『公研』2024年9月号「めいん・すとりいと」
AI(人工知能)についての関心が高まっている。数年前のロンドン・エコノミスト誌は、これまで何度かAIのブームが来たが、期待ほどの成果は出してこなかった、さて、今回はどうかとやや懐疑的なトーンだった。しかし、今やAIが経済や社会、そして人間のあり方まで変える技術であることを疑うことは難しい。実際に自動翻訳やChatGPTを使ってみて、その威力に驚いた人も多いだろう。AIが人類に恩典をもたらすことは間違いがなく、同時にそれが生むさまざまな問題にルールや規制が必要であることもコンセンサスになっている。
AIに関する根本的な問いかけの一つは、人間はAIとどこが違うのかということだ。既に研究者も多く議論していることだが、重要なのは感情の存在ではないか。もちろん、AIもさらに高度化していけば感情(に似たもの)は持ち得るという指摘もある。たとえば、家に帰ったところで話しかければ、笑顔で迎えてくれて、本人の特性に最も適切な形で励まし、寄り添ってくれるようなAI搭載のパートナー・ロボットができるかもしれない。今でも、パソコン上で二次元の異性と動画やゲームで交流するほうがリアルな異性と付き合うより面倒がなくてよほどよいという人もいるのでAIは感情めいた機能をある程度果たせるだろう。
しかし、人間の感情の多くは、有限の生命を持ち、世代を越えた存続のために異性を求めるという、生物としての人間から来ているのであり、そこがAIとは決定的に異なるのではないか。感情の中には、同情、共感、情熱、向上心など前向きのものもあるが、嫉妬、敵愾心、リゼントメントなどしばしば紛争や悲劇の原因となるものもある。最近の世界の動きを見ていても、歴史を逆戻りさせたような紛争が繰り返されている。人間の合理性が、自分や家族、コミュニティの平和と繁栄を願うということであれば、合理性に反していると思われるような行動を人間は繰り返してきた。
一方で、合理性では説明のつかない感情こそが人類をここまで発展させてきたとも言えるだろう。他のコミュニティとの戦いは世界を広げ、文化を多様化させ、交易することにもつながった。あくなきライバル意識は、科学や技術の発展、経済活動を促進した。名誉心も合理性で説明できると言われればそれまでかもしれないが、なぜ誰も求めていないのに、平穏な生活を捨てて、何もない極寒の高山や北極や南極にまで命をかけて行かなければならないのか。
南極の極地点に最初に到達したアムンゼンもそうだが、その先生であるナンセンによる北極探検の試みはもっと興味深い。流氷に閉じ込められて流れて行けば北極点に到達できると考え、1893年に13人の男たちは氷の圧力に耐えられる卵型のフラム号で北極をめざした。結局北極点までは到達できなかったが、1896年に全員無事に帰国できた。アジア開発銀行時代に加盟国訪問の一環でノルウェーを訪れ、博物館に置かれたフラム号を見たが、6年分の食糧を積んでいたのに、アルコール類は早々になくなってしまったらしい(さもありなん)。航海しているならともかく、小さな船で氷に閉じ込められた数年の遠征を企画するとは、人間というものは何と「ばかげた」ことをやるのか、しかしやはりすごいと思った瞬間だった。
オリンピックの自国選手に対する応援と他国の選手にも投げかけられる奮闘を称える声援、野外ステージでのコンサートに熱狂し、共感しあう人々、将棋で人間はAIにはかなわなくなったけれど藤井聡太の対戦の一挙手一投足をインターネットで見守るファンたち、災害現場に駆け付けるボランティア、いずれも人間のポジティブな感情の発露を感じさせる。人間の感情の働きは、あらゆる仕事の場、教育や医療の場でも力を発揮している。ゴリラの研究で有名な山極壽一・元京都大学総長は、「言葉に頼りすぎずに、態度で感情を示すことが大事だ」と語っている。人間らしい感情を大事にし、同時にそのネガティブな部分をどうマネージしていくかは、AI時代の人間にも問われ続けている。住友商事顧問、国際経済戦略センター理事長