『公研』2024年2月号「めいんすとりいと」
日本には陸続きの国境がない。そのため、国境線をはさんで兵士が向き合うような場所はなく、「防衛の最前線」という言葉から受ける緊張感を感じることも難しい。しかし、先日訪問した石垣島は南西諸島で最も新しい陸上自衛隊の駐屯地があり、03式中距離地対空誘導弾や12式地対艦誘導弾といった海や空からの侵略に対する装備が配備されている島であり、日本が攻撃されるとすれば、まずそこで迎え撃つことが想定されている場所である。
その意味では石垣島は防衛の最前線と言える場所なのだが、於茂登岳(おもとだけ)やバンナ岳といった山から流れ出す川の恵みもあり、農地の広がるのんびりした島でもある。自衛隊の駐屯地の設置にも賛否両論があり、「八重山合衆国」と呼ばれる、多様性に富んだ社会的背景を持つ地域であるがゆえの難しさもあるが、自衛隊の存在はおおむね地元に受け入れられており、防衛上の緊張感はありながらも、和やかな雰囲気を感じさせる場所であった。
石垣島を含む八重山列島は、台湾に最も近い日本であり、東京よりも圧倒的に近い距離に台北がある。そのため、日本の領域防衛とは別に、台湾海峡をめぐる情勢に関しても強い関心を持たざるを得ない。いわゆる「台湾有事」が起これば、台湾から脱出する人が逃げられる一番近い「外国」であり、在留邦人のみならず、台湾に在住する外国人、台湾住民も脱出する行き先になる可能性が高い。さらに、武力による着上陸侵攻といった「台湾有事」でないとしても、海上封鎖や臨検などが起これば、軍事力を持って海上交通を制御することとなり、日本近海で中国海軍の活動が活発になるという可能性もある。当面、その対応は海上保安庁、海上自衛隊が担当することになるが、難民が大量発生することになれば、石垣島の陸上自衛隊もまったく無関係ではいられないだろう。
ところが、石垣市も陸上自衛隊も、必ずしもこの状態に備えられている、というわけではない。どのようなシナリオでどのくらいの難民が、どのような手段で流れつくのか、その時にどのように対応すべきなのか、といったことがようやく政府で議論されるようになった状態である。もちろん、そうした議論がマスコミなどで大々的に取り上げられると中国や台湾との摩擦が起きる可能性もあるので、表向き議論をしてはいないが準備は進めているという可能性もある。しかし、大量難民の発生に対しては物理的な対処も必要となるが、そうした対処に動いているという状況にはない。
もちろん「台湾有事」など起こらないほうが望ましいし、そういうことを考えるだけでも縁起が悪いといった気にもなるだろう。しかし、福島原発の事故においても、新型コロナにしても、「そんなことは起こるまい」と思って準備していなかったことで、対応が後手に回り、大きな被害や影響が生まれるということを考えると、「台湾有事」にしても、想定される最悪のシナリオを考えながら、それに備えていかなければならない。
これまで、南西諸島に陸上自衛隊を配備することだけでも大問題であったことを考えると、日本周辺の安全保障環境の変化や領域防衛の重要性、さらには国家安全保障戦略の刷新など、日本における安全保障の理解は深まり、有事の際の防衛上の備えは徐々に整ってきたという印象を受ける。
しかし、ロシアのウクライナ侵攻やハマスによるイスラエルの攻撃のように、いくら装備が揃っていても戦争が起こるときには起こる。その際にどのような事態が発生するのかを想定し、それに対して備えていかなければならない、ということを実感させる石垣島訪問であった。
東京大学教授