『公研』2020年12月号「めいん・すとりいと」

武内宏樹

 コロナに始まり、コロナに暮れる2020年、12月に京都の清水寺で揮毫される「今年の漢字」は「禍」が有力だと思われる。年末恒例の「新語・流行語大賞」も、年間大賞に選ばれた「3密」をはじめコロナ禍にまつわる言葉が数多く入選した。

 今年5月14日付のアトランティック誌電子版に“Why America Resists Learning from Other Countries”という興味深い記事が掲載された。コロナ禍への対応で米国がいかに外国から学ぼうとしないか、それが結果としてコロナ対応の失敗にどう結びついているかを論じている。米国がコロナ禍への対応に失敗しているのは紛れもない事実である。人口100万人あたりの死者数(1126日現在)は、日本は16人なのに対して米国は816人にのぼる。米国と同じ日に最初の死者が出た韓国は10人、新型コロナウイルスの封じ込めに成功した台湾は0・3人である。にもかかわらず、米国内の議論で日本や韓国、台湾から学ぼうという声はまったくと言っていいほど聞かれない。

 外国から学ばないのは何もトランプ政権と共和党の専売特許ではない。今年の大統領選予備選で民主党の候補者が国民健康保険について議論をしたとき、どの候補者も欧州諸国や日本などですでに導入されている国民皆保険制度を検証するのではなく、各自の理想像を提示して「机上の空論」を語るばかりであった。ひとくちに「国民健康保険」と言っても、その中身は国によって大きく異なる。英国のように政府が提供する公的医療保険しか存在しない国もあれば、ドイツのように公的保険と民間保険の両者が存在して競争政策が取られている国もある。また、米国のオバマケアのように民間保険への加入を義務付ける形式もある。

 オバマ政権で副大統領を務めたジョー・バイデン氏は、選挙戦を通じてオバマケアの拡充を訴えていた。ただ、公的保険がなく民間保険のみという今の形式では、民間の保険会社が安価な公的保険との競争にさらされないので、どうしても保険料が割高になる傾向がある。一方、バーニー・サンダース氏は、民間保険を禁止した上での国民皆保険制度導入を提唱した。すでに民間保険に入っている人に対しては公的保険でもサービスの質は落ちないと主張したが、それは説得力に欠ける。というのは、民間保険は富裕層が高い保険料を負担することで成り立っているので、それに見合うサービスを公的保険が提供するとなると膨大なコストがかかるからである。そうなると、サンダース氏が強く否定する中間層への増税は必至となろう。

 そもそも国民皆保険制度が整備されている国々では、税収を国内総生産(GDP)で割った租税負担率が、米国に比べておしなべて高い。サンダース氏が大統領討論会で「デンマークのようになりたい」と言ったが、デンマークの租税負担率は45%であり、ドイツも38%、それに対して米国は24%にとどまる。ちなみに、日本は租税負担率こそ25%であるが、社会保障負担率を合わせた国民負担率は43%にのぼる。サンダース氏は富裕層への増税だけで賄えるとしているが、これは国民皆保険制度が機能するためには富裕層に富が集中するような経済格差が必要と言っているに等しい。民主党左派の理屈は自己矛盾に陥っている。必要なことは、他国の事例を検証しながら、公的保険と民間保険のベストミックスを議論していくことであるが、この王道を選択することが米国にはできないのである。

 米国人に「なぜ外国から学ぼうとしないのか」と聞くと、「外国のことに言及するのは『欧州諸国は税金が高い』とか、ネガティブなことをいうときだね」という「あさって」の方向の返答しかない。諸外国の実情を比較・検討し、ベストミックスを探そうという姿勢がない。

 世界が何でも「米国に学べ」だったときにはそれでよかったかもしれない。しかしながら、オートメーションとグローバリゼーションで激変する経済環境への適応に苦しみ、コロナ禍への対応に失敗した今の米国にとっては、「外国に学ぶ」という姿勢が何よりも大事なのではなかろうか。

サザンメソジスト大学(SMU) 准教授

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