糸谷 哲郎 『公研』2018年5月号「めいん・すとりいと」

 将棋界は伝統を墨守している世界であり、技術の発展とはあまり関わりがないと思われがちであった。しかし、コンピュータが人間と戦えるように、そして人間より強くなる前から技術の発展は将棋に寄与してきた。インターネットにより距離を超えて将棋の対局が可能になったこと、またそれ以前にはFAX等の情報伝達技術により、将棋の記録である棋譜の情報を瞬時に手に入れられるようになるなど(現在はデータベース管理やモバイル配信がなされている)、技術の発展は将棋の発展にも非常に多くの影響を与えている。

 もちろん、いま最も大きい将棋への技術の発展は、人間より強くなったコンピュータによるものだ。自分の終盤を見直す際に、間違えたところを一瞬で教えてくれる。自分の負けた棋譜を見直して、形勢が傾いたところを指摘してくれる。そして、練習相手にもなってくれる──といったように恩恵は多岐に渡る。その中でも最も大きいものは、序盤研究において悪手を一瞬で指摘してくれるところだろう。これまでは、自分の着想を確認するために、まず自分で着想を十分に検討し、研究会などで他者と将棋を指し、そこでその序盤の着想が成立しているかどうかを確認するという手順を踏まねばならなかった。しかし、現在では自分の着想をコンピュータに入力しさえすれば、その着想が成立しているかどうかを一瞬で判断できる。また、コンピュータ同士に対局させることによって、コンピュータの序盤の構想も学ぶことができる。この結果、将棋界で数十年指し続けられてきた「矢倉」という戦法が、その座を「雁木」という、ほとんど姿を見ることのなかった戦法に譲ることとなった。

 当然だが、コンピュータを使いすぎることの弊害も存在する。「将棋の筋力が落ちる」と言われるが、自分の頭で考えねば段々と思考も鈍っていくものである。自分の代わりに問題をコンピュータに解かせていたならば、段々と自分自身が問題を解決する能力は低くなっていくものである。同様に、序盤研究をコンピュータに肩代わりしてもらうだけになってしまったならば、序盤の着想を自分で思いつき、検証する力自体は落ちてきてしまう。

 これは、将棋の世界においては棋士がコンピュータを道具の一つとして扱っており、人間同士の勝負である実戦にはコンピュータが介在できないためである。人間が人間同士の勝負に価値を見出す限り、将棋界においてコンピュータは人間同士の勉強を補佐するものの一つである。チーターと陸上選手で走力の勝負をしたとしても、その結果は見えているが、私たちは100メートル走や400メートル走にそれでも面白さを見出しているのだ。もちろん、抜かれ去ったもの個人としては悔しさがまったくないとは言えない。コンピュータに勝てなくなり、盤上の真理を探究するものとしては、自身の探究よりもコンピュータの発展を待たなくてはならなくなったことに若干忸怩たるものはある。しかし、そういった想いは恐らく世代の交代とともに消えていく感傷だろう。

 もちろん、こういったことが成立するのは人間の勝負が成立する業界だけである可能性もある。真理を追究するような場合、または非常に複雑な計算を行う場合には、やはりコンピュータに人間は一歩を譲らざるを得ないだろう。しかし少なくとも将棋の世界においては、それまでの技術と同じように人間とコンピュータは共存を可能としているのである。 将棋棋士

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