『公研』2021年11月号「めいん・すとりいと」

 

 最近とある新聞社の依頼で、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』についての対談を行った。世界的ベストセラーとなったこの本が刊行されたのは1996年。それから25周年の画期に、振り返ってみて、あらためてこの本の意義を検討してください、というのである。「25周年」というのは、キリが良いのかどうかよくわからない。たしかに「四半世紀」というのは重要な画期ではあろう。「30周年」を待っていたら、その時にはもう話題にならないかもしれない。思い立った時にやっておこう、と判断して引き受けた。

 ハンチントンの『文明の衝突』は、1992年刊行のフランシス・フクヤマ『歴史の終わり』と並んで、冷戦後の国際政治の理念的枠組みをめぐる代表的な考察の書だろう。二人のうち年少だが、冷戦後の世界秩序に関する議論で先行したのはフクヤマである。思想史学者で戦略理論家のフクヤマは、89年に発表した論文「歴史の終わり?」とそれを元にした単行書『歴史の終わり』で、冷戦における西側陣営の勝利によって、リベラル・デモクラシーが最後に残った唯一の政治体制となった、という認識を示し、今後の世界は遅かれ早かれ、この体制に収斂していくという普遍主義の議論を提起した。

 これに対して、政治学者のハンチントンは、93年に発表した論文「文明の衝突?」を元にした単行書『文明の衝突』で、世界は普遍主義へ収斂しておらず、文明によって分断され、それぞれの中核国家が主導して、文明間の境界領域に紛争が頻発する危機に瀕していると論じた。

 これらはいずれも科学的に実証できるといった類のものではない。ゆえに今時の研究者が大学教員になるための資格試験のような論文を書いていく際には参照しにくい。しかしこれらは確実に、現代の国際政治に影響を及ぼしてきたアイデアを多く含んだ本である。

 ハンチントンの議論は、フクヤマの内容的には対照的な議論と同様に、発表時に、そして現在まで、各方面から盛大に批判されてきた。「文明」の定義や歴史認識が曖昧・杜撰である。文明という「本質」が変わらないものを政治の動因と考えれば改革や改善の余地がなく、衝突を避ける手段もないことになりかねない。米国と西欧からなる「西洋」文明とその他の諸文明が衝突するという見立ては米国による介入と支配を正当化し、紛争を煽るものだ。分裂と衝突は文明以外の別の場所にある、例えば米国社会の分裂を見よ、云々。

 それらにはいずれも一理あるだろう。しかし2001年の9・11事件が起きた時も、米国がイラク戦争に踏み切った時も、あるいはイスラーム主義の過激思想に感化された不特定のテロリストが次々に現れ自爆していく時も、あるいはアフガニスタンからの米国の撤退の直後に即座にターリバーン政権が復活した時も、多くの人々が『文明の衝突』のテーゼを思い出しただろう。現在は中国の台頭と米国に対する挑戦を見て、やはり多くが『文明の衝突』を思い出し、書棚から引っ張り出して読んでみているかもしれない。

 こういった「同世代の専門家からは、粗が目立つ、問題が多いと評判が悪い」「しかし現実に大きな影響を及ぼしている」類の本をどう受け止めたらいいのか。「書物の運命」を考える。もし人類社会が一度(原因が核戦争であれ、環境破壊であれ、パンデミックであれ)崩壊したとしよう。300年後あるいは500年後にようやく蘇った人類が例えば海中深く沈んだ壺の中から、『文明の衝突』の一冊、あるいはその断片や要約本を発見したならば、どうだろう。滅びた社会の失われた記憶を、蘇った人類は貪るように読むだろう。

 書物の多くの部分は、書かれた時点では、必ずしも学問的に細部まで正確ではなかったかもしれない。異論も多くあったかもしれない。しかし一度滅びて蘇った未来の人類にとっては、それらの論争もすべてて忘れられている。そもそも多くの部分は文脈や意図が忘れられていて、意味不明だろう。

 次の人類は、過去の人類の忘れられた文明の姿を、壺の中から発見した『文明の衝突』から必死に思い起こそうとするだろう。書かれた時点と読まれた時点でのさまざまな誤解や単純化により、思い起こされるかつての「文明」の姿は現実とは異なっている部分を含むかもしれない。しかしそうやって、人類はかろうじて過去を甦らせ、(間違いも含めて)記憶をつないできたのである。『文明の衝突』を振り返るには25周年は早すぎるかもしれない。

東京大学教授

 

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