『公研』2021年7月号「めいん・すとりいと」

 将棋を勉強するための環境は、近年激変した。筆者が棋士の卵として必死に勉強していた頃から考えれば雲泥の差である。昔は新聞に観戦記が出るまで入手できなかった棋譜を、今の子どもたちはアプリを通じて簡単に閲覧できる。現地に行って教えを乞うていた全国の強豪とインターネットを通じて対局することも、わざわざ師匠による評論を通さなくても自分の棋譜を将棋ソフトによって簡単に添削も可能だ。  棋士も、昔は盤駒を並べて必死に自分の将棋を考えていたものだが、現在は将棋ソフトをインストールしたPCとにらめっこして研究している。自分専用の教師として優秀なPCを使う棋士も多い。

 だが、そのような優れた勉強環境の中でも、昔から変わらないことがある。それは基礎の反復練習である。将棋を覚え始めの人に推奨されるトレーニングに、詰将棋と呼ばれる王を詰ますことのみを考えるパズルが数多く収録されている本を幾度となく解くことがある。わからなければ答えを見ても良いが、一度すべて解いたとしても、何度も読み直し、考えなくともぱっと答えが出てくるようになるまで繰り返すことが推奨される。

 このトレーニングは何をめざしているのか。ここで重視されるのは、考え抜いて解を作り出すことではなく、すでにある多くの解を身に付ける、いわば己の血肉とすることである。一旦多くの解が血肉となったならば、その解は問題と似た局面が出てきた時に、考えずとも頭の中からするっと出るようになる。九九を暗唱してしまえばわざわざ一桁の掛け算を計算せずとも答えがわかるようになるのと似たようなことと言えるだろう。

 棋士の卵達はこうしたトレーニングから始め、そのうち手筋と呼ばれるような、より多くの局面で使えるような公式を自らの血肉にする。こうした努力により、棋士になる頃には多くの局面で考えずとも候補手を出せるようになる。棋士の直感は七割正解するとも言われているが、これはこうしたトレーニングの上に成り立つものである。近年では将棋ソフトが出す回答をどうにか手筋化(公式化)し、自らに取り込もうとする努力も良く見かけられるが、これまでは先達の積み重ねて来た回答を取り入れて来たものが、将棋ソフトの出すより真理に近そうな回答に置き換わったということだろう。  実践においては考えずとも正解が出せるということは大きな恩恵をもたらす。わざわざ考えて回答を出すより何倍も省エネが期待できるのだから当然と言っても良いだろう。

 いちいち問題に応じた公式から考えていたら実際の試験では何分あっても時間が足りないだろうし、直感が優れていれば脳の疲労も気にしなくて済む。将棋の実戦においても持ち時間が限られているため、この省略は非常に大きな時間の節約となるし、ここで考えなかった分をより難しい局面へと回すことができる。

 もちろん、自ら公式を作り出す発想力が必要なこともある。最先端の研究においてはこれまでの回答を超える発想が必要だろうし、将棋の実戦でも未知の局面ではこれまでの常識を超える手が要求される。だが、そうした発想はあくまで基礎能力がついてこそのものである。

 どんなに人間の使うツールが進歩したとて、脳と身体の構造自体が変わらなければ、基礎の鍛錬は高度な実践において必要とされるだろう。先端技術がどれだけ煌びやかであれ、その下支えをする身体の血肉作りこそが全ての源なのだから。 将棋棋士

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