『公研』2022年11月号「めいん・すとりいと」

 

 日本史の大きな特色として、武士が政治・社会の中心にいた時代が極めて長いという点が挙げられよう。隣国の中国・朝鮮半島においては文官優位の社会が形成されたことと著しい対照をなす。

 しかし、そもそも武士とは何だろうか。江戸時代のサラリーマン的な武士はさておくとして、中世の武士をおおざっぱに定義すると、武芸をもって朝廷に仕える職能人もしくは職能集団、といったところになる。

 けれども、前掲の定義だけでは、武士がなぜ政治的・社会的影響力を持つようになったか、そして武家政権が何百年も続いたかを、説明することはできない。そのため、日本史学界では「武士とは何か」という議論が長年繰り広げられてきた。

 ところが、学界で「武士とは何か」を論じる場合、「武士がどこからどう生まれてきたか」という武士発生論、武士成立論に関心が集中しがちである。かつては荘園の中で成長した上層農民が自衛のために武装して武士になった、と考えられていた。

 しかしながら現在では、この古典学説は完全に否定されている。一般武士であっても、多くは源平藤橘といった貴族を出自としており、上層農民から武士になった事例は確認されていないからである。上層農民武装説はマルクス主義の階級闘争史観に基づく思い込みにすぎず、実証的には破綻している。一方で、それに代わる新たな定説が確立したとは言えない。著名な学説は、武士の起源を京都の武官に求める高橋昌明氏のそれであるが、十分な論証はなされておらず、有力な仮説に留まる。

 率直に言って、武士発生論は手詰まりの状況にあると思う。状況証拠的な史料しかなく、決め手がない。武士発生論から「武士とは何か」を解き明かすという手法には、現状では限界があると言わざるを得ない。

 そこで私は、全く別のアプローチから「武士とは何か」という問題に迫ってみることにした。それは武士の気風、メンタリティーを考える、というアプローチである。

 当たり前のことではあるが、戦士であることに(中世)武士の本質がある。鎌倉幕府成立以前に、多数の武士団を束ねた有力武士は学界では「軍事貴族」と呼ばれる。文字通り、彼らは貴族としての属性を有しているが、それと同時に一般の貴族とは全く異なる価値観を持っていた。軍事貴族に率いられる一般武士の意識に至っては、言うまでもない。そして武士の政治的台頭に伴い、武士特有の倫理観が明瞭に形成されていった。

 武士とはどのような行動原理を持ち、どのような思考様式を持つ存在なのか。そのことを端的に示すのは、武士自身の「発言」であろう。武士が発する印象的な言葉には、武士固有のメンタリティーがしばしば反映されている。加えて、貴族の武士に対する評言からも、武士が当時の社会でどのように認識されていたかが浮かび上がってくる。

 先月末に新潮選書から刊行した『武士とは何か』は右の問いに対する現時点での私なりの解答である。政治家の演説やビジネス書で引き合いに出される「武士道」とは全く異なる武士の「リアル」を提示できたと自負している。ご笑覧いただければ幸いである。

信州大学特任助教

 

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