鈴木 一人 『公研』2019年9月号「めいん・すとりいと」

 アポロ11号月面着陸50周年の今年、全米各地で記念行事が行われた。ワシントンDCのモールにあるワシントン・モニュメントにはプロジェクション・マッピングでアポロ計画のロケットであるサターンVが映し出され、大勢の人が集まっていた。しかし、そこで集まった人たちは過去の偉業を懐かしみながらも、トランプ大統領、ペンス副大統領が提唱する新たな月有人着陸計画である「アルテミス計画」について熱狂しているという雰囲気は皆無であった。

 ワシントンDCやその周辺はとりわけ民主党支持が多く、反トランプ感情があることを割り引いても、アポロ時代の熱狂とはまるで異なる雰囲気なのはなぜだろうか。

 第一に、当時のソ連のようなライバルがいない、という問題がある。トランプ大統領は中国が人類で初めて月の「裏側」に探査機を送り込み、いずれ月に中国人宇宙飛行士を着陸させるから、その前にアメリカ人が月に戻り、中国に対して優位性を示すと言っているが、多くのアメリカ人はかつてのソ連のように中国に生活や国の存続を脅かされているとは思っていない。

 第二に、アメリカはすでに月にいっており、再び行く価値を見いだしていない。月には水が存在すると言われ、それを使って宇宙で経済活動ができるとか、将来火星に向かう時の燃料になるといった話があるが、わざわざ人を送らなくてもロボットや探査機でできるものであり、コストをかけ、リスクを負って宇宙飛行士を送る価値は見いだされていない。またブライデンスタインNASA長官は50年前に多くの人が得た感動を、今の若い人たちは経験していないのが問題と認識し、アルテミス計画によってその感動を再現し、若い世代を刺激すると言っているが、ミレニアル世代と言われる人たちはデジタル社会の中で育ち、宇宙開発が国家の偉大さを示すものだとは感じていない。

 第三にトランプ政権による大幅減税により、アメリカの財政状況は悪化し、小さな政府を求めるティーパーティ(茶会党)支持派も、またその減税が大企業優遇策であり、貧富の格差がさらに拡大していると批判する民主党左派(民主的社会主義)支持者も、連邦政府のやるべきことは月にアメリカ人を再び送ることではないという点で一致している。アポロ11号の月面着陸の時もベトナム戦争を巡ってアメリカは大きく分断されていたが、アポロ計画はその分断を覆い隠す効果を持っていた。それが可能になったのは、アメリカが偉大な国家であり、世界に対して主導的な役割を果たすという認識が、戦争への賛否を超えて共有されていたからであろう。

 しかし、現代ではトランプ大統領が「アメリカを再び偉大に」と言って当選するほど、アメリカが「偉大ではなくなった」という認識がアメリカに対して愛国心を持つ人々の間でさえ共有されている。トランプ大統領は再び月にアメリカ人宇宙飛行士を送ることで、その偉大さを取り戻そうとしているのだろうが、そんなことをしてもアメリカの偉大さは取り戻せないほど社会は疲弊し、傷みきっているというのが多くの人々の間で共有されている。

 しかも、このアルテミス計画はおよそ200億ドル以上かかると言われているが、2019年度には16億ドルしか議会は認めなかった。2024年(トランプ大統領が2020年の選挙に勝った場合の任期中)までに達成するためには毎年40─45億ドルの予算が必要と見られるだけにその実現性も怪しい。結局、多くの人はこの計画をトランプ大統領のエゴの現れとしてしか見ていないのが、しらけムードの根底にあるのではないだろうか。北海道大学教授

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