスはカソリックの保護者であると主張する。

 政教分離を掲げながらも、実際にやっていることは自分たちの国の教会とその信徒たちを列強の帝国が抱え込もうとする。つまりオスマン帝国がイスラーム教徒の共同体の指導者であるという考え方を真似て、それぞれの信徒の指導者であると主張する。オスマン帝国を通じて、ローマ帝国以来のやり方をここでは主張しているわけです。これがいわゆる東方問題(オスマン帝国の領土・民族問題をめぐるヨーロッパ列強間の外交問題の総称)のかなりの部分を占めています。

 東方問題は、一般的には単に領土や利益が欲しいためにやっていたと解釈されます。つまり宗教を名目にして帝国主義諸国が侵略の足がかりにしたと。けれども、エルサレムに立ち並ぶ西欧諸国の宗教的な拠点を見ますと、単に宗教的に重要な土地だから取りに行ったのではないかと思います。近代的な視点からすれば、エルサレムは天然資源もなく産業の立地としても辺鄙で、政治的な中心性は長く失われていました。世俗的な観点からはそんなに重要な土地ではないのです。砂漠との境界にあってそのあたりでは割に人が住める環境だから、旧約聖書や新約聖書の時代にはかつては貴重だったというだけの場所ですからね。キャラバンをやっている時代ではないので、砂漠との間の中継地点にそれほどの価値を見出すことはできない。世界経済の交易の幹線から遠い昔に外れていました。

 欧州列強からすれば、経済や軍事の拠点として有益だからその領地を得たいわけではなかったでしょう。やはり信仰のためにエルサレムに領地を欲しがり拠点を建てたがるわけです。こうして列強各国は切り取るようにしてエルサレムにそれぞれの区画を獲得していきました。それを地図上に記載していけば、収まり切らないほどの数になります。

 有名なのはドイツ皇帝のウィルヘルム2世が来たときです。ドイツのプロテスタント教会が聖墳墓教会の前にとても目立つ大きな教会を建てました。しかし聖墳墓教会にぴったりくっついたところにはロシア帝国が教会施設をつくり、ローマ帝国がつくった最初の聖墳墓教会をせっせと発掘し、展示しています。政教が結びついたローマ帝国の正統な後継者としての地位を主張しているのでしょう。列強各国が自らの宗教的な正統性を得るためにエルサレムに殺到したのも近代の一つの側面だったわけですね。

 

プーチンの頭の中は見えない

 岩間 東方問題は、レーニン以降は帝国主義的な動きの一環と見なされて、利益やナショナリズムの問題に収斂してしまったところがありますよね。けれども、それ以上に宗教的な意味が強いわけですね。確かに現地に行ってみると利益やナショナリズムでは収まりきらない大きな感情のうねりを実感できます。

 問題は、近代政治学はそうした要素を分析する道具を持っていないことです。今でも要するにアメリカは資本主義によって世界を支配したいのだ、といったとても単純な解釈がされることがあるじゃないですか。コカ・コーラやマクドナルドを使って、発展途上国を征服しているといった見方ですね。イギリス、フランス、ベルギーなどがアフリカや中東に出ていったことも同じようなナラティブとして語ってきた面がかなりありますよね。最近はちょっとずつ克服されていますが、今でもそこから出きっていないわけですよね。

 本質を掴まえるためには、宗教改革以前それこそ2000年単位の向こう側から考えたほうが見えてくることがたくさんあるのかもしれません。日本やアメリカは、近代以降の発想に乗っかりすぎていて、そうした時代の記憶を忘れてしまっていたところがありますよね。2022年はエルサレムに行って個人的にも打ちのめされましたが、世界も同じようにそうした感覚に逆襲された年だったなと感じています。

 プーチンがやったことは、利益では説明できないわけです。昨年12月くらいから「プーチンは本気で戦争を始めるのか?」という質問が我々専門家のもとにはたくさん寄せられました。今は「核を使うのか?」という問いがきています。利益で考えれば、あの戦争を始めることはないし、核は使わないわけですよ。合理的に考えればあり得ないないわけですが、私は、「プーチンの頭の中は見えないので『ありません』とは言えません」と答えてきました。

 実際、彼に世界がどのように見えているのかは、我々にはわからないわけです。それを知ることができない限り先のことはわからない。結局、個人の価値観や世界観の問題については、今の国際政治学というアプローチでは処理しきれないんですよ。「要するにアイデンティティの問題だよね」という処理の仕方しかできないところがあります。

 池内 近代的な学問では説明しようがない。

 

グローバル・サウスのアイデンティティ

嘆きの壁(2022年10月12日撮影)

 岩間 ヨーロッパ側は、共通の利益を見出すことで何とかロシアを取り込もうとずっと努力してきました。核の体制や核のヨーロッパの安全保障秩序ができるのは1968年から75年ぐらいで、この時期にNPT(核不拡散条約)や「鉄のカーテン」の双方が軍事力を行使することなく共存するための諸原則を確認した「ヘルシンキ宣言」がつくられます。こうした動きは、西側諸国にとってもソ連にとっても、考え方は違っても共通の利益はある、ということが大前提になります。国境を武力によって変更することも核戦争をやることも共通の利益にはならないことを確認します。逆にお互いに通商することは共通の利益になるわけです。

 そこから40年、50年をかけて様々な制度や規範を積み上げてきて何とかロシアを取り込もうとし続けた。それを「ちゃぶ台返し」されたのが2022年2月24日です。だから、今のヨーロッパにはたいへんな挫折感があります。特に中道からリベラルな専門家はそうした気持ちが強くあるのだと思います。本当にハードコアな右のリアリズムの人たちは、「ロシアはああいう国だよ」と言ってそれで終わりますが、それで片付くほど世界は単純ではないですよね。ヨーロッパ近代が持っていた言説や分析道具の力の限界をまざまざと見せつけられたのが、私にとっての2022年でした。本当に困ったなと思います。

 池内 今年はなぜロシアはウクライナ侵攻に踏み切ったのか、その理由について様々に語られてきましたが、これまでの理屈ではうまく説明できていないところがありますね。最近よく「グローバル・サウス」という言葉が使われています。私はこの言い方はあまりに多様な広範囲の対象を含みすぎているとは思っていますが、ロシアや中国を支持するわけではないが欧米にもつかない「その他」の多くの国々というニュアンスでは、ほかにうまい言葉がないのかもしれません。グローバル・サウスの多くの部分がロシアへの制裁に賛成しないことを、単に利益だけを背景にして理由を語ろうとすると、わかりにくくなると思うんですよね。

 もちろんグローバル・サウスと総称される多様な「その他の主体」は、米中対立や欧米対ロシアといった大きな枠のなかでそれぞれ立ち位置があって利害関係があります。そもそもアメリカ側に付かなければ、中国なりロシアなりに付くかというと、そうでもない。「なぜ付かないのか」と聞かれても「我々はアメリカでもなければロシアでもない。どちらにも付かないから付かないのだ」としか言いようがない。それは我々がいま持っている言葉では、別の「アイデンティティ」があるからだ、ということになるのだと思います。

 かろうじて利益で一時的につながっても、それはすぐに移り変わる。対話によって容易にアイデンティティが溶解して一緒になるという類のものではありません。そのアイデンティティに基づく別の集団にはそれぞれの自己認識と他者認識があり、集団の目的というものがあって、単に我々はそれが見えていないのでしょう。アイデンティティというものは、外からは「利益にならないから重要ではない」と勝手に決めつけがちですが、相手側からすれば利益にはならなくても大事にしている。それは社会が豊かになったら失われていくものでもないし、そういうことを相手側は考えようともしないわけです。

 エルサレムに行くとそうしたことを感じられますよね。まさにローカル中のローカルですが、しかし世界の大部分はローカル線なわけですよ。

 

2022年に日本が行った重要な選択

 岩間 その通りですね。ただ日本人はローカル線の世界も併せ持つような選択肢をずいぶん昔に捨て去ったのではないかという気はします。日本はG7のなかにずっといましたから、欧米型の近代社会の言説や価値観、世界に対するアプローチのすべてを共有しています。もうここでやってくしかない。我々も今年1年間、「G7と価値を共有して足並みを揃えるべきだ」とずっと主張してきたわけですよね。自由主義的な価値と法の支配に基づく世界が危機にさらされているから、ウクライナを支援しなければならないと。

 池内 2022年は、日本が西側の一員でありG7の一員として国際秩序を守らなければならないと、意識的に選択した重要な意味を持つ1年でした。気になるのは、国民の多くにその自覚があまりないことです。結局G8からロシアが離脱していったように、G7の「7」の次は、当分の間現れないようであるし、「7」からG20の「20」までの間の溝はまったく埋まっていないことが、本来は同時に理解されるべきでした。

 民主主義や人権を重視して価値や生活水準が収斂して話が通じやすいG7とG20の間には、やはりものすごく大きな開きがありますよね。G20は一緒にいる時は喧嘩しないでいるだけの集まりに過ぎなくて、事実上はカオスに近いわけです。G20の世界ではプーチン的な言説にもそれほど違和感を覚えないだろうし、場合によっては多くの国の行動は部分的にはプーチンに似通ってしまう。

 岩間 そこですよね。まさにG7的な価値観の広がりには限界があることを痛感した1年でした。少なくとも、私が元気でいられる残りの人生では、G7的価値観が世界を覆う日はやってこないことを認めざるを得ない段階に入りましたね。

 今日は世界をメインストリームとローカル線に喩えてお話ししてきましたが、気になっているのは新幹線に乗っている人たちはローカル線の知識がないことです。

 池内 知らなくても生きていけるし、役に立たないと思っているんですよね。

 岩間 だからものすごく難しいですね。本当はその両方を自在に行き来できることが望ましいですよね。少なくとも関心は持って欲しいですね。

 池内 知り合いにアメリカで教えているエジプト人の学者がいますが、彼は故郷に帰ると空港で荷物を受け取ったあたりでガチャとスイッチが切り替えるように人格も変わるそうです。空港まではきっちりした身なりで礼儀正しくお互いを尊重してふるまって、いわば新幹線に乗っている人間ですが、荷物を持って空港を出た瞬間からローカル線の住人になるわけです。礼儀正しい西欧文明の人間だったのが、突如として、押し合いへし合いをしながら雑踏のなかを突き進む中東文明の人間になると。

 岩間 今回イスラエルに行って不思議だと感じたのはそこですね。私が子どもの頃にオーストラリアで育ったと言ったら、「僕もちょっと前までオーストラリアで働いていた」という人が何人もいました。ユダヤ人はヨーロッパにも多くいますが、教育水準が極めて高くて知的な仕事に就いている豊かな人がとても多いですよね。けれども、そういう人たちもイスラエルに帰ると途端にグローバル・サウスの住人になってしまうことは驚きでした。

 

BTSのジョングクがW杯のテーマ曲に込めた想い

岩間陽子さん(左)と池内恵さん

 岩間 ちょうど今カタールでサッカーワールドカップが開催されています。私は大会のテーマ曲『Dreamers』を歌っているBTSのジョングク君のファンなので開会式をじっくりと観ました。やっぱり今までのワールドカップの開会式とは明らかに文化的に違うんですよね。それまではヨーロッパでも南米でもやはりキリスト教だし、音楽的にもせいぜいリッキー・マーティンでしたが、今回は音楽の大半はかなり中東色の強いものでした。

 池内 確かにアラブの地域の大会をそのままやっている感じでした。もうちょっと新幹線的な開会式にするのではないかと思いましたが、ローカル線の駅前で世界規模の大会を開いた感じですよね。私は普段から見慣れていますが、何というか土着的なドロっとした感じがあります。

 岩間 そうなんです。まさにローカル駅で新幹線の駅ではないですね。「我々はこれなんだ。これでやる」というような開き直りを感じました。

 池内 グローバル・サウス的なスタンスを悪びれずに押し出したという意味で、今の世界の状況を表していたのかもしれませんね。

 岩間 ヨーロッパのニュースを見ているとLGBT支援の「虹色のキャプテンマーク」を着けることをめぐっても言い争いがあったりしてカタールで大会を開くことへの違和感がヨーロッパ側には強くありました。ジョングク君が大会のテーマ曲を引き受けることになったのは、欧米系のスターには断られたのではないかと思っているんです。ギャラが良くてもパブリックイメージが傷付くことを嫌がったのではないかと。それで世界的な人気がある韓国のスターに役割が回ってきたのではないかなと。

 テーマ曲の『Dreamers』の歌詞には「リスペクト」という言葉が何度も出てくるんですね。きっとここには中東の人たちの思いが何か重なっているよう感じられるんです。フランスは個人主義を謳いながらもイスラーム教徒に「公的空間ではヒジャブを着けるな」と自分たちの価値観を押し付ける面があるじゃないですか。

 韓国はグローバリゼーションを背景に著しい経済成長を遂げましたが、それでもグローバル・サウス的な感覚を残していますよね。若い世代もまだ貧しかった頃の記憶があるわけです。K-POPのスターにはそういう面がありますね。つまり新幹線ではないところに目を付けている。音楽的にもインドや中東、南米のテイストをどんどん取り入れているし、表現している歌の内容にも差別されていて搾取されているアンダードッグ的な視点がありますよね。もちろん音楽もダンスも世界中で受け入れられるクオリティーが揃っているからBTSは世界的に売れたわけですが、そうしたグローバル・サウス的な要素を持っているからこそ彼らはワールドワイドに訴えたのではないかと思うんです。

 日本は豊かになってずいぶん時間が経ちますから、貧しかった時代のことを思い出すこともできなくなっている。けれどもグローバル・サウスの世界を想像できないことは、これからの日本人にとって実は大きな弱みにもなりかねないのではないかとも私は思っています。 (終)

 

岩間陽子・政策研究大学院大学教授
いわま ようこ:1964年神戸市生まれ。京都大学大学院博士後期課程修了。98─2000年在ドイツ日本国大使館専門調査員、政策研究大学院大学准教授など経て2009年より現職。専門は国際政治、欧州安全保障。著書に『核の一九六八年体制と西ドイツ』『ドイツ再軍備』、編著に『ハンドブックヨーロッパ外交史:ウェストファリアからブレグジットまで』など。

 

池内 恵・東京大学先端科学技術研究センター グローバルセキュリティ・宗教分野教授
いけうち さとし:1973年東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。国際日本文化研究センター研究員、同准教授、東京大学先端科学技術研究センター准教授などを経て2018年より現職。専門はイスラーム政治思想。著書に『現代アラブの社会思想』『中東危機の震源を読む』、共著に『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』など。

 

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