『公研』2022年8月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

安倍元首相が凶弾に斃れた。

今回の事件は日本社会のあり方に遠因を求めるべきなのだろうか?

このモヤモヤの背景には一体何があるのだろうか?

 

 

若者はバラバラで一括りにはできない

清水 今回の「対話」には、編集部から「安倍元首相の事件を踏まえた上で、今の日本社会の姿や人と人とのコミュニケーションのあり方を考えるような議論をしていただき、いま漂っているモヤモヤしている何かをいくらかでも晴らして欲しい」という難しいリクエストがありました。どれだけ応えられるかわかりませんが、今の時代や社会について、これまでとは少し違った切り口でお話しできればと思います。

 私はいわゆる団塊ジュニア世代です。本誌の読者も多くが私と同じか、やや上の方でしょう。そこで今回は一回り若い富永さんに「対話」をお願いしました。若者と社会について考えてこられた富永さんであれば、新しい視点を得るきっかけが得られるのではと考えたからです。

 ただ、それは迷惑だったかもしれません。富永さんのTwitterを見ていたら、「若者の良き理解者感を出そうとしている時の自分が本当にきらい」とありましたね。

富永 「世代」が私たちを繋ぐキーワードであって、同時に難しいところかなとも思うんですね。私自身は、主に戦後の社会運動をテーマに研究をしています。1970年代以降、日本では社会運動が忌避されてきました。デモの発生率、組合の組織率も低下しています。政治的なものは全般的に忌避されているのかもしれませんが、特に社会運動への参加率は、諸外国と比べても日本は明確に低いんです。

 労働組合や市民団体の人たちは、「若い人が入ってこない」と皆さん口を揃えておっしゃいます。「若者を社会運動へ」という時に識者として招聘いただくことが多いのですが、「年長者の気持ちもわかるが、若い人の気持ちもわかるだろう」という役回りを期待されているのだと思います。でも若者と言っても多様です。もちろん統計的にこういう傾向があるとは言えるけど、一括りにして年長の人たちに「若い人はこうなんです」と説明する役回りを負ってしまっていいのか。ここは最近すごく気になっているんです。

清水 そうですね、まずは私たちが気づいていること、わからないことの両方を棚卸しながら、自然に話をしていければと思います。

 今おっしゃった若者と言ってもバラバラな人たちだという視点は大事ですね。かつては「若者」と一括りにできるような一体感があったように思います。でも、最近はそうではなくなっていますよね。一人ひとりの、個人の顔、輪郭がはっきりしてきた。

富永 属性の多様性が顕在化した印象はあります。セクシュアリティ、国籍、出自など、とくにマイノリティだと隠さなければと感じる人はまだ多いのだと思います。ただ、それを表に出しても社会が受け入れられることが、若者が多様だと認識されることに繋がっている気はしますね。

 

団塊ジュニアまでは成功の指標があった

清水 多様なものが生まれたのもそうですが、それが見えるようになってきたのかもしれませんね。団塊ジュニアで地方出身の私にとって、「成功」の指標は割と明確で、画一的でした。小学校の時はスポーツですよね。足が速い子がモテる。中学校になると勉強ができる子が目立ってくる。高校入試が直近のゴールとして見えてくるからですよね。変化を感じたのは高校でした。高校から後は、入った学校ごとに友人たちが別の人生を歩んでいく。いや、正直に言えば、他の学校、他の道に進んだ友人たちのことがどんどん見えなくなっていきました。

 高校に入学してすぐ、教頭からこんな訓示を受けました。「君たちは入試を勝ち抜いてエリートになった、人生が保証されたと思っているだろう。だが、そうだろうか。日本では中学で義務教育が終わる。そこで一人前の人間となり自分で生きていく。それができない人が高校に行き、高校を出ても生きていけない人たちが大学に行く」と。説教くさいなと思いながら、受験を勝ち抜くことを目標に戦ってきた自分たちの視野がいかに狭くなっているかを突かれた気がしました。

 でも、変わりませんでした。高校では同質的な人たちばかりで完結する世界に安住して、周りは見えなくなっていきました。大学に進学すると、それはさらに顕著になりました。それが僕らの世代だったように思います。

 今の大学生は、そこが違うなと感じます。かつて、学生たちに「君たちは同世代のエリート。大学に進学していない人たちのことも考えるべき」と話すと、しっかり響いている感触がありました。ところが、最近では「別にそこで測る必要はないんじゃないですか」という反応が返ってくるんです。ガリガリ勉強して「いい就職」をする道だけでなく、多様な生き方がある。それを実践している人たちのほうが輝いて見える。そんな感覚で見ているんですよね。

富永 エリートという言葉を聞いて、上野千鶴子先生を思い出しました。私が大学院の2年目まで東大にいらして、授業を受けたこともあるんですが、「エリート女性」のようなかたちで、エリートという言葉をよく使う先生だなと感じました。そんなに社会に上とか下とかないでしょ、というのと、たとえエリートという人がいたとしてもごくごく少数の、例えばMIT(マサチューセッツ工科大学)やハーバードに行く人のイメージがあったんですよね。だから清水さんの言う学生さんの感覚に近いですね。

 ノブレス・オブリージュ(特権階級の社会的責任)とまではいかないが、エリートとして国を率いたり自分以外の立場の人を想像して、パブリック(公共)のことを考えたりする感覚は希薄でした。むしろそういうものを考えないようにしてすらいたかも。

 それこそ今回の参議院議員選挙でも、「国民のためではなく、党員のため」という公約を掲げた参政党に共感した人が少なからずいた。そう考えると、「いろいろな人がいるのだから、自分より上とか下とかそもそも存在しない」という意識は、公共への感覚を損なわせる側面もあるのかもしれませんね。

清水 公共のほうが、価値が一つにまとまっているイメージなのですかね。

富永 自分とは違う人が多すぎて、そもそも公共というものを想像し切れない感じですね。

清水 目標やあるべき生き方が固定されていた世代は、勝ち抜き競争なので、「エリート」も可視化されやすい。ノブレス・オブリージュというと大袈裟ですが、本人たちも時に自嘲しながらも、社会で果たすべき責務を自覚していて、それを原動力の一つとして生きてきた。

 その反動なのでしょうか。属性が多様化している影響なのか、他の人との違いを強調する流れもあるように思います。自分は画一的なエリートではなくて、ちょっとしたオリジナリティを持っている「自分」を表現したくなっているのかな。若い世代は、そうした違いをアイデンティティとして捉えているようにも感じます。

富永 正統性や真っ直ぐな道が見えにくいのかもしれないですよね。私はメディアにも出るし講演もして一般書も書いてしまうので、正統な学者とは言えないことがコンプレックスでした。ただ、私より若い研究者はむしろ「それの何が悪いの?」という人も増えている感じですよね。日本の社会学自体がアウトリーチと元々馴染みが良いのかもしれませんが、アカデミックポストがあまりない、さらにポスドクなどは労働条件がいいとは言えない点も背景にあるのだと思います。それよりは企業で働きながらとか、執筆業をしながらというほうが精神衛生上もいい。アカデミアの正統性を追い切れなくなっている条件の問題なのか、彼らが世代的に多様なキャリアを肯定できるようになったのか。そのどちらなのかを見極めることは難しいですよね。

清水 たしかに、以前は研究者になるにも、「まっすぐな道」がはっきりとありましたよね。進んでいくべき、正統性のある道。決められているレールに乗っていけば、ゴールにたどり着ける。それ以外の選択肢は見えてこなかったし、並んでいるものを選べば別に困らなかった。だから、変わることなくそのままやってこられた。ただ、そうして生きてきた世代は、今、すごく苦しんでいる。

富永 苦しそうですよね。

 

成功がどこかで止まることへの恐れ

清水 今回の事件にも繋がるかもしれませんが、成功がどこかで止まることへの恐れが強くありますよね。成功が止まると、それまでの成功もなくなってしまうように思えてしまう。でも、ずっとその成功した場にいることはできないですよね。ここのところ、ターニングポイントとしての就職と退職、それにともなう場と常識の変化にどう対応して生きていくか、ということが気になっています。私のゼミでもジェンダーやダイバーシティを研究テーマにする学生が増えています。学生はこうした話題を日常的にフラットに話していて、大学で「男女間の格差を感じることはほとんどなくなった」と言います。ところが、就職活動を始めた途端に「男女の格差を感じる」と言うんです。評価の仕方も面接時の対応も違うと。大学を卒業して労働社会に出るところに、まだギャップがある。

 もう一つターニングポイントは、勤め人を卒業して家庭、地域社会に入っていく時ですね。かつて女性は家庭、男性は仕事という明確な役割分担がありました。男性は会社つまり労働社会で、女性は家庭や地域社会で活動した。逆に言えば、女性は労働社会には居にくい一方で、男性は家庭や地域社会にはあまり居場所がなかった。男性の退職後うつは、こうした分業の結果でもありますよね。

 団塊ジュニアより少し後の世代の男性は、「育児はふたりで」とか「地域の活動も面白い」という方が多くなっていますよね。画一的な男性的な価値観から多様性を受け入れるほうにシフトしているのでしょうし、子育てや地域への参加も家族で一緒にやったほうが楽しいことに気付いたからなのだと思います。

富永 私はちょうど半年くらい前に産休をとっていました。外には出られないから、『課長島耕作』の弘兼憲史氏が描いた『黄昏流星群』という漫画を読んでいたんです。おもしろいと思ったのが「どうせオレたちが退職後にNPOをやろうとしても地域社会でウザがられるのだから……」みたいなセリフが出てきたことです。ウザがられるところまで織り込み済みでいることに笑ってしまいました(笑)。そうした退職後クライシスは連綿としてありますよね。今まで続けたものが止まることは怖いですよね。

 私も産休中はずっと怖かったですね。休んでいる間に自分の出演しているラジオ番組のレギュラーがなくなったらどうしようとか、休職中と公表して仕事がなくなったらどうしようとか。居場所を変わることの怖さより、今までやっていったことが人にとって代わられる怖さなのかなと思ったりもしました。NPOなどでうまく居場所を見つけられればいいですが、そこにスライドする前に今までやっていたことが続けられなくなる怖さを経なければならない。成長や向上ができなくなる怖さは強いのだと思います。

清水 うん、それは強いですよね。若い研究者がどんどんメディアに出るようになり、一般向けの本も書くようになったことを肯定的に受け止めているというお話がありましたが、私もまったく同感です。でも、それもたいへんですよね。研究職に就くには、まず博士論文を書く。学問の秩序のなかで自分の研究を位置づけ、評価される。厳格だけれども確固とした、ある種落ち着いた世界です。

 他方、「それだけではダメだ」とされて、博士論文を出版して社会に還元すべきという流れがあった。今はそれをもっと広くという話になっている。私が二冊目に新書(『近代日本の官僚』)を出したときもそんな感じでした。ただそうして学界の外で、一般に向けて発信を始めると、これまで受けてきた評価とは異なる、「どのぐらい売れるのか」という流動的な評価に晒され続けますよね。

富永 自分が単純に大学教員をやっているだけだったら、産休をここまで怖がらなくて済んだのだと思います。怖がってしまった理由は、そういう流動的な評価に晒される世界にも身を置いてしまったからです。

清水 それは研究者だけでなく、今の若者世代に広く当てはまることかもしれないですね。

富永 他者の評価に身を委ねている印象はありますね。売ること、広げることに躍起になってしまう。フリーランスの人はそれが死活問題にもなるわけですから。

清水 正規雇用の人も転職が定着しましたよね。私の次の学年にあたる2000年は新卒の有効求人倍率が1.0を切り、なかなか思うような就職ができませんでした。その後、景気が良くなると、彼らは積極的に転職を始めます。転職が普通になったことに、とても驚きましたね。

 転職するためには、自分が何を売りにしているのかを明確にしなければいけませんが、いろいろな経験をされて、「あれもできる」「これもできる」という戦い方をする人のほうが、結果的に転職の回数が多くなっている印象があります。

富永 「何でもかんでも売らなくてもいいのに」とも思いますが、それは安定的な立場からの目線なのかもしれません。あえてお金にならないことをするという社会運動がありますが、スキルがあってもお金に換えず、自分で磨くだけでもいいのですよね。けれども、これだけ世の中が流動的になって非正規が当たり前になって個人で活動するのが普通になると、本当に何でも売ってしまいますよね。

 

「五カ条の誓文」以来がんばり続ける日本人

清水 競争がきついステージに立っていると、生き残るためにいろいろ売っていかざるを得ないのですよね。そこは先行世代にも似たところがあるようにも思います。会社で仕事が増えてきたとしても「今はムリです」と言った瞬間に評価が下がることになりかねないから、引き受け続けてしまう。断ると「居場所を失ってしまうのでは」と恐れてしまう。ステージがある人は、特にそうですよね。この話は、私たちが生きている近代って何だろう、という問いにつながりますね。このところ歴史研究でも近代社会の、競争社会の面白さと苦しさに焦点を当てた研究が目立ってきています。

1868年に明治政府は自らの施政方針として「五カ条の誓文」を出します。私はこれを明治政府が「出してしまった」ものだと思っています。というのも、前の時代がすばらしかった。江戸時代の日本では、パクス・トクガワーナと称される260年もの平和な時代が続きました。普通に見ればいい政権ですよね。飢饉はあったにしても世界中で戦争している時代にほぼ平和でいられたわけですからね。

 平和だったこともあって、人々は、この時代を通じて形成された秩序の中で生きることを自然に受け入れていました。長男は家の仕事を継ぐ。次男は次男としての生き方を歩む。与えられた役割をみんなが生きていました。

 この平和で安定した政権を倒し、それに代わる新しい政府をつくるからには、新しい社会の正統性、看板が必要になります。それが「五カ条の誓文」です。よく知られるのは「広く会議を興し、万機公論に決すべし」ですが、大事なのは、3番目の「官武一途庶民に至るまで、各々その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」です。つまり、あなたたちは夢を持っていいのだ、そのために私たちは夢を実現できる社会を実現するという宣言です。

 がんばれば人生を変えられるというメッセージは、当時の人たちにとって強烈で力強いものです。それまでの封建的な身分制を覆すわけですから。それには大きな反発もあるけれど、新しい時代の正統性として必要だった。新政府は江戸時代を超えるために「出してしまった」わけです。でも、それは立身出世や自己実現のために、ずっとがんばらなければならない日本社会の構造を生んだ宣言でもありました。たいへんな、生きづらい時代の到来でもあった。

 明治維新のそうした側面については、近年、松沢裕作さん(慶應義塾大学教授)の『生きづらい明治社会』などでさかんに論じられています。江戸時代ではごくごく普通に生きてこられた人たちが突如として市場に、競争に晒されていく。夢を実現できる社会が、夢や目標を持たなければならない社会になっていく。

 そうすると、夢や目標を持てない自分への不安や、実現できない社会への不満が生まれてくる。自分がなぜ存在しているのかわからなくなる。藤野裕子さん(早稲田大学)の『民衆暴力』には、そうした人たちが特に政治的な目的もなく、暴力を行使することで自分の存在を確認していく姿が描かれています。今こうした研究があらわれているのは、この流れが近代から現代を通してずっと日本の社会のなかにあって、現在またあらわれてきているからだろうと思います。

 

日本の社会は降りられない?

富永 学生時代、私は「ロスジェネ」世代の運動に刺激を受けたのですが、そこでは新自由主義と自己責任、努力主義の関係が強調された印象を受けました。ただ清水さんの『近代日本の官僚 維新官僚から学歴エリートへ』や松沢さんの著作を読んだときに、そういう価値観は明治から連綿とあるものなのだなと納得しました。

 明治や大正時代のエリートネットワークはかなり緊密ですよね。相互監視も働いているでしょうから、ポジションに敏感な人たちのネットワークから降りられない印象を持ちました。もちろん、本人が主体的に夢を持って社会を変えたり、エリートとして責任を負ったりすることに自覚的であればいいのだと思います。ただ、性別や階層といった点で同質性の高いエリート同士のしがらみと、そこで生じる競争から降りられなくなっている感じが、気の毒にも思いました。

 その降りられなさは、現在と通じるなと思います。いろいろな研究領域の方と話して感じるのは、同質性が高くて二十代でそのまま大学院に進む人が多い分野だと、降りられない人が結構いるなと思うんです。特に男性ですよね。「査読論文を出さなきゃ」「いい国際誌に載せなきゃ」といった感じですごく焦っている。その点、障害学やジェンダー論が象徴的ですが、マイノリティが多い分野であれば、そもそもそんなに研究に専心できる人ばかりじゃない、出産や育児で降りざるを得ない場合もあるから、そこまで降りられない感はしませんよね。勝手にその違いに引き付けて読んだりしていました。

清水 明治時代には降りられる人たちもいたんですよ。元老と呼ばれる人たちです。彼らが政治的に失敗すると、天皇から元勲優遇という勅語を賜るんですね。今回、君は責任を取って降りるが、私がきちんと君の立場を保証する。次に役に立てるときには戻ってきてくれということです。限られた人材はしっかりとプールされ、政治の安定性を支えている。その安全性があるから、彼らは政権が危なくなったら最終的な崩壊を迎える前に降りるんです。いわゆる藩閥政治の時代にも頻繁に首相の交代が行われていますが、それは藩閥政権というグループのなかにおける首班交代、つまり擬似的な政権交代でした。降りても政治的安定は崩れず、自分もいつかは復帰できる。

 戦前の政党政治もそうでした。立憲政友会と憲政会、のちに立憲民政党という二大政党があり、それぞれが政権担当をめざして鎬を削っていた。だからこそ、ひどい状況になる前に交代することができた。ところが戦後政治はそうではなかった。自民党に変わる政権担当勢力がなかなか現れず、自民党は降りることができないわけです。

富永 いわゆる今流行りの言葉で言えば、政党レベルで「心理的安全性」が持てない。

清水 そうですね。日本政治研究では五五年体制下の状況を「11/2政党制」と表現したりもします。二大政党制ではないということです。最大のポイントは日本社会党が責任政党として政権を担当する気がなかったことです。社会党は左右合同して最初の選挙以外では、単独過半数を取れるだけの候補者を出していません。全員当選しても自分たちが過半数与党になることはない。つまり、本気で政権を取る意思がないわけです。自民党からすれば、自分の相手として代わってくれるはずの政党が「取って変わらない」と言っているわけです。

富永 社会党は始めから「降りています」ということですよね。

清水 なので、自民党はずっとやり続けなければならない。降りられなかった。1993年の政界再編は、この降りられない状況を打開するために、社会党ではない、政権担当可能な第二党をつくることが大きな目的でした。

 他方、自民党のなかを見てみると、こちらはこちらで個人の再起がなかなか認められてこなかった。党内の競争が激しく、もう一度は出られない。事例としては吉田茂と安倍晋三の二例しかありません。こうした状況では、政治家はなかなか降りられない。降りられない戦後政治と降りられない戦後社会は、密接に結びついてきたと考えています。

富永 この場合、社会党はエリートとして責任を負っていないことになりませんか?

清水 政治的にはね。労働エリートではあるのかも知れませんが、政治エリートとしての責任はなかったというべきでしょうね。

 先ほど、女性の場合、出産・育児によって降りるタイミングがある、それに対して男性はそうしたタイミングがないので降りにくいというお話がありましたが、ここのところ、ようやく男性が育休を取るようになってきていますね。このことは男性にとって、降りるタイミングを得ることもできる、「男性らしい生き方」をシフトチェンジすることに役立っている気もします。

富永 そうですね。少なくとも自分は降りられませんでしたが、降りることを考える機会にはなりますよね。この後どうしようとか、自分がいなくても職場や社会が回ることを多くの人がそこで気付けるでしょうからね。

清水 実は私も育休を取ろうとしたことがありました。企業の育児サポートを研究する学生がいたので、この機会に私も自分で取得して考えてみようと思ったんです。

富永 いかがでしたか? 私の取れなかった育休(笑)。

清水 ところが、まさにその学生に反対されました。「私の卒業論文はどうなるんですか」と。教育は替えの効きにくい立場、職業ですし、そうだなあと。そんなことから、男性が育休を取るにはまだ時代が早いんだと感じました。

 ただ、企業でも官庁でも、ここ数年でずいぶん変わってきましたね。男性でも育休を取れるようになってきている。そうすると、一度最前線からちょっと降りることができる。ずっと最前線で戦い続ける人なんて、三国志の世界にしかいないですものね。

富永 最前線にずっと一人が立っているわけではなくて、実際はいろいろな人が立っているわけじゃないですか。一人抜けても誰も気にしませんよね。ただ自分にとって自分は一人しかいないから重く考えて当たり前ではある。けれども、自分は社会の取り換え可能な存在だともっと思ってしまっていいのかもしれない。

清水 どうしたら、そう思えるようになれるのでしょうか。

富永 むずかしい問題ですね。そこに多様性がありすぎることが効いてきてしまうのでしょうね。オリジナルな自分でありすぎるから、替えが効かないと思いこむ。

清水 夜の会議や土日の仕事を減らすという議論が出てきていますね。子育て世代からすれば、保育園や学童へのお迎えを考えると、せめて6時には終わって欲しい。土日は家族と過ごしたい。でも一方で、土日だと他の仕事と被らないからいいと言う人もいるし、上司や先輩には「オレたちはそうやって遅くまで働いてきた」と言う人もいます。

富永 ある種の経路依存性ですね。「自分は我慢してきたのにずるい」という社会運動への批判はよく聞きます。

清水 「ずるい」と言いたくなる気持ちはわかります。その人たちは家族との時間を犠牲にして仕事をがんばってきたのですから。先ほどの話でいけば、彼らは時間を家庭ではなく仕事に割いてきたから、家庭には居場所があまりないわけですよね。家庭での時間を大事にする今の子育て世代と自分を比べたら、羨ましいのは素直な気持ちでしょう。そこで抵抗するのではなく、シフトチェンジができるかどうかですよね。

富永 そうですね。ただ、「新しくやれ」と言うのと「変われ」と言うのはだいぶ違いますよね。未経験のことを新しくやるのはそんな難しいことではないのだけど、2030年やってきたこと、考えてきたことをいきなり変えるのは個人に負荷を強いているとも思います。

清水 そちらの側も多様性なのだと考えるべきなのですね。世代間の多様性として。

富永 古い価値と新しい価値の混在ですね。近年、社会運動に対してアップデートという表現をすることが増えているのが気になっていて。例えば、「性別はもはや二つだけではなくてたくさん存在する」という考え方は、考え方のアップデートである、といった言い方です。

 私は、それは古い人を置いてけぼりにするとも思うんです。2でしか考えられない人たちがあたかも「古い」とか、夫婦別姓や同性婚に反対する人たちがものすごい石頭のいわゆる「おじさん思考だ」みたいな言い方をしがちだけど、それをやっていいのかなという戸惑いもあります。いわゆる政治的にリベラルな側にいる私は、アップデートを他者に強いてしまおうとするんだけど、それをしてしまっていいのか、戸惑っているところはあります。

清水 押し付けてしまうわけですね。とは言え、大学教員をしていると、学生と接していて感じたことを伝えていく役割もあるなと感じます。

富永 そうですね。味方にもなりたいですしね。

清水 一方で、上の世代が持つ違和感もわかるところがあるので、両側の考えを伝えたいですよね。学生たちにストレートに伝えてみると、「その考え方は古いですよ」とか「いま言っていることは、私たち的にはアウトです」とか率直に話してくれます。批判するというよりは、違いがあると教えてくれる。まさに半学半教の世界です。

 会社では、なかなかそういう関係にはなりにくいでしょうね。世代が違い、経験も違うわけだから持っている価値観も違う。でも、ここ数年、私たちのコミュニケーションは劇的に変わってきている。対話と言わないまでも、お互いの違いを伝えられるようになればと思います。

 

「書く」ことで自分に強く囚われてしまう

清水 対話の対極にあるのが暴力であることは言うまでもありません。昨年、私は『原敬──「平民宰相」の虚像と実像』という本を書きました。この「対話」にお声がけいただいたのも、原の最期が今回の事件と重なって見える部分があったからでしょう。事件の前に、気がかりなことがありました。SNSで「原敬」を検索していると、今の政治家に対して「原敬のようになればいいのに」という書き込みが散見されるのです。安倍内閣でも、菅内閣でも、岸田内閣でも同様です。この人たちは、本当に手を出そうと思っているわけではなく、自分が抱いている不安や不満を書くことで発散しているのだと思っていました。

 大正時代も同様でした。政治的不満はないものの、国会議事堂に乗り込んだり、政党の本部に火をつけたりする。時代やツールは変わっていますが、同じことをしている。ただ、暴力を振って処罰されれば、現代ではその烙印は消えません。そのため、処罰をされない範囲で発散する方法が広がってきているように思います。富永さんはどうお考えですか。

富永 私は戦前から始まった「生活記録運動」や「生活綴方運動」の研究を枠組みの一つにしています。これは農村婦人や工場労働者など相対的に階層が高くない方が、日記を書いて自分の悩みを再帰的に問題化することで、自分は「こういうことを考えている人間なのだ」ということを認知してもらおうという試みです。同じように、SNSでも書いてしまうことで「自分はそういう考えなのだ」と強く囚われてしまうことはありますね。

清水 書くことで再帰的になるし、先鋭的にもなりますよね。原敬も青年期からずっと日記を付けていました。彼は普段からメモを書く習慣があって、週末になると鎌倉の別荘で自分に向き合うようにしてメモを日記にまとめなおしていました。彼にとって日記を書くことは心の平静を保つ手段であり、次への戦略を練る時間でもありました。

 原は死後に日記を公開するつもりで書いていたと言われています。将来の公開を意識したのでしょう。政権が射程に入ったころから顕著に記述がつまらなくなるんです。見せたい自分を意識しながら書いていたのだと思います。そうすると、やはり気持ちが苦しくなってくるんですよね。総理大臣になってからの原は、表情が明らかに強張っていきました。

富永 トッド・ギトリンという研究者が、メディアの注目を浴びることで社会運動参加者がどう変わるかという研究をしているんですが、どんどんアクティビスト然としていくんですよね。メディアの期待に応えて、攻撃的な物言いを自分からするようになったりもする。もちろん、報道する側がそこを切り取る側面もあるわけですが。そう考えると原敬も険しい顔をしたほうが周りの期待する政治家像を演じられると考えた可能性はあるかもしれないですね。

清水 演じるようになるというのはおもしろいですね。総裁になってからの原の変化は、人の話をよく聞くようになったと言われます。それまではやや才気が鼻につくと言われていましたから、意識して行動を変えたのでしょう。

 自宅には常に人がやってきて、たとえば学生が「大学行政について不満がある」と押しかけると書斎に招き入れてじっくり膝を突き合わせて聞くんですね。原は厳しい人として知られていますが、そうした面談の時にはとても柔和な顔をしていたと言われています。求められている像なのでしょうね。権力者であるからこそ、柔和に振舞おうとしている。それが今度はストレスになって、だんだん日常の表情が厳しくなっていく。運動家の人は、むしろ普段の表情が変わるのかもしれないですね。

富永 そこは権力者とは逆かもしれないですね。対抗的な位置を占めなければならないからこそ攻撃的になるし、メディアにもそれを期待されている。ただ、社会運動家は日本では攻撃的に思われがちですが、実際に話をしてみると一人ひとりはよく話を聞く人だし、勉強が好きな人ですね。私もよくある偏見というか先入観から社会運動の調査を開始したので、そのギャップはとても印象的でした。

 

政治は生活のなかにある

清水 大正期にはそうした対照的な両者が会う機会も用意されていました。警備を考えると問題ですが、当然のように家に招き入れて話しています。よく原敬は普通選挙運動に批判的で、暗殺が起きたのは普通選挙に反対したからだと言われたりします。けれども本人は亡くなる直前の日記メモにも「余の後は普選」と書いています。大正天皇の病状もあり、タイミングを図っていたのだろうと思います。

 象徴的なのは、男子普通選挙だけでなく、婦人参政権運動家も家に招き入れていて、活動資金を提供していることです。私たちが想像するよりも先を見て、対話を続けていました。直接に接触するチャンネルを持つ人たちは、自分たちの意見が伝わって、時代が変化していくことを実感していました。

 一般の人々から見れば、そうした原の動きは、パイプがある人たちを贔屓していると見えます。その象徴的な存在が財閥でした。第一次世界大戦後には戦後恐慌があり、物価が約2倍に上がって生活が苦しくなっていました。原からすればリーディングカンパニーに業績を上げてもらうことで、経済全体を回復していく策を描いているのですが、一般からは財界との癒着と見え、庶民の生活を考えていないという批判に晒される。やるべきことをやっていればいいのだというスタンスが強くあって、あまり国民とは対話をしなかったことは、彼の弱点でした。

富永 活動家とは対話をしたが、国民とは対話はしなかった

清水 声が聞こえやすい人とは対話をしていたが、声なき人たちにメッセージを発することは等閑になっていました。彼自身がメディア出身にも関わらず、です。そうすると、話を通すパイプを持つ人たち、ある意味で特権的な人たちだけの話を聞いているように見られてしまうのは当然ですね。

富永 活動家が特権的と見られがちなのは、現代にもある傾向かもしれませんね。政治に対して利害を主張できると。実際、安倍政権のもとでは社会運動をしている人びとが「こんな人たち」と言われたりもしました。実際には簡単に括れるほど同質的ではないですが、声を届けられる時間的余裕や知的資源はあるわけです。そういう意味で、「特権的だ」という言われ方は現在でもされますね。「声を出せない本当につらい人たちがいるのだ」といった言葉は、社会運動への批判として常に投げかけられるものでもあります。

清水 不満を声のかたちにできる基盤があるかどうか、どう活動したらいいのかをわかっているかどうか。それは大きな違いを生みますね。

富永 確かにそうですね。労働組合の人とお話していても、労組とはまったく関係ない一般の労働者の方々は、「そもそも何を要求できるんですか。何を要求していいんですか」とよく言われるそうです。労組の人が「傘立てを一つ欲しいとか寮にクーラーを付けてほしい、でいいんですよ」と言うと、ようやく「なるほど。そういう要求をしてもいいんですね」と気付いてもらえることがあります。

 だから、不満を持つことが何かとてもハードルの高いことだと思ってしまっているんですよね。私自身もそうですが、「そんなに不満はないです。自分はそこまでたいへんではない」と言ってしまう。「自分は現状で満足しています」って。

清水 不満を持っていると言いにくい社会、気付きにくい社会ということですよね。「政治」が大きく、なんだかすごいものだと思われてしまっているのでしょうね。

 原が暗殺されたとき、ジャーナリストの長谷川如是閑が興味深い指摘をしています。この事件が起こった最大の原因は、国民が政治を自分たちの生活とかけ離れたものだと思っていることにあると言うのです。政治は生活のなかにあるごく小さく見えることの積み重ねなのに、なんだか遠くにある大きなもののように見ている。だから、経済が悪いのは政治が悪いからだ。それは指導者の責任だと短絡的に考えてしまうのだと。

 長谷川は、肩ひじを張らず、日常の中で感じた不便さや生きにくさを変えていこうとすればいいのだと述べます。それを続けていけば自分たちも変わっていけるし、社会も変わっていく。そうした日常への問いかけをすることを説き続けています。

 現代で言えば、よく聞かれる「若者は政治に関心がない」という、ものすごい上から目線な言葉がありますよね。学生たちと話すと、「勉強していないから選挙なんか行けませんよ」と言う。「関心を持て」ということが、かえってハードルを上げてしまっている。ハードルを下げていく意味でも、日常の中で小さなことを言っていいんだという労組の方たちの言葉は、変化の大きなカギになると思います。

富永 それこそ安倍元首相との関係で言うと、北海道で野次を投げかけて警察に排除された男性が「もっと、いちいちいろんなことに対して不満を持つトレーニングをしなきゃダメだ」といったことを言っていました。「なぜATMの手数料をとられなきゃならないんだ」とか、もう本当そういうレベルのことでいいと。それをいちいち考えていかないと「いざ政治に関心を持とうとしても政治がものすごく遠くなる」と言っていました。それはすごくわかる気がしたんですよね。いきなり選挙日当日になって、「どんなことに不満があるのだ」「何をして欲しいのだ」と言われても、要求なんか生まれてこないですよね。

ノイズを許容できなくなっている

清水 インターネット上の言説を見ていると、せっかく議論の場があるのに、結論ありきのキャンセルカルチャーになっているのがとてももったいなく思われます。今のATMの手数料のケースで言えば、話し合っていけば建設的な解決の方法に近づけるはず。けれども、その不満の出方が「あいつを辞めさせろ」と。

富永 ゼロかイチかになってしまうということですね。

清水 そう、ゼロかイチになってしまう。不満が政策やサービスではなく、人に向かってしまう。それはわかりやすいのだけど、生産的ではない。なによりそうしたコミュニケーションでは相手を削ってしまうし、自分のことも削ってしまう。社会全体がすり減ってしまう。

 もっと具体的な政策のところで、ここに問題があるよね、そこは変えたほうがいいよねという、議論と対話がメインになっていればいいのだけど、そこが一足飛びになっている。しかもスピードが速い。人ではなくて、モノやコトを議論の対象にできると、もう少しギスギスせずに、前を向いて話せる気がします。

富永 「個人的なことは政治的なことだ」というフェミニズム運動の言葉があり、私もすごく好きなのですが、ただ、それは衣食住とか、生活の実践で時間をかけてやるものだとも思います。例えばウェブ上の言葉や表象を一つひとつ取り上げて、教科書的な「正解」から批判をすれば話題にはなるけれど、それで本当にいいのかどうか迷います。

 オンラインとオフラインを過度に対立した空間として見るのはあまり好きではありませんが、実際の職場で仕事をしているのとウェブ空間はやはりまったく違いますよね。職場では、教科書的には同意できないことでも、個人としては妥協しなければならない局面はいくらでもあるわけですよね。そういうことを考えると、オンラインのギスギスは妥協することなく突っ走れるから生まれてしまうのではないかとたまに思うんです。

 オンラインの社会運動を見ていてもそれを感じます。それ以前からSNSなどを活用する動きはありましたが、コロナ禍で社会運動のオンライン化が一気に進みましたよね。それこそ、朝に東京オリンピック関連で問題発言をした人が夜には辞任しているような、ものすごく回転が速くなった瞬間がありました。それぐらい、ある種の「正解」だけで有無を言わさず突っ走ることができる。24時間で社会が変わる経験をしたことは、私たちから何かを奪ったかもしれないですよね。

 それで2年の時を経て職場に戻ると、実際の職場はずっとノイズに溢れているわけです。例えばリベラルに見える同僚が、ルッキズム(外見に基づく差別または偏見)的な発言をしたりもする。そこで、あなたは今ルッキズムに基づいた発言をしましたよね、という、ある意味でインターネットと同じようなことを言ったとしても、もちろん指摘することは大事だと思うけれど、私たちをとりまくノイズが急に消えてクリーンな空間になるわけでもない。

清水 分断とまでは言いたくないけれど、確かに深刻な分化を感じます。日常的に対面のコミュニケーションがとれていないためか、それぞれが強く自分の主張を打ち出してぶつかることが増えている。オンラインでふと漏れた本音がオンサイトでのコミュニケーションに繋がっていくことを実感する場面もありますね。

富永 ノイズを許容できなくなったなと自分も感じることがありますね。

清水 現実世界では許容していたことが、オンラインでは許容できなくなっていく。

富永 私はいまインターネットの報道番組に出ているんですが、気づかずセクシズムに基づいた発言をしたり、ペットボトルに入った水を飲んでいると、同じような政治的立場の人から「その言葉は差別でしょう」「環境に良くないのでは?」と指摘されることがあります。もちろん一つひとつの指摘は自分の政治的立場に照らしても「正しい」とは思うし、反省もします。ただ、そういう指摘が瞬時にきてしまうと、自分だけ不当に首尾一貫性とか清廉潔白性を求められるような気がして、苦しくなってしまう。

 たぶん私だけでなく誰しもこうしたノイズはあるものだと思うんですが、運動的なコミュニケーションがそれを許容しづらくなっていく。もちろん私がここで言う許容できない側、指摘側に回ってしまうこともあるわけですが。

 

元から分人です

清水 最後に今回の事件について、原敬の時と対照しながら触れておきたいと思います。原を暗殺した人物はもとは印刷工場の見習い行員であり、犯行時は国鉄で転轍手として働いていました。栃木から東京に出て、働き、恋をして、成功を得ようと脚本の懸賞にも応募していたといいます。

 懸賞に落ち、恋に破れたころから、世に倦むようになる。折からの不況のなか、大手メディア含めたジャーナリズムは原内閣の政策を批判し、それは時に首相個人のプライバシーを暴くなど、センセーショナルなものになっていました。もちろん、それが読者に受けるからメディアは書くわけです。そこにはメディアと国民の共犯関係がありました。

 そして、前月に安田財閥の総裁である安田善次郎が暗殺され、その容疑者がメディアでもてはやされる。彼もそれに続くように原を狙いました。

 今回の容疑者も、競争社会のなかで生きていましたが、家庭では不幸が続きました。自己実現を果たすことが大きな価値を持つ社会でそれが達成できそうもなくなった時に、次の、他の道はなかなか見出しにくい。家庭が不安定な時に、安住の場もなかなか見つからない。冒頭の議論で言えば、属性が細かく多様化してしまっているときに、セレクティブではない、自分らしくいられる場所や機会をどう増やしたらいいのかという課題がクローズアップされるように思います。

富永 若いアクティビストと話していると、どうもセレクティブという感覚がそもそもないんですよね。「本当の自分がどこかにある」といった感覚はあまりない。「ここではこの自分」「こちらではこの自分が本当」みたいな感じですね。作家の平野啓一郎さん言うところの分人化がかなり進んでいて、「元から分人です」みたいな感じなんですかね。そういう考え方もあるのかなと思いました。

清水 もはや分人化は前提になっていて、いくつか居場所があることでバランスが保てるということですね。分人化している時は、それぞれの場所で自分の顔をするから、割と気は楽でいられますね。自分ではなく、居場所のほうがセレクティブになっている。気が楽になれる場所があって、そこに戻ってくると気が楽な自分がいくつかいれば、それ以外のこともまあやっていける。

富永 先ほどの原敬の話で、メディアと国民の相乗効果によって報道がエスカレートしていったという箇所はとても気になりました。よく理解できるのは、メディアってこういうときに人を見ますよね。原であったり犯人であったり、あるいは今回の事象だと安倍元首相であったり、犯人であったりとなる。社会運動の報道にしても、一人のアクティビストが着目される。つまり気候変動問題ではなくて、グレタ・トゥーンベリさんばかりをフォーカスする傾向があります。原敬をめぐる報道でも、なぜこうした人に着目するかたちでのエスカレートした報道がなされてしまったのでしょうか?

清水 政治は人で動くというイメージがまだ根強いのでしょうね。やや古い見方かなという気はしますが、「政治はアート」と言われますし、政治学は人を見る学問でもある。実際、人で動く、人で変わることもあるのは事実です。けれども、実際の政策は実に多くの人がかかわってできあがっている。表に立つ政治家の後ろにはアノニマス(anonymous:匿名の)な官僚が多くあり、そこから政策ができている。それにもかかわらず、情報はどうしても「首相が」や「大臣が」と個人にフォーカスして伝えられる。わかりやすいからでしょうね。

 学生と話をしていても「政治や社会を変えるためには政治家を変えればいい」とか「大臣を変えればいい」といった意見が出てきます。政治学を学ぶと、このあたりの理解はしっかり修正されますが、メディアの報道の仕方や社会の理解が変わるところまでは辿りついていません。ここは、私たち政治学者の努力がまだまだ必要なところなのだと感じています。

富永 5年前に活躍したSEALDsもアノニマスなメンバーや賛同者がいっぱいいて彼らを支えていたけれど、フォーカスされたのは数人の若者たちでした。それがバッシングにも繋がってしまった。そういう幻想から変えていかなければ、社会に対して当事者感は出てこないですよね。

清水 幻想ではなくて現実を見て書いていかないと、当事者感は生まれてこないのでしょうね。先日、学生たちに自民党の政務調査会の写真を見せたんですが、その反応は意外でした。政党は利権に執着して政策を勝手に決めているイメージがあったのだけれど、民間の当事者からしっかり話を聞いて、きちんと議論していることにびっくりしたというものでした。

 「個人的なことは政治的なことだ」というお話がありましたが、政治は生活のなかにあるという考え方と合わせていく必要を改めて感じました。「パイプがない」と座して不満をかこつのではなく、距離を縮めて、対話していく。議論をしている場を具体的に知っていれば、見方も、向き合い方も変わり、提案もできるようになりますよね。自分たちの言葉が通じる場がきちんとあること知っていれば、当事者感のある対話が生まれてくる。期待はそこですね。(終)

 

清水唯一朗・慶應義塾大学総合政策学部教授
しみず ゆいちろう:1974年長野県生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。政治学と歴史学を横断した日本政治外交史、オーラルヒストリーを専門として、近代日本政治の研究を進めている。博士(法学)。2007年慶應義塾大学総合政策学部に着任し、現職。米・ハーバード大学客員研究員、台湾・国立政治大学客員副教授、ドイツ・ルール大学客員教授として日本研究の国際交流にも努める。著書に『原敬』『日本政治史』(瀧井一博、村井良太両氏と共著)『The Origins of Modern Japanese Bureaucracy』(英Bloomsbury)『近代日本の官僚』『政党と官僚の近代』などがある。

 

富永京子・立命館大学産業社会学部准教授
とみなが きょうこ:1986年北海道生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員を経て、2015年より立命館大学産業社会学部准教授(現職)。現代日本の社会運動を文化的側面から検討し、日本人の「社会運動嫌い」に関する調査研究を行う。博士(社会学)。著書に『社会運動のサブカルチャー化』『社会運動と若者』『みんなの「わがまま」入門』がある。
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