『公研』2018年11月号

池内 恵・東京大学教授×鈴木 一人・北海道大学教授×遠藤 乾・北海道大学教授 

インターネット上では、政治や社会の問題をめぐって活発な意見が交わされるようになった。しかし、そこには著しい偏りを持った意見も蔓延している。ネット上の意見が実際の政治に影響を与え始めている今、我々はこのツールとどのように向き合うべきだろうか。

ネット上の意見に政治が即応している

遠藤 乾・北海道大学教授

遠藤 鈴木さんと池内さんはTwitterにアカウントを持って積極的に情報を発信していて、時に炎上(批判的なコメントが殺到して収拾がつかなくなる状況)したりしていますね(笑)。今日は、ネット上の意見はどのような人たちによっていかにして構築されているのか、そしてそれらが現実社会与えている影響について、お二人の実体験も踏まえながら考えてみたいと思います。

 WEB上の意見の盛り上がりが実際の政治を動かす例と言えば、やはりトランプさんが象徴的です。こうした現象は、日本でも起き得るものでしょうか。

池内 トランプ的なものが世界中を席巻していますが、日本社会や国内政治にも浸透しているのかと言えば、おそらくそうではないのだと思います。日本では、生半可な人は出てくるが、トランプのような筋金入りのポピュリストは出てきていない感じです。文化的には「ネトウヨ(ネット右翼)」の意見表出の場となった「2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)」などは、世界に先駆けた現象だったと思います。ただし「2ちゃんねる」は、政治的な影響をあまり与えていませんよね。「2ちゃんねる」で展開されてきたような言説をする右寄りの政治家が出てくることはありますが、それがムーブメントを起こして自民党を乗っ取ってしまうかと言えば、そんなことはない。杉田水脈議員のような人の言動も「なんだか2ちゃんねるっぽいウザいのが出て来たな」という程度で収まっています。

鈴木 自民党内で彼女の存在は、とてもマージナル(周縁的)なんですよね。党内にも危機感がある。

池内 安定多数を維持しているのだから、「何もその層の支持を拾わなくてもいいのに」と思える人を受け入れるところがある。やはり、支持が盤石ではないと感じているのかもしれません。党内には、常に浮ついている支持層によって支えられているという認識があるのだと思います。

 6月の米朝会談の前に神戸大学の木村幹先生が「日本は蚊帳の外に置かれている」というような発言したら、ネトウヨがバーっと湧いて来て炎上する事態になったことがありました。それを受けて安倍首相が、新聞やテレビを通じて、「日本は蚊帳の外ではありません」とすぐに反応したことがありました。私などは、そんなの放っておけばいいと思うんですが、不安に駆られているのかすぐに反応している。ネット上の意見に対して、為政者が即応する状況は世界中で見られているように思います。ただし、日本ではそれが政治の中心になって動いているわけではない。

遠藤 今はそこまでにはなっていませんね。

池内 ただ、そういう有象無象のうごめきによって足下を掬われるんじゃないかという不安感を与党も野党も持っていて、過敏になっていますよね。だから、ネット上の動きを無視するわけにはいかない。本来ならそのぐらい大きな塊が社会に不満を募らせているのであれば、例えば「氷河期世代政党」が出て来てもおかしくないはずなんです。

鈴木 アメリカの「ティーパーティー」はそんな感じで出て来ましたよね。

池内 けれども、日本ではそれを組織して運動を起こすようなことは誰もやらない。2ちゃんねるで悪口を言っていたのと同じようなことを、Twitterでも場所を変えてやっているに過ぎない。自分たちが「いかに不遇で不当に貶められているか」「辛い」ということをつぶやくだけで終わりになってしまっていて、そこから何かをやろうという動きは出てこない。そのあたりは、他の国とは違いますよね。ここには何らかの歯止めが効いているのかもしれません。

遠藤 あるいは「分断」が深過ぎて、そちらの方向で団結することは難しいのかもしれない。

池内 分断よりも「孤立」と言うほうがしっくりくるのかもしれませんね。「○対×」という感じにガチンと分断しているわけではないと思いますが、孤立している人たちを繋ぐものがないという感じでしょうかね。都知事選で勝利した小池百合子さんなどは登り調子でしたが、希望の党を率いた衆議院選挙では惨敗して、それで一気に雲散霧消してしまいました。

遠藤 社会学の調査によれば、今の日本では「アンダークラス」と呼ばれる1000万人近い巨大な貧困層が出現しているのではないかという指摘があります。けれども彼らは、おっしゃる通りアンダークラスの政党をつくろうという流れにはならない。

移り変わる批判の矛先

鈴木 不満を持っている人たちは、不満を持っている人たち同士で「オレのほうが不幸だ!」という競争を始めてしまうところがありますよね。だから、共通の敵がなかなか出にくい。小池百合子さんが一気に萎んだのは、やはり選挙制度が影響していますよね。大統領制は一発逆転が可能だが、議院内閣制では状況を一転させることは難しい。日本の場合は、地方の首長選は大統領選と同じ効果を出せますが、総選挙や参院選ではそれが出にくい。逆に言えば、都知事や県知事選では小池さんのような人が突如として現れる可能性がある。

 日本の社会は、ボワっとしたマジョリティになんとなく覆われているようなところがある気がしています。どこにあるのかわからないのだけど、「これが常識である」とか「主流である」といったヘンな意味での平均化したイメージが存在している。よく藁人形論法と言ったりしますが、実態はないがある種のベンチマークや境界があって、その架空の存在に照らし合わせて、みんなが「普通である」ことを求めようとするところがあります。だから、アメリカのように突出した金持ちが生まれ、彼らに対して、「ドレイン・ザ・スワンプ(金持ちは排除しろ)」と批難するような共通の敵が生まれにくい。未だに1億総中流幻想の影だけが残っていて、ただ単に自分が普通であることの基準から外れていることを嘆く傾向がある。その分、特定の個人や特定の集団を攻撃の対象にしにくかった。ところが、最近では大学の先生が攻撃の対象になって科学研究費助成事業(科研費)が狙われたりすることがありますね。血税をムダ使いしていると、彼らは批判するわけです。

遠藤 まさに。加えて弁護士や新聞記者も対象になっていますね。

鈴木 要するにエスタブリッシュメントとされている特定の職業で、テレビに出てくるような人たちですね。可視化された敵として攻撃の対象にしやすいので、ネット上ではワァーと湧いてくる。彼らは別に科研費に関心があるわけではないし、きちんとした科研費制度の理解を持ち合わせているわけでもない。そもそも、大学の教員にも関心がないんですよね。ただ目に見えるエスタブリッシュメントだと言える人がそこにいるというだけの理由で、とにかく何か言わなければ気が済まない。

池内 ひと昔前の官僚叩きとつながっているのかもしれませんね。あの当時はSNSがなかったから、官僚叩きも週刊誌やテレビを通さないとできないところがあった。そういう当時の支配的な媒体を通じた官僚叩きが盛り上がりを見せ始めると、これはもう何がなんでも結果を出さないといけないということになる。

鈴木 そうやって政治も動き始めると。

池内 改革をやって見せる必要が出てくる。国会でも追及しなければならないという雰囲気になっていきました。当時はまだ官僚が偉いとされていて、当人たちも偉いと思っていた。だから、叩かれた。ところが、今では官僚たちは、一般社会向けには頭を低くするようになりましたから、叩かれる対象でもなくなった。その代わり、大学の先生や弁護士が偉そうにしている存在として映るようになったのかもしれませんね。

遠藤 その前にメディア批判もありましたね。叩かれる対象になったのは、朝日新聞などのリベラル系のメディアですね。「反日だ」とか「偉そうにしている」とか。

池内 政治家、官僚批判、メディア批判と対象が移っていきましたが、メディア批判はなんだか燻っていた感じです。「反日売国奴新聞を潰せ」とネット上では、いきり立っている人たちがいますが、潰すための直接的な手段はありませんからね。政治に圧力をかけて政策の変更によって新聞社にダメージを与えることはできる。ただし、できることは限られています。新聞で言えば、消費税の軽減税率の対象にするのかどうかとか。新聞社が軒並み国から一等地を払い下げてもらった土地から不動産収入を得て成り立っているといった問題もありますが、今更どうしようもない。ネット上ではそういった非をあげつらって攻撃して盛り上がりますが、主流派の政治家はエネルギーをそこに注ぎたくはないでしょう。自分たち自身がメディアを上手に使っているわけですからね。

 対メディア戦では、ネトウヨの人たちもしょっちゅう勝利宣言をしながら対象に決定的な打撃を加えられないというモヤモヤとした感情を引きずることになりました。欲求不満なところに今度は、弁護士と大学の先生が叩くための対象として槍玉にあがった。大学は壊そうと思えば、壊せますからね(笑)。「国民の税金でまかなわれていますから」「このような世論もありますから」と役人がTwitterのネトウヨ言説を根拠に大学に手を入れるきっかけを与えかねない。あまり激しくやられると大学は潰れるかもしれないという問題が起こる。

放置しておくと大変なことになりかねない

鈴木 科研費の問題は、やはり「国民の税金をこんなことに使いやがって!」というのが彼らのネトウヨ魂を刺激するんでしょうね。

遠藤 日本は、これまで穏当なリベラル・デモクラシーをやってきたのだと思います。ところが、英米があんなふうになってしまった。ヨーロッパ側はなんとか一生懸命リベラル・デモクラシーをやっていますが、これから先どうなっていくのかわらないところがあります。日本でもリベラル・デモクラシーというものが本格的に自滅していくのか、残り続けるのかの重要なケースだと思っています。

 これからアジアではいっそう中国が伸びて来るし、日本にも権威主義が浸透してくるのだろうと思います。そうなるとリベラル・デモクラシーは、肩身の狭い立場に追いやられてしまう可能性がある。こちら側がしっかりしている限りは、その浸透にも限界がある。けれども、将来は自分たちで辞めていってしまう可能性があるのではないかと懸念しています。そういう意味では、いまネット上で起きていることは、一つの試金石なのかもしれません。

池内 私もかなりの危機感があるんですね。うっかりしていると、ネトウヨ的な意見が社会を覆うことになりかねない。今は一つの大きな敵やターゲットがないから、そうはなっていないだけの話なのかもしれません。そういう対象にされることを誰もが恐れていて、「自分はその対象にはなりたくない」という行動を取るわけですね。

遠藤 まさにそうです。学会辺りにいるのも、そういう人たちが多い。ヘンに係わり合いになりたくないという感じです。まぁしかたないですけどね。

池内 安倍首相がネット上で「蚊帳の外」と言われただけですぐに反応するのは、まさにネット上の烏合の衆から敵と見なされることを恐れるからでしょうね。だから、大学教員から総理大臣までみんなが恐れるようになった。ネット民のことを簡単に動かせるとも見ているフシもありますが、敵として見なされることを過剰に恐れていますから、どちらかと言えば、防衛的にならざるを得ないというか、隠れる方向にいくようになった。

鈴木 そういう烏合の衆に対しても、池内さんは草むしりをするように、その意見は正しくないということを説いてまわっていらっしゃいますよね。

池内 たまに私のように面白がって相手する人もいますね。私なんかは失うものがないですからね(笑)。

鈴木 いやいや、そんなことはないでしょう。普通は相手にはしませんよ(笑)。

遠藤 僕もすごいと思って見ていました。「まともな人がいたんだ」と思って見ている人も多いんじゃないかな。

池内 恵・東京大学教授

池内 誰かがやらなければ、結果としてネトウヨ・ネトサヨ諸君のおかしな意見が通ってしまうかもしれない。だから、しっかり正しておかなければ、うっかり間違えてヘンなことになりかねないところがある。ネット上では、「まともな人が手を出せないから、ここは黙っていよう」とみんなが知らないフリをしていると、まともじゃない人ばかりが湧いてきます。そうなると、そちらがマジョリティであるかのように一瞬錯覚して、社会の頭がおかしくなって、ヘンな判断をしてしまうということが十分あり得ると思うんです。

遠藤 ネットの世界にはそういう危険性がありますね。

池内 政界から大学まで、そこで敵にされたくないというネガティブな自己保身が、結果的に制度を潰してしまうという結果につながりかねない。

遠藤 同感です。

池内 果敢に立ち向かうことをせずにみんなで逃げた結果、主体が誰もいなくなってしまったという状況が一番怖いと思いますね。悪口言っている人たちの主体なんて、誰にもわからないわけです。アカウント自体が実態のないものだったりしますからね。すべて匿名なわけですから、主体性やアイデンティティが伴っているわけではないことが多い。そもそも、悪口を言っている人も実際は、ただ単に構ってほしいだけではないかと思える人がいっぱいいます。口汚い言葉を使っているけど、この言い方をすると相手が反応してくれるのではないかと思って挑発していたりする。むしろ、多少意に反したことを言ってでも目立ちたいと思っていたり、ただ相手にして欲しいという寂しい人だったりする。

 だから、そんな無責任な発言を参考にして、結果的におかしな世論が形成されてしまうのは危険なことです。マイクロソフトが開発したAI(人工知能)チャットロボットTayに、WEB上に溢れるビッグデータから学習して自動的にツイートさせる実験を行ったところ、「ヒトラーは間違っていない」とナチス賛美を言い出したので、1日余りでスイッチを切って実験を中止しなければならなくなったという話がありました。この場合スイッチを切ることができたので良かったのですが、「AIの判断は正しい」とか「AIに嫌われたくない」から、AIが決めたとおり実行しますということにもなりかねない。いつかはそういう過ちをどこかで犯すような気がしますね。

雑兵は丹念に狩る

鈴木 制度は人が支えないと維持できないというのは、その通りだと思うんですよね。やはり、「社会はこうあるべき」という規範を表に向かって言い続けないと、維持できない時代になったのだなとつくづく思いますね。今までは「言わなくてもわかるだろ」という規範のようなものは、なんとなく社会のなかにありました。「偉い先生の話はきちんと聞かないといけない」といった道徳というか、権威への信頼感や共通理解があったのだと思うんです。けれども、SNSなどの新しいコミュニケーション・ツールが、自分と偉い先生を平場で対等に会話することを可能にしました。そういう仕組みをつくってしまったものだから、偉い先生が「実は全然偉くないじゃないか」と思う人たちが増えて来て、そういう存在を貶したりすることで優越感を覚えたりする人が出て来ている。それは、今アメリカをはじめ世界中で起こっているアンチ・エスタブリッシュメント的な動きや、ポピュリズムにも何となく共通するところがあるような気がしています。

 グローバル化によって、それまでよりも相対的に貧しくなっている層が増えていることは、こうした現象を育む土壌にはなっているのでしょうが、直接的には新しいコミュニケーションのメカニズムができたことがやはり大きな影響を与えているのだと思います。これまでは雲のうえの人だと思っていた人たちが、同じ土俵に立つということの構造の変化はやはり大きい。

 だからこそ、池内さんがTwitter上で繰り広げているように、とにかく来る者をバッさバッさと斬りまくっていくことは結構大事なんじゃないかと思って見ています。あれで、ある程度の血が流れていくことで、「ダメだ! やっぱりかなわねぇ」ということに気が付くと、秩序がそれなりに再構築されていくんじゃないかなと思いますね。そういうことをやっていくことで、何となく学習していくと思うんです。今までなかった新しい現象なので、今は同じ平場で殴り合っているが、喧嘩をしていくとそのうちに勝ち負けって決まって来る。

遠藤 池内さんのやられていることは、社会実験でもあると(笑)。ネトウヨに対して、「雑兵を丹念に狩るのがスタイル」とツイートされていたけど、あの発言の抑止力ってすごいですよね(笑)。

池内 「雑兵」と呼ばれた瞬間にピタリと止まる。ハタと気が付くわけです。「オレもしかしたら雑兵になりかけている? しかも、狩られちゃうの?」と。そうするとそれまで他人をいじって遊んでいた人たちが逆に「笑われる立場なの?」ということに気が付くと、クリックがピタリと止まる瞬間がありましたね。そういう時に、第三者が合いの手を入れるとシューッと減るんですよね。そういうふうに実名で何人か懲らしめると、サーっといなくなるんですよね。まずは、個性や実態のあるアカウントと、粗製乱造のアカウントや全く考えなしに煽動された人たちを見極めます。形の上では大規模に増幅しているように見えますが、その中でコアになっているアカウントは限られていますから、そこを叩く。逆に、考えなしに付和雷同してうっかり口を挟んで来た哀れなアカウントをいくつかサンプリングして批判して晒すこともあります。

鈴木 イジメの構図と同じなので、放っておくと結局ダメなんです。だから戦わないといけないんだけど、こちらにもそんな時間はないし、すごく不毛な戦いになるからモチベーションが上がらないんですよね。でも、こうした小さな積み重ねは、これからの社会を形作るうえですごく影響していくような気がするんですね。だから、池内さんのように雑兵狩りをすることは大事なのだと思います。それなりに時間はかかるんでしょうが、整理されていって秩序が取り戻されるのではないか。それが望ましいものかどうかはよくわからないけど、少なくとも今のような無秩序がまっとうだとは思えないですね。

 私がとても気になっているのは、こうしたネット上にある蠢きがリアルな世界に到来したときに、実際の社会の秩序を破壊するような大きなインパクトを持つのではないかということです。ネット上では時間が経つことである種の秩序が構築されるのでしょうが、リアルのほうがひと度破壊されると、再構築する力は弱い感じがしています。

池内 今流行っているSNSは、アメリカ起源のものです。mixiや2ちゃんねるは日本で独自に発展したので、日本の文化にある種根ざしていたところがありました。ところがFacebook以降は、日本でもアメリカで広まったツールが普及しました。Facebookは、アメリカのエリートカルチャーに由来していますよね。ルーツでもあるハーバード大学には、学生もOBも含めてお互いに見たところフラットにやってみせる伝統があります。そのような付き合いをすることにメリットがあるからフラットにやっているわけです。Facebookにおけるコミュニケーションが形式上フラットなのは、そうしたリアルの世界での実態が背景にあります。ハーバードでそれが成り立つのは、アメリカ社会の上澄みだけを集めてやっているからですが、Facebookはそれを世界にヴァーチャルに広めてしまったところがある。ハーバード大学やティーパーティー運動でアソシエーションをつくるときのしきたりは、もともとアメリカ社会のなかに根ざして存在していたものです。だから、言っていることがたとえ過激になったとしても、その社会のネットワークを使ってアソシエーションをつくっていく仕組み自体はリアル社会のなかにあるわけです。

業界がヘタり世論を直掘りする政治家が出て来ている

池内 ところが、日本にはそういう仕組みはあまりないんです。日本のアソシエーションというと、その重要な一つは「業界」なのだと思うんです。電機・通信業界とか建設業界や、それこそ電力業界など、産業ごとに会社を横断して「業界」が形作られ、業界団体などの制度化・組織化がなされる。業界団体のスポンサーとなる主要社があって、各社の中での先輩・後輩の関係で知見が引き継がれ、会社間の序列や相互関係のしきたりによって業界のウチとソトの分別がなされ、外に出して良い話とそうでない話が選り分けられていく。業界の中で最新の情報に基づいてまず議論して練られていくことで、秩序が保たれていた。業界団体は政官界やメディアなどへの窓口になって、社会に流通する情報を一定の質でコントロールしていたところがありました。ところが、産業の再編で事業者の数が減少していき、根本的には人口減少社会であることで、支えるスポンサーが減り、業界団体や組織を担う人員もなかなか出してくれなくなって、業界の働き自体が弱っていくことになった。銀行なんかは13社とか15社とかあったのが、金融再編で四つか五つくらいに集約されましたからね。

 こうしてアソシエーションとしての業界がヘタっていきました。業界が弱体化したためなのか、SNSが盛んになったためなのか、どちらが先なのか後なのかはわかりませんが、そこに丸ごとアメリカ的なSNSが入ってきてしまった。そこではお互いにフラットな関係で、あたかもハーバード大の中にいるかような気分で日本人同士がやり取りするようになっていきました。最初は抵抗があるから、既存のmixiなどで日本的しきたりもかなり残しながら若干フラットなやり取りをしていましたが、それである程度慣れていたのでしょう。ある時期に突然mixiが見向きもされなくなって、日本の普通の人がFacebookTwitterのような、アメリカ人と同じツールを使うようになった。

 アメリカのSNSでも、一般人がエスタブリッシュメントに喰って掛かるというようなことは、あるようです。けれども、向こうはリアル社会においてはエリートはエリート、一般人は一般人という厳然とした垣根や区別が存在しているので、「かなわない」ことは前提になっているんですね。だからこそトランプが専門家やメディアを相手に「違うんだ!」と言ったりするとウケるのでしょうが、それによって一般人がいきなり専門家に対して好きなことを言って、それが社会的にも政治的にも正しいということにはなりません。SNSで大騒ぎしたところで、結局はリアル社会ではそれぞれの仲間うちのコミュニティに戻るわけです。なので、そこである種のエリートのクラブ社会に入れるか、入れないかがゲートキーパー(門番)として厳然として機能しているところがある。

 日本の場合は、アメリカとは違いますが、別の垣根が存在していたのだと思います。その一つがやはり業界だったのではないか。業界の内部と外とでは、流通している情報がまったく違うわけです。業界の内部にいなければわからないことがいっぱいあって、実際の情報の質と量に圧倒的な差があるので、そこでの意見や考え方に外の人々も従わざるを得ないところがありました。業界の中で取りまとめられる総意や、業界ならではの専門的知見はそれなりに尊重されてきたわけです。

 ところが業界の影響力が縮小して、リアルなアソシエーションの力が弱まった。それに変わってSNSの場で個人が白兵戦をやるようになりました。ここでは情報を持っている人もロクな情報を持っていない人も同等で、社会的なリアルな支えがない。落ち着きどころがないんですね。元来あった業界の内側、外側という認識が希薄になりつつある結果、業界の意見を通さずに世論を直堀りする政治家が出て来ている。彼らはネット上で有象無象が言っている話を直接拾ってくるわけです。それまでは業界団体なりを通じて適切に取捨選択されていたのが、ネットから直掘りするようになる。そうなると「1万アカウントくらいが騒いでいるようだから、その民意を取り入れて政策に反映させるべきである」ということになりかねない。これはけっこう怖いことではないかと思います。

遠藤 よくわかります。媒介するような役割を果たすところがなくなってしまっていますね。それで新たに良い文化ができるというシナリオもあるが、そうではない文化になってしまうシナリオもあり得る。WEB上では、そうした計算ができるわけではない人たちがフラットに白兵戦を繰り広げている世界があるわけですが、そこに本格的に手を突っ込めるポピュリスト的なリーダーはまだ我々の社会には現れていないのかもしれません。先駆的には橋下徹さんや小池百合子さんがいたのだと思います。彼らが触媒的な役割を果たして、本物の強烈なポピュリストが現れてくるということは、あり得るんじゃないかと感じています。

ネトウヨ=団塊世代?

遠藤 ところで、お二人は実際にはどういう人がネトウヨ・ネトサヨ活動をしているのだと思いますか。

鈴木一人・北海道大学教授

鈴木 最もマジョリティになっているのは、引退した年配の人たちなんじゃないかというのが僕の印象ですね。だって、よほど時間資源に恵まれた人でなければ普通はああいうことはできないですよね。我々は大学の教員ですから、ネトウヨを構うような作業をしていても、怒られない仕事をしているからいいんですが、普通に考えると会社で働いている人たちが昼日中からあんなことはできないでしょう。仕事を終えて疲れて帰宅してから、あんなに訳のわからない絡み方をする元気があるとも思えない。だから、よっぽど時間のある人たちですね。しかも、社会にコミットしたくて仕方がない。でも会社には通えずに、家では「濡れ落ち葉」のように扱われている。そういう人たちが、ここぞとばかりに無限の時間を使って参加してくるのではないか。そうなると向こうは膨大な数ですから、こちらには勝ち目がない。

 逆に言えば、彼らはまとまるつもりもないのだと思います。年金を受け取っているようなある種の既得権益がある人たちなのだろうから、相対的には恵まれているんですよ。彼らは社会に対して、「ああしてほしい。こうしてほしい」という願望はあるのだろうけど、具体的に政治家に何かの政策の実現を要求して、より良き社会をつくっていこうという前向きなモチベーションがあるわけではないようなんです。むしろ、「今こいつらがムカつくからやっつけたい」みたいな攻撃的な批難ばかりに終始している。これは僕の想像だけど、「今までオレは会社で偉かったが、退職したら誰も見向きもしてくれなくなった。だからWEB上で存在感を知らしめてやろう」というモチベーションの人たちが少なからずいる気がしています。高齢化社会日本の一種の特殊な現象にも見えないこともない。

 池内さんから業界の力が弱くなっているという指摘がありましたが、退職された人たちは自分がどこかに属しているという所属感から切り離されている人たちと見ることもできると思うんです。所属先がないからSNS会みたいなものに所属してしまって、そこで発言することが自分の存在意義を確認する作業になっている。

遠藤 所属のなさと承認欲求は裏腹なんだろうね。

鈴木 そういう感覚がありますね。けれども、おそらくこれってやはり政治勢力にはなりにくいのだと思う。実現したいビジョンがあってやっているのではなくて、とにかく何かを言いたいだけです。その言葉自体も感覚がものすごくチープで、誰かを攻撃することで満たされる感じになっている。僕の観察している限りでは、Twitterで僕につっかかってくる人はだいたいそういう傾向がある。

 だから、トランプがネット上の大きな塊を掴んで大統領選挙に勝ったのとは、違っている気がしているんです。ネトウヨの多くが団塊世代なのだとすれば、彼らは時間の資源もあるし、お金にもそんなには困っていない。エスタブリッシュメントはムカつくが、「あいつらを倒して自分たちの世界をつくろう」とは考えない。自分たちが搾取されているという感覚ともまた違う感じがするんですね。むしろ、「オレたちの税金をムダにしやがって」とか「オレがこんなに頑張ってきたのにオマエは頑張っていない」という感じで、どちらかと言えば、自分のほうが上にいるんです。ここは日本の独特なところだと思います。トランプを支持したアンダークラスの人たちは、自分たちを上に置いていません。自分たちは下だという認識があるから「あいつらをやっつけろ」という強い思いがあっても、自分たちではできない。だからこそ、政治の力を使ってそれを実現しようとする。

 日本のネトウヨと呼ばれる人たちは、仕事がなかったり、収入が低かったり、カツカツで生活をしている人たちもたくさんいるのでしょうが、気分は自分のほうが上なんですよね。「オレたちが官僚を養ってやっている」「オレの税金でこいつらは飯を喰っている」というところがある。アメリカと日本とでは、この辺りのニュアンスに違いがあるという実感がありますね。

池内 その不満は、政治的に解決することが原理的にできない内容のものであることが多いんですよね。だから、単に「オレを認めろ」と言っているだけになっている。しかも、その時にポジティブに認められるような要素がほとんどない。よく言われているように、日本人であること以外は誇りに持てることがなくなっているんでしょうね。だから、日本を蔑むような対象には敵意を剥き出しにして罵る。ネタが尽きたように、朝日新聞だったり左派系の政治家の名前だったり、そういう限られたアイコンに対して罵倒する。こういう集合体は、煽っている人に触発されてそこに加担していく人も一定数いるのだと思います。彼らが何でまとまるのかと言えば、非常にネガティブな「何らかの敵」です。それも実態のある敵とも言えないような想像上の敵ですね。「味方」「自分たち」は何かというと、「日本人である」というだけしかない。

遠藤 ジャーナリストの津田大介さんに会ったときに「ネトウヨって誰なの?」という話をしたんだけど、彼は必ずしも高齢者とは限らないのでは? と言っていました。団塊世代がSNSでおかしな発言をしてまわっている問題は確かにあるそうだけど、そこに決め撃ちをすると、今起きている現象を見誤ることになるとも言っていました。僕もネトウヨ=団塊説には与せないところがありますね。

鈴木 もちろん団塊世代は一つのグループでしかない。

遠藤 津田さんが言うには、30代、40代のホワイトカラーも割と含まれているのではないかと。あまり家事をせずに奥さんに子育てを任せきりにしていて、家族からはあまり相手にされていない人ではないかと限定的な言い方ですね。従来は、安定した仕事に就いていないとか奥さんや彼女もいない寂しい男性ではないかとも言われていましたが、実際は定職に就いている人たちが仕事中にやっているのではないか。

池内 SNSは有効に隙間時間をかき集めるツールでもありますよね。いつでも、どこでもネトウヨ活動ができるから、忙しい社会人も参加することは可能です。ただ、高齢者層がどんと塊として存在していることは、私も感じています。全体として重みが加わっている感じです(笑)。

鈴木 倍増感がありますよね(笑)。思想的なクリエイティビティーは、若い人のなかに知的リーダーのような存在がいて、そういう人がネタを見つけてきている印象ですね。科研費の話にしても、「これが問題だ」という発見をするのはそういう人たちです。ただし、それに群がってくるのは、時間資源のある人たちなんですよ。いわゆるフォロワーです。だから、ネトウヨが高齢者というわけではなくて、高齢者がネトウヨに張り付き易い。

池内 炎上させる人は常に少数だと思いますね。

予見不可能性が社会の安定性を蝕んでいる

遠藤 お二人の話を聞いていて気になったのは、彼らには実現すべき価値みたいなものがあるわけではないのという点ですね。「こいつを懲らしめたい」とか「破壊したい」とかそういうふうに誰かを引きずり落とすことができれば、それが価値実現になっている。結局それは、何も実現していないんですけどね。

鈴木 これまでは常識やルールといった何となく規範があって、先に何があるのかなんとなくわかっていました。

池内 破った時には、その人が「非常識だ」と批難されていたわけですよね。

鈴木 ところが、イスラム国にしてもネトウヨにしても、これをやってはいけないという規範の外からやってきて、それなりにインパクトを与えています。規範が効いているからこそ、「明日もこうなるだろう」とか「自分にいきなり罵声を浴びせかけてくるやつはいない」とか「突然、爆弾を爆発させるやつはいないだろう」と予測ができて、安心できるところがあった。ところが、規範の外からやってきた人たちが社会で暴れると、そういう予測ができなくなってきていて、その予見不可能性が実は社会の安定性を蝕んでいる気がしています。

 日本においては福島第一原子力発電所の事故が不安感を増幅させてしまったところはあるのだと思います。「絶対に大丈夫」とされていたのが、そうではなかった。そうなると、次に何が起こるのかわからない漠然とした怖さが上乗せされて不安を刺激することになった気がします。世界においては、アルカイダやイスラム国の出現が端的な例ですが、テロが頻発したことの影響は大きいのだと思います。テロに対して妙に過敏になってしまうことは、不確実性と共鳴します。不確実性が社会全体をつくっていく土台を蝕んでいって、その不安から逃れようとして、やたらと攻撃的になってしまっている人たちが出てきている。

 今のアメリカの銃犯罪にもそういう側面がある気がしています。日本では多くの人が殺害される銃乱射事件が良く報道されるので、そんな事件ばかりのように見えますが、相手が銃を持っているかどうかわからないから先に撃ってしまえというタイプの発砲がかなり多いんです。例えば、交通違反で逃げた人を警察が追いかけるとします。この時に、その人が銃を持っているかどうかわからないから、先に撃ってしまうといった事件が頻出しています。こういう事件は、何とも言えない先行きの不透明感や不安感と連動している気がしてならないんです。さらに言えば、それがトランプの出現やポピュリズムという現象とリンクしている感じがしています。

 今の社会のこの空気感は、1930年代のようになんとなく経済的に不満を感じている人たちが、金持ちを追い出してしまえという動きとも違うように思えます。社会全体が一つのユニットとして、抱えている問題を解決する「手段」としてポピュリズムが台頭している感じがあまりしないんですよね。トランプの主張にしても、Brexitにしてもポピュリストが言っていることは、大概問題を解決しないんですよ。問題を解決しない主張がこれほど支持されることに僕はすごく違和感があります。「国境に壁をつくって、その費用はメキシコ人に払わせる」なんていう現実にはできない主張がなぜウケてしまうのか。

 その背景には、不安やもっと直感的に「ムカつく」という感情をただただ晴らされればいいという欲求があるのではないか。憂さ晴らし的に象徴的なものを攻撃するだけで、根本的な問題は「解決しなくていいんだ」という無責任な世界になっていくのではないか、と僕は懸念しています。いまネット上に現れている兆候は、一過性のものとして見過ごすことはできない危険性があると思います。

遠藤 懸念を深めた議論になりましたね。僕も楽観することは、まったくできません。とにかく息がしにくい世界になってきていますから、どこかでそれが下げ止まるようなメカニズムが必要なのだと感じています。それを具体的に考えるべきタイミングに来ている気がします。 (終)

東京大学先端科学技術研究センター教授 池内 恵
いけうち さとし:1973年東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授、東京大学先端科学技術研究センター准教授などを経て2018年より現職。著書に『シーア派とスンニ派』『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』『イスラーム国の衝撃』『現代アラブの社会思想』など。
北海道大学公共政策大学院教授 鈴木 一人
すずき かずと:1970年長野県生まれ。英国サセックス大学ヨーロッパ研究所博士課程修了。筑波大学大学院人文社会科学研究所准教授、北海道大学公共政策大学院准教授などを経て、2011年から現職。13年12月から15年7月まで国連安保理イラン制裁専門家パネルメンバーとして勤務。著書に『宇宙開発と国際政治』など。
北海道大学公共政策大学院教授 遠藤 乾
えんどう けん:1966年東京生まれ。オックスフォード大学大学院D. Phil.修了、政治学博士。EU委員会未来工房専門調査員、北海道大学法学部助教授、台湾国立政治大学、パリ政治学院客員教授などを経て、2006年より現職。著書に『欧州複合危機』『統合の終焉──EUの実像と論理』、編著に『EUの規制力』など。
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