『公研』2022年2月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

 

変化するウクライナ・ロシアの経済形態

松沢 今日は「移動」とそこから生じる人と人との結び付きのあり方や孤独などをテーマにお話ししていきます。小川先生がご研究対象にされているタンザニアの都市部で生きる人々の生活は、自分が専門としている日本の明治・大正の社会とはまったく異なります。けれども先生のご著書を読ませていただき、両者を比較しながら捉えていくことはとても刺激的でした。だいぶ異質な世界であるタンザニアの社会をヒントに今の日本社会を考えていければと思います。

松沢裕作氏

 まずは現在進行形で起こっているウクライナの難民についてです。これまでも様々なかたちで難民が生じてきていましたが、多くのケースは暴力的な状況があってそこから逃れるために個人として国境を越えてきました。しかし、今回は、男性が国にとどまることを求められていることからわかるように、国家が戦争をしているという要素が非常に強く出ていますね。

小川 移動と言っても戦争や危機的な状況からの避難と通常の移動とではかなり違いますよね。今ウクライナの人たちは、西側諸国の人たちに受け入れられていますが、以前は受け入れ反対運動が起きるなど移民には冷淡な側面も際立っていました。それが今回は、ポーランドを始めとして多くの国が受け入れを表明していることに驚いています。

松沢 2015年の欧州難民危機の際に東欧諸国が強硬な態度をとっていたことを思い出すと、今回の対応はずいぶん変わっていますね。

小川 ただ、このペースで難民の流入が続くと、今は積極的に受け入れているところも「財政負担が増える」などといった議論に変化していくような気もしています。今私が気になっているのは、このまま経済制裁が続くとロシア国内ではインフォーマルな──非公式の──経済活動が増えていくのではないかと考えます。

小川さやか氏

 先日、ロシア人女性と結婚してロシアに住んでいるYouTuberの森さんの動画を観たのですが、とても興味深いものでした。このチャンネルでは、ロシアの家庭の地下倉庫に食料が備蓄されていたり、何かあると人々が庭にじゃがいもを植えるといった話がされたり、ルーブルの価値の下落に備え、電化製品を買いだめしたりする様子が紹介されています。また中東系の人びとがロシアで開いている市場も出てきます。海外の企業が撤退しようがルーブルが下落しようが、インフォーマルな市場は平常運転のように見えました。今の状況が続くと、フォーマル経済から離脱してインフォーマルな領域がさらに拡大するのではないかと思います。他の旧社会主義国を含め、ロシアも表の経済とは別に、インフォーマル経済は根強く存在し続けてきたと思いますので。

 街の様々な施設や機能が破壊されたウクライナも、戦争が終結してすぐに元のような社会が復活するのは難しいでしょう。そうなると、インフォーマルな経済を含めて国が再建されていくことになるのではないのかな。私はインフォーマル経済が専門なので、個人的にはこのあたりはとても気になっています。

松沢 まさに日本の戦後の闇市の世界ですね。そうした不安的な環境においては、自分が生き延びるためにどうしたらいいのかを最優先に考えなければなりませんから、インフォーマルな経済も幅を利かせることになるし、そこで生き抜いていくための抜け目のなさも必要になる。

小川 南スーダンが独立する前の、2007年にジュバ市に行ったことがありますが、広大な闇市が広がっていました。まだ郊外では銃撃戦が続いており、援助機関も参入を躊躇している状態でした。そんな状況でも隣国から零細商人たちが押し寄せてくるのです。焼け野原になったジュバでは、何を売っても売れるからです。お金がないスーダンの人は隣国の商人たちに家畜や古着と必要な物を交換したり、信用買いをしたりします。そうしてモノが出回り、経済が循環し、やがて警察や政府機関ができていく。和平が結ばれてもすぐに平和になるわけではないし、国が正常に機能するまでには必ず混沌した移行期間があるわけです。

 仮に日本がそういう状況に陥ったら、インフォーマル経済をスタートにして社会を再建していくことは難しいかもしれません。法に抵触しても生き延びるために何かして経済を回すということを想像することが難しくなっているのではないかと感じています。つまり、国家や国際機関が頼れない環境を生き延びることができるのかという話ですよね。戦後の安定した時代が長く続いたことで、それを思い描くのが難しいほど、私たちは国家による社会保障を頼りにしています。私がウクライナでの戦争をきっかけに考えたのは、そうした日本社会の姿でした。

 

近代日本とタンザニアにおける移動

松沢 小川先生のご著書『チョンキンマンションのボスは知っている──アングラ経済の人類学』では香港で中古車や天然石のディーラーなどのビジネスとするタンザニア人のコミュニティについて書かれていました。香港にはタンザニアからいろいろな人が入れ代わり立ち代わりやってきますね。タンザニアでは、ビジネスのために故郷を離れて海外に出る人と故郷に残る人になにか違いはあるのでしょうか。

小川 路上商人に限って言うと、ほぼ全員がビジネスチャンスを掴みに国外に出たがっていますね。タンザニアの人々は「海外に行けば稼げる」と考えています。ただ、航空券代が払えない、ビザが取れないなどの理由があるのでほとんどの人は海外に行けません。それでも外国語ができなくても知りあいが誰もいなくても、路上商人たちは私と知り合うとまず「日本に行きたいから、ビザを取るための推薦状を書いてくれ」と依頼してきます。

松沢 全員が海外に行きたがっているというのは驚きですね。と言うのも、近代日本において、故郷を離れて見知らぬ土地で仕事をすることはかなりの決断が必要でした。「故郷に錦を飾りたい」という思いが強くあって、でも実際にはそのチャンスはとても限られている。プレッシャーを背負い、相当な覚悟で都会に出てくるわけです。

 タンザニアの人々が「行けるものなら行きたい」という感じで外に出るのは、グローバル化によるものもありますが、やはり根本には社会の成り立ちが日本とは大きく異なる部分があるからでしょうか。タンザニア社会が仕事や住む場所を頻繁に変えるなど、圧倒的に流動性の高い社会だからこそ、外国であろうとどこに行っても何とかなるという考えが根底にあるのかもしれませんね。

小川 確かにタンザニアの都市社会は、都市で育った者もいますが、地方から都市へと出稼ぎにきた若者たちが多くを占めます。若者のほとんどは、生まれ育った村を出ようとします。いろいろな理由がありますが、都市への憧れはみな持っています。都会に出てきて合わないと感じる人はすぐに戻っていきます。しばらく都市にいた人たちが故郷に帰る場合は、大成功して故郷に錦を飾るか、大失敗してどうにもならなくなって帰るかの二択だと彼らは語ります。そのどちらでもない、つまりそれほど成功してはいないけど、それなりに生きていけるという人は都市に住み続けるので、都市は膨張していきます。

 ただ、個人の移動は、世帯や「共同体」などより広い関係性において考える必要もあります。タンザニア人の人びとは、家族や仲間たちと生計多様化戦略をしています。全員が同じビジネスをした場合、そのビジネスが立ち行かなくなれば、明日から生きていけなくなる。それぞれがばらばらの仕事をすれば、誰かが失敗しても何とかやっている人の支援で立て直せるというものです。移動も同じで、ある人は農村に残り、ある人は都市に行く。欧米に行く人もいれば、香港に行く人もいる。そうすれば、ある地域での暮らしが難しくなっても、誰かは上手くやって、みなが生きていけるじゃないかという考えがあります。

 多様であることを重視する生き方は、多様な民族が一つの国で暮らしているという現実も関係しています。言語も慣習も違う牧畜民と農民が隣あって生きている。農民が所有する畑に牛が入り込んで荒らす。でも牧畜民からすると昔はタダの草原だったところに農地を勝手に作ったのは農民なわけです。「自分たちとはぜんぜん違う」と感じる人々と隣りあって暮らしていると、自分の当たり前が通じる範囲が狭いこと、他者は思い通りにコントロールできないことを強く意識することになります。他者はままならないのですから、どうしても嫌なら自分がどこかに動くしかないわけです。そんな風にして流動性は生まれていくのかもしれません。

松沢 移動することのハードルが近代日本と違ってずいぶん低いのですね。

小川 ビジネスやお金に対する考え方も日本とは異なっています。タンザニアは、一般的な資本主義経済とは少し違っているのかもしれません。市場経済ではありますが、稼いだお金を人に分配してしまったりする。ビジネスをより成長させるためではなく誰かにお金を配ってしまうことは、多くの研究者たちにとって不合理な事態で、一種のモラルエコノミー(損得を超えた経済活動)だと考えられてもいます。けれども、ここには不確実性の高いタンザニアの社会を生き抜くうえで、合理的とも言える知恵があるのではないかと私は考えています。

 と言うのも、タンザニアではお金を貯めていてもそれが将来の時点でも価値をもつとは限らないので、彼らは国や銀行システムをさほど信用していません。そこで銀行に預けるのではなく、いろいろな人にお金を配って貸しのある人間関係を築きます。そうすることで、自身の預金はないものの、ビジネスの資本やアイデアが欲しい時に貸しがある人──その時に偶然に自身の必要に応えられる者──に電話して融通してもらったり、何らかの支援を引き出したりする。つまり、お金はいつ紙切れになるかわからないが、人間は死なない限り、何らかの支援をもらえる可能性があるということです。

 また、儲けたお金を銀行ではなく人に分配することで、支援された人がビジネスでそれを増やしたり、新しい事業や生活の知恵の形で成長させたりすることもあります。人生はままならないですから、自分自身の人生以外の可能性が他者によって変化するという想像は、人生多様化戦略のような、いろんな人生を生きるチャンスも生み出すのです。そうやって、お金や必要性が人間の間を循環し、助け合うシステムが構築されているのがタンザニアのインフォーマル経済なのです。

松沢 日本は真逆の考えを持っていますね。今の日本人は、人は信用できないから銀行や投資で計画的にお金を貯めていく。困ったときは自分のお金だけが頼りです。しかし、逆に言うと、それは人をものすごく信用しているとも言えますよね。銀行も通貨システムも結局は人がつくったものですから。

小川 確かにそうですね。ただし、タンザニアの人たちは、とても気前よく人にお金をあげるので、他人を信用しているように見えますが、必ずしもそうでもないです。タンザニア商人に聞くと皆が口をそろえて「誰も信用していない」と言います。逆説的なことですが、人間一人ひとりをさほど信用していないからこそ、多種多様な人に分配するのです。たとえ今は上手くいっていて権力があっても、10年後にはわからないと。私たちが仮想通貨などで失敗しないように、いろいろな銘柄を買い保険をかけておくのと同じような感覚ですね。彼らは、いくら社会システムの信頼度が増したとしても、銀行や社会保障に全てを委ねようとしません。彼らにとってはそれらも選択肢の一つでしかなく、システムも人間も同じように多様な方法にお金を流すことが安心に繋がるということです。

 

システム整備に熱心な日本

松沢 タンザニアの国家システムが不安定なのと対照的に、近代日本ができあがる際にはそうしたシステムの整備にとても熱心でした。システム単位での信頼をいかに構築するか、ということを目的としてここに投資しました。その一つの例として、明治時代の松方デフレがあげられます。松方デフレは緊縮財政で強制的にインフレを終わらせることを目的としていました。そのため、不景気になり国民が困窮しても関係ないという条件のもとで行われます。当時の人からするとかなり痛みを伴う改革です。明治時代の日本はそういう乱暴なことをやってでも抽象的なレベルでの信頼を構築しようとした社会でした。当時の人からするとかなり困難な時代だったと思います。

小川 そうですね。日本は困難に直面すると、抽象的なレベルでの想像力を働かせて、国や地域社会を基盤に人々をどうにかまとめようとします。「日本国民全員で痛みを分けあい困難を乗り切る」という心構えで、どうにか国民に無理を受け入れてもらう必要があったのだと思います。

 その点で言うと、タンザニアはナショナリズムのその他の全体性に関する想像の一つでしかないように思います。そもそもアフリカ諸国はヨーロッパの列強が植民地として分割してつくられた歴史があります。宗主国は、現地の民族や文化的な境界線とは関係なく国境を引き、アフリカの人々を分断したのです。

 タンザニアの友人はある時、「植民地支配される前、俺たちはブッシュマンだった」と自嘲的に言いました。ブッシュマンはアフリカ南部に居住するサンやクンなどの狩猟採集民を指す蔑称で、アフリカを文明未発達の地とみなす侮蔑的な意味が込められた言葉でもあります。もちろん彼はそのことをよく理解しており、欧米諸国から見たら、そう見えただろうということです。首長制あるいは王朝があった地域もあり、独自の社会システムがありましたが、ヨーロッパの人びとからすれば、半裸の人びともいたし、お城がある社会でもなかったわけです。そこに、突然ヨーロッパの植民者がやってきて、勝手に国境を引き分断させてしまいました。先日、ロシアの軍事侵攻をめぐる国連の緊急集会でケニアの国連大使は、そのような植民地支配の歴史を踏まえながら、自分たちは国境について異議申し立てをするのではなく、それを受け入れた上でより良い連帯を模索することにしたと述べましたが、実際、アフリカの人びとが民族や宗教などを基準に国境を引き直そうとすると紛争になるでしょう。今はタンザニアやケニアといった国はもちろん意識されていますが、田舎に行けば、国境は生活の便宜に合わせて受け止められます。タンザニアの農村に行けば、「さやか、あのアリ塚の先はケニアだよ」「え、私さっき国境を超えて野菜を買ったかも」なんてやり取りもしますし、何らかの緊急事態があれば、国境の先にいる同じ民族の村でお世話になることもあります。

 

明治に生まれた通俗道徳

小川 松沢先生の『生きづらい明治社会不安と競争の時代』を拝読し、「人が貧困に陥るのは、その人の努力が足りないからだという考え方」である通俗道徳が明治の時代にすでに生まれたのかと驚きました。この通俗道徳はどのようにしてできたのでしょうか。

松沢 私からするとタンザニアのように通俗道徳が生まれない国があるのが不思議でした。

 タンザニアの方々は非常に流動的な社会においてとりあえずその場その場で人の助けを借りながらなんとかしています。そして、お互いができる範囲での手助けなので、誰かをどのくらい助けたのか、自分がどのくらい助けられたのかもあまり気にしていません。だから通俗道徳が生まれなかったのかなと推測します。

 日本では江戸から明治に移る時代に、江戸時代の仕組みが全部壊れ人々は大きな変化に直面しました。しかし、そのような困難な時代でさえ、明治時代の人はお互いに助け合うというより自分自身の努力で乗り越える方向に向かいました。これが、自己責任論にも繋がる通俗道徳の始まりです。

 さらに、同時期に新たな相互監視の慣習も生まれました。と言うのも、江戸時代の村が一度壊れたことで、お互いの関係が流動的になるので、厳しい相互監視の組織をつくり始めました。江戸時代の村請制とは違った相互監視のやり方です。

小川 まさに日本の戦時中ですね。

松沢 そうですね。お互いの悪事も監視するし、逆に言うと助けられたらそれはきちんと覚えていて、のちのちその恩を返す義務が生じる。相互監視の社会が明治時代にすでにできあがっているのです。

小川 松沢先生のご著書を読むまで、通俗道徳や相互監視が基盤となる社会がどうしてできてしまうのかが疑問でした。一方で江戸時代の村請制は、連帯責任や相互監視といった人々を苦しめる側面だけでなく、ある種相互扶助のような役割もあったのだと理解してとても興味深く思いました。村請制は村単位で年貢を納める仕組みなので、一人の農民が借金を返せず土地を失うことになると、残った村人の負担が大きくなります。そのため、借金をした人が土地を失わないように村人が援助したと。しかし、明治になり村請制度が廃止され、そうすると借金まみれの人は借金を必ず返さなければならなくなり、借金のカタに土地を奪われるようになった。江戸時代のように相互監視や連帯責任のある社会は鬱陶しいです。しかし、何かあったときに自分たちの生命の維持を保障する側面もあったのだという点がとてもおもしろかったです。

 ジェームズ・スコットは『モーラルエコノミー東南アジアの農民叛乱と生存維持』で、自営農になるよりも窮地の時に最低限の生存保障を得ることができる小作のままに留まろうとする東南アジアの事例を報告しましたが、アフリカの農村部はこれとは異なるとされています。皆が小農として自営で農業をしています。土地の大きさなどはみなバラバラです。他方で、誰かがたくさん農作物を収穫すると、その時に食べ物がない者たちは彼らから農作物を分けてもらいます。金銭と同じで自身に余裕があれば分配するし、自分が困っているときは人からもらうのです。生産手段はシェアしないけど、生産物はシェアするということですね。しかし、そうだとすると、合理的経済人ならば自身が損をしないよう、みなと同じようにしか働かない。すなわち最小限の努力で生計を維持しようとする。かつてはこうした規範がアフリカの経済の停滞の一因にあると言われたこともありました。

 今では必ずしもそうではないとする議論もありますが、都市のインフォーマル経済でも他の人がどのように稼いでいるのか自体にはそれほど関心がないこともあります。成功者は当然妬ましいですが、自身に富を分け与えてくれる限りでは、ありがたくもあるわけです。

松沢 おもしろい考えですね。タンザニアでは、結局分配されるのだから、自分が儲けても他人が儲けても同じという感覚なのでしょうね。だから、いい意味で他人に関心がないのかとも感じます。一方、私たち日本人はむしろ他人からモノやお金をもらうことに後ろめたさすら感じます。さらに、稼いでいる人に対しては、分けてもらえないことが前提なので、「なんであいつばかり」といった妬みの感情も出てきてしまう。そして、その人と競争するように「自分も頑張らなくては」という方向にいってしまう。

小川 もちろん与えてばかりの側からすると「なぜ私ばかり」という気分にはなります。タンザニア人たちも同じです。ただそこで、日々の生活は自己責任なんだとすれば、不安定で不確実な上に社会保障制度も十分に機能していない世界では生きていけない人が出てきます。そこで彼らは、特定の個人に期待するのではなく、期待を分散しておくのです。いろいろな人に分け与え、そのうちの誰かから返ってきたら何とかなるという気持ちなのかもしれません。

 

人を選ばないタンザニア人

小川 私は別にタンザニアのやり方が優れているとか日本がより優れているという比較はしませんが、タンザニアの人々がすぐさま人を排除しない点はとてもいいなと思っています。日本では約束をちゃんと守る人、勤勉できっちりしている人など好ましい人間像がありますよね。好ましくない人間とは、少なくともビジネスや公的な場では、可能な限り、付き合うことをやめようとします。

 一方、タンザニアの人たちはいろいろな種類の人と付き合っていくことが大切だとし、誰かと関係を築く上ではあまり人を選びません。例えば、今は好調で自分は何でもできる気持ちになっているけれど、いつか何らかの事情で何もかも投げ出したくなり、ダメ人間になるときが来るかもしれない。そうなった時に周囲がみなガツガツ前に進むばかりの人だったら、誰に相談したらよいかわからないですよね。「落ちぶれた時には、くよくよしたことを言い合える人」と思えば、どんな人とも仲良くしておいたほうがいいと思えるのです。成功して起業するかもしれないし、追いつめられて魔が差すかもしれない。予測できない未来に備えて、多種多様な友人と関係をつくり維持していくのです。

松沢 そこまで考えられるのはすごいですね。他人も自分も等しく信用していないのでしょうね。

小川 自分の人生が一番ままならないですよ。私も(笑)。自分の未来を過度に信用しないというのも、不安定なインフォーマル経済の仕事をしていることとも関係していると思います。タンザニアの都市部だと労働人口の7割弱がインフォーマル経済に従事しています。

 私は、研究のためにタンザニアで古着の行商をしていたことがあるのですが、その時、インフォーマル経済の不安定さを体験的に理解しました。もちろん最初は日本人らしくコツコツ働いて成功することを目標にしていました。たくさん服を売って、儲けが出たら仲卸商になって、数百枚の古着が梱包されている塊を二つから徐々に増やして「やった! 成功した!」と筋書きを描いて実践していきます。

 しかし、信用取引をしている商人は「警察に古着を没収された」などと言って代金を踏み倒したりします。頑張ってある程度のところまで成功しても予期せぬ出来事で全てがゼロになるなんてことは日常茶飯事にありました。一方で、突然に誰かがビジネスを始めるお金を援助してくれることもあります。零細商人にとって人生は山あり谷ありが普通です。努力だけでは何ともならないこともありますよ。

 

インフォーマルな選択肢

松沢 日本はそれなりに社会保障のシステム自体はあるのだけれども、自己責任論が強いですね。一方、タンザニアはシステムは弱いが、他人も自分も信じないが故の相互援助が循環している社会です。両者はかなり対照的です。

小川 仰る通りですね。何度も繰り返しますが、日本とタンザニアのどちらが望ましいというわけではないです。ただ最悪なのは、困ったときに「助けて」とも言えず、さらに社会保障もやせ細っている状態です。これだけは避けないといけません。

 タンザニアのように国が頼りないのなら、インフォーマルな仕事を始めやすくするというのも一つの手段だと思います。実際に、タンザニア第二代大統領のアリ・ハッサン・ムウィニは、インフォーマルセクターを容認しました。商人たちが言うには、ラジオで「タンザニア政府は皆さんの生活をすべて保障できません。それゆえ政府はインフォーマル経済を振興します」とラジオで宣言したそうです。以前は、都市で正規の職を得ていない者たちは農村に強制送還されていました。でも農村に帰っても仕事がなければ、またすぐに戻ってくるのです。そして政府の取り締まりに抵抗して頻繁に暴動を起こすようになります。そうして粘り強く抵抗を続けて、インフォーマル経済が振興されるようになっていったのです。

 フォーマルセクターに職を見つけた人も障害や病気を抱えたり、会社が倒産して失業したりすることもよくあります。そういう人でもひとまず食べていくためにインフォーマルな仕事を始められると、社会復帰のきっかけをつかむことができます。

松沢 先ほどお話した、ロシアの人がじゃがいもを育て始めるなど、非常時にインフォーマルな活動をし始めることは、ある種生き残るためには当然の行動だろうと思います。しかし、日本はかなりインフォーマルなものに対して厳しい風潮があります。なので、仮に日本で政府が弱体化していって、社会保障自体がますます衰退していったとしても、自己責任論だけは強く残るという悪いとこ取りの未来がこないか心配です。

小川 残念ながらその兆しはありますよね。SNSを見ていると、困っている人が社会保障を受けづらくなるほどに、厳しい自己責任論が溢れていて、日本の将来が心配になります。もしタンザニア政府が困窮している人への社会保障制度を準備すれば、働ける人も殺到してしまうのではないかと想像したりしますが、日本は困窮して社会保障を受けていいはずの者たちまでも通俗道徳にがんじがらめになって我慢してしまう。

 

日本社会には緩みが必要

小川 自己責任論が根深く残る日本社会には、どのようなシステム改革や政策が必要でしょうか。

松沢 よく理想とされる福祉国家モデルというのがありますね。それは日本がめざすべきかたちの一つではありますが、そのままそっくり真似すればいいわけじゃないと思うんです。というのも、現状日本は今のかたちで成り立ってしまっています。しかし、社会を構成しているのはシステムだけではありません。だから、上から一方的にシステムを変えるだけはなく、社会全体の考えを緩める必要があると思いますね。

小川 おっしゃる通りですね。社会保障はタンザニアに比べたらすごく充実しているのに、社会のほうが厳しいです。失業してハローワークに行き、「なぜクビになったのか」「どんなスキルをもっているのか」「どんな条件で働きたいのか」と事細かに聞かれる。せっかく新しい仕事を探しに来たのに、自分はいかにダメかを無理やり思い知らされてしまう。自信がなくなり、自分は何もできないのではないかと思ってしまうのも仕方がないです。

 日本ではこれが正しいとされている生き方があまりにも限定的です。失業してしまっても、まずはお金を稼ぐために庭がある人はじゃがいもを植えるだとか、何か育てるなどをしてもいいはずです。ミシン一台を買って「お仕立てします」と看板出したり、インターネットで売り買いしたり、小さな商売をするのもいいですよね。それで十分に生活できなくても社会の中で生きている実感を得ながら、生活保護を堂々と受けて生きて行けばいいではないかと思います。やはり、社会がぎちぎちしてしまっています。

松沢 どこかを緩めないと生活保護ですら堂々と要求することもできない。それほど自己責任の考え方が強いのが日本の現状ということですね。

小川 そうですね。以前に清水克行先生の『喧嘩両成敗の誕生』を読んだのですが、日本人も昔は、喧嘩したらどっちも成敗にしなければならないほどにキレやすかったのだと驚きました。

 松沢先生の著書では、明治頃になると全員が全員を評価しあう監査文化になったと書かれています。これは、現代特有のものかと思っていましたが明治の時代から始まったのだとしたら、ずいぶん根が深いです。

 監査文化はSNSが普及するとともにより根深くなっている気がします。他人が失言や失敗したことになぜ社会がそこまで責めるのか不思議です。他人の本心なんてネット情報程度じゃわかりようもないと思うのですが。ある時にはTwitterの投稿者として、ある時はTVの視聴者として、全く関係ない他人の良い悪いを評価する文化ができあがっています。

 タンザニアの零細商人たちのSNSでは、見知らぬ他人に対する評価はあまりしません。もちろん世間の全く関係ない人に自分が評価される筋合いはないとも思っています。

松沢 日本社会全体として他人のことを気にしすぎですよね。先ほどの清水さんの『喧嘩両成敗の誕生』のお話でもありましたが、中世日本の無秩序さや混乱に耐えきれなくなったところに、集団を重視する江戸時代の社会ができたという考え方もあります。

 他人からの評価と言いますと、小川先生のご著書に「タンザニア人は根拠なく自分は愛されていると思っている」とありました。たいへん興味深いですね。

小川 たしかに私が調査している商人たちは、よく自分は誰々に愛されていると語ります(笑)。というのも、彼らは信じられる人と信じられない人がいるわけではなく、誰しも晴れの日も雨の日もあって豹変する者だと考えています。誰も信じられないという前提で関わるなかで、自分に親切にしてくれたのだから、「この人は自分のことが好きに違いない」と語るのです。

 一方で、自分が好きな人に対して何か親切をしても必ず返ってくるとも限らないので、自分が誰を好きかはあまり語らないです。

松沢 それは日本人にとってとても新鮮ですね。逆に言うと、今の日本社会では誰が自分のことを嫌っているかばかり考えている気がします。

小川 確かにそういう側面はありますよね。特にSNSでの評価では、否定的な意見が気になりますからね。ただ、みんながみんな同じようにSNSを使うわけではありません。タンザニアの商人たちのSNSは路上世界と同じように無秩序で、無秩序すぎて特定の人びとの意見を気にしてもしょうがないという状態になっています。

松沢 むしろ最初からSNS的と言うか、向いているのかもしれませんね

小川 SNSはなぜこんな息苦しい空間になってしまったでしょうか。誰かが少しでも差別的な発言をすると総攻撃を受ける。もちろん差別発言は許しがたいことですが、個人的にはSNS上で一斉に攻撃するのは逆効果なのではないかと思いますね。フォロワーが多かれ少なかれ、SNSは匿名の第三者に開かれたパブリックな空間です。そういう不特定多数の人が見ている空間で自分自身の何かが切り崩されるような批判を受ければ、つい防衛的になるのではないでしょうか。そして自分と同じ意見の人を探し、より極端な思想に振り切ってしまうことも。そうなるとやっぱりわかり合えないという分断がますます際立ってしまう。

松沢 怨念が溜まるだけで、そこに議論は生まれません。

小川 過激な発言をする人の中には、明治時代に鬱屈して都市暴動などを起こしていたような人たちも含まれていると思います。いまでは都市暴動はできないし、祭りや無礼講などを含めてガス抜きする場所が少なくなり、SNSがそのはけ口になっています。だから、攻撃して封じ込めるだけでは、根本的な解決にはならないと思います。

松沢 人が何か失敗したとき徹底的に攻撃し、逃げ場をなくしてしまう。それが今の日本社会ですね。

小川 そうですね。リベラルな人たちの主張はもっともだと思いますが、人は変わる可能性があるという前提で少し批判をするのを待ったり、言い訳をとりあえず受け入れておいたりといった交渉をするのはだめなことでしょうか。

松沢 社会にはいろいろな人がいるというレベルで止まらないのが最近の傾向だと思います。

 

シェアハウスは孤独を解消しない

小川 私はつい最近までシェアについて研究し、シェアハウスなどの孤独を解消する試みについて関心を持っていました。その過程で、単に誰かとシェアする空間をつくるだけでは、孤独の解消には繋がらないと実感しました。

 シェハウスはそもそも誰かと時間や空間を共有するのが好きな人に支持されていました。何かのきっかけで人づきあいが苦手になり、孤独になることでますます人づきあいが下手になる人にとって、シェアハウスは敷居が高かったり居心地が悪かったりする場所にもなる。やはり社会の規範など根本的なものを緩めていく必要があると強く感じました。

松沢 孤独な人が頼りやすい場所を増やしていくのが重要ですね。孤独か共同体かのような二項対立で考えると何も解決にはつながりません。ほっぽり出されるか、がんじがらめにされるかの二択になってしまいます。

 周りには頼れる人が沢山いて、生活は苦しいけどなぜか生き延びることには不安がないという社会にしていく必要があると思います。そうではないと、本当に孤独になったときに追い詰められて悲惨な状態になってしまう。望まない孤独死などもその一例ですね。

小川 誰の世話にもならずに自律して生きる個人たらんとする志向が強すぎるのかもしれません。タンザニアの商人たちは、借金をたくさんしている人はいい人だと語ります(笑)それだけ多くの人がお金を貸してくれたのだからいい人に違いないと考えるのです。日本もそのぐらいの緩さがないと生きていくのが苦しくなってしまいますね。

松沢 日本も戦後などの不安定な時代に、インフォーマルセクターが拡大した時期は何度もありました。ただ、そこから緩みを持つ社会をつくるという方向には向かわないわけです。結局それに反発するかのように元に戻そうとする強い流れが生まれてしまう。日本では、将来に対する不安が出るとシステムに頼りたくなり、システムを作り直す方向に向かうのです。そして、少しの緩みも残さずぎちぎちに社会の規範を締めなおそうとする。

小川 今の日本からすると、時々にでもそういう社会の緩みが出るだけまだ良いような気もします。

松沢 おっしゃる通りです。ぎちぎちしているのが日本人の国民性と言ったらそこで話が終わってしまいます。日本にも緩みが生まれる時期は時々あるので、そこは念頭に置いて今後社会をどう変えるか考える必要があるかなと思います。

小川 トム・ルッツの『働かない──「怠けもの」と呼ばれた人たち』という本を読み、ボヘミアンやヒッピーなどの怠け者主義と勤労主義が交互に強まるという内容が印象的でした。長期間にわたって勤労主義が続くと、その反動のように怠け者主義が高まり、ブームになるのです。しかし怠け者主義が長く続くと、また勤労主義に戻ったりするのです。

 人間は怠け者主義にも勤労主義にも満たされない思いを抱き、そのはざまで揺れ動いてしまう。その両者のバランスを保ちながら何とか緩急をつけて生きていければいいように思います。

 

声をあげやすい支援の形

松沢 通俗道徳規範を徐々に解体していくようななにかが必要ですね。

小川 そうですね。誰でも声をあげやすい支援の形がもっとあったらいいと思います。以前に加藤正明さんが書かれた『祭りのイノベーション』という本の企画で、「おてらおやつクラブ」の理事の福井良應さんと鼎談しました。「おてらおやつクラブ」は全国で1,700寺以上が加盟しているNPO法人ですが、困窮した家庭に余ったお寺のお供え物を届けるサービスを提供しています。お供え物のお菓子だけではなく、雑貨なども届けているそうです。

 お寺を真ん中に挟むことで支援がスムーズになるという点がとてもおもしろいです。生活に困っているとき、近所の人に「食べるものが無くて困っている」とは言いにくいですが、お寺には助けてと言いやすいですよね。お寺の余り物をもらうということは、自分への直接的な支援ではないので、支援を受ける心理的ハードルが下がります。

 また、日本人からしたらお寺って喜捨をしたりして徳を積む場所です。なので、寄付する人も徳を積むついでに困っている人への支援ができるなと。

松沢 まさに中世日本におけるお寺の役割ですね。また、中世には一度仏のものにしたら元の人には戻せないという原則がありました。そうすることで、お供え物を仏に上げた人とそれをもらった人との間に貸し借り関係が生じません。そういう背景も、支援を受けやすくしている理由の一つである気がします。

小川 きっとその点が日本人として納得しやすく、助けてって言いやすい理由ですね。また、最近住宅サブスクリプションが流行っているという話を聞きました。4万円ちょっとの定額を払えば全国の契約している家に滞在できるというサービスです。そこまで人が流動的になったら地域社会はどうなるのだろうとふと心配にもなりますが、地方の閉鎖的な場所でよそ者が滞在するようになると通俗道徳規範などにも風穴があくのかなとも期待します。

松沢 今は空き家対策とかも問題になっているわけですし。先ほどの「おてらおやつクラブ」のお供え物が余っているというのにも通じますが、余っている資源を活用するのはいいですね。

 やはり、一気に全部を変えるのではなく、今あるものを活用し、できるところを緩めていくのが大事だと思います。

小川 通俗道徳規範は、簡単には変わらないと思いますが、できるところからが大事ですね。もちろん、勤労や努力自体は悪いことではないです。ただ「その人が頑張っているからお金を稼げているのだ」など、努力とその人の状況を直接的に結び付けてしまうことに問題があるのです。その因果を少し緩くしていく必要がありますね。

松沢 一方、ここ数年で通俗道徳や自己責任論に対しての考え方に変化も感じます。学生と関わっていると、前までは「私も通俗道徳に染まっていました」という反応が多かったのです。

 しかし、最近の学生は、通俗道徳を前提とした今の社会は何かおかしいと考える人が増えています。というのも、今まであった、頑張れば成功するという社会のデフォルトが通用しないと彼らなりに実感しているのではないでしょうか。

小川 私たちの世代のアカデミアでは、「高学歴ワーキングプア」として社会問題になった、優秀なのに40代になっても常勤の研究職にはつけていない人たちがいます。アカデミアの就職は今でも難しいですが、院生さんと話すと、非常勤講師で食べていくのが大変なら、別のことをしようという考えの人がいます。今はオンライン講義を開くこともできるし、独立研究者として社会に直接学術成果を還元する道も新しい学者の姿だと思います。博士号を取得したばかりの院生では受講者を集めにくいと思いますが、それならそうした人々が集まってオンラインで収入を得られるようなプラットフォームをつくる支援もいいのではないかと思います。

 また、昔は学術書の出版には公的な助成を申請するのが一般的でしたが、今は「クラウドファンディングをする」という人も増えています。自分の研究を活かしてコンサルタント会社や調査会社を起業するのもいいですよね。アカデミズムにもまずは試しにやってみるというインフォーマルな道が拓けるといいなと思います。(終)

松沢裕作・慶応義塾大学経済学部教授
まつざわ ゆうさく:1976年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。2002年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程中途退学。東京大学史料編纂所助手・助教(担当は『大日本古文書 幕末外国関係文書』
の編纂)、専修大学経済学部准教授(日本経済史)を経て、慶應義塾大学経済学部准教授を経て、現職(社会史)。専門は近世・近代日本社会史。主な著書に『自由民権運動〈デモクラシー〉の夢と挫折』『生きづらい明治社会 不安と競争の時代』等。
小川さやか・立命館大学先端総合学術研究科教授
おがわ さやか:1978年愛知県生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。
日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授を経て、現職。著書に、『都市を生きぬくための狡知──タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(2011年サントリー学芸賞)『チョンキンマンションのボスは知っている──アングラ経済の人類学』(第8回河合隼雄学芸賞、第51回大宅壮一ノンフィクション賞)等。
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