『公研』2019年8月号「interview」

マルチ・アーティスト イ・ラン 

音楽家、漫画家、 そして文筆家としても注目を浴びるソウルのマルチ・アーティスト、イ・ラン。

鮮烈な印象を刻むアジアの新しい才能に、今の社会はどのように見えているのだろうか?

創作の源泉について話を聞いた。

我々は「患難の世代」を生きている

──韓国でも日本でも大きな注目を集めるようになっています。7月(2019年)の来日公演でも会場はファンで埋め尽くされていました。イ・ランさんの音楽やイラスト、エッセイなどに触れる人が増えています。環境の変化をどのように感じていますか。怖くはありませんか?
イ・ラン 「怖い」と感じることはありますね。ライブのときは、客席を見渡せる照明をお願いしています。そうじゃないと、お客さんたちが人間に見えないと思えてしまうことがある。私は、来てくれたお客さん一人ひとりの顔を見たいんです。私の仕事は、人間と人間の関係から出てくる感情を表現することだから、皆さんの表情を見ながら歌うことはとても大事なんです。けれども会場が大きくなってくると、照明を点けても私の視野には入らないお客さんが出てくることになって、多くの人たちがただ静かに座っているかたまりのように感じられてコミュニケーションをしているとは思えなくなってしまう。

 今はどんどん大きな会場でライブをやるようになっています。ソウルでやるときは五人のバンドで演奏することが多いんですが、海外で演奏するときは予算に応じて編成が変わります。日本に来るときは、経費内で収めるためにミニマルセットになってしまいますが、その中でもチェロは私の音楽にとって一番必要な楽器で外せない。やっぱり五人のときは安心感があります。一人や二人で演奏していると、舞台のすべての責任が私にあるようで怖い。500人のお客さんがいても、五人編成なら一人あたり100人だから。最近ではインスタグラムに写真とメッセージを載せても多くの人が反応してくれて、「こんなに多くの人が見るようになったんだ」と驚いています。嬉しいことでもあるけど、この先どこに行くのだろうと不安に思うこともあります。一番怖いのは私が何をやっても何を言っても、みんなが「キャー! キャー!」となってしまうこと。

──アイドル(偶像)にはなりたくない。
イ・ラン そう。お客さんから「上にいる人」と見られることは、とても嫌です。お客さんとも対等の人間同士の関係でありたいんです。

──韓国のアイドルは日本でも大人気のグループがいくつもありますが、ショービジネスの匂いが強過ぎるとも感じていました。そんななかで、日常のリアリズムを歌うイ・ランさんの音楽は、鮮烈に聴こえました。ビッグネームとイ・ランさんとでは、同じ音楽業界でもだいぶ距離があるのでしょうか?
イ・ラン 私はインディーズのアーティストですから、彼らと比べたらずっとマイナーな存在です。でもアイドルの知り合いもいるし、ミュージシャン以外にも有名な芸能人と一緒に仕事をしたこともありますから、彼らのことを別世界の人だとは思わない。ただアイドルでいることは、人間的な仕事ではない部分もあるから、あの世界で生きていくことは本当に大変だと思います。特に人気がある人はすごく大変でしょう。

 同い歳でアイドルをやっている友だちがいるんです。彼女は、「この仕事は考えるとできないよ」と言っていました。それを聞いて私が「大変だね」と理解を示すような返事をするのは、ある意味では上から目線で接することになるので違うなとも思っています。もうちょっと自然に自由にいて欲しいと思っているけど、そこまで深い話をする方法が自分でもまだわからなくて私の宿題になっています。

 たまに会うと、その人の家や漫画喫茶に行って、一緒に隠れてタバコを吸わせてあげたりしています(笑)。彼女がタバコを吸っているところを写真に撮られたり、それがバレたりすると──未成年じゃないから「バレる」と言うのもおかしいんだけど──問題になる仕事だから。

──日本ではイ・ランさんのことをソウルの「弘大(ホンデ)シーンを代表する才能」と紹介されることがあります。ホンデはどんな街なのですか?
イ・ラン ホンデは弘益大学校という大学周辺の地域で、もともとは静かな街でした。それが十数年前からインディーズのクリエーターが集まるようになった。ホンデに行けば、私のように何かを創作したい人がいて、交流や協力ができる場所になっていったんです。でも今は、日本の渋谷や新宿のようにブランドの店舗がいっぱいある、ただ煌びやかな街になってしまいました。もともとそこにいた人たちは、家賃が高くなったこともあって外に出ていってしまいました。ホンデにもまだ文化的なイメージは残っていますが、正直に言えばおもしろい街ではなくなってしまった。個人的にはもう歩きたくない街です。

──大きな資本が入って退屈な街になった?
イ・ラン そうですね。ライブハウスが集まっているから仕事で行くことは多いけど、そのときはサッと行って、終えるとサッと帰るようにしています(笑)。「若者の街」とか「サブカルの発信地」なんて呼ばれるようになってから、もともとの地域からホンデと呼ばれるエリアがどんどん広がっているんですよ。今では大学からすいぶん離れたところまでホンデになりました。

──ライブで演奏された『患難の世代』という曲が印象に残りました。歌詞に「大切な私の友達たちよ みんなで同時に死んでしまおう その時が来る前に まず先手を打ってしまおう」とあります。ずいぶん悲観的だなと。
イ・ラン 私の視点からは、世の中のみんながすごく辛そうな人生を生きているように見えてしまうことがあります。そこには好きな人も友だちもいて、その人たちが苦しむ姿を見たくないんです。だけど私にはそれを解決する手段はない。私には特定の信仰はないけど、神様も何もしてくれないと感じてしまう。それじゃあ滅亡してしまうことしか答えがないんじゃないかと。そんなディストピア的なイメージを詰め込んだ曲です。

──現代の韓国を示唆しているのですか?
イ・ラン 老若男女、住んでいる国を問わずに全人類が「患難の世代」に生きていると思っています。

──我々日本人も「患難の世代」であると。辛さとは具体的にどういうことなのでしょうか?
イ・ラン 一言では言いにくいです。まずは病気がそうだし、自然災害や事故に遭うことも患難です。どんなに備えていても、そこから完全に逃れることはできない。それから社会のなかに貧富の格差が生まれてしまうことも患難。「アメリカンドリーム」や「頑張れば報われる」などの言葉は、人々に希望を抱かせます。良く聞こえる言葉だけど、努力したからと言って必ずしも報われるわけではないから、希望を持つこと自体も一つの患難になってしまう。今の社会のシステムでは、そこから逃れることは難しい。私は現代の韓国に生まれ育ったので、他にどんな社会のあり方があるのか、それがどんな感じなのかはわからない。想像しようもありませんが…。

「傑作をつくりたい」という意気込みはない

──ライブでの歌声は感情を振り絞るようでした。あそこまでテンションを高めて、すぐに普通に戻れるのですか?
イ・ラン ライブは曲をつくったときの感情を限られた時間で伝えないといけないので、演技しながら歌います。そのときは、「今日は仕事を頑張ろう」って思っています。感情的になるのは曲をつくるときですね。一人の時間だからテンションが違います。そのときの感情でそのままライブをしたら、客席に話しかけたり、MCでおもしろい話をして人を笑わせたりすることはできないと思う。ライブのときはチケットを買ってくれた人のために、その時間をきちんと楽しんでもらおうと考えています。

──ライブのときにお客さんと楽しくお話をされていて、事前に抱いていたイメージとはずいぶん違うと感じました。
イ・ラン SNSを見たら「もっと不機嫌な人だと思っていました」という感想をいくつか見ました。私の音楽や写真は、クールな印象を与えるのかもしれないですね。自分の顔だからわからないけど、無表情でいると冷たい感じなのかもしれません。

──いわゆるフォークソングに分類できる、とてもシンプルなスタイルですが、少ない音と言葉で世界を切り抜いているような印象を持ちました。音楽のイメージやかたちは最初から頭のなかにあるのでしょうか? 
イ・ラン そんなことはないですね。人間の仕事だから、アイデアがフワッと湧いて降りてくるようなことはまずない。集中して感情に乗っている時間はあるけど、その後にまた考えて計算して、つくり直す作業が必ずあります。それが人間の仕事ですよ。文章もイラストも映像も当然そういう作業が必要になります。日々の作品づくりでは、「失敗したなぁ」の繰り返しです。

 完成されたものが突然降りてくるなんていうのは、空想ですね。大作家はそういう話をしたりしますが、それは受け手が相手を大作家として見るからです。そのイメージがあるから、何をしても、何を言っても拍手されてしまう。それは、大作家を上の人間として眺めるシチュエーションがそうさせているのだと思います。

──2ndアルバムの『神様ごっこ』は、大作家の大傑作だと私は思いました。多くのリスナーもそう感じたのではないですか? 最初に聴いたときには韓国語で歌われているとはわかりませんでしたが、普遍性や同時代性があるように感じました。
イ・ラン カムサハムニダ。だけど、私にはできないことがいっぱいあると感じています。音楽や話をつくる才能はあるのかもしれないけど、それは私がそこに時間を費やしたからだと思っています。誰だって同じように何かに時間を使って、練習すればかたちになるものだと思います。ソウルで子どもたちを対象に音楽をつくるワークショップを開いていたこともありますが、やり方を教えるとみんなができるようになることを知りました。ほとんどの人は、経験していないことに対しては「才能がある!」と思ってしまうんじゃないかな。もっと芸術的な答えを期待されていました?

──インスピレーションは備わっている人のみに宿るようには思っていましたね。
イ・ラン 寝て、朝目覚めたら音楽が湧いてくることなんて少なくとも私にはありません(笑)。それに「傑作をつくりたい」という意気込みも私にはないんですよ。イラストでもエッセイでもそれは同じです。最近イラスト集『私が30代になった』を発表しましたが、その日本版の帯に漫画家のいがらしみきおさんからコメントを寄せていただきました。実際の帯には、「イ・ランさんの絵がうらやましい。こんな絵を描きたかった。こんな本も描いてみたかった」という言葉が載っていますが、もともとの文章には「傑作を書こうという努力がなくて良かった」という一文もあったんです。それを読んで、「あ! わかってくれている」と。私のつくるものは日常的に自分の人生を生きていながら、感じていることをただ綴っていくだけのことだと思っています。

自分以外の人生をきちんと想像したい

──発表された過去の作品には納得されていますか?
イ・ラン 納得はしているけど、作家としてどんどん成長している感じではないですね。ただ失敗を繰り返しながら、変わっていっていることは間違いない。音楽で言えば、1枚目のアルバム『ヨンヨンスン』は自分の家族と恋の話が中心でした。2枚目の『神様ごっこ』は社会人になって、社会のなかで芸術を仕事にしている経験を通じて考えたことが盛り込まれています。歳を取って多くの人に会ったり、友人が亡くなったり、いろいろなことがあって、そこから浮かび上がってきた感情を曲にしてきました。

 今は自分自身のことではなくて、私ではない他人の人生の話が気になっています。東京のライブで『よく聞いていますよ』という新しい曲を歌いましたが、歌うようになってから、いろいろな人が「よく聞いていますよ」と言ってくれるようになりました。私の音楽を聴いてくれる人たちの人生がどんなものなのかきちんと想像したくて、今はそれをかたちにする途上ではないかなと考えています。

──自分自身を表現することがしんどくなった?
イ・ラン 私の歌は、一人の人間が社会で生きていくことの意味を問い掛け続ける質問だったのだと思います。そのとき、人生を辛いものだとずっと感じていたから周りが見えていなかった。自分のことしか考えていなかったのだと思う。けれどもデビューして、音楽を教えるワークショップで活動して、そこで出会った人たちの人生を聞くことで自分以外の人に関心を持つようになりました。

 みんな「自分は平凡です」と言うけど、話をしたら全然そんなことはない。自分とはまったく違う人生を歩んで来た人たちと会って、彼らと話をしていることが私にとってはとても驚きのある経験でした。それを次のアルバムのテーマにしたいと考えています。

──音楽以外にもイラスト、漫画、映画監督とマルチに才能を発揮されていますが、今後もすべてで創作活動を行っていくのですか?
イ・ラン 16歳のときに高校を中退して、家出をして最初に得た仕事が漫画を描くことでした。それ以来ずっと仕事を続けています。韓国芸術総合学校に進学して映画の演出を専攻して、大学時代から歌も歌うようになりました。漫画もイラストも音楽も映像も依頼があったら、できる限りやってみようと仕事をしてきました。それが生活の糧ですから、休んではいけない立場です。本当はお金があったら仕事を減らして、もっと余裕のある生活をしたいんですけどね。

──仕事で知らない人に会うと「あごが痛くなる」とエッセイに書かれていました。今日も痛いのですか?
イ・ラン あごに痛みが出ることはあまりなくなりました。今日も大丈夫です。けれども、他の症状が出てきてしまった。大学生のときは一人で曲をつくって歌っていましたが、それを仕事だとは全然思わなかった。ただ楽しんでいるだけでしたが、社会に出てアーティストとして仕事をするようになってからはそうはいかなくなった。あれもこれも仕事で、いつも仕事のことばかり考えているから休日もあまり楽な感じで休めない。余裕ができて何をするかは想像できないけど、休みたいです。

家族や親子であっても人間関係は一対一

──16歳で家出する原因になったのが、家族とうまくいかなかったからとエッセイにありました。特にお父さんとは長く疎遠だとか?
イ・ラン 今のお父さんは歳を取って、性格もだいぶ柔らかくなってきました。若い頃の罪──浮気を繰り返してあまり家にいなかったことや私に大きな声で怒鳴り散らしたこと──なんかを60代になった今のお父さんは考えたくないみたいです。でも、私はそのときのお父さんを今でもとても憎んでいます。小さいとき、私はずっとお父さんが怖かったけど、今はお父さんが私のことを怖いと感じているようです。ただ、そのことをお互いにわかるためにきちんと話をする場を持つことはまだできていなくて、曖昧なままで生きている途中です。

 私は、家族や親子であっても人間関係は一対一だと思っていて、私が社会に出てつくっている人間関係と同じだと考えています。納得できないのに、ただ親と娘だからといって「話さなくてもわかる」とか「家族だからいいや。そういうものだ」と片付けてしまうのは、私は絶対に嫌です。だから、きちんと話したい。

 最近お父さんにも「親子関係ではなくて、一人の人間としての関係だと思ってください。きちんとあなたの話をしてほしい」と言ったんですが、納得しているのかどうかはわからない。私は、「まだまだ子ども時代に受けた恐怖感を引きずっている」と伝えていますが、お父さんはそれをどのように受け止めてどう話せばいいのかまだわからないみたいで、私の言葉にびっくりしています。だから私は、お父さんに宿題をつくってあげたと思っています。

何らかの主義や立場を代表しようとは思わない

──親子関係がうまくいかないことは、どこの社会でも見られることですが、韓国ではそうしたことを友人同士で語り合ったり表現したりすることは一般的なのですか?
イ・ラン 全然しませんね。未だに家父長制的な価値観が残っていて、30代の同世代の周りの友人と話をしていても、家族の問題についてはみんな話すこともなく我慢してしまっています。私はたぶん一番正直なほうでお父さんやお母さんに「それは人間関係の問題でしょ!」と話せるけど、ほとんどの友人は親に伝えたいことがあってもそれができないでいる。家族の問題でつらい感情を抱えている人は、それをずっと持ち続けてしまっている。私はそれを改善したいと思っていて、自分の表現で少しでもそういう気持ちを緩和させることができたらいいなと願っています。

──『文藝』2019年秋季号の「韓国・フェミニズム・日本」の特集ではエッセイを寄稿されていますね。フェミニスト的な立場でのご発言が増えているのですか。
イ・ラン 先日ハン・トンヒョンさん(日本映画大学准教授)とお話ししたんですが、○○主義という括りで力を持つと、結局はその人自身が疎外されてしまうことになる、ということをおっしゃっていました。その通りだなと思います。フェミニズムとかフェミニストという立場を強調すると、私がちょっとでもそうした考え方から外れたことを言うと、「フェミニストなのにあんなこと言うなんて!」と攻撃されたりする。

 今はフェミニズムが時代のテーマになっています。『文藝』に掲載されたエッセイ「あなたの可能性を見せてください」は、いま準備している短編集からの一遍です。編集部が選んだのですが、「なんでこれを選んだのだろう?」とびっくりしました。この原稿はいろいろな性のあり方や男女の社会における役割分担をテーマにしているから、フェミニズムものとして読めるから特集のテーマにも合ったのかな。

──すぐに何らかのレッテルを貼ることで、その人物や物事を理解しようとする人は常にいますね。
イ・ラン 私は何かの主義を代表するのではなくて、イ・ランという人間を自然に見せたいと思っています。○○主義が強くなるとそのままの人間ではいられなくなってしまう気がしていて、それこそが問題です。どうすれば私も他の人も自然にいることができるのか、それが私に課せられた永遠の宿題ですが、この問題を解決することはとても難しい。どうしても人は、「認められたい」とか「誰かの上に行きたい」あるいは「誰かの下に行きたくない」という気持ちになる。そういう気持ちが混ざっているから、なかなか自然ではいられない。特に若い人たちはお金がないこともあって、なおさら余裕を持てない。

 フェミニズムの文脈で言えば、歴史的に男性は女性をお花のように一つの商品として見なしてきたのだと思う。そうじゃなければ、男性が女性の上にいる感じではなくなってしまう。男性はその立場を守りたいから、女性に対して「弱くて柔らかい」というイメージを植え付けてきたところがあります。けれども、そんなふうに考えることで女性の上に立とうとするのではなく、もっと自然にしていてもいいと知るべきだと思う。そういう感情があれば、若い女の子のアイドルグループに可愛らしい格好をさせて、それを楽しむような気分も少なくなっていくのではないかと思うんです。社会には不安感や恐怖感が満ちているから、男女同権を主張する女性が出てくると、男性は反感を示します。自分の権力を奪われるような恐怖を覚えているからかもしれません。

 今は単純に男女の性差が問題になっていますが、性のあり方はもっと複雑だから、そこから疎外されてしまう人たちもいる。ゲイ嫌悪やトランスジェンダー嫌悪まで出てきてしまっています。この先の方向性はまったくわからないけど、すべての人が自然に生きていく方法をそれぞれが考えることが大事だと思っています。

──自分に自信がなければ、自然に生きることは難しい。
イ・ラン 私自身も、同性に対して、すごくパワハラをする人間であることを知る機会がありました。学生時代は映像を専攻していましたが、典型的な男性主義の社会でした。私は彼らを真似しながら、彼らに受け入れてもらうために男性的に振る舞っていました。名誉男性的な存在だったと思う。そうすることで、「自分はできる人である」と周囲に見せたかった。結局力を持つようになったら、私自身が男性と同じようにしてしまうことに自分で気が付きました。それを止めなきゃと思ったことがあったんです。20代の頃ですね。

──ライブで手話を交えて歌った『イムジン河』がとても感動的でした。日本でこの曲を紹介したザ・フォーククルセダーズのきたやまおさむさんに話を伺った際に、「オリジナルは北朝鮮のプロパガンダソングだった」と語っていました。ご存知でした?
イ・ラン その北朝鮮版があったことは知りませんでした。韓国で歌われている『イムジン河』と日本語の歌詞はだいたい同じ意味で、南北統一の願いが込められています。韓国で歌うと若いファンの人たちは、「イ・ランの新曲だ!」と思う人が結構います。日本で歌うと、この曲を知っていた人が多いですね。「『イムジン河』を聴きたかった」と言う在日のおばあちゃんが来てくれたこともありました。

 私は、日本に来て初めて北朝鮮にルーツのある在日の方に会いました。私は1986年生まれですから植民地時代のことはまったくイメージできないけど、その時代を経験した人たちに話を聞くことがとても好きです。『イムジン河』もその過程で知りました。この曲を歌うと様々な反応があって、それがまた話を聞く機会になる。そんなふうにして、国家のあり方や考え方にも多様性があることを勉強しています。それを「おもしろい」と言ってよいのかわからないけど、貴重な経験ですね。

ネコの「ジュンイチ」とはテレパシーで会話している

──飼われているネコの「ジュンイチ」は漫画やイラストにも頻繁に登場してファンの間では御馴染みです。なぜ「ジュンイチ」と名付けたのですか? 私が「淳一」なので気になっていまして(笑)。
イ・ラン 10代のときに日本の漫画をよく読んでいて、『ピューと吹く! ジャガー』(うすた京介)という作品が好きでした。笛を吹いている人が出てくるギャグ漫画で、その主人公が「ジャガージュン市」だったから、それで「ジュンイチ」と名前を付けました(笑)。ネコを飼ったのは初めてだったから、外国語で距離感のある名前を付けたかった。もしも私が日本人だったらそうは付けなかった。逆にハングルの名前を付けたかもしれませんね。

──ネコのジュンイチに話し掛けていますか。話すとすればどんな言葉を投げ掛けていますか?
イ・ラン 私は言葉を使って自分の気持ちを伝えることにこだわってきましたが、それ以外の方法も大事だなと考えるようになりました。それでジュンイチには言葉ではなくて、テレパシーで気持ちを伝えるようにしています。長期間ソウルの自宅を離れるときはジュンイチの目をのぞき込んで、「10日間、10日間」と念じるんです。「10日間経ったら戻ってくる」と伝えているんだけど、たぶんジュンイチもわかってくれていると思う。「わかった」という表情をしていますね(笑)。本当はもっと仕事を少なくして、ジュンイチと一緒にいる時間を増やしたいんです。

──今は誰がジュンイチの世話をしているの?
イ・ラン 一緒に暮らしている彼氏のタケちゃんが見ています。タケちゃんは日本人ですが、ソウルの民衆美術を学びに来ていてソウルで出会ったんです。

──それじゃあ安心ですね。ありがとうございました。
※
このインタビューは一部、通訳を交えたが、ほぼ全編にわたり、日本語で質問して日本語で応えていただいた。
聞き手 本誌・橋本淳一

ご経歴
Lang Lee(イ・ラン):1986年ソウル生まれ。シンガーソングライター、映像作家、コミック作家、エッセイスト。16歳で高校中退・家出をしてイラストレーター、漫画家の仕事を始める。その後、韓国芸術総合学校に進学し、映画の演出を専攻。2011年にシングル『よく知らないくせに』で音楽家としてデビューする。音楽アルバムに『ヨンヨンスン』『神様ごっこ』『クロミョン』、著書に『悲しくかっこいい人』『私が30代になった』など。

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