『公研』2024年5月号「対話

デモクラシーの起源から考える

我々は民主主義を当たり前の前提とする社会に生きている。

しかし、どれだけ民主主義のことを知っていると言えるだろうか。

デモクラシーの起源、2500年前の古代ギリシアから考える。

 


たかはし げんいちろう:1951年広島県生まれ。横浜国立大学経済学部除籍。81年『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長篇小説賞優秀作、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞、2012年『さよならクリストファー・ロビン』で第48回谷崎潤一郎賞を受賞。著作に『ぼくらの民主主義なんだぜ』『高橋源一郎の飛ぶ教室──はじまりのことば』『一億三千万人のための『歎異抄』』『一億三千万人のための小説教室』など多数。


はしば ゆずる:1961年札幌市生まれ。90年東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。博士(文学)、古代ギリシア史専攻。93年大阪外国語大学助教授、2006年東京大学助教授、07年同准教授、10年より現職。著書に『アテナイ公職者弾劾制度の研究』『民主主義の源流──古代アテネの実験』『賄賂とアテナイ民主政──美徳から犯罪へ』『古代ギリシアの民主政』など。


 

デモクラシーの翻訳は「民主主義」が適切なのか?

 高橋 今日は民主主義をテーマにお話ししていきたいと思います。この問題は、専門家だけに留めておくのはもったいないと思うんです。プロでなくても参加できるのはいいところで、逆に僕のような素人が専門家に積極的に聞くことが大事ではないかと考えて、今日はあえて出て参りました。

 僕の経験上こういうテーマは前もって話題を決めてしまわないほうがいいのですが、今日は大きく分けて民主主義の「過去」「本質」「未来」の三つの側面から橋場先生に質問していこうと思います。まず民主主義は何だったのか(過去)を確認した上で、民主主義とは何か(本質)を考えます。そして民主主義はどうあるべきなのか、未来のあるべき姿を検討するのがコースとして美しいかなと思いました。

 過去の話をする前に、一つ確認しておきたいことがあります。「民主制」という言葉を書くときに、僕は制度の「制」を使うんですよ。おそらく十人中九人は民主制と書く気がします。ところが橋場先生は、ご著作で民主政と書いていて政治の「政」を使っています。ぼくたちは何となく民主制と書いていますが、先生はあえて「民主政」と書いているのだと思います。それはなぜなのでしょうか?

 橋場 「民主制」にしても「民主政」にしても、要するにデモクラシーの翻訳ですよね。元々はギリシア語のデモクラティアに由来していて、日本では民主主義と訳されるのが一般的です。しかし、私は以前からこの訳語を不思議に感じていました。と言うのも、アリストクラシーは貴族政、モナキーは君主政と訳されていて、貴族主義とか君主主義とは言わないんです。ところがデモクラシーだけは、なぜか民主主義と訳されている。

 僕は、この問題にこだわってみることは意外と大事だと思っています。何々主義と言うと、まだ実現していないがそれをめざすべき理想が存在しているかのような印象を与えますよね。

 あるいは逆に、「それは修正主義だよ」というように、貶す場合に使われることもある。

 高橋 「主義者」と言ったりもしますが(笑)、大体いい言葉じゃないですよね。

 橋場 そうですね。昔から「僕はイズムとか言いたくないんだよ」なんて言ったりしますよね。「あるべきもの」「あってはいけないもの」のいずれであっても、実現していない状態に向かうときに主義(イズム)という言葉は使われています。

 けれども本来デモクラシーは、イズムだけが強調される言葉ではありません。「古代ギリシアのデモクラティア」と言うとき、ここにはもちろん理念も含んでいますが、それ以上に人びとの生き方の総体、「way of life」と言ったほうがしっくりくると僕は思っています。

 アリストテレスやプラトンが使っている「ポリテイア」という言葉も、似たところがあります。便宜上「国制」と訳されていますが、本当は誤訳です。この言葉には風俗、習慣、食生活などのすべてが含まれています。さらにはポリスの自然、風土や環境、もちろん法律も含まれるし、狭い意味での政治制度もここには入ります。アリストテレス学派は『アテナイ人の国制(アテナイオン・ポリテイア)』を書きましたが、アテナイに生きている人たちの生活様式の総体をポリテイアと呼んだわけです。デモクラティアは、ポリテイアの中の一つなんです。

 高橋 デモクラティアもポリテイアも簡単には訳せないわけですね。

 橋場 そうなんです。前置きが長くなりましたが、僕が「民主政」と書くのは、「制」の場合よりもそこに含まれる意味が広くなると考えたからです。どちらも同じ音ですが、「制」と書いてしまうと、憲法や法律の条文に書いてあるような制度を説明する言葉と誤解されてしまう気がしたんですね。「政(まつりごと)」という漢字は、本来は祭祀を表していますから、より人間的な印象があります。もっとも、「制」よりも「政」のほうがずっといいのかと言えば、そうでもないですけれどもね。

 高橋 他に適当な言葉がないわけですね。確かに「制」はシステムであって、モノのような印象があります。要するに、人間があまり見えてこない。それが「政」になると、人間が関わってくる。僕も民主主義という言葉は、ヘンだなと思うんですよ。だからと言って、どんな言葉がいいのかは思い浮かばない。翻訳しないでデモクラシーでいいのかなと。

 橋場 本当はそれが一番いいんでしょうけどね。

 高橋 ただ僕自身は、デモクラシーは民主主義と訳してもいいのかもしれないとも感じています。古代ギリシアでデモクラシーが発生してから2500年以上も経っていますから、現在とは意味が変わっていて当然ですよね。長く使ってきていろいろな経験をしてきましたから、我々はデモクラシーの良いところも悪いところもわかってきた。それで、誕生した頃とは違った見方をするようになってきた。そうすると、イズムのような、ある意味では理念的な要素を民主主義に求めることも少しは必要なのかなと思うようになりました。

 橋場 そうですね。よくわかります。デモクラティアはもちろんイズム(理念)も含んでいます。

 

古代ギリシアの民主政は「衆愚政」?

 高橋 それでは民主主義の「過去」について聞いていきます。橋場先生は古代ギリシアの民主主義を専門に研究されていますが、この問題をいま問いかける意味はどこにあると感じているのでしょうか。政治学でも社会学でも、歴史学はすべて過去に起きたことを扱っていますよね。自分の研究の現在的な意義などは「問わない」研究者もいるのかもしれません。けれども古代ギリシアの民主主義の場合は、研究することの現在的な意味があるような気がしています。

 橋場 私が学生だった頃、歴史を学ぶことに現代的な意義を求めたりすると、先生や先輩からは、「そういう色目を使っちゃダメだ。学問は学問として価値があるのだ」とよく言われました(笑)。もちろんそれはその通りなのですが、僕の場合はどうしても「何のためにこの学問を学んでいるのだろうか」という青臭い疑問を、頭のなかから拭い去ることできませんでした。

 実は最初は、ドイツ近代史をやっていたんです。ところが大学三年生になったときに、ドイツ人でもないのになぜドイツの歴史を勉強しているのだろうと疑問に感じるようになりました。ドイツ史の先生に相談したところ、「そんなことを言っているうちは、まだ勉強が足りない。本を貸すからとにかく勉強しなさい」とおっしゃるんですね。

 高橋 そういう疑問を持つこと自体が勉強不足だ
と(笑)。

 橋場 そうなんです。だけど、僕は自分の内側から湧いてくる「どうしてもこれを知りたい」という気持ちに素直でいたかった。

 高橋 要するに、ドイツ近代史はそういう対象ではなくなっていたわけですね。

 橋場 それで四年生になったときに、ドイツ史の先生には謝りに行って、一年間留年することを決めました。その一年間は暇でしたから、毎日映画ばかり観ていました。

 高橋 いい話だな。

 橋場 八〇年代前半の頃ですが、当時は池袋の文芸坐や銀座の並木座など、安くて何本も観られる映画館があったんです。その一年間で二〇〇本くらい観ました。そういう日々を過ごしているうちに、古代ギリシアが好きだったことを思い出したんですね。中学生のときに、子ども向けに物語風に書いた岩波少年文庫版の『ホメーロスのイーリアス物語』を読んだことがきっかけでした。それでやっぱり古代ギリシア史をやりたいと思って、古代ギリシア史の先生を訪ねたんです。

 それ以来、なぜ自分は古代ギリシアの民主政を研究したいのか、ということを意識するようになりました。内面から湧き上がってくる研究への衝動は、当然自分が生きている今の時代とどこかで関わりがあります。それを突き詰めると、僕が古代ギリシアの民主政を研究したいと思うようになったのは、当時の西洋史の学問が古代ギリシアの民主政に冷淡だったことが強く影響していたのだと思います。

 高橋 どういうことでしょう?

 橋場 日本の戦前・戦中は、皇国史観が吹き荒れましたよね。東京帝国大学の平泉澄教授はその代表格でした。それが戦争に負けたことで、新しい世の中が到来します。新しい憲法が制定されて、日本国民は平和と民主主義という新しい価値を追求することになりました。

 歴史学も大きく変わって、いわゆるマルクス主義史学(史的唯物論)が台頭することになります。日本史も東洋史も西洋史も、基本的には史的唯物論をベースにしたものが主流になりました。ところが西洋古代史は、なぜか古代ギリシアの民主政については冷淡だったんです。戦後になっても、「あれは衆愚政だ」という従来の紋切り型の理解から脱却することができなかった。これは非常に不思議なことだと僕は思います。

 高橋 テーマとしては一番浮かび上がってきそうですよね。

 橋場 そうなんです。一例を挙げるならば、戦後歴史学を代表する西洋古代史学者に、土井正興先生がいます。戦後まもなく東大の西洋史学科を出ますが、その時の卒論のテーマがアテナイ民主政のオストラキスモス、つまり陶片追放でした。土井先生がそのテーマをそのまま追究してくだされば、わが国の古代ギリシア民主政の研究はずいぶん進展したのではないかと思います。

 土井先生はいったん毎日新聞社に勤めた後、再び研究の世界に戻ってきたのですが、その後、せっかく始めたアテナイ民主政の研究を止めてしまって、今度は古代ローマの奴隷制の研究を始めます。紀元前七三年に「スパルタクスの乱」という奴隷反乱がありましたが、その研究者として有名になります。

 戦後歴史学は史的唯物論の影響力が強かったので、世の中の仕組みを、いわゆる上部構造と下部構造に分けて、下部構造(生産関係)を重視するという考え方をします。上部構造がどのようなかたちになるかは、それが民主政であれ貴族政であれ独裁政であれ、下部構造、つまり奴隷制を問題にしないと話にならない、というわけです。その傾向は、私の先生の世代になっても残っていました。

 高橋 戦後になっても、ギリシアの民主主義に対して、ポジティブなイメージが歴史学界にはなかったわけですね。

 僕は民主主義に元々関心があったわけではありませんが、2011年から朝日新聞の「論壇時評」を引き受けたことをきっかけに意識するようになりました。論壇委員会では有名な学者が六人くらい集まって、毎月一回勉強会が開かれるんです。委員には各分野の方がいらっしゃいましたが、政治の話題がやはりトップにきます。当時は安保法制の問題が盛り上がっていて、国会前ではデモが起きていました。久しぶりに「民主主義の危機」という言葉が新聞に躍るようになっていましたからね。

 この時に民主主義という言葉を書いていながら、自分は基礎的なことがわかっていないことに気が付きました。頻繁に使われている言葉であるにもかかわらず、「民主主義とは何か?」と聞かれても特に言うべきことがないことにハッとしたんですね。それでいろいろな本を読んでいるうちに橋場先生の本に辿り着いたんです。

 橋場 嬉しいですね。ありがとうございます。

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事