『公研』2024年7月号「対話

昭和の時代を生きた三淵嘉子さんの人生と令和のドラマ「虎に翼」。

女性をめぐる法制度、そして法を取り巻く社会はどう変化してきたのだろうか?


じんの きよし:2000年慶應義塾大学法学部卒業、05年同法学研究科公法学専攻後期博士課程単位取得退学。専門は中世法制史。武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部准教授、東京理科大学理学部第一部教養学科准教授、同教授などを経て、21年より現職。著書に『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』、共編著に『御成敗式目ハンドブック』など。


おおば みえ:1991年国際基督教大学教養学部卒業、98年東京大学総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は国際関係論、アジアの国際政治。東京大学大学院総合文化研究科助手、東京理科大学工学部准教授、同教授などを経て、2020年より現職。著書に『アジア太平洋地域形成への道程』『重層的地域としてのアジア』、編著に『東アジアのかたち──秩序形成と統合をめぐる日米中ASEANの交差』など。


 

「私の一生は、女性法曹の40年の歴史そのもの」

 大庭 今年の4月からNHKで放送されている連続テレビ小説「虎に翼」が大変話題になっています。女性として日本で初めて弁護士、判事、裁判所所長となった三淵嘉子さんの人生をモデルとした物語です。私の周りでもたくさんの人がこのドラマを高く評価しています。

 本日は神野先生と、「虎に翼」から今の世の中を読み解きつつ、女性をめぐる法の変遷についてもお話しできればと思っています。先生の本来のご専門は中世法制史ですが、三淵嘉子さんの生涯を追った『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』を上梓されています。私の専門は国際政治学でして、ドラマ批評家でもなければ、ジェンダー論の専門家でもありません。しかし、このドラマを見て刺激を受け、いろいろと考えをめぐらすことも多いです。それで、神野先生とは是非、このドラマや三淵さんについて意見交換したいと思っていました。よろしくお願いします。

 神野 よろしくお願いします。大庭先生には東京理科大学の元同僚として、とてもお世話になりましたので、本日の対談を楽しみにしていました。

 大庭 さて早速ですが、中世法制史と、昭和の時代を生きた嘉子さんの間に、何か繋がりはあるのでしょうか?

 神野 直接的な繋がりはありません。三淵嘉子さんについての本を執筆するまでに、いくつか段階があるのですが、そもそも私が中世法制史に興味を持ったのは、学部1年生の時に、川島武宜(民法・法社会学を専門とする著名な法学者)の『日本人の法意識』を読んで、日本の前近代まで遡って法の歴史研究をしたいなと思ったことがきっかけです。そこからは、中世法制史として「御成敗式目」の研究などをしていました。

 そんな中、2010年にイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で在外研究をしていた時に、歴史学者のロナルド・トビ先生から、「研究においてセカンドメジャーを持ったほうがいい」というアドバイスをいただきました。私はその時期、自分のやっている法学という学問が、どこから来たものなのか、これまでどんなふうに発展してきたのか、ということに興味を持っていましたので、穂積陳重(明治・大正期を代表する法学者で、民法の制定で中心的な役割を果たした)など、日本法の礎を築いた人物の思想・キャリアに注目した研究を始めました。そこから関心を法曹にも広げて、澤田俊三という弁護士の留学経験や帰国後のキャリアについて、調べてみたりもしました。

 そんな中、少し現実的な話になってしまうのですが、ルース・ベイダー・ギンズバーグが亡くなった時期に、雑誌『人権のひろば』から「女性法曹というテーマで何か原稿を書いて欲しい」との依頼がありました。澤田の研究以来ずっと法曹の歴史には関心を持っていたのですが、とはいえ誰について書こうかなと考えていた時に、三淵嘉子さんが亡くなる前年に書いた、「女性としてはじめて弁護士となり、また戦後は裁判官として定年退官まで30年間を勤めた私の一生は、女性法曹の40年の歴史そのものを歩んだことになる」という文章に目が止まりました。その言葉を見て、女性法曹を題材にするのならまず嘉子さんだろうと思い、執筆したわけです。そして、今回の著書は、この『人権のひろば』の短い文章を読んだ編集者から声をかけていただきたことが、きっかけになっています。

 

妊娠による寅子の離職を描いた意味とは?

 大庭 嘉子さんを研究された先生から見て、ドラマ「虎に翼」を率直にどのように評価なさいますか?

 神野 とてもおもしろく拝見しています。やはり、テーマ性やメッセージ性がしっかりあるドラマというのは惹きつけられます。このドラマを好きではない方は、もしかしたらテーマ性があるところが気になるのかもしれませんが、私個人としては、何を描きたいのか、視聴者に何を考えるきっかけとなって欲しいのかを、きちんと提示している作品のほうが、興味を持って見ることができます。

 あとは、ドラマ文化論の研究者ではない私が言うのもなんですが、登場人物がブレや葛藤を抱えているところがおもしろいなと思います。多くのキャラクターが、シンプルな人物像として描かれていません。

 例えば、穂高重親先生(モデルは穂積陳重の長男で民法学者の穂積重遠)は、女性初の弁護士をめざす、主人公・猪爪寅子の良き理解者として登場していましたが、寅子にとって少し引っかかる言動をする場面も描かれています。穂高先生も完ぺきな人間ではなく、ドラマのキャラクターとしてブレがある描かれ方をされています。やはり誰であっても、すべてにおいて綺麗に筋が通っているわけではないですし、ある人にとってその人がずっと良い人であることは不可能です。そのブレを丁寧に描くことで、ドラマのリアリティが増している気がします。

 大庭 穂高先生に関して言うと、「おや?」と首をかしげてしまうシーンが2回ほどありました。一度目は、寅子の妊娠が発覚した途端に、体調を心配して穂高先生が休職を勧めるシーンです。二度目は、寅子が一度離れた法曹界で再び働くことに対して、穂高先生が「無理に法曹の世界にいることはない。これ以上、苦しむことはないんだよ」と言い、家庭教師の仕事を勧めるシーンです。あれは一体何だったのでしょうかね……

 神野 モデルとなった穂積重遠先生は、平気でそんなことを言う方ではないと思うので、そのイメージがついてしまうと少し可哀想な気もします(笑)。

 大庭 そうですね。

 ただ、あくまでドラマにおける穂高先生のこの二つのシーンが挿入されたことで、物語にリアリティが増したなと個人的には感じました。寅子の周りの人々が、それまではキャリアを応援してくれていたのに、妊娠が発覚した途端、優先すべきは子育てだという考えに急転換していきます。この時期の寅子は、自分が法曹界の女性を引っ張って行かなくてはという思いが強く、仕事もたくさん抱えて精神的にもいっぱいになり、怒りに満ちていましたよね。私は、そんな寅子の姿を、私の世代で総合職に就いた女性たちの姿と重ねて見ていました。

 私が就職した時代は、男女雇用機会均等法の施行(1986年)から数年経ち、かつバブル経済がはじける直前ともいえる1991年入社組です。好景気とその当時の社会の雰囲気の中で、私の周りでも多くの女性がさまざまな企業に総合職として就職しました。ところが、実際にはこの時期に総合職となった女性のほとんどが最初に勤めた会社を辞めています。職場において法の下では男女は平等とされていましたが、実際には制度は整っておらず、周りの意識も全然変わっていなかったのです。そんな中で、男性の同僚と同じ仕事をハードに続けるのは、物凄くしんどいものがあったと推察します。その女性たちの姿が、一度周りから応援されてキャリアを築いたはずが、結局は地獄を見て辞めてしまうという寅子の状況と重なって見えたのです。

 一方で、史実としては、三淵嘉子さんのキャリアの中断はなかったようですね。

 神野 そうですね。実際にこの頃に出産されるので、それで仕事を離れたという時期もあったと思いますが、それよりも、戦争によって民事訴訟の案件が減り、弁護士として働くどころではなくなってしまったというほうが、史実としては正しいのかもしれません。

 大庭 ドラマでは描かれていませんでしたが、実際の嘉子さんは母校である明治大学で、助手や助教授の職位に就き、キャリアを繋いでいっていました。このドラマを書かれた脚本家の吉田恵里香さんは、意図的に妊娠・出産というかたちでのキャリアの中断を入れたのでしょうね。寅子が法曹界で少数派である女性の先駆者としてプレッシャーを浴び続けることの苦しさを、最も強く表現したエピソードだなと思いながら観ていました。

 神野先生からご覧になって、史実とドラマを比べて、違和感がある点はありますか?

 神野 今お話にも出てきましたが、教える立場の寅子が描かれていない点には、違和感を持ちました。現実の嘉子さんの周りには、教え子の存在があり、また先輩として多くの後輩たちを引っ張っていく立場でもありました。いま放送されているあたりの時代(1948年頃)だと、すでに20人近い女性が、いわゆる司法試験に合格していたはずです。日本で初めて女性弁護士となったのは、嘉子さんの他に、中田正子さんと久米愛さんという方でしたが、中田正子さんは戦後ずっと鳥取で活動されていくので、東京では嘉子さんと久米愛さんの二人が女性法曹のリーダーのような存在でした。

 大庭 中田正子さんはドラマでいう、寅子の先輩である久保田先輩のモデルになった方ですよね。

 神野 そうですね。嘉子さんにとって、先輩・リーダーとしての自身の役割が非常に大きな意味を持っていました。ただ、ドラマでは今のところ孤立したかたちで、女性の法律家として奮闘する姿が描かれていますよね。私は「ドラマは史実に基づくべきだ」という考えではまったくありませんが、リーダーとしての嘉子さんという側面は、彼女の人生においても、女性法曹のその後の発展という点でも、非常に大きな意味があったと思っています。

 大庭 やはり、嘉子さんだけが女王蜂のように一人だけ目立って活躍する、というのではなく、それに続く人々をきちんと育てて、それがいわゆる塊になっていたことが、女性法曹の歴史でも非常に重要だったということですね。

 神野 おっしゃる通りです。もう一つ付け加えると、1940年代後半から50年代にかけて、嘉子さんは法の知識を市民へ啓蒙したいという意識を強く持っていたと思います。この時期の嘉子さんは、婦人雑誌に記事を寄稿したり、取材を受けたりしています。お子さんとの写真なども載っていて、こんなに優秀で活躍している女性だけど親しみやすい側面もあるよ、というような取り上げ方をされているわけですが、嘉子さんも、自分自身を身近な存在だと読者に感じてもらうことで、法に関する話題もまた身近なものとして興味を持ってもらいたい、と考えていたのだと思います。

 他に、ドラマでも鳥取に行く久保田先輩が抱えていた法律相談を、寅子が引き継ぐというシーンがありましたよね。実はこの場面は女性法曹が登場した意義を考える上で結構重要だと考えていて、久保田先輩のモデルだと思われる中田正子さんが、主婦之友社ビルで実際にやっていた女性対象の法律相談は、ものすごい人気だったと言われています。

 また、中田正子さんは⽉刊誌『主婦之友』で、⼿紙での相談に回答する「婦⼈法律相談」も連載していました。法律相談と啓蒙とは少し違うとは思いますが、何にせよ市民との関わりがその後の女性法曹を考えていく上で重要です。なので、ドラマでも久保田先輩の法律相談の話はもう少し深堀りしてもらえたら良かったかなと思います。ただ、何度も言いますが、史実と照らして「ここが違う、あそこも違う」と指摘する必要はなく、むしろドラマには現代の視点が含まれていることのほうが大事かなと思うので……

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事