『公研』2021年3月号「めいん・すとりいと」

イギリスのTPP参加

鈴木一人

 「インド太平洋」という表現はすっかり定着し、「アジア太平洋」という表現に置き換わってしまった感がある。元々は「自由と繁栄の弧」に続き、日本の外交戦略として、インドを含めた概念として提示するために安倍政権時代に提起した言葉であり、それをトランプ政権のティラーソン国務長官が取り上げたことで現代の国際秩序を形成する重要な概念に成熟していった。その結果、いまや欧州諸国が「インド太平洋戦略」を議論するようになっている。

 その代表例がイギリスのCPTPP(TPP-11)の加盟申請であろう。元々は日米をはじめとする環太平洋諸国が参加する経済連携協定であり、アメリカが協定から離脱した後も、日本が主導してアメリカ抜きの11カ国による協定を成立させたものである。

 このCPTPPがめざすのは、グローバルにサプライチェーンが広がる中、特に関係の密接な環太平洋諸国との間での関税をなくすことで物流を促進し、共通の貿易ルールや紛争解決メカニズム、知財などの標準を設定して、各国市場の関係を一層緊密化し、自由貿易を促進することである。

 それと同時に、「質の高い」経済連携協定、すなわち各国の規制をより高い水準で一致させ、これまで緩い標準を適用してきた国々に安全や環境に関する規制の標準を引き上げる効果を持つことが期待されている。こうした「規制の引き上げ」は、単に締結国だけでなく、CPTPPに参加したいと希望する国々にも国内規制の変革を要求する。これこそが、CPTPPの隠されたアジェンダとして、中国に対して圧力をかけることが挙げられる理由である。

 実際、習近平主席はCPTPPへの参加を検討すると発言しており、それに対して日本をはじめとして各国で議論が起きている。もし中国が本気でCPTPPに入ろうとするなら、中国国内の規制や標準を合わせなければならず、結果として中国国内の改革につながる。原加盟国はルールをつくることに参加できるが、後から参加する国はルールに合わせるか、参加しないかの二択しかない。CPTPPが中国にとって魅力的なものとなり、中国が参加を熱望すれば、こちらのルールを押し付けることができる。

 実は、これはEUに後から参加したイギリスが苦しみ、最終的にEUを離脱した経緯と重なる問題である。イギリスはEUの前身である欧州経済共同体(EEC)に当初参加しなかったが、欧州大陸での経済発展を見て、EEC加盟を申請した。しかし、2度もフランスのド・ゴール大統領に拒否され、ようやく1973年からEECが他機関と統合してできた欧州共同体(EC)に参加することとなった。しかし、すでにECのルールは定まっており、自国に不利な条件も飲まなければならず、ECのルールに合わせて国内法も改正しなければならなかった。

 そのイギリスが、CPTPPに参加を申請しているというのは興味深いが、すでにEECやEUで鍛えられたイギリスであるがゆえに、全く抵抗はないのであろう。むしろ、EUを離脱し、「グローバル・ブリテン」として欧州大陸の外に向かって自由貿易のネットワークを拡大し、EUに加盟していた時よりも柔軟にグローバル化を乗り切ろうとする戦略の一環としてCPTPPに参加しようとしている。

 イギリスは貿易だけでなく、安全保障の分野においても空母「クイーン・エリザベス」をインド太平洋に展開するなど、この地域への関心を深めている。1984年に香港返還をめぐって中国と約束した一国二制度を反故にしたことで、イギリスの対中感情も非常に悪くなっている。「インド太平洋国家」としての性格を強めるイギリスとどう付き合うのかが、日本外交の新しい課題となっている。東京大学教授

 

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