『公研』2022年11月号「めいん・すとりいと」
今年は1年の半分をイスラエルで過ごしている。研究成果の国際展開を目的とした予算での滞在である。本来なら2020年4月から3年度にまたがって飛び飛びに少しずつ実施するはずだった海外滞在が、新型コロナ禍によって先延ばしになるうちに予算の最終年度を迎えており、今年度末までに「合計6カ月以上」の現地滞在という要件を満たしながら国際展開事業の推進を進める義務を負い、集中的に海外渡航を行っている。主たる滞在先のイスラエルに定着し、日本と中東の二拠点生活を送っている。
イスラエルのテルアビブ大学のモシェダヤン中東アフリカ研究センターに「上級訪問研究員」なる肩書きをつくってもらって、空いていた部屋を使わせてもらっている。研究室の窓からは、ジャガランダや火炎樹の花が咲き乱れるキャンパス中央の広場を見下ろすことができる。3月に「コロナ明け」に先んじて渡航してきた時は、テルアビブの地中海岸の冬の真っ只中で、降雨と強風に見舞われていたが、その後、中東の長い厳しい夏を過ごし、いま再び秋の冷ややかさを感じている。
研究休暇ではなく、あくまでも出張であるため、東京での仕事も免除されず、頻繁に日本に戻って対面授業や事務を行う。長年貯まっていたマイレージを活用して旅費を圧縮している。研究の内容面でも人的ネットワークでもそうだが、これまでの「掛け金」を使う時期にきているようだ。中東のどの都市に行っても知り合いがいて、会いたいと言って来てくれる人がいる。そういう年齢に差し掛かったのだろう。
日本とイスラエルを国際的に「通勤」するだけでなく、イスラエルの中でもやや芝居がかった通勤を行っている。住居はエルサレムに置き、平日はテルアビブに通っている。数年前に整備された高速鉄道が、エルサレム中央駅からテルアビブ大学駅を結ぶようになった。これを使って、平日の帰り道は、いわば「毎日がエルサレム巡礼」ということになる。
これは友人のユダヤ人たちとの話の種となる。なにしろユダヤ民族の2000年近いディアスポラ(離散)の時代の記憶の中で、エルサレムは理想の都として思い描かれ、ユダヤ暦の最も大掛かりな祝祭である過越の祭りの祝祷は「来年はエルサレムで!」と締め括られる。それがイスラエルの建国と、交通網の発達、治安の安定によって、毎日でもエルサレム巡礼ができるようになってしまった。世界史と、中東政治の大きな変化を背景にして私の研究活動もかたちを変えている。
イスラエル、特にエルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラーム教と展開していく、世界の宗教の主流派、圧倒的多数派であるセム的一神教(アブラハム一神教)の根幹の土地である。最有力の世界宗教の故事が街区のそこここに刻まれているとともに、それを信奉し続けてきた人々が現にこの地にいて、それを日々の生活で受け継ぎ、新たな活力を持って更新している。そこに世界各地から聖地をめざして巡礼者がひっきりなしに訪れて滞在し、一定数はそのまま住み着いてしまう。新型コロナ禍によって一般の観光客、いわば「野次馬」の見物客が少なくなった代わりに、「本物の」巡礼者たちの密度が濃くなり、エルサレムは宗教都市としての相貌をいっそう顕著にしている。
1967年に東エルサレムを制圧し併合を主張したイスラエルの主張は国際的には米国以外からはほとんど認められていないため、主権国家としてのイスラエルの首都がエルサレムであるかどうかについて、諸説がある。しかしそれとは別に、この街が「世界宗教の首都」であることは歴然として確かである。ワシントンDCが世界政治の首都であって、各国からこの首都に政治家や外交官が詣でて活況を呈しているように、エルサレムは一神教に根ざした宗教的な文化・文明圏の首都であり、ここを訪れ、住み、そして「この地で死にたい」、すなわち「死後の永遠の生」をこの地で生きたい、という信仰に根ざした人の流れが強烈にある。超正統派など強い信仰を持った移民のエルサレムへの結集も根強く、その高い出生率も相まって、宗教都市エルサレムは、ハイテク産業で賑わうテルアビブとは全く別種の活況を呈している。エルサレムを訪れ住処を希求することが合理的計算に基づくものではないだけに、不動産開発の需要の留まるところは判別し難い。中東に顕著な宗教と政治のつながりが世界に及ぼす影響とともに、宗教と経済の連動が活況を呈する様を目にしている。
東京大学教授