『公研』2020年12月号

東京大学先端科学技術研究センター教授 池内 恵

1 発端

 今回でこの連載もひとまず締め括りたいと思う。今月号で締め括る理由は特にない。コロナの制圧の目処が立ったわけでもなく、その状況に対して何か体系だった画期的な議論をこの連載で示し終えたというわけでもない。強いて言えば「年末だから」である。

 世界全体が、日本の社会の隅々までもが、年を通じてコロナ禍によって明け暮れた、2020年というこの特異な年を、毎月毎号、意図して取り留めもない思索で一定の頁を思考で埋めることで記録する、いわば「年代記」を試みたのがこの連載で、コロナ禍の終結の目処が立たない限り、いつ終えるという目処も立たない。そうであれば、年代記を一年目の年末でとりあえず締め括っておこう、という判断である。

 昨今の出版状況の中で定期刊行物への寄稿に許される紙幅としては異例の規模を与えていただき、現代の「年代記作家」として、外出自粛・会合回避の生活の中に入ってくる限られた情報に目を凝らし、将来への展望につながる筋目を見出そうとする営みに、寛容にお付き合いいただいた編集部と、読者の皆様には、ひたすら感謝している。

 もともとは、4月号の巻頭随筆に寄稿した「コロナの時代の『総員点呼』」で、グローバル化の急停止という現象が引き起こす諸問題を考察したのが、発端だった。「初心」に立ち返るつもりでこのコラムの冒頭を再録してみよう。

 コロナ問題により、この3月、グローバル化は音を立てて急停止した。感染症の全世界での爆発的な拡大に対する予防措置としての一時的な停止である、とその瞬間は誰もが思おうとした。しかし事態はより深刻であり、長期化し、恒久的に人類社会のあり方を変えてしまいかねないことが、判明しつつある。

 グローバル化は停止しただけでなく、急速に「巻き戻し」ている。一国が他国人に国を閉ざすのではなく、あらゆる国が相互に国境を閉ざす。各国は自国民に早期の帰国を呼びかけた。それによって一時的に膨大な人の移動が発生した。自国の国境が自国民に対しても閉じられる前に、あるいは国境がわずかに自国民には開いていたとしても、移動する手段、飛行機の便などが急速に失われていく。国境が開いているうちに、あるいは運航休止となる前の帰国便に「滑り込み」で乗り込み、祖国にたどり着いた。この喧騒が収まった時、静寂が訪れた。人類は記憶する限り最も人の動きが制約された期間を過ごしている。

 年の暮れに差し掛かってから、今年の3月当時の認識を振り返ってみて、どのように感じられるだろうか。当時の危機感は、さほど「大げさ」なものではなかっただろう。われわれは1年を通じて、おおよそこの強い制約の中で過ごしてきた。それは3月から4月の段階で、多くの人々がすでに予感し覚悟していたことだろう。その経済的・社会的な代償がどれほど大きいものか、いつ頃になってどこにどれだけ及んでくるか、いつまで続くかの認識の深刻さの度合いは人により、社会的立場によりそれぞれである。故に、今後どれほどの期間にわたって強い制限が課され続けるべきか、そもそもこの伝染病の威力をどの程度のものと捉えるかについての社会の共通認識は、まだ形成されていないようだ。

2 ローカルなグローバル化

 コロナ禍はグローバル化の威力を思い知らせ、人の移動が持つリスクと、その反面の価値について、再考させた。それは、ローカルな場に定住した「地に足のついた」生活の価値と、それを支えるインフラの価値を多くの人々に再考させただろう。

 コロナ禍は明らかにグローバル化が極限まで到達したことによって生まれ、そして広がった災厄である。それによって人々は、「自国」へ呼び戻され、「自宅」に留まることを要請され、「自室」に引きこもらざるを得ないという、究極のローカルな環境に押し込められている。

 この奇妙な状況はいつまで続くのか。どのように終わるのか。あるいは終わらずに何らかの新しい定常状態となって我々の将来につきまとってくるのか。これについて、この連載では、ミクロな視点から、しばしば脱線しながら、考え続けてきた。それは何か明確な理論や、一枚岩な考え方で、対象が見えてくることも、解決策がもたらされるわけでもないからである。

 一方で、グローバル化が生み出してきたアマゾンやGoogleUberが、あるいは日々のスーパーマーケットの買い物で購入する食品の流通を支えるコールドチェーンが、急停止したグローバル化の耐乏政策を支える不可欠の要素となったと共に、それらを物理的に支えるインフラの維持と日々の流通を担う人員は、ローカルな地域社会に根ざしている。TwitterのようなSNS上での、しばしば見も知らぬ、一生直接会うこともなさそうなアイコンとの対話による情報交換と、外出自粛の中でも欠かせない地域社会での世間話とちょっとした贈答品のやりとりは、共に不可欠な生活の一部となっている。

 地域社会に根ざした生活基盤の確保は、研究基盤の確保そのものである。大学のキャンパスや研究室を用いた研究事業の展開が、使用制限や入構規制、人員の通勤の際の感染リスクの高まりなどによって不自由や不確実性が増すと、個人がインターネットの整った静謐なマンションの一室を確保し研究環境を構築することこそが、研究の続行と発展のための第一歩となった。この連載で「とある地方都市の一室から」という「現場」の条件をあえて繰り返し記したのは、この奇妙な状況を記録にとどめるためである。

 そもそもコロナ禍が持続すれば、この奇妙な状況は奇妙ですらなくなり、常態となる。むしろ大学が広大なキャンパスを確保し、それぞれに研究室なるものを割り当てていることのほうが「奇妙」に感じられる逆転現象が近い将来に生じてもおかしくない。我々は日々に認識を更新し、記憶を書き換えている。

 そのことに良い悪いもなく、環境に適応して生き延びてきた人類の必然と言えるが、少なくともある時点の「奇妙さ」のあり方を書き留めておきたい。それは書き手の性であり、書き手とはどの時代においても「年代記作家」なのであろう。

 コロナ禍によって否応なく強いられた、「分散型オフィス」としての生活の場から試みていたのは、遠隔による大学・研究室の運営である。これについてはインターネットやその上で用いられるアプリケーション、すなわちZoomGoogleメールやSlackDropboxといったグローバル企業が提供するサービスが主な道具となり、急速に拡大した研究室の人員と、ほとんど数回しか顔を合わせずに日々にコミュニケーションをとりながら事業を進めていくために、それらにかなりの課金をすることになった。

 同時に、どうしても対面で、あるいは研究室や協力先機関の特定の場所に出向いて行わなければならない作業に際しては、新幹線をはじめとした、日本の国民国家の産業政策が築いてきたインフラを用いた。頑強で安定した国民国家のインフラがなければ、どれだけ言語や映像情報をやりとりして仮想的なつながりを求めたとしても、社会は散り散りの個人に分かれ、やがては崩壊してしまうだろう(この原稿そのものが、とある会合に向かう新幹線の車上で記されている)。

3 
マンションの一室からのグローバル展開

 4月以降の8カ月余りの間に、かつて対面で場を共有して行われていたものの一部分は、仮想空間における情報伝達によって置き換えられた。そもそも私は2020年度の過半を、イスラエルのテルアビブ大に客員教授として籍を置いて、日本との間を行き来し、中東諸国をめぐり、西欧や米国とも往復して過ごすはずだった。まさにこのような頻繁な移動を前提とした経済活動こそが、コロナ禍を招く遠因となった激しいグローバルな人の移動なのであり、それがかつてのような水準にいつ戻るか、あるいはそもそもそのような人の動き方が戻ってくることがあるか否かが、不透明である。私が現役である期間の多くは、制約がかかったままであることを想定するのが妥当だろう。

 そのため、海外の大学・研究機関との交流・情報交換をオンラインで行う動きが加速しており、競争はここにある。いかにして自らを中心にしたネットワークを有力なものとして形成し、それを定常的なプラットフォームとするか。世界を飛行機で飛び回るスター教授を頂点とした知の秩序は消え失せ、オンライン会議の登場回数とアクセス数を競う競争が始まっており、すでに加熱している。

 私自身も、オンライン会議や講義のスピーカーとして、あるいは会議やセミナーやウェビナーを企画するオーガナイザーとして、この競争に参加する側である。私の接触する範囲内の観察ではあるが、イスラエルやUAE、そして中国という、新興国はこの競争でもやはり元気がよく、積極的に声をかけてきて、こちらの提案への反応もいい。それに対して日本は、組織内の意思決定の遅さや、形式を整えるための膨大な会議や事務書類に押しつぶされて、臨機応変の対応が遅れがちであることが悔やまれる。

 改めて痛感するのが「時差」である。かつては国際会議や訪問のための出張で「時差調整」と「時差ボケ」に苦しんだ。しかしそれは出張の最中と、出張後の日本の時間と日常業務に戻る際の苦しみだった。ところが現在は、毎週・毎日のように開かれる、時間帯を異にする地域の機関との会議・会合・セミナー・ウェビナーなどに、文字通り昼夜を問わず参加しているため、常時「時差ボケ」の状態になりかねない。「在宅勤務」でのリモート授業にとどまらず「在宅国際会議」が連日のように、しかもしばしば日本時間の夜の時間帯に開催されれば、「ワーク・ライフ・バランス」というものも無意味になってくる。

4 中東湾岸との「文通」

 しばしば早朝や深夜に行われる不規則な研究事業の推進の中で、辛うじて日々の生活に時間的規律を与えたのが、UAEの新聞への毎週のコラムの連載であった。インターネット版に投資してリニューアルし、若者の読者層を狙ったドバイの日刊紙『アッ=ルウヤ(意見)』からの依頼を受け、2019年2月から毎週のコラムを連載してきた。

 グローバルな人とモノ・情報の移動の結節点であるドバイのメディアに寄稿することは、東アジアに拠点を置きながら中東を研究する私のような人間にとって大きな機会であり、挑戦だったが、この連載が開始一年を経て軌道に乗った2020年に、突如として厳しい移動の制限が課されるコロナ禍に襲われたことで、古風な文字情報による新聞コラムという媒体が、現地社会とのつながりを維持するのに有効な手段となった。毎週一本のコラムを、東アジアから、文脈の異なる中東湾岸諸国に英語とアラビア語で届けるという作業は、打てば響くSNSに慣れた現代の言論人にとって、ほとんど「文通」を復活させるようなまどろっこしさがある。

 この連載は、当初の1年間、すなわち2019年の間は、東アジアの戦略・地政学的状況を中東・湾岸の読者に伝えるという趣旨で書かれていたが、これが2020年には中国発の新型コロナのグローバルな伝播と拡大とその政治・外交的影響をアラビア語で記録し、リアルタイムでアラビア語読者に伝えていく媒体となった。

 コロナ禍に対する一定の「慣れ」が生じ始めた2020年の後半には、コロナ禍そのものについての議論から、コロナ禍を超えてグローバルな影響力をさらに拡大させる中国と、それに対するインド太平洋諸国の方策を、毎週論じることになっている。この連載も、2020年の暮れから2021年の年初にかけて、100回に達することになる。

 コロナ禍によって経済・社会活動の大幅な制限が求められ、心理的な「灯火管制」の下に置かれたかのような状態に陥った日本で、とある地方都市に身を置きながら、「戦略」を通しタイトルに盛り込んで、見通しなく開始したこの連載は、ひとまず8回で終了する。

 戦略」とは何よりもまず「現場」からと心得るが故に、コロナ禍による内外の物理的・心理的な制約・制限の下で現れた新しい「現場」から、未曾有のショックによって国民社会と国際社会が目に見えぬところで徐々に再編されゆく様子を、微弱な電波を感じ取って増幅するような風情で記してきた。

 特に期限を設けずに始めたこの連載が、結果として重ねた回数である「8回」は、「短期集中連載」というには長い。しかし大河ドラマのような長期連載で対象を描き切るには月刊誌の連載の8回は長くはない。「集中」しようにも連載の間に対象が刻々と変動し社会情勢が急速に展開していく。「動く的を狙ってはいけない」という、社会科学のテーマ選択の鉄則から言えば、決して取り上げてはいけない課題である。

 同時に、コロナの世界的な感染の最終的な帰趨が見えておらず、解決策の見通しが立っておらず、コロナをめぐる新しい社会のあり方も、それについてのコンセンサスにも達していない混沌とした状況の中で連載を終えるのは、「投げ出した」と見られても仕方がないかもしれない。しかし「年代記」で過分の紙幅を毎号割いていただくことは多分に気が引ける。長期化するコロナ禍をめぐって今後も随時、呼ばれれば誌面に登場する用意があるので、ひとまずここはいったん区切らせていただきたい。

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