公研』2022年11月号「体験企画 若者たちのギモン」

 Z世代の若者たちがいま何を考え、疑問に思っているのか。立命館大学国際関係学部 白戸圭一ゼミの学生達にご協力いただき、堀越英美さん関根千佳さんにインタビューをしてもらいました。

 

ユニバーサルデザインの過去と現在と未来

日本では急激に高齢化が進んでいる。高齢者の中には小さな文字の本を読むことや気軽に外出するという今まで「普通」にしていた生活が困難になる人がいる。また海外渡航の規制が次第に緩やかになることで、外国人が日本に訪れる際に言語が障壁で情報にアクセスできない事例が多く発生するだろう。この状況でユニバーサルデザイン(以下UD)の重要性がさらに認識される。UDとは「年齢、性別、能力、環境にかかわらずできるだけ多くの人々が使えるよう、最初から考慮して、まち、もの、情報、サービスなどをデザインするプロセスとその成果」と定義される。日本におけるUDの現状を皮切りに、UDのための支援技術、今後の社会のあり方などについて伺った。

 

関根千佳
同志社大・放送大・美作大客員教授。株式会社ユーディット会長。日本IBMで障害者支援技術に関わった後、98年に起業。省庁や企業の審議会委員を歴任。著書に『誰でも社会へ』『スローなユビキタスライフ』『ユニバーサルデザインのちから』など。

 

長谷川達也
立命館大学国際関係学部3回生。旅行、野球観戦(中日ドラゴンズファン!)、ラジオを聞くことなどが趣味で、将来暇があれば色々な国に行けるようになれればなと……思います。

 

世界は自由である

 長谷川 日本のUDは他国と比べてどうなんでしょうか?

 関根 日本のUDの意識や制度は、アメリカなどの諸外国より30年間は遅れています。今年アメリカに行った若い車いすユーザーが、帰国後にこう言っていました。「人生ってこんなに自由だったんですね。今日は何が食べたいかでお店を選べるんです。グリーンカレーにしようかな、ハンバーガー、それともステーキにしようかなって。アメリカでは食べたいもののお店に行けばその場所、サービスは基本的にUDで、好きなものが食べられる。でも日本だと、まず車いすが入れる店を探して、入れた店の中から食べるものを選ぶのです。僕は人生ってずっとそんなものだと思っていました」。

 私はこれを聞いて、日本におけるUDの遅れにすごく落ち込みました。海外ではカフェやレストラン、ホテルなどはUDが前提となっていて、そうではないお店をつくることがそもそもできません。日本ではその前提がなく、新規につくるホテルでさえUDではありません。海外ではUDではないことは人権侵害、かつ人道上の罪であるとされ、UDではない商品、サービスを提供することができないんですね。

 歴史的には、アメリカでは1990年に障害者差別を禁止するADA(障害を持つアメリカ人法)が制定されています。同じ学校で一緒に教育を受けること、同じ職場で一緒に働くこと、一緒に映画や文化活動に行くことなどを、この30年間以上かけて、進めてきました。日本で障害者差別解消法ができたのは2016年と相当遅れています。さらにそれは禁止ではないため、権利保障もなく、侵害されたときの訴訟が可能なものでもありません。

長谷川 UDでないと提供できないとは具体的にはどういうことなのですか?

関根 さきほどの建築や公共交通、行政サービスはもちろんですが、ICTUDでないと、公共調達できないのです。

 1986年にアメリカではリハビリテーション508条が成立していますが、公的機関が購入するICTやソフトウェア、ウェブサイトはアクセシブル(誰でも使える)でなければ購入してはいけないという法律です。そのために、IBMMSGAFAを始め、全ての米国のICT企業は、UDを前提にした製品開発しかしなくなりました。これは日本企業にとっては、巨大な参入障壁となっています。UDでなければ、海外での市場を失うからです。

 アメリカではADAやリハビリテーション法508条違反であると、年間5,000件近く訴訟が起こっています。例えばハーバード大学も訴えられています。多くの動画に字幕がついておらず、聴覚障害の学生からそれがないと授業が理解できないのでADA違反であると訴訟されたのです。結果として大学側は2年以上かけて、3万の動画をクロールし、1万のサイトを手直しして、118個のオンラインチャンネルを字幕化することを行いました。すべては、誰も残していかない(No one will be left behind)というSDGsの基本的な意識の下で、アクセシブルでないことは人道上の罪であるという考え方から来ています。しかし日本では、情報アクセスを保障することは人権であるという意識がまだほとんどありません。

 長谷川 UDの基本の考え方とは何なのでしょうか?

関根 ダイバーシティ&インクルージョンや、UDという概念の根底には、女性も、高齢者も、子供も、障害者も、一人の人間として尊重されるべきという基本理念が存在しています。車いすに乗っているから、目が見えないから、耳が聞こえないからといって、決して能力が劣っているわけではないんです。このことは、あなたが明日障害を持ったら、気づくでしょう。明日のあなたは今日のあなたと、経験も能力も知恵もネットワークも変わったわけではなく、ただ一つの状況が変わっただけなのに、どうして同じ学校で勉強し続けることができず、同じ職場で仕事を続けることができないのでしょうか。この考え方がUDの概念の基本にあります。Disabilityとは、能力がないという意味ではありません。能力の発揮を阻害されている状態を指すのです。

 長谷川 障害者の定義は社会的モデルと耳にするのですが、どういう意味なのでしょうか? 

 関根 2006年にWHOの障害の定義は大きく変わりました。以前は医学モデルと呼ばれる医学的な状態を指していたんですけど、現在は社会モデルと呼ばれます。

 すなわち障害は社会の側に存在し、環境によってあなたが障害者になっているという考え方です。どういうことかというと、もし40階建ての高層ビルにエレベーターがなければ、全ての住民は移動障害者になります。しかし足が不自由でも妊産婦でも高齢者でも、エレベーターがあれば移動に困難は少なくなります。つまり全く配慮がなければすべての人が障害者になり、配慮が十分な社会であれば環境に因って障害を感じる人は少なくなるという考え方です。社会が十分にUDであれば、障害はなくなることになります。

 長谷川 日本におけるUD、障害への意識というのはどのように感じますか?

 関根 日本では自分が障害を持ったとき、仕事を続けていけると思えない人が多いのです。学校では障害者の先生に習ったことがなく、職場でも仕事を続けている障害者の先輩を知りません。いわばロールモデルを見ていないからなんです。

 かつての日本で、子供を持った女性が仕事を続けられると考えていなかったことと同じです。しかし先ほど述べたように、見えない、聞こえない、車いすになったなど、たった一つの状況が変わっただけで、あなたの能力はなにも変っていないんです。であれば、仕事や学業を続けられるよう、環境の側をUDに変えればよいのですが、日本はその意識が薄いのが現状です。

 

穴ぼこだらけの日本の政策

 長谷川 なぜ日本ではここまでUDへの意識が遅れているのでしょうか?

 関根 根本的な原因としては、政府が長いあいだ、分離政策を行ってきたからだと私は思います。学校では特別支援学校によって、職場では特例子会社によって、健常者と障害者を分けてきました。そのため学生は障害のある同級生や先生に出会った経験が少ないため、互いのニーズを理解することができず、大人になった後もそのような同僚や上司に出会わないため、UDを進めるのが難しいのです。学校の先生も障害を持つ子供への対応の仕方がわからないことが多いのです。もしインクルーシブ教育が積極的に行われていれば、全員が同じクラスで、障害を持っている同級生とどうやったら一緒に授業を受けられるのか、どうやったら楽しく運動会ができるのかと考え、知恵を出しあって、お互いにニーズの理解を深めることができます。

 そもそもアメリカでは、一人の人間として認め合い、共に育ち、生きることが重要だから、分けてはならないと考えられています。特に教育に関しては75年に全障害児教育法、90年にIDEA(障害のある個人への教育法)という法律に改良され、障害がある子供たちがどうやってインクルーシブに教育を受けられるかを考えられてきました。アメリカでは分離すること自体が法律違反なんです。 

 長谷川 日本の法律整備はどうなんでしょうか?

 関根 2021年にようやくバリアフリー法が改正され、長らく対象外とされてきた学校などの教育機関を今後はUDにすることが義務化されました。文科省も、ようやくインクルーシブ教育に関心を寄せるようになりました。高校や大学などに、障害のある学生が進学するケースも増えてきています。しかし、その就職先となるオフィスなど雇用の環境は、この法律でもまだ努力義務のままなのです。

 2016年にようやく障害者差別解消法が施行されましたが、この法律にはまだたくさんの問題が残っています。例えば、障害者の権利を守るものではないということです。特に雇用に関しては、海外の差別禁止法に比べ、かなり浅くなっています。それをカバーするはずの障害者雇用促進法は、どちらかというと雇用主側の規定です。雇用主が建物を改善する場合の補助金や、雇用すべき割合といった内容です。ADAで規定されているような、障害のある市民の権利が侵害されたときに訴える手段が日本では明確でなく、オンブズマンもいないのです。いわば障害者の権利を守ることがメインではなくなっている気がします。

 日本政府は、国連による障害者権利条約の状況審査を2022年に初めて受けたんですけど、日本の状況に対しては長い長いダメ出しのレポートが出されてしまいました。国連からは、教育と雇用など、海外ではもっとも最初にUDにすべき分野での遅れや、産業界におけるUDやアクセシビリティの研修の遅れなどが、厳しく指摘されています。

 長谷川 どうして海外では教育と雇用が優先してバリアフリー、UDにされるのでしょうか?

 関根 ADAの基礎となるリハビリテーション法504条は、ポリオの後遺症で車いすユーザーとなったジュディ・ヒューマンなどの活動の結果、73年に生まれました。彼女の運動の原点は、みんなと一緒に同じところで教育を受けたい、仕事をしたいということでした。物理的な困難をクリアして大学に入学し、優秀な成績で卒業したにもかかわらず、卒業式の際、学長から表彰状をもらうためのステージに上げてもらえませんでした。父親が車いすを担ぎ上げてなんとか受け取れたのですが、ジュディは悲しみで押しつぶされたといいます。また小学校2年生の教員になるという夢を持っていた彼女は教員免許を獲得しようとしたのですが、頭脳明晰で適格であったにも関わらず、医師によって身体検査で落とされてしまいました。

 これはおかしいと彼女は思い、メディアを駆使してなんとか教員免許を取ることができたんですが、それでもなかなか雇用されないという大変な苦労をしてきたんです。

 こうした差別を禁止する法律をつくろうとしてきた80年代の障害者運動のリーダーたちは、教育を受けたいということと、雇用を平等にしたいということの二つを大きな目的としていました。つまり障害者の平等を図ってきた最終目的が、教育と雇用であり、これを実現するためにも、例えば通勤・通学時の交通が、駅が、電車が、駐車場がUDでなければならない、そして学び働くための建物が、そこでのサービスがアクセシブルでなくとはならないとして、UDは広まっていったのです。

 しかし日本では学校が長らくバリアフリーの対象外であったことや、オフィスは今なお努力義務のままであるように、ちょうどその二つが抜け落ちてしまっていました。日本のUDの政策は、海外の流れを形だけ汲み取り、肝心の中身が抜け落ちているように感じます。

 長谷川 個人としてUDを普及させるためにどうしたらよいのでしょうか?

 関根 やはり気づいた一人ひとりが、声をあげることが大切だと思います。いろいろな企業に対して研修を行うと、明日、目が見えなくなるかも、耳が聞こえなくなるかもという意識がほとんどなく、自分事になっていないことが残念ですね。

 でも日本は世界一の高齢国家で、UDのニーズがある人はどんどん増えていきます。視力、聴力、認知や記憶の能力は50歳を過ぎるとどこかに課題が生まれてきます。例えば新聞や材料表示の文字が小さすぎて読めない、カーナビの音声が聞き取れない、人の名前が覚えづらいなどだんだん困難が増えてくるんです。そうした際に気づいた要望をとにかく社会に伝えていかなきゃいけないと思います。

 例えば、一般の新聞は、フォントサイズが大きくなり読みやすくなりました。日経新聞だけはまだ小さいので、「夕刊を朝にしか読めないよ」と言い続けています。多くの高齢読者が同じニーズを持っているはずです。世の中を変えていくのは個人個人の声の総体だと思いますね。

 例えばアメリカのテレビ局では、コマーシャルも含めてほぼ100%字幕がついています。これは、テレビ局が番組やニュース、コマーシャルに字幕を付けてくれたら、その地域の聴覚障害児者や家族が、感謝の手紙やFAX、メールを大量に届けるという作戦の結果なのです。テレビ局側はこんなに喜ばれるのかと気づくんですね。そうすると止めちゃいけないと思うようになります。それが当たり前になっていくと、見る側も当たり前になっていきました。高齢者にも、英語が母国語でない外国人や旅行者からも、喜ばれたのです。

 つまり市民側は、これによって助かる人が多いんだよという情報を企業側に伝えることが大事なのですね。気づいた点から声をあげることが大事なんです。それも北風でなく太陽作戦で。 

 長谷川 どのようにして伝えればよいのでしょうか?

 関根 私は魔法の3点セットと呼んでいるのですが、三つの視点で伝えることが大事だと思います。

 まず一つ目が問題点の指摘です。例えば、「この公園のベンチはうちの子どもやおじいちゃんにはここがちょっと危険で使いにくいです」というように、誰にとってどのように課題があるのかを伝えます。

 二つ目が可能な限りの解決策を伝えることです。例えば、「うちのおじいちゃんはここのボタンをもう少し大きくしてもらえると、この家電が使えるようになるはずなのですが」と、困っている点をそのニーズを持つ人であればどうすれば解決可能か示唆します。これは技術や法律の知識があれば、さらに有益な視点を企業や行政に伝えられます。三つ目が実は一番大事です。良いところを見つけてほめてあげることです。例えば、「この公園の水飲み場は背の低いのと高いのが並んでいて、うちの子どもとお父さんが一緒に水を飲めます。とってもUDですね」とほめてあげてください。企業も行政も、UDの担当者はとてもがんばっています。それを認めて感謝を伝えることも市民の使命です。この3点セットを続ければ、少しずつでも社会がUDに変わっていくと思います。

 

イノベーションを生むCSUNカンファレンス

 長谷川 今年の三月にCSUN支援技術カンファレンス(アクセシビリティをテーマにした国際会議で、いわばソーシャルイノベーターの巨大な集まり)へ訪ねたと拝見したのですが、印象的であった支援技術は何かありますか?

 関根 そうですね。メタやIBMが進めているVRのアクセシビリティはすごいなと思いました。でもメタバース環境のなかで視覚や聴覚の障害者が問題なく会話できるためにはどうしたらよいのか、まだ模索が続くと思います。聴覚障害者の人には空間にテキストを出せばよいと思いますが、視覚の場合は音声と触覚を併用しても空間認知は難しいかもしれません。

 これまで二次元の環境では、テキストを読み込んで音声で聞く方法で情報保障をしてきましたが、三次元の中でどうやったら問題なくコミュニケーションができるのかなかなか難しいと思いますね。でも視覚障害者向けのeスポーツの研究をしている人などもいるので、今後は全く新しい技術も出てくるんじゃないかなと思います。面白いですね。私はこの会議に30年近く参加しているのですが、今年の一番大きな変化は、デジタルアクセシビリティという言葉が一般用語として使われるようになっていたことですね。

 長谷川 VR、メタバースを使ってUDを普及させていくための方法は何かありますか?

 関根 これはいろいろありますね。例えば、VRを使って認知症の人たちの世界を体験してみるものや、発達障害の人が世界をどう見ているのかを知るものも日本で開発されています。家族や介護者、同僚やデザイナー、エンジニアなど、今は障害のない人がこういった体験をすることで、当事者の理解を深めることができ、ニーズを知ることにつながります。ほかにもAARPというアメリカの大きな高齢者団体が、VRで遠方に住む孫とリアルに会話できたり、コロナ禍の影響で行きにくくなった世界旅行にバーチャルで行けたりといった機能をメタに依頼しています。いろいろなコミュニケーションの手段が、どんどんユニバーサルになっていきますね。

 長谷川 先ほど仰っていたデジタルアクセシビリティとは何なのでしょうか? 

 関根 今までは携帯電話、Webコンテンツ、書籍、放送メディア、行政サービスなど、機器やサービスごとにアクセシビリティの研究開発が行われてきました。しかしこの2年ぐらいで、それらをすべてまとめたデジタルアクセシビリティという総称ができ、新たなジャンルの産業が生まれています。 

 長谷川 なぜ新たなジャンルが生まれたのでしょうか?

 関根 新たなジャンルができることで、それぞれの横のつながりが生まれてきます。Webは、もはやWebの中だけで完結しなくなっています。Webの中で培われてきたalt属性の付け方などの、障害者にとってアクセシブルな情報のつくり方のノウハウを、ほかのデジタルアクセシビリティにも展開していこうとしているのです。例えば、駅や公共の場の情報キオスク、空港での情報提示パネル、ATM、セルフレジ、店舗でのオーダー端末、図書館での予約機器など、あらゆるデジタル機器にも活用し、すべて共通化していこうという考え方です。全部のデジタル機器を、同じアクセシビリティの技術でカバーしておけば、家ではパソコンを、移動中は携帯を、空港ではタッチディスプレイを使うように、それぞれの使い方を個別で覚えなくて済み、ユーザーにとっては一つのアクセシブルな方法を覚えるだけで便利じゃんという考え方なのです。ワンリソースマルチユースっていう言い方があるんですけど、一つのコンテンツを最初からアクセシブルにつくるノウハウがあれば、ユーザーは自分の状態に合わせた端末や環境で情報を受け取ることができます。例えば私のように視力の落ちてきた人が文字を見るとき、機器が違ったとしても、私に見やすいような文字の大きさ、フォントで情報を得ることができます。目が良い人は文字が小さいまま情報を得ることになります。同じコンテンツが、それぞれのニーズに合わせて、違うように見えてくるということです。今回は、マクドナルドでの取り組みが紹介されていましたが、私も回転寿司やコンビニのタッチパネルで苦労しているので、日本でも進めばいいなと思います。

 

社会全体でUDの実現へ

 長谷川 九月にJR九州が駅を無人化したことで移動の自由が制限されたとし、車いすユーザーが追加訴訟を行ったのですが、これについてどう考えますか?

 関根 JR九州側は事前の予約で介助する人を準備していたので、これは障害者差別解消法に基づく「合理的配慮」に当てはまるのではないかと思います。現在、地方路線では無人化が進んでいるんですが、もともと一人の駅員しかいないケースが多かったんです。高齢の駅員一人で電動車いすを階段の下に降ろすことはなかなか難しいです。つまり無人化しなかったからと言って合理的配慮ができるとも言い切れないのです。ですから予約したらサポートしますというJR九州の今回の対応は、現段階では一応妥当だったのではと思います。海外でもほぼそのような対応になっています。ローカル線大好き、鉄分の多い私としては、歳を取って車いすになっても旅行したいので、UDの推進とともに、なんとか地方路線の存続も支援したいと思っています。

長谷川 既存の建物をバリアフリーにすることは多大なコストがかかり、民間企業ではなかなか厳しいように感じます

 関根 ほんとはすべてアクセシブルにしてほしいんですが、昔ながらのバリアフルなところはまだ多く、乗降客が2,000人以下の既存の駅などの建物をバリアフリーにするというのは現在努力義務なんです。既存のホテルや地方の乗客数が少ない鉄道会社では、すべてをバリアフリーにというのはコストの面を考えると難しいですね。既存の建物をバリアフリーにするのは最初からユニバーサルにするより10倍くらいのコストがかかることもあるんです。 

 アメリカなどでは、30年以上前から新規の建築はUDが前提だったので、社会全体が変わったわけですが、日本はこれからですからね。その鉄道会社が潰れ、路線そのものがなくなってしまったらその地域の人全員の移動が制限され、環境によって全員が障害者のような状態になってしまいます。

 長谷川 すべての人が自由に移動していくためにはどうしたらよいのでしょうか?

 関根 一企業だけに全てをアクセシブルにすることを任せるのは難しいと思うので、社会全体で支える仕組みをつくっていくことが大事だと思いますね。徳島のDMVのような、電車とバスを合体させるような仕組みも検討できるかもしれません。さらには新たな移動支援サービスの仕組みも考えられます。例えば、Uberとかと同じように、ネットでヘルプが必要な時に予約したら、その地域の手が空いている人たちが、その時その場へ助けに行くようなアプリが、オンライン上につくれないかなと思っています。もともとUberはすっごくユニバーサルな仕組みで、海外ではどこどこに行きたいという風に予約すれば、一般の人が車で迎えに来てくれるんですよ。さらに車いす用のアシストカーや手話できる運転手というUDのオプションがすべて追加料金なしでできます。同じように、ヘルプを求める人が、サポート可能な人間を予約できる仕組みをつくればよいのではないでしょうか。

 これは無人駅だけでなく、人手のない神社やお寺などを観光したいという場合なども活用していけると思います。古い神社などをUDに改装するのはコスト的な要因などで難しいと思いますが、行けるところまで車いすを押してくれる人々がそのときだけ来てくれるような、社会全体のネットワークの中のUDが、古い建造物が多い日本にとっては大切だと思います。いま世界遺産のUDについても研究しているため、いろいろ考えています。

 日本は、世界最高齢国家です。2050年まで世界一を独走し続けます。この日本で生きていくということは、このバリアフルな国で歳を取ることへの備えを必要とするのです。南海トラフや首都直下地震の確率は70%ですが、私たちが歳を取って障害を持つ確率は100%です。どちらも、備えが重要です。世界から30年以上遅れている日本のハード、ソフト、意識を、なんとかみんなでUDにしていってほしいと思います。

(終)

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事