『公研』2020年7月号

池内恵・東京大学先端科学技術研究センター教授 

1 地域社会のインフラ

 コロナの感染拡大が及ぼす各方面への影響に対する、うっすらとした不安と共に過ごす生活も、4カ月を越えた。垂れ込めた雲のように社会生活・経済活動の隅々に及んでくる感染症の影響下での生活は、「コロナ禍」というより、「コロナ下」と言った方がふさわしいようにも思われる。目の前で人々が感染し倒れていくといった劇的な状況には滅多なことでは遭遇しない。メディアで絶え間なく報道・言及され、顔を合わせる身近な人々との会話で否応なく触れざるを得ないことで、意識せざるを得ないというのが、私にとってのこの感染症との関係である。日常のそこかしこに、不意に疫病の非日常が顔を覗かせる。そのことにさほど驚きもしなくなっている。「慣れ」が、あるいは語弊を恐れずに言えば「飽き」が生じてきていることは否めない。

 この連載を始めるきっかけとなった、とある地方都市の住宅地での、かなりきつめの自主隔離生活は、緊急事態宣言が一応解除され、都市間の往来の自粛要請が一旦解けた後も、なおも続いている。勤務先の大学の構内への立ち入りが依然として制限されており、大学の施設を用いた研究がほとんど行えず、一般学生を含む部外者が立ち入れないことにより、授業も通常の形では行えないからである。他大学の研究者を招き、広い聴衆に参加を招請するセミナーやシンポジウムといった、大学附置研究所が恒常的に行ってきたイベントの形式も、軒並み実施困難となっている。この状況は、緊急事態宣言が明けた後も根本的には変わっていない。

 複数人での研究室内の作業が煩雑な申請を経なければ許可されず、その場合も、もし感染者を出せば、研究室が、すなわちその唯一の専任教員である私自身が、学内でも社会でも責任を負わされ、大きな不利を長期にわたって被ることを覚悟しなければならない。これは広い意味での、深刻なセキュリティ上の不安である。これを最小化するには、給料をもらって終身雇用でいられる人間は「何もしない」のが最適である。フリーライダーが黙認されるどころか、フリーライダーが奨励されるという不可思議な状態が生じている。しかし皆がフリーライダーとしての地位に安住すれば、フリーライダーを生かしておく原資がやがて枯渇し、社会は維持できない。そこで誰かが稼いでこなければならないのであるが、稼いでくる人間の活動を、感染拡大防止という大義名分をつけて阻害することこそが、現在の組織人がやるべきことであり、あたかも社会的正義であるかのような、誤認が横行し、それが歪な権力構造にまで転化しつつある。

 ここにある問題は、感染症そのものの自然科学的・公衆衛生的な脅威に直接起因するよりも、感染症に直面した組織が、組織の元来の制度の趣旨や目的に合致しない不合理な反応・対策をとり、それを放置する不作為が帰結・影響することによる、もっぱら社会的・政策的に作られた脅威に起因する。

 セキュリティとは社会的に構成された現実であるというのは、私自身の研究テーマだが、「グローバルセキュリティ・宗教分野」という私の研究室の活動自体が、感染症の直接の影響よりも、それに対する社会や省庁・大学官僚機構の反応によって、継続が困難になっているというのは皮肉である。感染症よりも人間社会の惰性や不作為、あるいはコロナにかこつけた不適切な予算配分や権力行使の方が、組織と社会に巡り巡って致命的な効果を及ぼす。

 大学の施設が研究においても教育においても、実質上、使用が困難になる中で、私にとっては、41日付で、数年来温めてきた構想を支援する、大規模なプロジェクト予算が矢継ぎ早に舞い込んだことで、空前のゴールドラッシュとも言うべき事態が生じていた。一方で在宅勤務の態勢を整えつつ、他方で大規模な組織を立ち上げ、人員を雇用し、プロジェクトの事業・イベントを次々に開始し、企画・運営・実施を進めていくという、社会の大勢とは逆方向の大きな流れが生じた。

 それはコロナで一層逼迫する大学コミュニティ、特に不当にしわ寄せを受けてきた、実績を重ねながらも不安定で不十分な雇用に甘んじてきた「ロスジェネ世代」の研究者に、正規雇用の研究職のトラックに乗る最後の機会を提供することにもなる。手を休めるわけにはいかない。しかし、人を雇おうにも対面の面接もできなければ、雇用をめぐる手続きを行う事務室も閉鎖されている。「不要不急の人事は行うな」という厳しいお達しと叱責が届く。しかしロスジェネ世代を雇用のトラックに戻すのは一刻を争う問題である。人材は生モノであり、月給取りがその地位に安住して無駄にした1年の間にも、研究プロジェクトでの雇用を求める人材にとって、生涯のうちの求職機会が一つひとつ減っていく。延期した予算は翌年に倍増するわけではない。ただその人たちにとっての機会が失われていくのである。

 このことに、一旦終身雇用を得た後には、かつてどれだけ俊英と呼ばれ、鋭敏で繊細な思考を凝らしてきた学者であっても、鈍感になってゆく。そして敢えて言えば傲慢になっていくことに、幾度となく気づかされてきた。私自身はある時に、それまでの終身雇用の専任教員の立場を離れ、好き好んで「任期付き専任教員」という特殊な立場を選んだ人間だが、それ以来、同世代の優れた教員たちと、少しずつ認識の懸隔が出ていることを感じる。それぞれの生きる道の相違であるから、隔たりがあるのは止むを得ない。しかし私より遥かに優れていると尊敬し仰ぎ見ていた、透徹した認識能力があり、批判精神も強く、挑戦する気概に満ちた活力ある先生たちが、ことこの問題、次世代の雇用の確保という問題に関する限り、「既得権益層」の側に後退し、ただ無関心になることを、あるいは無神経に、時に横暴にすらなることを、悲しく眺めていた。しかしそのことはもうどうでもいい。今は大規模プロジェクトを複数受注し、次世代を雇用して登用できる予算を得た。コロナ下であろうがなんであろうが、これを支出して雇用を生み出し、行き詰まった大学世界の閉塞状況に一穴を穿っていかなければならない。私にとってもそのような働きをなす機会は今を逃せば、人生のうちに二度と訪れないかもしれない。

 こうして、万が一の感染を避けるための自主隔離に踏み切り、メールで紹介を受けた研究者を、インターネットで論文や著書を取り寄せつつ、オンラインで面接を重ね、内定を出し、動きが大幅に低下した大学事務当局との折衝を繰り返しながら、必要な事務手続きを行い、採用していく作業を繰り返した。

 その間、せっかくの予算で確保した広い研究室には立ち入り制限により埃が積もっていくばかりであり、図書館も使用できない中で、身をおいた住宅地の本屋には私からの大量の注文書籍が次々に届き、山積みとなり、若いアルバイト店員には露骨に嫌な顔をされた。

 自主隔離のために身を寄せた陋屋は、オンラインで研究室を束ね、ゼミを行い、日本語の一般向け講演会や、英語での外国との非公開セミナーを行う場として、研究室と教室と講演ホールとセミナールームを兼ねていることになる。近所の本屋は大学図書館を代替すると共に、本を「不要不急」の消費とみなして大幅に流通を滞らせたアマゾンをも置き換えた。それだけではない。コロナ禍が到来するまでは連日のように行われていた夜の会食・会合は一切なくなり、それらに変わるオンラインの会議・協議の枠組みが、特に諸外国の機関との間で、急速に形成されていったのであるから、自宅はかつて会食や会合が行われていたレストランやホテルや役所の会議室も兼ねるようになった。

 自室が、生命維持から仕事から社交・社会活動までの、あらゆる営みの唯一のインフラとなった。しかし元来が「民生用」の住宅というインフラは、オフィスや会議場として用いるには脆弱で、当初から兵站が伸び切った状態である。この自室に、水・電気と並ぶ基礎インフラであるインターネット回線が太く安定して外界と繋がり続けるか。コロナ下の経済社会変動によって、その維持が困難にならないか。インターネットに接続し情報を集め発信し、映像を含む大規模な情報を常時やり取りするために必要な、パソコンを始めとした機器の設定と部品は継続して供給されるか。専門知識を伴うメインテナンスはなされるか。唯一のインフラとなった自室が、これらの条件が安定的、持続的に備える条件を整えているかは、私が負った任務を遂行することができるか否かを左右する。自室の置かれた位置の相対的な政治・経済・社会的環境を整えることは、少し大袈裟に言えば、ミクロな次元での戦略である。

 大多数の組織への帰属者は、この戦略を自ら決定する権限を放棄している。それは多くの場合は適切な判断である。大企業や官庁が整備して提供する施設の方が、立地においても、設備の質や量においても、地方都市の一住宅より高度であることは当然である。しかしコロナ下では、大規模組織であればあるほど、脆弱さを露呈しており、しまいには、個人が私財を投じて確保できる程度の住宅にすら、実際の効用においては劣後してしまっているという事実を、見つめなければならない。既存の設備が、効率的に「密になる」ことを目指しているものであるがゆえに、コロナウイルスの感染拡大を防止するための多くの施策は、既存の高度な施設の使用を困難にする。不特定多数の学生が出入りする組織であり、紛れもないお役所の下部にある国立大学法人は、その意思決定の機構の不明朗さにも起因し、コロナ対策による重大な制約を長期間受けた産業セクターの代表となったのではないだろうか。学生にとっても、教員・研究者にとっても、実質上は有意義な使用が困難となった大学の施設の存在意義は、一時的に劇的に低下した。

 所属する大学・研究機関の施設が使えなくなっても、研究活動を継続できるか。これは研究分野によっても大きく条件を異にするだろう。筆者も、元来の専門分野の思想研究だけをやっているのであれば、一人で本を読んでいればいいかもしれない。しかし、次世代に雇用を生み出し、学問の世界を持続させる役割を負った瞬間に降りかかったコロナ禍であった。

 所属先の大学・研究機関に頼れないのであれば、自らの個人的に培ってきたものを土台に、環境を構築しなければならない。そのための場所はどこか。慎重に、場所を選定した。

 自室が位置する地域の感染状況は生活の最低限の維持、安全の確保に関わると共に、研究会などを開催するための移動と活動の自由度に関わる。この点で、すでに日本の国土は均等ではなくなっており、通常とは逆に、東京とその周辺が最も不利でリスクの大きい環境に置かれている。いわばコロナウイルスも「東京一極集中」することで、東京の有利さが、一気に不利に転じている。東京への一極集中のリスクの側面を回避し、「ソーシャル・ディスタンシング」あるいは「三密の回避」をより効果的に行える環境を自費で整備することになった。かなり厳しい隔離を自らに課すことで、かなりの強度で自主隔離を実施しているのが、筆者の現在の状況である。そこでは日々に「巣ごもりの地政学」を意識している。

2 月日の巡り

 遠隔で大規模プロジェクトを指揮し、全ての仕事をリモートワークあるいはテレワークで行い、生身の人間には極力接しない、「巣ごもり」の生活で、外出は、体力維持のための運動と、食料・日用品の買い出しに限られる。この生活の中で、それまで失われていて、次第に取り戻していったのが、月日の巡りという感覚だった。

 「太陽が東から昇って西に沈む」という人類社会が太古から生活の基準としてきたサイクルすらも、深夜営業・終夜営業の店の広がりで曖昧になってきていた。店の営業時間が短縮され、仕事がらみの夜の会食もなくなり、24時間を自宅とその周辺で過ごすうちに、日照時間の間に活動し、夜は休むという感覚を少し取り戻した気がする。ただしリモートワークは無制限になりがちで、仕事そのものは昼夜や曜日を問わずに続けることになってしまったが。

 夜明けと日の入りよりもなお強く、ここで意識するようになったのが「月の満ち欠け」である。そのきっかけは、私が専門としているイスラーム世界が、今年は4月23日から断食月(ラマダーン月)に入ったことである。

 日本ではまさに、緊急事態宣言下の生活がまだ未知のものとして、緊張感を持って、手探りで個々に実施されている、いわば自粛真っ盛りの時期であった。私自身も極度の緊張を持って新しい日々の生活を模索していた。夕方にリモートワークの仕事の手が一瞬止まった時に、運動不足解消のために散歩に出た。自主隔離生活を送っているこの街では、東と西に低い山の稜線がある。なぜだろうか、最近は目的もなく歩くとなると西へ、西へと歩いてしまう。以前は必ず東であった。一般に東のほうが開けている。かつては夕方になりどことなくそぞろ歩きで人気の多いほうに向かうとなると自然に東に足が向いた。それが今は自然と西に歩き出してしまう。それは年齢による心境の変化でも表しているのだろうか。

 あるいは単に、緊急事態宣言によって東の繁華街が閉鎖され人気もなくなっているから足が向かないのだろうか。いずれにせよ、日の沈んだばかりの西の地平線の付近にふと目を向けると、そこには新月から間もない、若い、赤ん坊のような、細い月がいた。切れ切れの細さだが、儚くはない。これからみるみる太く成長していく生命力を漲らせた月だった。普段はそのようなことはしないのだが、ふとこれを写真に撮ってみようという気になった。しかし短時間の運動のために外に出たために、カメラも、携帯端末も手元になかった。急ぎ自室に戻りカメラを手にして駆け出し、西の空を眺めたが、月は早くも地平線の下に隠れてしまっていた。新月から間もない時期の月はかくも力強く、そして逃げ足が早い。

 イスラーム教のシンボルが新月であることはよく知られている。欧米や日本の「赤十字」は、イスラーム世界に行くと「赤新月」になる。イスラーム世界の人々はなぜ旗や幟に新月をあしらうのか。それが人々の心を高揚させ、鼓舞するからだろう。新月は暗闇に一条の光を照らし、その後、必ず満ちて成長していく。それは物事の始まりであり、未来への希望に満ちている。このことを私は、イスラーム研究者を名乗りながら、頭ではわかっていても、心で実感していなかった。

 月の巡りは、人間生活の社会的時間を古来より統べてきた天体の動きであるが、現代の都市生活ではほとんど顧みられることがない。日本であれ、中国であれ、イスラーム世界であれ、前近代にはそれぞれの太陰暦を用いていたが、近代に西洋キリスト教基準の太陽暦(西暦)を世界共通の暦として導入し、太陰暦は「旧暦」の地位に留めるようになった。

 しかしイスラーム世界の場合、政府による統治や経済活動において西暦が定着したものの、依然として強い宗教信仰に基づき、年中行事の儀礼において太陰暦(ヒジュラ暦)が確固たる地位を占めて、用いられ続けている。それは形骸化した形式を墨守しているのではなく、全能の神(アッラー)による天地の創造という営みを日々に実感することに根差した、力強く日々に再生産されている伝統の現れである。そのことは今でも、新月の月の出を、熟達した宗教学者が目視で観測して確認して宣言していることに現れている。ヒジュラ暦では月の満ち欠けの一巡ごとに月を数えていく。新月が出ると新しい月が始まる。当たり前のことを書いているようだが、新月が出たかどうかを判定するのは、容易ではない。新月は見えるか見えないか分からない程度の細さで、日中は太陽の光によって目立たないか、雲の陰に隠れてしまっている。太陽が沈んだ後に一瞬だけ西の地平線上に姿を見せ、すぐに沈んでしまう。天文学的に、いつが新月で、太陰暦の新しい月がいつ始まるかを定義上は計算することはできる。しかしイスラーム教ではあくまでも、ムスリム(イスラーム教徒)がその目で新月の出を確認して初めて、新しい月が始まったととらえる。それは神の創造した天体が、神の命じる通りに一巡して、一度は漆黒の闇となり、そして絶えることなく幼い月として再び生み出され、成長していく。

 この神のみ技を、月ごとに信者が黙示して実感し体感する。イスラーム教の儀礼の規定は全てそのために組み立てられている。例えば一日に5回の礼拝にしてもそうである。神の人間に対する絶対的な支配者としての地位を、人間の神の奴隷としての、神のみに服従する奴隷としての地位を、両者の関係を、一日に5回、信者に地面に額を擦り付けて礼拝させ、常に思い出させるのである。ムスリムは礼拝によって、神に対してのみ、最も屈従した姿勢で祈ることで、人間は神のみに絶対的に身を委ね服従するものであると確認し、翻って、他の人間に対する隷従は神に逆らうものである、と思い知る。神への絶対的な服従が、人間への不服従と自由の感覚をムスリムの心と身体に漲らせるのだろう。

 「新月はイスラーム教徒が好むシンボルです」「新月の観測を待ってラマダーン月が始まります」などと私も気軽に言い、解説を書くなどもしてきた。しかし、自らが、疫病拡大がどこで止まるかの目処も立たず、いつまで続くか分からない隔離生活の中で、西の地平線上に一瞬だけ顔を覗かせた新月のしなやかさと力強さに一縷の希望を見出すまで、新月が歴代のムスリムに毎月何を思わせ、何を与えてきたのか、私には考えが足りていなかった。

 それ以来、リモートワークが長引き短縮営業のスーパーの閉店時間に間に合うように夕食の素材の買い出しに出た時などに、あるいは日中に時間を取れなかった運動を夜中にこなそうと深夜に歩き出すたびに、夜空を見上げるようになった。月がこんなに大きかったのかと戸惑うような時もあった。経済活動が急激に低下した代償で、空が澄んでいるということも関係していたのだろうか。あるいは隔離生活で孤立した精神が、若干の揺らぎを生じ、古来よりの天体が人類に与えてきた慰めに救いを求めようとしたのだろうか。

3 政治の季節、季節の政治

 人間社会が不意に歩みを止め、立ちすくんでいても、季節は移りゆく。コロナ禍という事件は、長期化することによって、ある年の特定の季節に結びつけられるのではなく、一年を通じて常に近辺にあり、季節の巡りと結びつけられ、折々の風物との関連で広がりや段階を記憶されていくような存在となりつつある。

 疫病の各国・各地への広がりは、移ろいゆく季節とそれに合わせた社会の慣習や年中行事と共にあり、感染者数の増減も、あたかも季節の巡りと連動するかのように推移する面がある。外出自粛やテレワークといった人間の側の対応も、その背景で移り変わる季節を切り離すことのできないかたちで実行され、記憶される。

 中国・武漢で初期の感染爆発が発生したと見られるのが昨年の暮れから年初にかけての真冬の時期であった。これが春節(旧正月)の休日期間の1月24日から1月30日にかけて、国際的な移動の制限が徹底されないまま、多くの中国人が海外に出たことで、中国の風土病から世界的感染症に転じたのではないかと疑われる。

 日本における感染の拡大は、中国から出たウイルスが欧州や米国などで3月に劇的な拡大と被害をもたらした後に、そこからの旅行者や帰国者によってもたらされたものとも見られる。それはちょうど初春の桜の開花の時期であった。3月20日の春分の日が金曜日で、そこからの3連休となった週末には、それまでの1カ月近く、断続的な「自粛要請」に応えてきた市民たちが「中休み」を求めたのだろうか、行楽地への人出が増加した。これは感染確認者が急速に拡大していった翌週以降に、いわゆる「気の緩み」としてメディア上で指弾された。3月20日から22日の週末の連休は、気の緩みから感染爆発を許してしまった、あたかも無謀な開戦や敗戦のような悔やむべき失敗として、メディア上では描かれた。

 その後の、法的には強制力の乏しい緊急事態宣言が国民社会に幅広く受容され、自主的・自発的な社会活動の停止が大規模に徹底的に行われた背景には、「気が緩んで花見に出て感染を広げた3連休」への集合的な悔恨の記憶が作用していたのではないかと思う。咲き誇る桜花を一瞬だけ垣間見て、それを平常なこの世の最後の見納めとして脳裏に収めた上で、特攻兵のように覚悟を決め、それぞれの自粛の最前線、つまりそれぞれの自宅のそれぞれの部屋に散っていったかのようだった。

 未知の病原体の伝播という、一人ひとりの国民にとっては不可抗力であり、その責任を問うことができない、問うてはいけない問題について、国民の集合的な不始末がもたらしたことであるかのように、為政者とその周辺の専門家がメディア産業と共に社会に対して繰り返し流し続けるのは、感染の抑制には短期的に効果的であったかもしれない(そのような原因と結果の関係は検証・立証されていないが)。しかし行楽を社会悪として国民自らが省み、自らを責めて引き籠ることを自発的に選択させたことは、経済の冷え込みと不活性化をその後長期間にわたって日本社会にもたらし、国民経済の活力や成長を大きく阻害したかもしれない。短期的にも、自粛の徹底・不徹底をめぐって国民の間に不要な分断と疑心暗鬼をもたらし、相互干渉と相互非難の足の引っ張り合いを惹起して、これまた負の効果を多くもたらしているだろう。

 自粛疲れで止むに止まれぬ花見の宴に出た心境も、それを悔いて徹底的に引き籠り、そうしないものに疑いや非難の目を向けた心情も、さらに季節が巡り、感染の状況が変わり、段階が進んでいくと、思い出せなくなるに違いない。今年の冬はそれほど厳しくなかったし、概して気候の良い春が、今年はことさらに過ごし易かった。コロナの感染爆発の最初のピークが、最も気候の温和で快適な季節に訪れたことは日本にとっての幸福であった。

 行楽地も観光施設も閉鎖され、移動も外出も控えることを事あるごとに要請され、在宅勤務との区別がつきにくかった大型連休も、自粛の効果なのか感染拡大がどうにか抑制されてきていると感じられる統計数値が出る中で過ごしたことで、「自粛疲れ」は募るものの、疲労は限界には達せず、当初は連休明けまでとされていた非常事態宣言を月末まで延長し、自粛の続行を要請すると連休中に政府が発表した時も、少なくともその時点ではさほど強い反発は社会の中に感じられていなかったと見られる。

 緊急事態宣言が明けたのが、爽快な初夏で、行動の制限を要請され続ける「新しい生活様式」(あるいは「ニューノーマル」)への適応も、比較的心地よい気候条件の下で行われたと見られる。

 春先から初夏にかけての、日本の一年の季節の中でも快適な時期に「巣ごもり」と「新しい生活様式」に踏み込んだことは、激変を比較的容易に受け入れるのを後押ししたかもしれない。しかし5月から6月半ばにかけての、緊急事態宣言が解除され、移動制限が緩和されていく過程で、日本の各地が順次梅雨入りしていった。この原稿を記している7月初頭の段階では、長雨と豪雨が交互に続き、熊本などで水害が発生し、甚大な被害を生じさせている。梅雨明けはまだまだ先である。外に出て運動をすることもままならず、ひたすら部屋にこもって働き詰めでは、身体も精神もやがて参ってくる。一カ月の間ほとんどの日を雲に覆われている空は、もう天体の動きで束の間だけ心を躍らせてくれることもない。

 緊急事態宣言解除後も経済の停滞は続き、感染者の増加の報道のたびに人々の外出・消費意欲は滞っている。これらは積み重なって、各産業セクターの企業の体力を奪っていき、数カ月後、あるいは数年後に、倒産や廃業、財務の悪化による解雇・雇い止めといった大きな打撃が表面化するかもしれない。そのような将来への強い不安のもとに、日々の閉鎖された暮らしを耐え忍ぶしかない。

 「新しい生活様式」の目新しさは薄れ、あとは制約された環境下での経済的・精神的な消耗戦を耐え忍ぶ日々が続く。それがいつまで続くのか、誰にもわからない。このまま炎熱で蒸し暑い夏を迎えることは確実だが、その時に人々が、あるいは自分が、どう反応するかは、自分でも予想ができない。

 近年は、温暖化の影響なのだろうか、夏が長くなってきている。10月になってもまだ酷暑がぶり返し、紅葉は年々に遅くなり、冬が到来する前のほんのわずかな期間しか秋がない、という年も多い。そうなると、足掛け4カ月もの期間、狭小な住宅で寄り集まりながら、断続的なロックダウンに怯えながら、酷暑を耐え忍ぶことになるのだろうか。これはまだ未知の未来の世界である。

 人々が極限まで不満を募らせれば、なんらかの社会的あるいは政治的な暴発につながるのだろうか。米国の、BLM運動を見ていても、それが積年の人種差別・社会分断に根本的には起因しているとはいえ、短期的にはロックダウン生活で鬱積したものを爆発させているという面が加わっているのではないかとも思われる。

 しかし日本では同様の反体制的なまとまりが生じるほどの明確な分断が社会の中に見えてきていない。それでも、事態が自然界の抗うことのできない力によってもたらされた災厄による不運ではなく、社会と政治の各所で権限と責任を持った指導層が、脅威に対応し対策を打ち出していく能力と意志を欠くことに起因する、という認識が少しずつ高まれば、事態が回復不可能な深甚なダメージを社会経済に与える前に、方向転換を果たせる指導層を選ぼうとする動きが出てくるかもしれない。そのような新たな指導層を、日本社会は果たして隠し持っているのだろうか。これもまた未知数である。

                       *

 自主隔離生活の中で、自室に国内・国際的なネットワークをつなげて研究環境を構築していくためのインフラを、どこでどうやって確保してきたか、すなわち「巣ごもりの地政学」を、自然主義的に描いていくつもりだったのだが、途中から「天体と季節というインフラ」に話が飛躍してしまった。自らの足元を見つめ直したところ、その地面は地球環境にも宇宙にもつながっていたということだろうか。次回はそろそろ、この長期化し定着した「新しい生活様式」の中から触手を伸ばして探り出し、編み出していく、国内・国際的な戦略について記していけると良い。

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