『公研』2024年6月号「めいん・すとりいと」
この春、政党政治のありようを問う研究書が次々と刊行された。出版点数が増えた今日でも、ここまで念入りに論じられた研究が陸続するのは珍しい。まず概観してみよう。
井上寿一(著者代表)『立憲民政党全史』(講談社)は、第二保守党として生まれ、戦前の政党政治を担った同党の前史から解散までを描く。政治に長じる第一党・立憲政友会に対して政策で立ち向かった姿が活写されている。
榎一江編『無産政党の命運』(法政大学出版局)は二〇世紀初頭に生まれ、労働者と農民の利益を代表すべく活動した社会民主主義政党を俎上に挙げた。社会的要請がありながらも、主義を曖昧にとどめ、離合集散を繰り返す。それが党勢を伸び悩ませる構造であった。
奥健太郎・清水・濱本真輔編『政務調査会と日本の政党政治』(吉田書店)は、与党事前審査の形成史を明らかにした筆頭編者のもと、それを担う政務調査会がどう生まれ、成長し、今日に至るのかを論じた。党の持つ総合調整機能と政策立案機能が相互に作用しながら保守政治を発展させてきたことが見て取れる。
古川隆久『政党政治家と近代日本』(人文書院)は、政党内閣期に実力を伸ばしながら、翼賛政治に積極的に協力した前田米蔵の人生を問う。時流に流されたと一面的に批判するのではなく、戦時という特殊状況を前に議会政治を守るために行動した姿を評価する。
十河和貴『帝国日本の政党政治構造――二大政党の統合構想と〈護憲三派体制〉』(吉田書店)2024年7月
何が問われているのだろうか。いずれの研究も構想が練られ、着手されたのはコロナ禍の前、自民党による一党優位が揺るがないと見えた時期である。なぜ一党優位が生じるのか、なぜ対抗勢力が育たないのか。同時代の問いが浮かび上がる。
ところが今日では、再びねじれ政府が生じると警鐘が鳴らされるまでに政治状況が変わった。人の心は移ろいやすいと嘆くより、権力と政策に対する国民の姿勢が育ってきたと見るべきだろう。実力のある政治家も目立つようになり、これまでとは異なる政策形成や政治家への評価も現れている。
では、政党はどうか。上記の四冊からは、保守であれ革新であれ、主義主張よりも人的なつながりによって集まり、分かれるという日本の政党の特徴が浮かび上がる。政治に長じた政友会が強い結束を持つ一方で、政策を重視する民政党は内部対立に翻弄された。社会民主主義政党は、如上の構造のなかで方向性を見失った。政務調査会は主義の異なる人々をまとめるために利益調整機能を進化させていった。そのなかで育った政党政治家は、主義がズレても政党を出ることができず、制約のなかで藻掻いた。
現在はどうか。周知のとおり、近代以来、日本には政党の要件を規定する法が整備されていない。一〇年ほど前に政党法を制定する動きがあったが、実現に至らなかった。その間、保守第一党は安定性を増し、その他の政党は主義よりも関係性による離合集散を続けた。
今年は、第二次護憲運動、すなわち戦前の政党内閣期がはじまって一〇〇年という節目の年にあたる。立憲政治の擁護を掲げて民衆と政党が共闘した第一次と異なり、第二次護憲運動は、衆議院議員の任期満了による総選挙に向けた選挙戦術として政党側が起こしたものであった。
理念を欠く政争に国民は呼応せず、運動は盛り上がりを欠いた。政党内閣は生まれたものの、それは議会政治の充実につながる「公議」の場ではなく、人的つながりのある集団が主導権を争う場となり、政党政治は迷走した。
政党とは何か。政党に何を求めるのか。国民が政治を、政党を正視するようになった今、国民と政党のコミュニケーションに期待が膨らむ。政界再編から三〇年余を経て、政党政治の次なる試験時代が始まろうとしている。
慶應義塾大学総合政策学部教授