『公研』2023年11月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

 

とかくネガティブに語られがちな就職氷河期世代。

この世代を境に日本はどのように変わったのだろうか。

同時代の京都で暮らしたお二人に語っていただいた。

 

 

作家 森見登美彦

×

文教大学国際学部国際観光学科専任講師 中井治郎

 

京都モラトリアム

中井 今回の「対話」は、編集部からの「ロスジェネ世代(就職氷河期世代)について語ってほしい」というリクエストを受けて実現した経緯があります。以前に『公研』でインタビューを受けたことがありました(『公研』2020年10月号)。僕が研究対象にしている京都のオーバーツーリズムなどの観光の話が主なテーマでしたが、インタビューは僕自身の長すぎる「京都モラトリアム」時代の話になっていったんですね。僕は就職せずに、大学に残って何となくダラダラと過ごしていた期間が長かったんです。その時期のエピソードが編集部の印象に残っていたようで、今回の依頼に繋がったわけです。

 そのときに生きていた心地を考えると、やはり京都という街とは切り離せないところがあります。森見さんは、京都を舞台にした小説を数多く書かれているし、同世代でもある。長く森見さんの作品を読んでいたファンとして、「対話」のお相手に希望させていただきました。

 今日は森見さん作品についてあれこれお伺いしながら、京都論、ロスジェネ論などについてもお話しできればと思っています。

森見 今回のお話をお引き受けしてからずっと考えていたのは、氷河期世代を代表してしゃべることはできないなということです。僕の場合は、何か非常に特殊な抜け道をたまたま運よく抜けて今に至った感じだから、あまり「氷河期世代です」という顔ができない。

中井 わかります。まさに僕もそうだったので。

森見 当時の東京の大学生は、社会の冷たい風が大学のなかにまで吹き込んでいて、もっとヒリヒリしていたのだと思う。だけど僕が人一倍鈍感だったんでしょうが、そういう社会の変化にはあまり実感がなかった。大学生の頃はいつも寄る辺なさを感じていたけど、それは自分の責任で起こっているものだと考えていました。これからどうしていけばいいのかわからないから不安なのであって、社会の状況とは無関係だと思っていたんです。

中井 僕は就職活動に関しては、始める前に断念したところがありました。大学で就職セミナーが開かれたことがあったのですが、面接でのお辞儀の角度まで厳しく指導されていたんですね。それを見てすぐに、「自分はここでは生き残っていけない」と尻込みしてしまったんです。就職氷河期の就活は体育会系でしたからね。一方で、当時、大学院生の定員を増やす政策が進められていたこともあって、「ここにいてもいい」と言ってくれたのが、大学の世界だけだったんです。

森見 わかります。僕も他に居場所もなかったから。

中井 だから、研究者をめざして大学院に進んだわけじゃなかった。僕が森見さんのデビュー作『太陽の塔』(2003年)を読んだのも大学院の頃でした。でも、まさかそのあと自分のモラトリアムが20年ぐらい続くことになるとは思ってもみませんでしたが……。

 僕は大学院生になると、大津のキャンパスにあった学生や院生が中心となって発行する大学の機関誌の編集部に出入りするようになりました。そして、気づいたらそのあと10年ぐらいずっとその編集室のソファに寝転んでいる人になってしまいました。森見さんの小説『四畳半神話大系』(2005年)や『夜は短し歩けよ乙女』(2006年)に出てくる、大学8回生の「樋口先輩」のような存在ですね。後輩から「本当に樋口先輩みたいな人がいるんですね……」なんて言われたこともありました(笑)。

森見 実際に目の前にいるわけですもんね。

 

京都にはまだ理想の大学生活があった?

中井 よく「中井さんって、一体いつからここにいるんですか?」と聞かれたりしました(笑)。ある時期以降になると、森見さんの作品を読んで大学生活に憧れを持って進学してくる学生が出てくるようになるんですよ。

 今回もこの対話の企画があるというので、知り合いの森見ファンの若い人たちに声をかけてみたのですが、なかには思いの丈がびっしりと綴られたPDFデータを送ってくれた学生もいました。その人自身は東京の大学生なので、京都で暮らすことはなかったのですが、だからこそ自分が送りたかった大学生活を森見さんの作品に見出しているようでした。東京で自分が送る大学生活とはちがう大学生活が京都にはあるのかもしれないというような。

森見 大学生活の理想として受け取ったわけですね。

中井 『四畳半神話大系』や『夜は短し歩けよ乙女』が出た頃は、ちょうど就職氷河期に重なっている時期でもあり、入学した途端に就職活動の話が始まるようになったり、大学生活が様変わりしていった頃でした。だからこそ、学生生活には本当はこうあってほしかったという理想を投影する人が多かったのだと思います。

 京都という街のイメージを形成した文学作品としては、川端康成の『古都』などを代表例として挙げることができますが、その後はめぼしい小説はあまり見当たりませんよね。だから僕は、森見さんの作品を読んだときには、京都という街をまったく違う角度から定義し直した作家が出てきたという印象を持ちました。

森見 確かに京都を舞台にしたフィクションは、数がそんなにないですよね。近代文学も少ない。『火曜サスペンス劇場』みたいに華道の家元が出てくるようなイメージが強くて、自分が学生生活を送っている日常としての京都は読んだことがなかった。だから大学生のゆるい感じの目線で見た京都というコンセプトはおもしろいのかな、とは考えていました。

 だけど、それを理想の学生生活と受け止められるのは個人的には複雑ですね。こうあるべきという学生像じゃない。お話としておもしろがってもらえるのはいいけど、憧れてもらっても困るなという気持ちはずっとありました。

 最初に書いた『太陽の塔』は、自分の暮らしている範囲を舞台にしてファンタジーを書いてみたいと思っただけで、特に「京都の大学生活」というものを意識していたわけではなかったんです。ただ、自分の過ごしたリアルな大学時代の経験も混じっていますし、自分の純粋な妄想、こうあってほしかったという願望なども全部混じっている。それを理想として受け止められたり、森見さんはああいう大学生活を送っていたのだと思われたりすると非常につらい(笑)。

 小説を書くような人間は、読者との関係ではそういうジレンマをずっと抱えると思うんです。実際は、僕の大学生活に近いものは『太陽の塔』だけですね。けれども、それがある程度評価されたので「こんなに喜んでくれるんだ」と思って、京都の大学生ものをだいぶ書きました。柳の下にドジョウがいっぱいいたわけです。

中井 『太陽の塔』はライフル部のノートがもとになっているそうですね。

森見 ライフル部のノートに、友だちを笑かすようなふざけた文章を書いていました。同じような文章で小説を書いてみようと思って、ああいう主人公をつくったんです。だから『太陽の塔』には当時、自分の体験したことや妄想していたことが盛り込まれています。当時僕が過ごしていた、何となく寄る辺ない、そんなに楽しいことばかりではない学生生活が書かれている。『太陽の塔』の京都は、何か寒そうなんですよね。

中井 確かにそういう印象があります。

森見 正直言って『太陽の塔』を書き終えてしまうと、もうネタがなかった。普通の大学生には別に事件もそんなにないし、活動的な大学生でもなかったから。だけど編集者は、「これは受ける。この戦略を続けていこう」と言ってくる。それで妄想をどんどん膨らませて、ファンタジー度を上げていったのが『四畳半神話大系』以降の過程でした。自分のリアルな私小説的な大学生小説からファンタジー度が上がっていくにつれて、売れ行きも上がっていったんです。

 『夜は短し歩けよ乙女』に至っては、完全に想像力でつくり上げた極彩色のテーマパークのような京都になっている。だから、本当にファンタジーなんですよ。

中井 確かにファンタジー度は上がっていきました。

森見 そう。そうしないと書き続けられなかった。でも実際に続けていると、何か新しい領域に入っていく感覚がありました。リアルじゃないといけないと考えていたのが、だんだん自由になっていく。次第に大学生の枠からも外れていって、『有頂天家族』シリーズなどの別の書き方にも発展していくことができた。

 でも、僕の妄想が激しくなったことで出てきた極彩色の部分を、読者の人たちが理想の大学生活と思ってしまうことにはやはり違和感がありました。

中井 でも学生たちが理想としたのは、極彩色の部分だけではなかったような気がします。世間の荒波や競争にさらされずに済む、アジールとしての京都ですね。京都の大学生活には、緩やかなコミュニティがあるように感じられたのかもしれません。モラトリアムではあるのだけど、孤独な登場人物があまり出てこない。常にコミュニティがあって、そこに自分がいることが許されている感覚がある。おそらく今の若い人たちからすると、そういう印象で森見さんの作品を受け止めているのではないかと思っています。

 京都の特色はお坊さんと学生と観光の街であるということです。学生もお坊さんも観光客も、何かを生産するためではなく何かを学ぶためにここにいるわけです。

 だから、自分がまだ何者でもない状態でいても許される。おそらく、他の街には学生がゆるくやっていても許される空気感がどんどんなくなってきているという感覚があるのではないかと思うんです。たとえば東京にもかつてはたくさん学生街があったはずですが、今はもう学生街という空気の場所はどんどん減っていますよね。

 

役に立たないことを一生懸命やっているやつは偉い

森見 そうですね。京都で大学生やっていると、大学の外と大学のなかと街とが連続している感じがありますね。京大の敷地の外に出たら都会があるのではなくて、吉田神社のほうや百万遍から鴨川ぐらいまでが何となく京大の範囲という感じで生活していました。

中井 街自体に「学生さんのやることやから大目に見てあげよう」という空気がありますよね。それに、自分が何者でなくても許されるという感覚もある気がしています。住んでいる人間からすれば、「学生やねんから、フラフラして当たり前やん」ぐらいしか考えていなかったりします。けれども、他の街ではそれは許されない感じになっているのかもしれない。東京の人たちから「京都はそういう空気があっていいですよね」と言われたりすることで、逆にそういう京都という街の本質に気づいたりすることもありました。

森見 でも、逆に社会に出るときにびっくりすることもありますよね。ハードルがすごく上がると言うか、何か落差が激しすぎるんです。大学から出るときに「えっ?」と思うのは、それまで重視されていた価値観がまったく役には立たないと知ることですよね。これは我々の周りだけかもしれないけど、役に立たないことを一生懸命やっているやつは偉いという感覚が何となくあったんです。「先輩、今年1年で4単位しか取らないんですか」みたいな事態になっていても、一生懸命に何かをやっているのであれば偉いと見なされた。

 もちろん、きちんと単位を取って就職の準備をして、いい会社に入ることをめざしている人もたくさんいます。けれども、ちょっとヘンな方向に迷い込んでいて、役に立たないことを頑張っている人たちのことも、それはそれで一目置かれるところがあった。

中井 なんか仙人みたいな。

森見 そうそう。そこには何か別の評価軸があったわけじゃないですか。でも大学の外に出ると、それは何の役にも立たない。僕はそういう人たちを小説のおもしろいキャラクターとして書けたから役に立ったけど、実際は大学の外に出るとその価値観はいきなりひっくり返ることになる。だから、あまり逆転した価値観の場所に適応しすぎて、後輩から尊敬の念を一身に集めたりしていると、いざ社会に出るときにびっくりすることになってしまう。

 

この国にはもはや仙人の居場所がなくなっている

中井 この国にはもはや仙人の居場所がないのかもしれません。しかし、人々はどこかに仙人がいてほしいと期待している。そこで、そういう仙人の幻想をどこに配置しようかとなったときに、京都が選ばれているような気がします。僕自身は大阪出身ですが、何かと京都に対してライバル心を持つ大阪の人間でもそう思っているところがありますね。この街にはもういなくなってしまったが、きっと京都になら……。そういう希望を、東京をはじめ日本社会が持っている気がします。

森見 東京は本当に息苦しくなっていますよね。僕がよくお会いする劇団「ヨーロッパ企画」の上田誠さんも東京には仕事するために行って、劇団の拠点は京都に置いています。上田さんは「東京という街はテンションが高いから、たまに行って仕事してこちらに戻ってくると気持ちの切り替えができていい。京都に拠点があって、たまにテレビや舞台の仕事に東京に行くほうがいいんだ」という話をしていたことがありました。

 本人の資質にもよるのでしょうが、僕もそう思いますね。僕も一時期東京にいましたが、やはりこっちにいるほうがいいですね。今はもっとゆるい奈良に住んでいます。

中井 東京の人たちは本当に「東京は息苦しい」と言いますね。僕は観光を通して京都を考える仕事をするようになってひしひしと感じるのが、東京の人たちの期待なんです。京都にはこうあってほしいみたいな。

森見 それはそれでヤバいですけどね(笑)。

中井 「東京はこうだけど、京都はこうなんでしょう?」みたいに、すがりつくような目で言われたりする。もちろんそれは、観光地としては大きな強みではあるんですが。

 森見さんの作品を読んでいる若い読者にとっては、世のなかにこういう街があると思えるだけでも気持ちが楽になるのだと思います。そういう意味では、京都のことを考えていると、いつのまにか東京のことを考えていたりするし、その逆もあります。多くの人々が東京では失われたものを京都に投影してきたという構図があるんじゃないかなと思っています。

森見 東京は最新の街であり続けるために、どんどん変わらなければならないので、それが何かしんどい。

中井 京都には変わらないものがあるはずだという東京の人たちの期待もありますね。

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事