『公研』2022年7月号「めいん・すとりいと」

 

 今年の6月25日、グーグルが各種記念日などに特別に作成する検索ロゴ(いわゆるGoogle Doodle)にアンネ・フランクが登場した。75年前の6月25日は、『アンネの日記』の刊行日である。グーグルのサイトの説明によると、「現代史で最も重要な書物の一つ」である同書の刊行から75年を記念し、彼女とその日記を取り上げたとある。

 周知のようにアンネの一家は、オランダを占領したナチ・ドイツがユダヤ人迫害を強めたため、1942年7月、アムステルダムの運河沿いの「隠れ家」で潜伏生活を開始する。家族4人に他のユダヤ人家族ら4人を加え、8名の潜伏生活は2年に及ぶ。しかし1944年8月、密告を受けて8名は摘発され、強制収容所に送られた。絶望的な飢餓と病気のなかで8名は次々と倒れ、アンネは15歳で1945年2月頃死んだとされる。唯一生き残って帰還したのは父オットー・フランクのみ。その彼が刊行に尽力した『アンネの日記』が、後に世界的ベストセラーとなる。

 ではなぜオットーひとりが生還できたのか。実はオットーも命の危機に瀕した時期があった。アウシュヴィッツ強制収容所に送られ、愛する妻や娘二人と離れ離れになったオットーは、絶望的な思いで過酷な重労働を強いられ、心身の不調をきたす。44年11月には、起きることも立つこともできなくなる。彼は病人バラックに収容されたものの、劣悪な環境の中で生き延びるのは困難な状況にあった。

 しかしそのオットーの前に、天使のように姿を現した少年がいた。かつての潜伏仲間であり、娘アンネの恋人だったペーター・ファン・ペルスである。『アンネの日記』には、隠れ家の閉ざされた空間の中で、アンネとペーターが距離を縮め、二人だけの親密な関係を築く様子が描かれている。

 このペーターは収容所のなかで、たまたま収容所の役職者に縁者がいることがわかったことが契機となり、屋外の重労働ではなく、所内の郵便配達業務というやや楽な仕事を与えられ、自由に収容所内を動くことが可能だった。しかも食料配分に優先的にありつけるなど、多くのメリットを享受していた。

 そこでペーターは自らの地位を活用し、オットーを毎日のように見舞い、励まし、余った食料を持ってきてくれたのである。ペーターは実の息子のように自分を支えてくれた、とオットーは回顧している。ペーターが懸命の支援のおかげで、オットーは次第に健康を取り戻す。ペーターがオットーに命を吹き込んだかのようだった。

 しかし1945年1月、ソ連軍の接近に伴い、ユダヤ人収容者たちは厳寒のなか避難を強制され、ペーターも加わった。彼は他の収容所に送られ、そこで力尽きる。他方オットーは病人バラックにとどまってソ連軍に解放され、九死に一生を得る。二人の運命は、一気に逆転したのである。

 なぜペーターは、そこまで懸命にオットーに尽くしたのか。やはりそこには、かつての恋人、アンネ・フランクの存在があったのではないか。隠れ家でペーターは、積極的なアンネの思いにうまく応えられなかったこともあったようだが、収容所で彼は、その埋め合わせをするかのようにオットーに尽くし、彼を励ましている。その甲斐あってオットーが回復し、生還して『アンネの日記』を刊行できたと考えるなら、実は同書刊行の影の立役者の一人はペーターだったのかもしれない。

 ペーターがオットーへとつないだ「命のバトン」が、オットーの生還を可能とし、めぐりめぐってかつての恋人、アンネの日記を世に出したともいえる。そして現代のグーグルの検索ロゴに至るまで、「命のバトン」は確かに受け継がれている。

千葉大学教授

 

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