『公研』2022年9月号「めいん・すとりいと」

 

 ロシアのウクライナ侵攻はどこから見ても国際法の違反であり、正当化の余地はほぼないと思われる。その結果、当然のように「国際社会」はロシアの軍事行動を非難し、ロシアに対して何らかの罰則や制裁を加えるべきである、と議論される。確かに、国連総会におけるロシア非難決議には140カ国が賛成し、国際社会の大多数が、ロシアの行動を非難する立場を示した。しかし、中国やインドなどは棄権し、非難決議に加わらなかった。さらにロシアの人権理事会での資格停止を求める決議では、賛成が93カ国であり、反対は24カ国、棄権も58カ国であった。

 さらに言えば、制裁に加わっているのはG7EU加盟国、オーストラリアやニュージーランドなど、いわゆる「西側諸国」と言われる38カ国であり、「先進国クラブ」と呼ばれるOECD加盟国であっても制裁に加わっていない国は少なからずある。このように、我々が「国際社会」という表現を使う場合、世界のすべての国が含まれた社会ではなく、日本がよく見ている国々である「西側諸国」を指す場合も多い。

 もともと「社会」という言葉はラテン語のsocietasを起源とする言葉の和訳であり、この言葉の中には「仲間」や「同盟」といった、特定のつながりがある関係に基づく集合であり、必ずしもすべての構成員を含んだものというわけではない。しかし、一般的に「社会」という場合、全く関係のない見ず知らずの人も含む抽象的なまとまりとして認識されることが多く、「日本社会」と言えば、日本に在住する全ての人を含むものというイメージで論じられる。

 そうなると、我々が「国際社会」と呼んでいるものは、全ての主権を持つ国家および一部の地域(台湾など)を含むものであると考えられる(この場合社会の構成員の単位はあくまでも国家ないし地域であり、そこに住む人々ではない)。その国際社会は極めて多様であり、先進国もあれば途上国もあり、大国もあれば小国もある社会である。ロシアのウクライナ侵攻に関しては、制裁を実施する38カ国と中ロの立場に共鳴する23カ国の他、どちらの立場も取らず、現状維持ないし双方との関係を維持しようとする100カ国以上の国がある(この分類は神保謙「ロシアか、ウクライナか」IOG地経学インサイト、2022830日を参照した)。

 さらに、中ロの立場といっても必ずしも一致しているわけではない。中国はロシアのウクライナ侵攻を非難しているわけではないが、賛同して支援しているわけでもない。ウクライナ侵攻で消耗し、武器の供給を求めるロシアは中国ではなく、イランにドローンの調達を依頼し、北朝鮮と武器供与に関する協議を行っていると報じられている。中国がロシアを支援していれば、こんなことをする必要はない。

 こうした現状を考えれば、バイデン大統領が主張する「民主主義対専制主義」という図式も怪しくなる。専制主義国家はひとかたまりの集団ではなく、相互に支援する関係でもない。逆に民主主義陣営も、38カ国の「西側諸国」の外側の国々とは十分な連携が取れているとはいえず、民主主義的な制度が失われていくアフガニスタンやミャンマーを民主主義に引き戻そうとする努力も見られない。

 つまり、我々が「国際社会」という表現を使って表す集団は、極めてバラバラであり、多様なものである。「西側諸国」は一定の結束を示し、協調した行動をとっているが、それを「国際社会」と言ってしまうと、多様な立場を取る国々が見えなくなってしまう。しかし、世界が米中対立や「民主主義対専制主義」という枠組みで語られるようになると、世界を見る目が単純化し、その多様性に対する感覚が鈍ってしまう。「国際社会」という単語を使う時には、その多様性への感受性を十分に意識して使うべきである。自戒を込めて。

東京大学教授

 

 

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