『公研』2021年1月号

東京大学法学部教授 境家 史郎

 平成・令和期は、羽生善治・藤井聡太という2人の超天才を輩出した時代として、将棋界で長く記憶されることであろう。政治学者である筆者に彼らの技術面での強さを語ることは到底できないし、特に藤井については今後どれだけの実績を積み上げるのか、現時点では見当もつかない。だが、現名人の渡辺明がこの2人を「大棋士の系譜」にある(そして自身はその系譜に入らない)と断言しているのだから(『東京新聞』電子版2020年1031日付)、棋界における彼らの歴史的評価はすでに定まったものといってよい。2人とも、記録と記憶に残っていく不世出の天才なのである。

 しかし、「将棋文化」に残した(残していく)影響という点から捉えると、2人の歴史的役割は異なったものとして評価されることになるのではないか。ここで言う将棋文化とは、プロ棋士だけでなく、アマチュアの将棋愛好家、さらにはこの競技そのものには知識も関心もない一般人の目線まで含んだ、社会における将棋の位置づけ全体を指している。羽生が最初にタイトル(名人、竜王などの称号位)を獲得したのは平成元(1989)年のことであった。藤井のプロデビューは平成の終わりである。その間、人々が将棋(界)をどう見るかという点で、根本的な変化があったこと、またその変化をもたらした背景に、羽生の活躍、また近年になって目覚ましく進歩したAI技術があったことを、将棋に特に詳しくない読者向けに説明するのがこの小文の目的である。

将棋世界の近代化

 昭和の時代、将棋とは「道」であり、全人格同士のぶつかりあいであり、人生そのものへの精神的な向き合い方こそが勝負強さとなって表れるとする風潮が強くあった。例えば、日本将棋連盟会長も務めた昭和の名棋士・米長邦雄は、「自分にとっては消化試合であっても、相手にとって大事な対局でこそ、全力で相手を倒しに行く」ことをモットーとして公言していた。相手に恨まれるだけでナンセンスな精神論にも聞こえるが、この考え──「米長哲学」として知られる──を実践することで、その後「自分にツキがくる、大きな運を呼び込む」ことができるという(米長著『人間における勝負の研究』)。しかし本来、将棋という競技には、ポーカーや麻雀と同じような意味では、運の要素は存在しないはずなのである。将棋の駒を動かすのは対局者本人の意思であり、それ以外ではない。そうした競技の世界で「ツキがくる」とか「運を呼び込む」とはどのような意味か。ここには、将棋に人智の及ばない深遠な領域があると考えられていたことが窺える。その神秘に至るため、棋士には日常からの「生き方全体」が問われることになる。米長は私生活が破天荒であったことでも知られる、というより彼自身が世間にそのような姿をあえてアピールして見せたが、そうした放蕩ぶりもまた、「人生の肥やし」として人間同士の勝負に活きると米長は考えていたに違いない。昭和期には、プロ棋士をめざす少年が、師匠の家に住み込みで奉公しつつ「修行」に励むことも珍しくなかった。

 棋士にとって、「名人」は江戸時代から受け継がれる特別の地位である。深遠な将棋の世界の頂点をきわめる名人は、しばしば現人神としてイメージされた。平成初期のマンガ『月下の棋士』(能條純一作)に登場する棋士・滝川幸次は、名人は将棋の神によって選ばれた者がなるとの信念を持ち、目を閉じたまま赤信号の道路を平然とわたり、自身が選ばれた人間であることを「証明」してみせた。滝川のモデルとみられる谷川浩司(現九段)は、1983年に初めて名人位を獲得したとき、「名人位を1年間預からせていただきます」とコメントしたことで知られるが、これもまた、将棋の神(に最も近い名人)が本来、人智の及ばない領域にあることを表現しようとしたものだろう。

 羽生(およびその世代)は、こうした将棋界の前近代的ないし神秘的要素を払拭する役割を果たした。羽生はこの点、おそらく自覚的であった。よく知られた話だが、羽生は若い頃から、将棋は「ジャスト(ただの)ゲーム」であると言い切っていた。当然のことを言っているようであるが、要するに前時代の棋士たちへの挑戦なのである。将棋とは頭脳を使ったスポーツであるに過ぎず、あくまで計算力や技術力の高さを競うボードゲームである。盤上で相手を上回る読みを続けたほうが勝つのであって、盤外で精神修行に努めたり、「人生の肥やし」を得たりしたところで将棋が強くなるはずはない。身も蓋もない考え方であるが、この合理主義精神をもって羽生(および羽生世代の若い棋士たち)は勝ちまくった。羽生は1994年に米長から名人位を奪い、96年には谷川から王将位を奪って全7タイトルを制覇した。それは将棋から神秘性を剥ぎとり、将棋世界を「近代化」する過程であった。

 胡散臭い「真剣師」や「勝負師」ではなく、「健全な頭脳スポーツにおけるアスリート」たる若い羽生の大活躍が(アイドルとの結婚といった私生活面も含めて)盛んに報道されたことで、一般の人から見た将棋界のイメージもまた変化していったと考えられる。羽生(世代)による将棋界の脱神秘化、あるいは胡散臭さの払拭がなければ、藤井のような聡明な少年に対して、周囲も将棋を勧めはしなかったかもしれない。余談ながら、藤井が図抜けて地頭の良い人間であることは、彼のこれまでの言動から十分に見て取れる。筆者は職業柄、この天才が学問の道に進まなかったことを、残念に思わなくもない。

デジタル技術との格闘

 今世紀に入り、将棋文化に最も深刻なインパクトを与えたのは、AI技術の急激な進歩である。将棋ソフトは「ファミコン」の時代から存在していたが、1990年代まではアマチュア有段者から見ても棋力は相当に低いものだった。将棋が人智の及ばない複雑極まりないゲームであることは、コンピュータによる解析が追い付かないことによって「証明」されていたのである。ところが2000年代に入ると、Bonanza05年公開)を皮切りに、プロの実力に比肩する強力な将棋ソフトが次々に開発されていく。日進月歩の勢いで強化されるAIに対し、将棋界はどう向き合うべきか苦慮した。トップ棋士がAIと公式に戦って敗れるようなことになれば、プロ集団としての権威にかかわる。しかしAIとの勝負を避け続けるのも、やはりプロの沽券にかかわる。

 当時、日本将棋連盟会長であった米長は、やはり一流の作戦家であった。AIとプロ棋士との勝負を、「将棋電王戦」という形で、スポンサー付きのエンタメ・イベントにしてしまったのである。2011年には米長も自ら、当時の最強ソフトと対戦している(結果は米長の敗北)。電王戦はシリーズ化され、ニコニコ動画の人気コンテンツとなった。電王戦は興行としては成功だった。しかしプロ側の戦績は芳しくなく、この企画は棋界にとって両刃の剣となる。17年、将棋界はついに、トップ中のトップ棋士である名人・佐藤天彦を電王戦に送り出した。AIの進歩はとどまることがなく、勝負になるぎりぎりのタイミングとの判断があったものと思われる。しかし結果は、名人の2連敗であった。

 将棋の解析は「近代化」の行き着く先であり、人間に対する機械文明の勝利は、将棋から神秘性を完全に剥ぎ取ることになる。将棋世界の近代化は、羽生世代のめざしたプロジェクトであったが、AIの進歩はそれを行き着くところまで行き着かせたのである。これにより、プロ棋士たちは一種のアイデンティティ・クライシスに陥った。AI同士の間でより高度な戦いを見ることができるのであれば、プロ棋戦は何のために存在しているのか。16年にはトップ棋士が対局中にソフトを不正使用したという疑惑も取りざたされた(ただし、のちに無実と結論づけられた)。将棋文化はこのとき、その長い歴史の中で最大の危機に陥ったと言っていい。

AI革命と藤井聡太

 しかし名人がAIに完敗したことは、プロ将棋界にとって「開き直り」の機会を与えることにもなった。人間界の頂点が勝てない以上、もはや虚勢を張る意味はない。この時期から将棋界は、AIの強さを素直に認めた上で、それをむしろ将棋産業の中で積極的に活用する方向に舵を切った。

 近年、ニコニコ動画やABEMATVといったオンライン動画サイトが、タイトル戦の生放送など将棋配信をコンテンツとしている。名人戦が1局あたり丸2日を要するように、プロの将棋対局はきわめて長時間を要し、地上波テレビでの放送に向いたものではなかった(NHKで日曜朝に放送されている対局は、持ち時間が例外的に短いルールで行われている)。オンライン動画サイトでは並行的に多くの番組が配信されるから、将棋対局の時間的長さそれ自体は放送上のネックにならない。しかし盤面の映像を「垂れ流す」だけではあまりに絵の動きが少なく、コンテンツとして魅力的でない(1時間に1手も進まないこともままある)。そこで各サイトでは、複数のプロ棋士を解説者として付け、彼らのトーク(将棋に関係ない雑談を含む)で番組を盛り上げるよう工夫している。

 近年のインターネット将棋放送では、こうした人間による解説に加え、最新AIの計算による「評価値」をリアルタイムに提示することが一般化している。評価値とは、その局面においてどちらがどれくらい勝ちやすいかを数値化したものである。例えば、先手(第1手目を指す側)の「プラス100点」となっていれば、先手側が若干有利であること、「マイナス3000点」であれば、先手側が敗色濃厚の局面であることを表す(むろんこの数値が「正しい」かどうかは神以外の誰にも分からない。分からないが、人間の誰よりも強いAIの判断である以上、プロも含めて、そういうものだと納得するよりない)。これはある意味で、解説者としてのプロを不要にする(どころか、プロの「弱さ」を可視化してしまう)点で抵抗もあったろうと想像されるが、開き直ったプロ将棋界は、こうした放送の仕方を容認したわけである。

 評価値による優劣の可視化は、プロ将棋を、娯楽コンテンツとして劇的に分かりやすいものとした。評価値は1手進むごとに上下して、局面の変化とその後予想される展開(その後の「最善手」)を視聴者に分かりやすく示す。将棋のルールを一切知らない人でも、形勢の現状と推移を一目で理解できるのである。従来のプロ棋士による解説でも、対局途中にどちらが有利かといった(解説者の見立てによる)評価は示されていたが、その有利さがどの程度のものかは必ずしも視聴者に伝わらないところがあった。将棋ソフトの評価値は、視聴者的には野球における試合途中の得点差のようなものである。点差が開いても逆転はありうるが、開くほど逆転は難しくなる。プロ野球やプロサッカーと同じように、プロ将棋も、その競技自体に習熟しない人でもエンタメとして楽しむことができるようになったのである。これは、将棋文化史上における一大革命と言えよう。

 藤井聡太は、ちょうどこのAI革命期に現れた天才である。将棋観戦におけるAIの導入は、それまでであればプロにしか語り得なかった藤井の強さを、素人の目にも見えるようにした。例えば、局面が進むにつれて評価値が藤井有利の方向で単調増加するグラフを、インターネット掲示板などでは「藤井曲線」と呼ぶ。藤井は(AIから見て)悪手が少ないため、評価値が不利な方向に振れることが少ないのである。もちろん藤井も人間である以上、悪手を指すことはあるが、いったん不利な局面になっても、その後の好手連発によって逆転することが多い。この逆転の場面──対局者にとっての悲喜劇──ほど、将棋番組が盛り上がる瞬間はない。そうしたドラマもまた、評価値グラフの乱高下という形で可視化されるのである。

 さらには最近、藤井が「ソフト超え」の手を指したことが話題になった。2020年の棋聖戦第2局、58手目に藤井は23分の考慮で、対戦相手の渡辺明棋聖が「全く浮かんでいませんでした」(渡辺のブログより)という名手「3一銀」を放った。当時の最強ソフト「水匠2」の開発者のツイートによると、同ソフトで4億手まで読ませた段階で、この手は5番手にも挙がっていなかったが、さらに深く6億手まで読み進ませると、この「3一銀」が最善手に浮上したという。このとき藤井は、現名人の渡辺だけでなく、それまでの大方のソフトの読みを上回る手を指したことになる。

 しかし、どのようにして藤井はこの手を指せたのだろう。ソフトは何億通りもの展開を力業で計算するが、人間にはいくら時間があってもそれは無理である。まして藤井は、たった23分でこの手を指した(なお23分はタイトル戦での一手として全く長いほうではない)。ここには、人間固有の「大局観」が作用していることになる。羽生によれば、棋士は年齢とともに体力や計算力は落ちるが、長年の経験によって「無駄な読み」をあらかじめ直感的に省略できるようになる、つまり大局観が備わってくるという(羽生著『大局観』)。しかしAIにないはずの大局観とは結局どのような能力であるのか、脳科学的にどう理解すればよいのか、謎が多い。また、いまだ十代の若者に羽生のいう経験が蓄積されているとは考えられず、藤井の持つ大局観の由来はさらに謎である。ここに至って、トップ棋士たちのある種の神秘性が復活することになった。人間はたしかに、演算能力の面でAIに及ばない。しかし人間は、AIと異なる方法によって、ときにAIをも超える結論にたどり着くことができる。

 もっとも人間の大局観はときに、あるいはしばしば間違う。優れた大局観の持ち主から見ても、限られた持ち時間の中で、目の前に開かれた二つ(以上)の道の優劣を決めきれない場合があるだろう。この場合、往々にして一方の道は山頂に向かい、他方は崖へとつながっている。時間に追われた対局者がどちらの道を選ぶかは、結局のところ「指運」である。こうして見るとやはり、米長の強調したように、神ならぬ人間の将棋にツキや運の要素はあると言わなければならず、だからこそ人間同士の対局にはドラマが生じるのである。

 平成・令和期における将棋文化の変化は、けっして将棋をつまらないもの、社会的に無用なものとはしなかった。羽生は将棋(界)の近代化を進め、藤井はその活躍によって、プロ棋士ひいては人間の能力の奥深さを改めて社会に認識させつつある。いずれも将棋文化史上に残る重要な役割である。AIによって可視化された2人の天才は、これからも「神の一手」や人間同士だからこそ生じる名勝負を見せ、私たちを楽しませてくれるに違いない。(終)

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