『公研』2022年9月号「めいん・すとりいと」

 

 今年の夏は、コロナの再拡大と天候不順のためにスポーツや旅行の予定が変わり、自宅で過ごす時間がいつもの年より長くなった。おかげで、まとまった時間があるときにと取っておいたいくつかの映画をDVDで見ることができた。

 一つはのちに『砂の器』で有名になった野村芳太郎監督の出世作『張込み』という映画で1958年に公開されている。私が生まれた2年後だ。

 田村高廣扮する殺人犯が昔の恋人で今は人妻となった高峰秀子に必ずや会いに行くと考えた大木実、宮口精二の二人の刑事が張り込みを続ける話で、松本清張の原作とはいえ筋は単純だ。それなのに、あれだけ退屈しない、緊迫感のある映画にするのはすごい。日本映画が世界で尊敬されていた時代の名作の一つで、1987年には米国でも同じモチーフの映画が作られている。

 映画は、二人の刑事が横浜で夜行列車に飛び乗り、佐賀まで行くところから始まるが、そのころの社会、風俗が迫ってくる。列車は蒸気機関車、普通席は通路まで新聞紙を敷いて座るぐらい満員、列車内はもちろん張込みを続ける宿屋にも冷房などはない。宿屋の女将が出してくれるスイカやアイスがうれしい。道路は狭く未舗装でバスは砂埃をたてている。子供たちの数もやけに多い。

 あの時代は地方都市がにぎわっていたことに改めて気づかされる。子供のころに、毎夏のように大阪から急行を乗り継いで母の実家の愛媛県宇和島市に行った。最も古いおぼろな記憶で、若かった母親がトンネルに入るたびに「煙が来るから窓を閉めて」と発した言葉が煙の臭いとともに突然よみがえった。あれはやはり蒸気機関車だったのだろうか。宇和島でも、商店街はすごくにぎわっていたし、夏祭りは人であふれていた。冷房も水洗も冷蔵庫もなかったあの時代に戻りたくはないけれど、あの喧騒と活気にあふれていた時代が何だか懐かしい。

 次に見たのは、1979年に公開された『From Mao to Mozart』という米国のドキュメンタリー映画だ(実はYouTubeでも見られる)。米国留学中に映画館で見て以来だ。中国では1976年に毛沢東が亡くなり、1978年には改革開放路線が始まっている。フィルムは、中国政府の招待で訪れた米国のバイオリニスト、アイザック・スターンが、まだ毛主席の写真が飾られている北京の古い空港に到着するところから始まる。天安門前には自転車があふれ、人々の服装は人民服か、簡素なシャツばかりだ。

 スターンは、北京のオーケストラとモーツアルトのバイオリン協奏曲を共演したのを皮切りに、各地の音楽院で学生を指導し、公開練習を行う。そのなかで彼が強調するのは、音楽は技術だけではないということだ。恥ずかしがる中学生ぐらいの女の子に実際に自分の声でフレーズを歌わせ、歌うようにバイオリンを弾くことを求める。それだけで、音楽は感情と表情を備え、人々に感動を与えるものに変わる。古びたホールを埋めた聴衆の、心から笑い、音楽を楽しむ姿は、文化大革命の抑圧からの解放を何よりも物語っている。

 最も印象に残るシーンの一つは、上海音楽院でチェロを弾く10歳ぐらいの少年の姿だ(王健はその後大チェリストとなる)。エックレスというバロック時代の英国の作曲家によるものとはあとで知ったが、深い思索とロマンまでを感じさせる少年の演奏は、西洋音楽が徹底的に弾圧された時代を一体どのように生き抜き、育まれたのかと思う。

 日本は高度成長を経て、バブルの時代を通りすぎ、今は成熟し、高齢化の進む低成長経済となっている。中国のGDP1980年には日本の6分の1だったが、その後の急発展を経て、日本の4倍に迫る勢いだ。コロナの前だが、近くのスーパーで旅行客らしい中年女性4人が中国語で「安い、安い」と声を上げながら大量の買い物をしているのを目撃したという話を聞いた。一方で、共産党の力は再び強まりつつある。福沢諭吉は「一身にして二生を経る」と言ったが、予想以上の速さで時代は移り、国の姿も変わっていく。しかし、人との共感を求め、美しいものにこがれる人間性の本質はあまり変わらない。

みずほリサーチ&テクノロジーズ理事長

 

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