『公研』2019年6月号「めいん・すとりいと」

清水唯一朗

 SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)という一風変わったキャンパスに来て13年目の春を迎えた。文理融合と情報革命を掲げて生まれたこのキャンパスも来年で30歳になる。「新味がなくなった」「元気のある学生がいなくなった」と嘆く教員も見られる。そうした方には敢えて言うようにしている。「それは、先生に元気がなくなったからですよ」と。

 学生は実によく見ている。今、どんなテーマがアツいのか、どの分野が面白くなるのか、何が自分の未来を拓くのか。とりわけ、人を見ている。教員が、研究室の学生が、そのテーマをどれだけ楽しんでいるかを。つまり、元気のある学生がいなくなったと感じたなら、それは自分に元気がなくなったということだ。自戒を込めて、そう思う。

 空前の売り手市場のなか、企業も同じように見極められている。企業の側も内定者を引き留めようと、優秀な若手をつけてコンタクトを取り続けている。

 しかし、彼らは言う。こうした優秀な若手社員は「いい人なのだけど、面白くない」のだと。まるでカップルが別れるときのセリフだ。なぜかと聞いてみると「だって、会社のことしか知らないんですよ」という答えが返ってきた。

 さほど年の違わないはずの学生と若手社員だが、彼らのあいだには埋められない溝がある。それはキャリア観だ。もちろん、若手社員の中には他社に転じることを考えている向きもあるだろう。しかし、内定者に付けられるのは社内でも認められた優秀な社員、すなわち、メンバーシップ型雇用の優等生にほかならない。

 他方、目下就職活動中の学生に終身雇用という未来はない。トップ企業の幹部が口々に言うのだから、ない。そう理解している。若手社員からすれば学生は身近な存在だが、学生から見れば彼らは古い時代のもとで生き抜けようとする「おじさん」なのだ。

 将来の転職を前提とする学生たちはその会社で何を身に付けられるかを考える。ジョブ型のキャリア形成だ。ジョブ型で勝負するためには、社外に出て知識と感性を磨く機会が欠かせない。

 大学教員は7年に1年ほどのサイクルで、知識を更新するための休み、サバティカル休暇を取る。最近は企業でもこうした創造的な休暇を設けるところや、毎月1日は社外で見聞を広めることに使う取り組みが出てきた。歓迎される流れだ。

 そこまでいかなくとも、定時退社し、街で買い物をして、ワークショップに顔を出し、友人たちと飲んで、家族との団らんに興じる。それだけでどれだけ個人が、会社が、世界が明るくなるだろうか。都会こそ、そうした場になることができる。かつて、いつまで都会で擦り減っているのかと問うブログが話題になった。もはやそうではない。

 わかっているが、そんな余裕はないと言われるかもしれない。教育の現場にも余裕などない。しかし、そう言っているところから人材は寄り付かなくなっていく。

 現に、終身雇用がなくなるなか、それを保証される国家公務員(総合職)でさえ、2017年に20591人、18年は19609人、今年は17295人と大幅な志願者減に晒されている。民間で働き方改革が進むなか、公務員は取り残され、危機に瀕している。早く手を打たなければもたないところまで来ている。企業もそうだろう。

 変わったキャンパスで特別な学生を見ている教員の偏見と思われるだろうか。そうかもしれない。しかし、このキャンパスは「何か変わったこと」を一歩先にやってきた。

 ここで起きる変化は「特殊」ではない。攻めるにしても、守るにしても、叶うものなら奴雁でありたい。

慶應義塾大学教授

 

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