『公研』2020年8月号

東京大学先端科学技術研究センター教授 池内

 今年は7月の末まで梅雨が長引いた。まことに長い梅雨であった。もし東京五輪が開催されていれば、酷暑を凌ぐ恵みの雨となっていたであろう長雨は、巣籠もり・リモートワークの生活を一層不快・不便にし、いつ終わるとも知れない状況への苛立ちや不安を加速させた。長雨と豪風雨により、各地で水害が頻発する中で、日本の社会の土台が崩れて押し流されていくかのような焦燥感あるいは諦めを、多くが感じ始め、相互に苛立ちをぶつけ合い始めた時期だった。コロナ禍が収束した後も、日本社会の随所に開いた断層は、深い傷として疼き続けるだろう。

1 「学事歴を止めるな」

 大学で教育に携わる人間にとっては、今年の梅雨明けは春の学期の授業の終わりと同時に到来した。この春の学期は、業界で長く語り伝えられ、記憶されるだろう。前年度末に急速に顕在化した感染症の禍は、他の業界と同様に、大学業界にも、阿鼻叫喚と言うべき状態を現出させた。

 災害時に電力業界人が「電気を止めるな」を信条に、新聞業界人が「輪転機を止めるな」を合言葉に結束し、各人がそれぞれの持分で全力を尽くすように、日頃はそりの合わないことも多い者たちの集団である大学業界人が、「学事歴を止めるな」を目標に、各自で一心不乱に取り組んだのである。その結果として生じたことは、雪崩を打っての「オンライン授業」への転換だった。この転換は附置研究所という、教育機関としての大学の中では言わば辺境に勤務している私のところにも及んだ。大学院専攻の教育を受け持ちつつ、学内・学外の非常勤講師も複数引き受けているというやや通常ではない立場であっても、オンライン授業への転換の波は、研究条件を一変させるほどの影響を及ぼしている。この転換がもたらしたもの、残したものを、大学人の誰もがまだ、受け止めて消化し切れていないのではないか。

 オンライン授業というものは、対面での授業が感染拡大防止のために不可能となった状況下で、代替策として取り得る、現状で可能なほぼ唯一の手段に過ぎない。手段それ自体に良いも悪いもない。以前から、オンライン授業という手段の存在と手法とその可能性は、否定的側面も含めて、検討されていた。しかしオンライン授業を、取り得る唯一の手段として、それも特定の大学の特定の試みとしてではなく、日本の大学システムが全体として一斉に取り入れなければならない日が来るとは、誰も予想していなかっただろう。

 各地の各層で大学に関わる人たちが、オンライン授業という選択肢以外に取れる手段はない、と比較的すんなり受け入れたのは、コロナ禍が及ぼす影響が、個々の大学や学部学科に限られるものでなく、日本の大学システム全体の社会的な存在意義の根拠に関わるものであるという認識が、隅々まで共有されていたからだろう。そのことを私は大学人の端くれとして誇りに思う。不遜な態度だが、正直に言うと、多くの人たちを見直した。

 大学が相手にしているのは、若い世代の人たちが未成年から成人して社会に加わっていく移行期の、後戻りのできない、繰り返しの効かない期間であり、その社会的人生を長期間にわたって左右しかねない影響力を秘める。そして個々の新社会人への影響は、集合として、社会全体への影響となる。

 学問そのものは生涯にわたり、いつでもどこでも始めることも再開することもできる。しかし社会的機能としての学問の伝達を主要な要素とする教育は、人間社会の都合により、年度ごとに区切って行われている。「単位制でいつ入ってもいつ出てもいい」という教育機関は、通信制や生涯教育・職業教育の一部で部分的に行われているだけである。年度単位で行われるということは、教育に関わる産業一般に言える。しかし大学は教育の最終段階であり、大学進学率の増加に従い、教育セクターと社会との主な接合の場となっているという点に特色がある。授業期間中にキャンパス内で堂々と「就活」がまかり通り、しばしば修学に支障をきたすという慢性化した事象も、教育機関から社会へ新世代を送り出す最終地点に大学が位置しているが故に生じる摩擦の一部である。

 浪人や留年や留学といったそれぞれの個人の都合はあれども、大学は毎年の年度初めに一つの学年を受け入れ、教育し、年度末に社会に送り出していく。「学事歴」というものが、中世の農事暦と同様に綿々と受け継がれてきており、教員たちは内心にいかなることがあれども、粛々とこれを執り行う。学生たちは否応なくこのサイクルに乗って修学し、単位を取り、学位をとって卒業し、それぞれに社会に出ていく。社会は新しい「社会人」を受け取り、新陳代謝を進めていく。このサイクルを回していくことが、教育機関が社会の中で果たしている役割である。これを円滑に回すに際しては、教員と職員の綿密な役割分担協力が欠かせない。

 もし年度の内に何か学内的、あるいは社会的な混乱があって部分的に学事歴が乱されたとしても、年度内に帳尻を合わせることができれば、大学の社会的機能は維持できる。しかし何らかの障害によって、ある年のある学年の学事歴が、代替措置を含めて遂行できず、入学あるいは卒業がまとめて困難になった場合、その学年の学生が長期にわたって不利な影響を受け、その大学の社会的地位や評価は大いに毀損されるだろう。

 もし障害が特定の大学ではなく、日本の大学全体に及んだ場合はどうなるだろう。その場合、影響と損失は社会全体に及ぶ。ある年に大学に入学し、卒業するはずだった年齢層の若者がまとめて宙に浮き、修学と就業を一年単位で遅延することを余儀なくされる。行われるはずだった知と技能の伝達と獲得は阻害され、その学年の生涯の稼得が自動的に一定割合で削減され、社会全体としての経済生産活動は滞る。影響は翌年度以降にも続く。逆に、翌年度以降は、滞留していた複数の学年の卒業生が一度に社会に出ることで、求職の条件は悪化し、不本意で不適合な就職がより多発することが想定される。個人の努力による挽回は部分的であり、全体の趨勢を変えることはない。それによって生じる社会への損失は、年度単位でほぼ確定してしまう。これが、コロナ禍が大学と、大学を通じて社会にまさに及ぼそうとしている、すでに部分的に及ぼすことがほぼ確定している影響である。

 大学が社会に対して果たしている、新世代の教育の最終段階での仕上げ、社会への送り出しといった、システムとして行っていることは、システム全体に破断が生じると、「現場で臨機応変に何とかする」だけでは挽回が不能である。不可能を可能にしようとしたのが、多くは現場での、在宅からの授業を強いられた末端の教員たちの努力による、「オンライン授業」の試みであった。そこにはしばしば涙ぐましい、時には血みどろと言っていい苦闘があった。

2 涯なきオンラインの地平

 3月に、コロナ禍が燎原の火のように世界に広がる中で、このままでは学生をキャンパスに集めることは困難であり、対面での授業は不可能になることが、各教員の目に明らかになる中で、「学事歴を止めるな」という、大学人が普段はほとんど無意識の下に押し込んでいる、本能のようなものが、不意に活性化されたのだろうか。普段はまとまりのない大学人が、特に示し合わせることもなく一致して、立場の違い、待遇の違いも脇に置き、各自それぞれにオンラインによる授業実施に向けて邁進した。そこには無数の試行錯誤があり、苦い失敗もあり、新たな発見もあっただろう。それらを振り返り、まとめる時間的あるいは精神的な余裕はまだ、全国の大学人にはないだろうが、近く、その時間を全く違う立場で共にした学生たちの想いと共に、やがて漏れ伝わってくるに違いない。

 ひとまずはオンライン授業への転換の過程に見られた検討事項を記しておけば、まず、当然のことであるが、各大学の環境によって、オンライン授業への転換に思いを定めるのに、早い遅いはあったようだ。様々な葛藤を耳にしている。しかしそれも誤差の範囲である。学期末に早々に全面オンライン化に踏み切ると宣言したか、あるいは学期開始後にやむなくオンライン化を余儀なくされるかの違いでしかなく、「時間の問題」に過ぎなかった。

 この「時間差」には、学部・部局の文系と理系の違い、あるいは大学が理系部局を抱えているか文系のみの大学であるかが、関係しただろう。理系部局が強い大学では概してオンライン化への移行が進みやすかったと見られる。さらには、情報基盤システムを極力外注せず、理系部局の研究教育の延長線上で内製化していた大学は(システム要員の過重労働や、予算の目的外使用といった問題を潜在的に含むものの)、早期にオンライン化の見通しを立て、決定し、実施することがより容易であったと考えられる。

 私が勤める理系の附置研究所では、複数のキャンパスにまたがって研究室を運営している教員も多く、もっぱら会議出席のためのキャンパス間の移動時間のロスに頭を悩ませていたこともあり、できるならば、できるところではオンライン化したい、と年来考えていた節があり、研究開発の現場であることから、技術的知識も豊富にあったためだろうか、3月の半ばには教員の主導する会議では、議決を含めて、全面的にオンライン化が完了した(この連載の執筆の環境条件である、3月中からの早期の自主隔離生活も、この同僚たちの専門能力と決断による早期のオンライン化という条件に多くを寄っている)。ICT(情報通信技術)、あるいはVR(仮想現実)的な物も含めて、遠隔・同時・双方向的に情報をやり取りし、現実を電子的に再現することに関する指向性・親和性の高さや、技術的な専門性を持つ教員を多く擁していない学部・部局においては、このような早期のオンライン化への決断は、決して容易ではなかったと想像される。

 ただし、理系と文系の差はそれほど決定的ではない。むしろ、理系の中で、実験系と非実験系の相違によって、受ける影響は著しく不均衡であった。実験系の学部・研究室の研究・教育において多くを占める実験・実習は、大学においてコロナ禍によって最も深刻な打撃を受けたものの一つであり、容易に代替手段は見出せないようである。学事歴の一年を通して実験・実習が行われなかった場合の社会的影響は大きく、やがては大きな資源を費やして、リスクを伴ってでも、他に先んじて再開をする動きも出るだろう。

 これは同時に、理系が社会の中で存立している根拠とその価値に関わる問題を秘めている。キャンパス施設の閉鎖や使用制限といった疫学的観点からの制約は、理系が依拠する「科学的」な基準に基づいた政治権力の行使の結果である。「科学的」な基準に時に反してでも理系の実験・実習を行うか、その際に「政治権力」の意思決定とその実施とどのように関わるか、現場にも判断が求められることになる。

 また、大学院以上の、特に大人数を動員した実験を伴う分野の場合、多くの留学生が流入してくることを前提としてきたという実態がある。例え国内で移動の制約が緩み、キャンパスが開かれ、実験施設の使用が可能になったとしても、留学生の移動・入国が困難なままであれば、実験系の研究活動の障害・遅延が予想される。外交・安全保障上の問題として、留学生をどう確保するか、確保できないのであれば研究能力を維持するためにどのように代替するかを考えなければならなくなる。もちろん各所で考えているだろう。しかし実効的な案はあるのか。それを国際問題として誰がどのように対処するのか。知恵を結集しなければならないところである。

 大学の側の危機感と切迫性を示していたのは、少なくとも春の学期の間は、「抜け駆け」と見られる言動がほぼ見られなかったことである。言うまでもなく、大学によって、学部によって、学科によって、研究所によって、施設や環境や制度条件の違いは大きい。大学の中でも、立場や職位の違いに寄って権限も役割も責任も大幅に異なる。同じ大学教授と言う職名でも、大学・学部・学科と部局によって、条件が違う。まして常勤教員と非常勤講師となると、待遇は全く異なる。しかし「私は非常勤講師だからできません」という、元来であれば言ってしまって構わないことを公然と言う人はほぼおらず、例え悲鳴やぼやきとして言ったとしても、むしろ多大な努力で悪条件を乗り越えていたようである。

 常勤であっても、任期付きも多い(私もそうである)。大学に課された施設利用制限は、端的には、その機関に所属して研究活動を行える時間を実質的に削減することになり、導出する成果の減少によって、次の就職先に影響を与え、生涯にわたる研究機会や収入を減少させることになる。

 しかし、「うちの施設は感染拡大に影響を及ぼしませんので、通常通り研究室を使用して成果を出します」と公然と研究活動を続けるところは少なかった。もちろんこれは第一に大学当局による処分の恐れもあることから避けられたのだろうが、同時に、大学システム全体が社会に負う責任という観点から、この場面では感染拡大防止措置をより重視し、例え実態として個々の研究現場の環境が感染拡大の危険が高いとみなせないものであったとしても、かなりの規模の自粛を行い、研究活動への制約を受け入れたようだ。

 私の所属する部局などは例外的な環境を擁する部局の典型である。教員の任期制といった根本的な制約と引き換えに、特殊な好条件を与えられており、時限的に与えられた広い空間、外部予算を積極的に獲得していることから、キャンパスの使用を強行したとしても、実験施設を除いては直接的に感染拡大をもたらす可能性はほぼなく、実害はほぼなかったと考えられるが、未知のウイルスの影響に対する危険性を最大限見積もり、春の時点での大学全体、あるいは社会全体の支配的な規範に服したことが、正しかったか否かは、時間が経たないとわからない。

 日本の多くの大学の多くの学部が、大人数の学部生を受け入れる教育機関としてキャンパスを軒並み閉鎖し、大幅な機能停止をきたした中で、研究所のみのキャンパスにいわば「隔離」された附置研究所までもが足並みを揃えるのではなく、むしろ研究を続行して、国としての遅れを多少とも挽回するべきだったという考えもあるだろう。そのような勇ましい意見は漏れ聞かないわけでもなかったが、「お役所」の一部としての逆に、大学によっては、「うちは長年オンライン授業環境の設定に力を入れてきましたので、他大学よりうまくいっています」と、「ここぞ」とアピールすることが可能なところもあったに違いない。

 しかし、実際にそのような宣伝を行った事例は寡聞にして知らない。今後は出てくるのかもしれないが、少なくとも春の学期中には見られなかった。どこもそのような余裕はなかったと言えばそれまでだが、現在直面している問題は、個々の大学の流行り廃りではなく、大学システム全体の存続に関わる問題であり、この状況下で、抜け駆けをして生き残れるものではない、という認識が共有されていたのだろう。

3 広がる断層

 苦心惨憺のオンライン授業の春学期の期間が終了したとはいえ、大学関係者に休息は訪れていないだろう。オンライン授業で文科省の設定した基準を満たすには、逐一課題を提示し提出させ反応しなければならない。期末試験の多くはレポートに替えられた。各授業につき、膨大なレポートが電子メールのボックスに届き続ける。全国の教員たちは、盛夏に設定された成績考課締め切りまでに、重く使い勝手の悪い学務システムと格闘しながら、顔を見たことのない学生たちの、図書館がほぼ使えず、調査実習やインタビューも不可能な中で、不十分な資料に基づいて書いたレポートを、時に剽窃や不正をも疑いながら、一つひとつ成績をつけ、講評を返し続けているだろう。

 そもそも大学教員にとって。夏休みとは休暇ではない。秋学期への準備の資料収集と資料づくりの時間であり、そのわずかな合間を縫っての貴重な研究時間である。ここで研究を進められなければ、世界の研究市場で立ち遅れ、それは教育内容の水準にも反映される。私自身は、教育面では集中講義が9月半ばまでの期間に複数あり、学期が終わったという気持ちにはなれない。研究面では、世界的な移動制限下でも例年通り国際会議を実施しようとする各国の諸機関からの依頼に応え、在宅で国際会議を企画し運営し実施するという、想像もしたことのない状況に陥っている。このような急かされ続ける状態とはいえ、ほんの僅かでも振り返り省みる瞬間が生まれてきた時に、気づかされるのは、期せずして生じた大学人たちの結束も、しかしあらゆる地上の物事と同様に、永遠ではないということである。

 春の学期では、とにかく授業だけはオンラインに一時待避させて実行することに邁進した。非常時の学期を長引く梅雨と共にどうにか終わらせて、後始末もすませ、さて秋に始まる新学期の扱いをどうするか、どのように今年度の学生を進学・卒業させるか、そして来年度のための入試をどう実施するのかと考え始め、長期的な、より恒久的な制度の設定と移行へと踏み切る過程で、否応なく亀裂や断層が露呈されるだろう。すでにその兆しは随所に見られる。亀裂や断層は以前から存在していたものではあるが、コロナ禍という巨大なストレス・チェックを大学システム全体が同時に受ける中で、最初は末端の悲鳴のような形で、表面化してくる。ここからいつまでも目を背けてはいられないだろう。

 分断は随所にある。職場として大学に関わる立場の中でも、教員か職員か、常勤か非常勤か、無期雇用か有期雇用か、国立か私立か、理系か文系か、実験系か非実験系か。勤務する大学の立地が、首都圏か地方か、学生が近隣から通学しているか広域に移動して来るか、地域の感染状況はどうかによって、立場は大きく異なって来る。

 学生であれば、実験室での実習や論文執筆による技術の習得や学術業績の獲得に重きを置く学生と、緩やかなキャンパス・ライフを楽しみながら友人・人脈を作りソーシャル・キャピタルを蓄積しようとする学生では、「キャンパス再開」の要求によって意味することは、場合によっては180度も異なる。教員の公式の立場としては、当然前者をより優先するが、同時に、大学の非公式の、しかし重要な役割として、後者があることももちろん承知している。同時に、後者がコロナ禍によって最も打撃を受けるものであり、社会にとって大きなリスク源となりかねない側面であることも痛いほど承知している。

 大学に関わるそれぞれの主体が、元来、大きく異なる条件に置かれていたものが、コロナ禍によって共通の対処を迫られ、条件の相違、端的には不公平が白日の元に晒された。立場によって、コロナ禍によって受ける打撃の程度も、長期的にさらに大きく異なってくる。求める解決策や、優先順位もしばしば相反するものである。

 コロナ後の激変においては、従来の格差の構造がそのまま作用し、拡大する場合もあれば、場合によっては従来の構造を壊すような変化も生じうる。しかしいずれにせよその変化は、誰も得をしない、損をどれだけ多くの主体が被るかという、陰惨なものになるであろうことを、多くが予感している。数少ないパイを奪い合う「ゼロサム」の争いにすらなりえず、負の影響を誰がより多く被るかという「マイナスサム」のゲームが待ち構えていそうである。それに備える気力は、多くの教員にはない。

4 新しい中世

 大学だけが特に分断に見舞われているということではない。大学に表面化しつつある断層は、社会全体に数多くある分断の一部の側面に過ぎない。コロナが現れた時から今まで、社会意識の中で、どれだけ多くの断層が剥き出しになったことだろうか。最初は「中国人観光客」といった「外部」の「他者」と「我々」の間にその断層があることにされていた。しかしそれも2月までであった。3月に欧州、そして米国で予想外の大規模の感染拡大が進んでからは、日本人の、外国への観光から帰った者たちが、「断層」の向こう側の「他者」の地位に追いやられた。

 折り悪くそれは大学の卒業予定者たちが、一生の間でも数少ない海外への自由な渡航を行う時期、俗に言う「卒業旅行」のシーズンであった。海外で運悪く感染し、感染させてしまった特定の学生とその大学に対するヒステリックな攻撃が、メディアと、メディアに影響を受けた市井の人々の会話の中で繰り広げられた。感染を持ち込むとされる「よそ者」と、行動力のある「若者」が時にほとんど同一視される事態は、日本の抱えた世代間対立をあからさまに示した。さらに、「3月の連休に花見に出掛けた人」を炙り出し、隣人の行動に口を挟む隣組的心性が容易に各人に発現していった。

 PCR陽性確認者が県ごとに集計され、日々に発表され「県境を超えた横断」を諫める言説が公的主体によって発せられメディアを通じて広められることで、国内の意識の分断が実に容易に進んでいったことを我々は強く覚えておかねばならない。それはコロナ禍の最中でも「夜の街クラスター」といった惹句にしばしば興味本位で踊らされることはあっても、感染源の地域を問い、行き交う人々の出自を詮索する動きはほぼなかった東京と、それ以外の地方の分断の深さは、東京にいる者には気づきにくかったかもしれない。

 それはあたかも江戸か戦後の世に戻ったかのようである。自主隔離先に選んだこの地方都市でも、隣人たちは、見かけやアクセントといった事細かな差異を手掛かりに、敏感に「よそ者」を察知し、より分け始めた。いかにして社会の中に集団的アイデンティティが分化し、異なるアイデンティティ間の分断や対立、排斥が生じていくか、それがやがては内戦にまで発展していくか。これまで遠い外国の事象として研究してきたものが、かねてからそれなりの長い年月をかけて足場を築いていた、またその閉鎖性もとみに知られる都市の、隣人たちの眼差しと口の端にまざまざと現れてくる。

 7月に「第二波」が先行して東京で観測されてからは、「東京対地方」あるいは地方による東京に対する忌避感情が、日頃の中央に対する不満と共に一斉に表面化した。日頃の鬱積を晴らすかのような東京人差別が表出し、それに対する東京の住人の側から、地方社会のあり方への根本的な疑問も、公然と発せられるようになった。地方社会の中にも、「東京」や観光客を不可欠のものとする産業に従事する者と、そうでない者との間の分断がこの間に顕在化していたように思う。強い「東京差別」の言葉がむしろ、観光客が列をなしていた店の店主や、観光シーズンを書き入れ時としてきたこの地方都市のタクシー運転手から発せられることもしばしば目撃した。日頃から抱えていた複雑な感情を口にする機会を得たということなのだろうか。あるいは地元社会に対して、過剰に、「東京」や観光客から距離を置く態度表明を迫られているという意識もあったのかもしれない。第二波が全国に及んだ後にもなお、この分断が持続するかどうかは定かではない。しかし、この時の記憶は澱のように人々の意識の中に残り、どこかで再び表面化するだろう。

 グローバル化がすでに進んだ現在、コロナという感染症に関しては、世界のどこかで感染が起きていれば、世界のどこも安全ではない、というのが実情だろう。感染が東京に出るか地方に出るかは時間差に過ぎない。どこの国も鎖国しているわけにはいかない以上、ある時点で感染を抑え込んでいたと見られていた国が、次の時点では感染爆発・感染拡大国になる。

 全世界の各地方に順に感染が広がり、個人や集団としての免疫だけでなく(それが本当に形成されるかどうかも分かっていないようだが)、感染症に関する情報に対する、ある種の「免疫」が各国の社会の各層に浸透するまで、分断は各地で炙り出されていくだろう。コロナは社会の理性を試している。長い梅雨が明け、酷暑が訪れた、疲れ切った日本に、理性は残っているだろうか。その隙に危うい動きは忍び寄っていないだろうか。

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