『公研』2021年5月号「interview」

幕内格行司 木村銀治郎

国技、大相撲の取り組みをさばく行司は、その本業以外にも様々な仕事をこなしている。テレビ中継には映らない大相撲の世界についてお話を伺った。

中学3年生で取り組みをさばく

──銀治郎さんが平成2年に15歳で入門された峰崎部屋が、峰崎親方(元前頭三杉磯)の定年(65歳)をもって閉鎖されることになりました。4月からは芝田山部屋に移籍されました。人生の一つの転機です。

銀治郎 師匠の定年で部屋が閉鎖されることは前からわかっていましたから、特に感傷的になることはないですね。もちろん、入門してから今日に到るまで30年以上お世話になり自分が育ってきた場所ですから、部屋や師匠には感謝の気持ちが大きいです。

 峰崎部屋は昭和631210日創立なので、昭和最後にできた部屋です。私は翌年の平成元年5月に初めて部屋にお邪魔して、平成2年3月から入門しました。まだ中学を卒業する前です。それから13年半部屋に住み込みましたから、部屋と共に育ってきたところがありますね。

──30年という月日の間には、親方とぶつかるようなこともあったのでは?

銀治郎 師匠に対しては、衝突しようがないんです。そうなれば、自分が出ていかなければならない。ぶつかってはならない対象です。

──4月からは芝田山部屋の所属になりました。新しい環境ですね。

銀治郎 環境が変わったと言っても、所属する部屋が変わるだけであって住み込みで暮らすわけでもないですし、部屋に通うわけでもありません。特別なことはないんです。新しい師匠(芝田山親方・元横綱大乃国)のもとで、迷惑を掛けないように役割をまっとうするだけですね。

──中学1年生の時には行司になると決意されていたそうですが、中学を出てすぐに相撲の世界に入るのは相当な覚悟が必要だったと思います。

銀治郎 逆に言えば、世間を知らない子どもだからこの道に進むことができたんですよ。他のことを何も知りませんからね。はっきりそう言えますね。世の中のことを少しでも知ってしまってからでは、ためらってしまう人が多いんじゃないですか。

 今は入門に当たって行司としての適性を見るようなこともしていますが、我々のときはそうした審査はほとんどなかったんです。師匠の下に入門のお願いに上がってすぐに、「今から面接するから」という感じでした。履歴書の顔写真と面接に来ている本人が一緒であることを確認したくらいで、何か特別なことを聞かれた記憶はありません。この世界は入ってからのほうが大事なんです。厳しい世界だし、環境に馴染めない人は自然と振り落とされていくことになります。

──力士志願者が減っていることがニュースになったりしていますが、行司をめざす人はどうですか?

銀治郎 行司は定員が45人と決まっています。今はすべて埋まっていますから、行司になりたい子がいても入門することはできない状況です。誰かが辞めて空きがでない限りは、新しい人を募集することはないんです。しかも、入門時に15歳から19歳以下という年齢制限もあります。高卒がギリギリで、大学を卒業してしまうともうなれない。

──条件が厳しいですね。行司になりたい若い人のために規則を変える動きはあるのですか?

銀治郎 今のところはありません。私自身も変える必要はないと思っています。行司になれるかどうかは、完全に運とタイミングです。19歳になるまでに枠が埋まっていたら、運がなかったと諦めるしかない。

──最初はどんなことから仕事を覚えていくのですか?

銀治郎 挨拶と掃除です。最初はきちんと挨拶ができるように繰り返し先輩から躾けられました。入門しても相撲のルールを教えてもらうようなことはなくて、先輩の仕事を見て自分で覚えなければなりません。最初に教えてもらったことと言えば、「土俵に上がったら左足から3歩前に出て、東と西の両方の力士の名乗りを上げる。軍配を引いて『はっけよい!』と言う。勝ったほうに軍配を上げて、勝ち名乗りを上げて帰ってこい」と、それだけでした。

 後はせいぜい着物や装束の畳み方を教わるくらいです。先輩から手取り足とり指導を受けることはありません。その代わり自分から先輩に聞きにいけば、何でも丁寧に教えてくれました。今は自分たちが若い時のように後輩に突き放して接してはいませんが、基本は一緒ですよね。自分から学ぼうとしなければ、身に付くことはないんです。

──最初に取り組みを合わせたのは?

銀治郎 入門した平成2年の3月場所の3日目だったかな。さばくことに精一杯で、緊張した記憶もないんです。かと言って、感激したわけでもなかった。まだ中学3年生の3学期で、在学中でした。当時は卒業見込みさえもらっていれば、中学生でも3月場所の初土俵を踏むことができて、その月末には月給をもらっていました。今は4月1日以降でなければ入門できませんから、そんなことは絶対にできません。

相撲列車とは?

──今年2月に出版された『大相撲と鉄道──きっぷも座席も行司が仕切る!?』(イラスト:能町みね子)を興味深く拝読しました。現役の行司が本を書かれるのは珍しい。

銀治郎 もともとは、イラストを描かれた能町みね子さんが執筆される予定だったんです。鉄道と相撲をテーマにすることは決まっていて、それならば能町さんが「銀治郎さんにお話を伺いたい」ということになったんです。能町さんとは以前から知り合いで、私が鉄道ファンで輸送係を務めていることもご存知でした。

 それで交通新聞社の編集者と3人で打ち合わせをすることになり、角界と鉄道の結びつきについて私の持っている知識をお話ししたんです。ところが後日、能町さんから「銀治郎さんにご執筆してもらおうかと考えています」とお申し出がありました。もちろん本を書いた経験などありません。自信はありませんでしたが、せっかくの機会ですから書かせていただくことになりました。

──行司には相撲の取り組みをさばく以外にも様々な役割があることを知り、とても新鮮でした。

銀治郎 取り組みを合わせる(さばく)以外にも、土俵を離れたところでいろいろな役割があります。相撲字を書くことも行司の仕事です。本場所ごとに発行される番付表や館内の電光掲示板などに使われているあの独特の文字ですね。「行司は習字」と言われるほど、行司にとって大事な仕事です。入門以来ずっと相撲字の練習を続けていますが、私はこれがどうにも苦手なんですね。なかなか上達しませんが、相撲字は行司にとって命綱みたいなものですから、行司であり続ける限りは勉強しなければなりません。

 他にも場内アナウンス、書記係、決まり手や勝負結果の記録、星取表の作成、地方場所の経理補佐、地方巡業における勧進元(興行主)との折衝補佐、案内状・令状書き、イベントの受付や司会などたくさんの役割があります。

──会社組織で言えば、ほとんどあらゆる部門を担われている感じですね。

銀治郎 『大相撲と鉄道』は、多岐にわたる行司の仕事のなかで主に「輸送係」について書いたものです。大相撲の本場所は、両国国技館以外にも三月場所(大阪)、七月場所(名古屋)、十一月場所(福岡)が地方で開催されます。そのたびに親方衆、力士、行司などを含む日本相撲協会員が移動しますが、この年3回の地方本場所への移動を「大移動」と呼んでいます。季節ごとの地方巡業もありますから、我々は年中移動しているわけです。その際の移動手段を勘案して、切符などを手配することが輸送係の役割です。日本相撲協会で一両貸し切る臨時列車を「相撲列車」と呼んだりしています。

──ご著作では輸送係の仕事を詳細に紹介されていますが、各方面に配慮が行き届いていて驚かされました。

銀治郎 公共の交通機関を利用するわけですから、鉄道会社や一般の乗客の皆様に迷惑を掛けることがあってはなりません。相撲列車は1両に最大で100名もの力士が乗車しますから、スーツケースや土産物などで座席上の荷物棚はパンパンになります。棚に収まらない荷物をデッキに置く力士もいますが、通行の妨げになるしホーム方向の扉の前に置いてしまうと、扉が開いたときにホームへと傾くこともあり得ます。たいへん危険ですし、遅延を招く可能性にもつながります。これを防ぐために事前に仕度部屋や各部屋に最小限の荷物で乗車するように注意喚起をしています。

──地方巡業で訪れる駅の構造も含めて、細かな情報を入手して、移動が少しでもスムーズに行くようあらゆる想定をされている。旅行代理店も真っ青になるほどですね。

銀治郎 私は小さい時から鉄道ファンでしたから、鉄道に詳しいと思いますし、輸送係を楽しむことができる点では向いているかもしれません。けれども正直に言えば、誰にでもできる仕事だと思っています。

 ただ、与えられた仕事を言われた通りにやるのか、二つ三つ突っ込んだことをやるのかで違いは出てきますよね。私は少しでも滞りなく移動が済むようにいろいろな想定をめぐらせます。それに少しでも力士たちがストレスなく快適に移動できるよう工夫してきたところはあります。

──輸送係の役回りはいずれ変わるのですか?

銀治郎 こうした役割分担は、最高位である立行司が決めています。別に私が鉄道好きだから輸送係に選ばれているわけではないんです。なので、いつかは輸送係とは違う役割に変わることもある。後任は別に鉄道に詳しくなくても輸送係は務まるでしょうが、自分で創意工夫して改善させて欲しいとは思いますね。

──『大相撲と鉄道』のなかには地方巡業の行程表も掲載されていますが、本当に長丁場で、日本各地を訪れている。地方巡業は楽しいものですか?

銀治郎 基本的には楽しいものです。それに巡業は楽しくなければいけないものだと思っています。北海道から、南は奄美、沖縄まで全国、津々浦々を訪れることで大相撲を地方に浸透させる役割を担ってきました。巡業は長い歴史があって、江戸時代に始まっているんです。鉄道ファンとしては、普段なかなか行けない地方の列車に乗れることは喜びではあります。使用する路線はだいたい決まっているんですけどね。

 ただ、ひと月以上も旅暮らしが続く生活はやっぱりしんどいですよ。毎日、枕やベッドが変わりますから、腰を痛めないように気を付けなければならない。そんな中でも地方にいる知り合いに会ったり、その土地の食事だったり、楽しみはたくさんあります。

 巡業は、巡業部長という親方衆が務める役職で大体2年間の任期があります。各部屋から力士たちを預かって長期におよぶ巡業を遂行させるわけですから、たいへんな役回りです。旅先ではいろいろなことが起きますからね。責任重大です。

──新型コロナウイルスの影響で昨年も今年も地方巡業は行われず、本場所も両国国技館のみの開催になっています。輸送係の負担は軽くなったかもしれませんが、物足りなさも感じているのではないですか?

銀治郎 一日も早くこの状況を打開して通常通りの賑々しい本場所が開かれることを願うばかりですね。我々は今トンネルの中にいますが、冷静にまっすぐ出口に向かっていけばいずれは光が差し込むはずです。今はまだその光が見えてこない状況ですから、辛抱しなければなりません。まずは自分たちがコロナに罹らないように不要不急の外出を避け、大勢での飲食などを我慢することだろうと思っています。

──七月場所は、名古屋での開催が決まりました。

銀治郎 団体での移動を避けるためにも相撲列車は走らせません。部屋ごとや個人で移動することになります。名古屋駅は相撲ファンの出迎えが一番多いところで、いつもたいへんな賑わいを見せるんです。そういう意味では残念ではありますが、ようやく地方での本場所が開かれることになり一つ前に進むことができたと思っています。

相撲を見ずに勝負を見る

──行司という仕事についてお伺いしていきます。行司と力士は、もっと隔てられている印象を持っていましたが、地方巡業でも行動を共にしているし、意外と距離が近い。

銀治郎 これだけ力士たちとずっと一緒にいたら、土俵の上で取り組みを合わせるときに感情移入するのではないかと言われることがあります。けれども、そういうことはまったくありません。なぜなら、どちらが勝ったのかを判断して軍配を上げるまでが私たちの仕事であって、勝ち負けの最終的な決定権は行司にはないからです。

 行司の判断が正しかったら何もお咎めはないんですが、もしも間違っていたら土俵下に座っている審判委員の親方によって「物言い」がつけられます。そして、親方たちが協議して判断を下すことになる。力士に感情を持ったところで、誤った判断をしていれば、親方たちによって判断は覆されるわけです。判断の間違いは、行司のペナルティになります。だから見たままの判断で軍配を上げるんです。

実際に仲のいい力士もいて、一緒に食事に行くこともありますが、それで何か疑われるようなことはありません。

──行司には八つの階級があります。銀治郎さんは立行司、三役格に次ぐ幕内格ですが、昇級はどのように決まるのでしょうか?

銀治郎 細かな基準があるわけではありません。私自身が幕内格に上がったときも、それだけの手応えを得たわけではなくて、今でも足らなさを感じています。

 行司は、経験が物を言う世界です。普通は歳を取るほどに動体視力も衰えてきますから、若い人のほうが正しく判断できるはずですよね。ところが行司の世界では、一番歳を取っている人が一番強い人を合わせる。逆に一番若い人が一番弱い人をさばきます。反比例していますよね。

 強い力士のほうがスピードもありますから、若い行司が合わせたほうがいいように思えるかもしれません。けれども、経験値の範囲内でしか行司はさばくことはできないんです。今の私が土俵に上がって、一日の取り組みの最後に出てくる横綱や大関の相撲を合わせられるのかと言えば、合わせられないんです。そこまでの経験がまだ伴っていないから、無理なんです。

10年くらい前の話ですが、あるイベントで当時大関だった琴欧洲関と琴奨菊関が舞台のうえで着物の裾をまくって仕切りのポーズをしたことがありました。真ん中にいた私が行司の真似事をすることになりましたが、イベントであっても感じる空気やオーラが全然違うんです。その時に「こういうことなのか」とわかった気がしました。この人たちを合わせるところまで行き着くには、もっと経験が必要だと実感しましたね。

 だから、それだけの場数を踏んだ人がその取り組みを合わせるのに相応しい。今の自分にはとてもできません。たぶん十分な手応えを得ることがないままに、定年を迎えることになるのだと思います。

──行司の力量を上げていくためには、どのような鍛錬をされているのでしょうか? 力士は出稽古に行きますが、行司も他の部屋に行ってさばくことはあるのですか?

銀治郎 そういうことはありませんね。繰り返しになりますが、経験を積んでいくことに尽きるのだと思います。

 ただ常に意識しているのは、お客さんと一緒の目線で相撲を見ないということです。相撲を見ずに勝負を見る。勝ったほうを見て軍配を上げると、間違いが起きるんです。あくまでどちらが先に足がついたのか、あるいは飛び出したのかを見る。そして負けたほうを確認したら、勝ち力士に軍配を上げるわけです。これが行司の基本です。入門以来ずっとこれの繰り返しですが、未だに1日に2番あわせたら、それでもうクタクタになります。

──そういうものなのですね。本場所中は、1日どんなスケジュールで行動されているのでしょうか?

銀治郎 みな様々な仕事を抱えていますから、役割分担によって過ごし方も変わってきます。今の私だとだいだい午後2時半くらいに国技館に入り、3時過ぎから装束に着替えたりして準備します。十両の最後のほうの取り組みを2番合わせるので、土俵に上がるのは3時半くらいです。

 私は星取係も務めていますから、自分の出番が終わったら幕内の取り組みを最後まで見ます。すべての取り組みの決まり手を記録する書類を作成してから、帰宅します。だいたい午後6時半には出る感じですね。

──集中力を高めるためのルーティーンはありますか?

銀治郎 特別なことは何もしていませんね。

──装束は何着ぐらい持っているのでしょうか?

銀治郎 装束はすべて自前なんです。夏物は6、7着。冬物が14着あります。後援者から頂いたものが多いんですが、先輩からいただいたものもあります。

──軍配も自前なのですか?

銀治郎 代々受け継がれた「譲り団扇」もありますが、基本的には自前です。私は7、8本持っていますが、そのなかにはプロ野球選手の今江敏晃さん(現・楽天コーチ)が実際に試合で使用して、折れたバットを材料にしてつくった軍配もあるんです。2本つくってもらって、私が揮毫して一本は今江選手に持ってもらっています。ご本人もびっくりされていましたよ。

──行司の最高位である「木村庄之助」の座が空席になっていることには理由があるのでしょうか?

銀治郎 協会が判断することなので、私たちには理由はわかりませんし、私が考えることでもないですね。

力士でいられる期間は短い

──角界の今についてお伺いしていきます。横綱の鶴竜関が引退して、新しい時代を迎えようとしています。その一方で稀勢の里関が引退して以来、日本人横綱は不在のままです。

銀治郎 私は関取衆、相撲に関しては国籍や人種は関係ないと思っています。強い人が横綱になる。たまたまモンゴルから来た人たちが強かったから、横綱になったわけです。相撲ファンもマスコミの方々も「日本人力士はもっとしっかりしろ」と言いますが、努力をして結果を残している力士たちをきちんと評価すべきだと私は思いますね。

 特に外国から来た力士は、文化も食べ物もまったく違う異国に来て、日本語も満足にしゃべれないところから始めて頂点を極めているんですからね。もっと褒めて讃えるべきでしょう。

──全体的にレベルが落ちているのではないかという指摘もあります。

銀治郎 全体的な稽古量が落ちたと言われていますが、番付の上位にいる関取は努力を重ねていると思います。相撲を取る人間ではないので、私がとやかく言うことではありません。ただ新しく入門してきた人たちには、せっかく入門してきたのだし、力士でいられる間は精一杯努力すべきだとは言いたいですね。引退した後に「もうちょっと頑張るべきだった」と後悔する人は結構多いんです。土俵に上がることができるのは、人生のなかでほんの一つまみの短い時間ですからね。そんなふうに後悔するのであれば、もっと相撲に打ち込めば良かったのにと、端から見ていて感じるときはあります。

 だって相撲部屋は、衣食住を心配することのない環境が整っているわけですからね。保険も厚生年金も払ってもらっているし給金までもらえる。待遇の有り難みを感じることができれば、もっと貪欲に取り組んでもいいのではないか。結局その努力を惜しまない力士だけが番付を上げていくことができるわけです。

──銀治郎さんは、広報や宣伝マン的な役割もされていますね。伝統を大切にする相撲の世界に新しいアイデアを持ち込まれている。

銀治郎 入門から横綱昇進までの相撲人生を模した「相撲すごろく」をつくったこともありました。部屋に入ってくる新弟子が少なくなったので、勧誘のために必死だったんですよ。相撲界は不祥事が続いたこともあって、ドン底の時代が続きました。相撲担当の新聞記者さんたちも、「批判的な記事しか書かせてもらえない」と嘆いて心を病む人までいたんです。そういう人たちを救うためにも、楽しいネタを少しでも提供できないかと考えるようになったんです。

 プロ野球のトライアウト参加者に「新弟子募集のチラシ」を配ったこともありますが、そうした試みは明るい話題を提供したいという思いから始めたことでした。いろいろな活動を続けるうちに、次第に講演やラジオやテレビの番組にも呼ばれるようになってきました。一度出演すると、他の局からもお声掛けいただくようになっていった感じです。

 私が広報的な役割に向いているかどうかはわかりませんが、こうして話をすることで、テレビ中継される土俵以外の相撲の世界に関心を持たれるファンが増えていることは、とても嬉しく思います。今回も『大相撲と鉄道』を書いたことで、熱心な相撲ファン以外の方にも広く相撲列車の存在を知ってもらえたことは本当に嬉しかったですね。 聞き手:本誌 橋本淳一

ご経歴
きむら ぎんじろう:1974年生まれ。幕内格行事。平成2年3月場所初土俵。平成26年11月場所幕内格昇進を機に三代・木村銀治郎を襲名。土俵上のさばき以外にも、大相撲の魅力を伝えるべくテレビ、ラジオ、講演活動などでも活躍。著書に『大相撲と鉄道』、監修に『大相撲語辞典』がある。
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