『公研』2020年12月号 第685回「公研セミナー」
谷内 正太郎・富士通フューチャースタディーズ・センター(FFSC)理事長、前国家安全保障局長
第二次安倍政権と安倍外交を振り返る
谷内 今日の演題は「ウィズ・コロナの国際情勢と日本外交」ですが、大きく三つのパートに分けてお話ししたいと思います。まずは長期政権となった第二次安倍政権と安倍外交を振り返ります。次にコロナ禍における世界情勢の変化。そして最後にバイデン米新政権と菅外交の展望についてご説明します。
今やずいぶん前になった感じはしますが、ほぼ8年前に第二次安倍政権が成立しました。それから政権は7年8カ月間続きましたが、私はちょうどその前後1年ずつを除いた5年8カ月の期間で国家安全保障局の初代局長を務めて参りました。政権は2012年12月26日に発足しますが、私はその直前に安倍自民党総裁に呼ばれて二人だけでお話しする機会を得ました。安倍総理がその時の話をどのように咀嚼されて消化されたのかは私の知るところではありませんが、少なくともそのいくつかは、第二次安倍政権のポイントになったようにも思います。まずは、その際に私が申し上げたことをご紹介したいと思います。
第二次安倍政権発足時の課題としては、憲法の改正が大目標でした。安倍前総理は、もともと保守的な政治家として歩んでこられた方ですが、憲法改正という大目標を達成しようとすれば、国民の幅広い支持を集めなければなりません。国会では衆参それぞれ3分の2以上の議席を取らなければなりませんし、国民投票でも過半数が必要です。ですから保守の純化路線ではなくて、ウィングを左のほうにも拡げていく努力をなされることが重要になります。志高く憲法改正を掲げていくのであれば、そうしたことを秘めながら仕事をしていかれることが大事になるのではないかと総理には申し上げました。
そして国民からの幅広い支持を集めるためには、日本が直面していた三つの課題に取り組まなければならないと考えていました。多くの国民が望んでいたことは経済の再生です。もう覚えておられないかもしれませんが、当時の日本経済は「6重苦」に苦しんでいました。円高、高すぎる法人税、FTA交渉の遅れが目立っていること、製造業への派遣制限、環境規制が厳しすぎること、そして電力不足です。
この6重苦の解消が当面の目的で、その手段として用いられたのがいわゆる「アベノミクス」です。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略を「三本の矢」として経済政策を打ち出したことはよくご存知だろうと思います。結果として、71カ月連続の景気回復を記録して雇用情勢も大きく改善されました。
二つ目の課題は、長期安定政権の確立です。小泉元総理が辞任された後の6年間で、6人の総理が誕生しました。1年弱くらいの期間で、首相をお辞めになる事態が続いていたわけです。本来、日本の政治は安定しているところに強みがありました。予測可能性があることが国内外から高く評価されていたのです。ところが、首相がこう頻繁に交代するようでは、信頼は得られませんし日本の政治を不安視する向きが強くなっていました。ですから、長期安定政権をつくってほしいという大きな希望が内外ともにありました。第一次安倍政権は6年6代にわたって続いた短期政権の最初の総理でもありましたから、2期目の政権でも当初は「本当に大丈夫だろうか」という感じはあったのだと思います。しかし結果としては、7年8カ月におよぶ安定・長期政権を実現することになりました。
日中関係の改善が最大の課題だった
三つ目の課題が近隣諸国との関係改善です。当時は何と言ってもお隣の中国との関係が悪かった。特に尖閣諸島が「国有化」されることになってから悪化の一途を辿りました。この国有化という言葉は、正確に理解される必要があります。具体的には尖閣の所有権が日本の私人から日本政府に移転されたことを意味するのですが、あたかもどこか他の国または国民の所有する土地を日本が取り上げたかのように受け止められたところがありました。
その2年ほど前の民主党政権時代には、中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突する問題が起きています。日本は漁船の船長を拘留して、後に釈放しましたが、やがてその際の映像が一般に出回ることになりドラマチックに取り上げられることになりました。いずれにしても、尖閣の問題をきっかけに日中関係は非常に悪くなりました。
中国は何と言っても大事な隣国ですから、何とか関係は改善しなければなりません。私は、以前から21世紀の日本外交の最大の課題は中国といかに付き合っていくべきかに尽きると考えてきました。当時の日中関係は最悪の状況でしたから、どうやってこれを改善していくのか。これこそが当時の最大の課題だと思っていました。
それから韓国との関係も悪化していました。2012年8月には、李明博大統領が竹島への上陸を決行します。韓国の大統領が竹島に上陸するのは、史上初めてのことでした。ちょうど同じ時期には、李明博大統領の「天皇が韓国を訪問したければ、独立運動で亡くなった方々を訪ね、心から謝るのがいい」という発言があり、日本の激しい反発を招くことになりました。保守政権であれば、非生産的な反日的言動を控えて日韓関係を改善しようとするのではないかという期待もありましたが、それは裏切られることになりました。
それから北朝鮮です。核・ミサイル、拉致の三つの問題は解決されておらず、現在に至るまで脅威であり続けています。小泉訪朝は2002年9月のことで、5人が生きておられ8人が死亡されたと発表されました。第二次安倍政権はあれからちょうど10年後に発足したことになります。安倍総理も解決に全力を注ぎましたが、拉致問題はまったく進展していない状況です。
ロシアとの間には戦後から続いている北方領土問題と平和条約締結という大きな課題があり、これも解決に至っていません。安倍総理のお父さんの安倍晋太郎元外務大臣は、一生懸命この問題に取り組まれていました。外務大臣を辞められた後にも、病に侵されているにも関わらず当時訪日したゴルバチョフさんに直接お会いして、北方四島の解決と平和条約締結を強く働きかけられました。安倍総理にはそうした個人的な思い出もあり、その志を継がねばならぬというお気持ちが非常に強かったわけです。
安倍政権は以上のような問題意識を持ちながら、安倍外交・安全保障政策を展開されました。具体的には「積極的平和主義」を打ち出され、「地球儀を俯瞰する外交」という考え方を示されました。今から2、3年ぐらい前には「自由で開かれたインド・太平洋」という考え方も出されました。安倍総理は80カ国──延べで言うと176カ国──を訪問しました。距離で言えば158万キロに到達しますが、これは地球40周分に相当するそうです。まさに世界を飛び回られた歴代最大の首脳外交を展開されました。
そして、日米同盟をより進化させることにも大きな貢献を果たされました。アメリカとは史上最良の関係だったのでないでしょうか。あの難しいトランプ大統領とも最高の個人的な信頼関係を築かれて、各国から非常に羨まれるような首脳外交でした。近隣諸国とは課題を残していますが、全体として評価すれば安倍外交は成功したのではないかと思います。
行き詰まる日韓関係
安倍総理は、誠実に熱意・意欲を持って外交に取り組まれました。しかし正直に言えば、中国や韓国については停滞ないし行き詰まり感があります。客観的に見てもそうではないかと思います。昨年5月には、令和時代になってから初めての国賓としてトランプ大統領をお招きして、成功裏に実現しました。第2回目として、今年の桜の咲く頃に習近平国家主席を国賓としてお招きする方向で準備がなされていました。日中関係はたいへん良い雰囲気でしたが、残念ながらコロナの問題が生じ、かつ香港や台湾に対する中国のアグレッシブな態度から国際的にも中国の評判が悪くなってきた背景もあって訪日は延期になりました。日中関係はちょっと一服してしまった印象があります。
地道に改善してきた日中関係は、今は停滞しているとまでは言いませんが、かつてのような上昇ムードとはちょっと違った状況にあります。昨日、中国の王毅外務大臣が来日されましたが、改善に向けて日中関係は再び動き出そうとしている段階ではないかと思います。
その一方で、韓国との関係は今最悪の事態になっていると言わざるを得ません。特に2017年に誕生した文在寅政権は、2015年末の日韓慰安婦合意の見直しを宣言して、この合意に基づいて設立された「和解・癒やし財団」を解散してしまいました。それに続いて、韓国の最高裁たる大法院はいわゆる徴用工問題──日本では旧朝鮮半島出身労働者の問題と言っています──について、「日帝が犯した反人道的不法行為に対する個人の損害賠償請求権は依然として有効」という判決を出しました。これはこれまでの韓国政府の態度を覆す判決です。徴用工問題は日韓両政府とも日韓請求権協定で解決済みとの理解でしたから、我々からすればこれは受け入れ難い判決です。一方の日本は、輸出に関する優遇処置「ホワイト国」から韓国を外し、一部韓国製品に対して輸出規制をかけ、韓国国民がこれにまた反発する事態も起きています。トータルで見ると、日韓関係にはやはり行き詰まり感があります。
ロシアには問題を解決しようという意思がない?
北朝鮮、ロシアについても同じように行き詰まり感があることは否めません。ただし客観的に見れば、これは安倍政権の責任とはまた違った次元の問題だろうと思っています。はっきり申し上げれば、いずれも相手国政府に問題があると私は見ています。韓国などは特にそうですし、北朝鮮も日本の誠意あるアプローチを無視しています。それどころか、逆に核ミサイル実験を続けている。
ロシアについても、もう20数回も首脳会談をやっています。安倍総理はあらゆる機会を捉えてこの問題を取り上げて、プーチン大統領とやりあってきました。しかしロシアは、徐々に態度を硬化させていきました。今のロシアは、問題を解決する意思を持っていないかのような態度を示しています。具体例を以下の三つから説明します。
一つ目ですが、ロシア側は平和条約を締結したいのであれば、日本は第二次世界大戦の結果として北方四島が正式にロシアの領土になったことを客観的事実としてまずは認めるべきだ。それが先決だと言っています。これはまったく受け入れることはできません。歴史を振り返れば、日本の固有の領土であった北方四島を第二次大戦後に当時のソ連が自分たちのものにしてしまったことは、明らかな事実です。
二つ目にすべての外国の軍隊は日本から撤退すべしという要求をしています。これは日米安保条約を止めることに等しいわけですから、日本の安全保障の観点から到底受け入れることはできません。このような条件を付けて平和条約を締結しようというのは、あってはならないことです。
三つ目に、まずは平和条約を無条件で締結して、その後で領土問題に取り組もうと言っています。ロシア側からすれば、平和条約を締結してしまえば、領土問題を解決するインセンティブはまったくなくなります。北方領土問題は、放って置かれることになり物事は進展しなくなります。ですから、こうした条件で平和条約を結ぶわけにはいきません。以上三つのロシアの態度からは、問題を解決しようという意思がまったく見えないわけです。
韓国、北朝鮮、ロシアとの関係は停滞ないし行き詰まり感があります。しかし、いずれも日本が何らかの行動をとった結果として、相手が硬化したわけではないことは、ご理解いただけると思います。
国家安全保障局設置の成果
先ほど「全体として安倍外交は成功した」と申し上げましたが、日本および安倍総理の国際社会における存在感は非常に高まったと思います。アメリカが世界を見渡した際に、本当に頼りになる同盟国はかつてはイギリスでした。しかしイギリスはBrexitでEU(欧州連合)から離れ、最近ではトランプ大統領のコロナ対策等をめぐって厳しい関係になっています。もともとジョンソン首相とトランプ大統領は、良好な関係にあると言われていましたが、次第に厳しいものになったところがあります。
そのためアメリカは、世界中にある同盟国のなかでも日本を頼りにするようになっていきました。特に中国とアメリカの関係が厳しくなっている状況のもとでは、日本の存在感が増しているのだと思います。日本外交はインド、豪州、ASEAN(東南アジア諸国連合)、それから欧州諸国のいずれとも良好な関係を築いていったこともあり、国際会議の場においても安倍総理が頼りにされる場面が増えていったように思います。
それから安倍総理の外交・安保政策関係では、国家安全保障局(NSS)を設置したことも重要なポイントです。簡単にご説明すると、国家安全保障局は安倍総理の肝いりでできた局で、中長期の外交・安保戦略を作成していくのが大きな目的です。約80名の局員がいましたが、経済班ができたこともあり、今では100名規模になっています。ここには主として外務省、防衛省、自衛隊が中心ですが、経済産業省やその他の各省からも人が集まっています。NSSができた結果、政策決定過程が非常に迅速化してきました。今までは外務省、防衛省、他の省が各省同士で議論をやって、なかなか官邸に上がってこなかったのが、NSSに早急に上がってきます。ここで皆が議論して、内閣が一体化して取り組む姿勢が強まりました。
安倍総理、当時の菅官房長官がNSSの存在を重視してこられたことで、官邸主導が強化されてきました。それから何よりも、防衛省、自衛隊が本来持ってしかるべきプライドを取り戻し、存在感を強めてきたことも大きな成果だろうと思います。
「自由で開かれたインド太平洋」構想
第二次安倍政権で打ち出された「自由で開かれたインド太平洋」についても少しご説明します。これについては先駆けとなる考え方があって、それが2006年の第一次安倍政権で打ち出された「自由と繁栄の弧」です。当時のアメリカは、テロを典型として不安定な要因が生じている地域を「不安定の弧」と定義しました。ただ、この表現はそこに存在している国々に対して失礼なところがあります。この地域で一生懸命生活している人たち──テロリストは別にして──の多くが自由と繁栄を求めて努力していることは間違いありません。
それは、東ヨーロッパから中東、インド亜大陸、ASEANあたりの国々にとっても同じことです。日本はこれらの地域に「自由と繁栄の弧」を築くべきであって、そのために長く協力すべきであると考えました。イメージとしては、マラソンレースの伴走者のようなかたちで協力すべきであるというビジョンを提示したわけです。
今の「自由で開かれたインド・太平洋」は「自由と繁栄の弧」を受け継いだものです。この地域は何よりも法の支配、航行の自由、国際法あるいは国際基準などが尊重されるところでなくてはなりません。中国の「南シナ海は自分たちのものだ」といった考え方とは、反対になります。
第一次政権をお辞めになる直前の2007年8月のことですが、安倍総理はインドで「二つの海の交わり」という演説をしました。これは太平洋とインド洋が連結することを歴史的・地政学的に詳しく述べた内容になっています。「自由で開かれたインド・太平洋」はこの時の演説を引き継いでいるものでもあるわけです。
「自由で開かれたインド・太平洋」には3本の柱があります。一つは法の支配の定着です。法の支配、航行の自由など普遍的な原則、法的なルールの定着。二つ目が経済的な繁栄を追求していくことです。三つ目が平和と安定の確保を図ることです。経済的繁栄という点で言えば、質の高いインフラ援助で世界に貢献するという考え方を日本は従来から出していました。それに加えて、普遍的な価値観やルールを定着させることでこの地域の平和の実現により深くコミットしたいという願いがここには込められています。
コロナ・ショックと国際情勢
次にコロナ・ショックと国際情勢の特色についてお話しします。11月3日にアメリカでは大統領選挙が行われましたが、この選挙を通じてアメリカ国内の分断がより顕著になったのではないかと私は思っています。床屋談義的な議論になりますが、今回の大統領選挙は結局トランプ大統領が好きかなのか嫌いなのかという感情的な視点が非常に大きな点になっていたのではないでしょうか。トランプ政権を一言で表現すれば、トランプ大統領の強烈な個性に振り回された4年間でした。
実際の選挙ではバイデンさんが8100万票近くを獲得して勝利しましたが、トランプさんも7600万票をとっていますから、かなりの支持を集めたと見ることができます。バイデンさんに投票した人たちも、彼が大好きだとか、彼こそが理想の大統領なのだと考える人はそんなに多くはなかったのではないか。トランプさんの再選だけは阻止したいという人たちにとっては、バイデンさんしかいないので投票が集中したのではないかと思っています。
今トランプさんは敗北を正式には認めずに、「選挙には不正があった。再集計が必要だ」などと言っています。この選挙の結果あるいはプロセスを通じて、アメリカ国内は二つの集団に分かれてきています。こうした分断の傾向は今後も続くだろうと見ています。
コロナ対策と党派性の関連性
コロナ禍のアメリカにおいて興味深いと感じたのは、州によってコロナ対策への態度が異なっていたことです。州知事が民主党、共和党のどちらの党であるのか、それからトランプ大統領との関係でも異なる対応がとられた。民主党の知事はどちらかと言えば、ロックダウンを含めてコロナを封じ込めるという考え方でした。コロナの脅威をシリアスに受け止める傾向が強かったわけです。
一方の共和党はトランプさんが典型ですが、コロナウイルスなんてたいしたものじゃないという見方です。さらには、あれは中国がバラまいたものであってけしからんというわけです。都市を封鎖するような大胆な対策にはどちらかと言えば否定的でした。それよりも大事なのは経済の再生だという考え方ですね。コロナ対策をめぐっては、アメリカとヨーロッパでも態度が大きく異なりました。欧州は今また大きな波が押し寄せていて、国によっては何万人という人が1日で感染する状況です。コロナだけではなくて、欧米の対立は本当に厳しくなっています。
コロナ対策の関係では、宗教的な側面からも対立が出ています。要するに、信仰を強くしていればコロナには負けないのだという考え方も出ている。だから、集会などもきちんと続けてお祈りをすべきだと。ところが結果としてクラスターが発生しています。そんなこともあって、宗教の世界ではセクト別の対立が広がっています。これはインドではさらに深刻で、宗教間での不信感の醸成にもつながってイスラム教に対するヒンズー教の反発が顕著になっています。
「Gゼロ」と「G3」
いずれにしても各国は、医療体制は結局自分の国の中でやっていかなければならないという意識を強くしています。グローバルな助けは期待できないと自覚して、どこも自国を優先して対応しています。その結果EUのように統合をめざして歴史的に努力していたところでも、国境の封鎖や都市のロックダウンをして、境界をより強化していくという方向に変わっていった側面があります。当然そこには対立関係も出てくることになります。
それからWHOや国際連合のような国際機関が機能していない状況が現れてきています。特にWHOのテドロス事務局長は親中国派だということで大変な批判を招くことになりました。グローバルガバナンスの不在が顕著になっていることは、いろいろな分野において見られます。そして、国際社会全体の統合や協調に導く理念や力学がいずれも不在になっていて「Gゼロの世界」という言い方もなされています。
また「G3の世界だ」という人もいます。つまりグローバリゼーション・ガバナンスレス・ギャップの三つのGを意味していて、Gゼロとも矛盾しません。今の世界はグローバリゼーションが進んでいきますが、グローバルガバナンスは実際には存在しないか、非常に弱いものです。ヒト・モノ・カネ・情報が自由に交流される状況はますます進んでいますが、そこに対して一定のガバナンスが効かない状況があって、そこにギャップが生じているという見方がG3です。
こうした国際情勢のなかで、米中の影響力競争の激化がいっそう進んでいます。中国が総体的に国力を向上させていることはもう誰にも否定できません。最近では2020年代の後半には、「中国はGDPでアメリカを追い抜くかもしれない」と言われるようになっています。ちょっと前までは「30年代半ばには追い抜くのでは」と言われていましたが、それがもっと早まるかもしれません。
中国が自信を深めている背景には、米国内政の混乱が深刻化していることやコロナへの対応をめぐる対立、そしてその対策が十分に機能していないこととも関係があると思います。中国からすると、「アメリカは偉そうなことを言っているが、実際には人種差別があるではないか」というわけです。黒人の青年を警官が膝で窒息死させ、その後、人種差別に抗議する暴動的な騒乱が出てきた例などを出して非難しています。「そういう人種差別があるのがアメリカという国なのだ」と。
逆にアメリカは、中国が香港国家安全維持法を通して香港の民主化の運動を弾圧していると非難します。「一国二制度をなきものにしようとしている」と声を上げています。米中が相互に批判する状況になっているわけです。
経済面では、米中のデカップリングの問題があります。アメリカは、サプライチェーンから中国を外そうと考えています。特にデジタル関係では、5Gからは中国のHUAWEIの排除を強化しています。取引関係のある企業もエンティティリスト(禁輸措置対象リスト)をつくって、国家の影響力のある中国企業を排除していくことを強めています。
権威主義的な政治体制が影響力を増している
コロナ禍の国際情勢において3番目に重要なポイントになるのは、権威主義的な政治体制が世界中で影響力を増していることです。やはり中国が典型的ですが、1000万人規模の都市である武漢で完全封鎖をやって現に成果を上げているようです。同じように中東欧諸国、例えばハンガリーやポーランドでも非常に権威主義的にコロナを封じ込めることをやっています。
他方アメリカ、日本、ヨーロッパなどの自由民主主義体制の国々では強権的な態度をなるべく控えて、飲食店に営業の自粛を要請するようなかたちで対応しました。1番典型的だったのが日本で、穏健な方法で何とかコロナを抑えていこうというやり方でした。コロナウイルスを抑え込むには権威主義的体制がいいのか、民主主義的な体制がいいのか、ここは判断に迷うところです。けれども客観的に見ると、どうも権威主義的にやったほうが成果は上がる傾向にあります。アフリカや中南米を見ると、権威主義的な手法を用いた国のほうがよい結果が出ています。
そうしたこともあって、中国型の監視社会的な手法のほうが効果的なのではないかと多くの国が考え出すようになっています。コロナがどのくらい影響しているのかはよくわかりませんが、権威主義的な体制が世界で勢いを増していることは間違いないように思います。最近のある調査では、民主主義国よりも権威主義体制とされている国家のほうが、数では上回ったという報道がなされていました。
「新冷戦」時代の到来?
国連の人権理事会で、国家安全維持法の成立をめぐる中国の香港に対する態度に遺憾の意を表明する声明を出すことを日本がリーダーシップをとって呼び掛けたことがありました。これに賛同した国は、27カ国でした。この理事会では、「中国の政策は理解し得るところがある」という立場の声明も出されましたが、それに対しては52カ国が賛成しました。これはかなりショッキングな出来事でした。
特にアフリカなどでは国家の将来を見通した時には、中国型の権威主義国家のほうがいいのだと考える傾向がかなり強くなっているように思います。独裁者や独裁的な権力を持っている人たちは、自分たちに都合のいいように憲法を改正したり、事実上の憲法改正を行って自分の任期をさらに伸ばしたりしています。こうしたことが増えていることは、コロナの時代が提起している今後の政治体制の問題として、我々は真剣に考えていかなければならないと思います。
いま米中による「新冷戦」が到来しているとも言われています。ただし学者の間では、新冷戦という言葉を使うべきかどうかについては議論が分かれています。米ソの冷戦の頃には、経済が東と西で基本的には分かれていました。それこそ東西でデカップリングしていました。それから世界のあるべき姿についても、イデオロギーの対立がありました。しかし今は、中国とアメリカのどちらの世界観を支持するのか、といったイデオロギー的な選択を迫られているわけではありません。ですから、米ソの冷戦と今の状況は違うだろうというわけです。
けれども、既存の大国に新しい国が挑戦していく構造は、歴史的にはかつて何度も見られたことです。今まさに中国は、既存の超大国アメリカに挑んでいます。やはり米中の対決は、とても根が深いものになっていると私は見ています。
バイデン新政権の展望と日本の立ち位置
次にバイデン新政権の外交について少し展望してみたいと思います。ここには六つのポイントがあります。まずはアメリカが世界を主導するということです。トランプさんはアメリカ第一主義を掲げて二国間ディールにこだわりました。マルチラテリズム(多国間主義)や国際協調主義的な考え方には反対の立場をとりました。他方で、バイデンさんはアメリカがリーダーシップをとる世界でなければならないということで、EUやNATO(北大西洋条約機構)、国連とは協調的にやっていくことをはっきりと明言しています。
2番目が中国への対抗策のスタンスです。中国に対してはトランプさんと同様に強硬な立場をとるのだと思います。しかし、同盟国やパートナーと共同戦線をとりながら中国に対応していくことになるのだと思います。ここがトランプさんと違うところです。トランプ大統領は、知的所有権や強制的な技術移転、国家企業に対する補助金の問題など、WTO上問題のある中国の行動に対してまさに二国間ディールを求める立場から非難して、4回にわたる高関税を広範囲の製品を対象に実施しました。
これはアメリカが一方的に中国に対して行い、中国はそれを受けて報復関税を打つことになりました。中国の問題は、米中の間のみにだけ存在しているわけではありません。日本やヨーロッパ諸国も同じように中国の問題に直面しています。ですから、従来なら日本やヨーロッパ諸国などの志を同じくする国と共同戦線を張ろうとしたと思います。つまり、「一緒にやろう」と当然呼び掛けたのだと思うんです。しかし、トランプ大統領はそういうところがなかった。一方的に、あくまでも二国間でのディールでやろうとしました。バイデンさんは、この点についても違うだろうと見ています。
バイデン氏は同盟関係を重視する
3点目は、中国との協調です。バイデンさんは、中国との協調を模索する必要もあるという認識を持っています。特に気候変動の問題や核不拡散の問題さらには新型コロナのようなグローバルな公衆衛生などについては、中国と協調する必要があると付け加えています。
4番目が同盟関係の強化です。この点についてもトランプさんとは違ったスタンスをとるのだと思います。同盟関係について、トランプさんは日米同盟の重要性をよく理解していました。しかしNATO諸国に対する態度は厳しいものがあって「国防費はGDPの2%をきちんと負担すべきだ」と言っていましたし、「4%以上の負担を求めるべきだ」といったこともはっきりと言われました。例えばNATOやG7の場でドイツのメルケル首相に本当に厳しい言葉を使って面罵する場面もあったと聞いています。
トランプさんはどちらかと言うと、金正恩あるいは習近平、プーチンのようなアメリカと関係が悪い国のトップと良好な関係を築こうとするところがありました。そうした人たちとも「オレはディールができる」と誇示するわけです。逆に同盟国たる国々の首脳に対しては厳しい態度をとっていました。けれども、バイデンさんは従来のように同盟関係は重視していく。または個人的な信頼関係を構築することでいくのだろうと思います。
アメリカのTPP復帰はあり得るのか?
5番目が日米同盟の基礎に対する安定した理解があることです。具体的には今ホストネーション・サポート(HNS)、つまりは駐留米軍経費負担の問題があります。バイデンさんは長らくアメリカ議会で外交問題を実際に担当しておられ、日本にも何回も来ていますし、トランプさんよりもずっと理解があります。それから、割と考え方はオーソドックスであると思います。ホストネーション・サポートは5年ごとに特別協定をつくっていますが、来年の3月で切れます。ですから今から来年4月以降の特別協定をつくることになりますが、日本は国会に通さなければなりませんから、その作業をやれるのかという問題があります。トランプさんが再選していれば、急遽交渉は進んだのだろうと思います。けれどもバイデンさんの勝利で、政権移行チームもできていない状態ですから進展を期待することは難しい。そこで考えられているのはとりあえず1年間の協定をつくって、その間に次の5年間の協定を考えるといったアプローチをとることがあり得るかもしれません。
6点目が日米貿易協力についてです。昨年二国間の貿易協定ができたわけですが、これはまだ第一次合意と言われていて、第二次合意が想定されています。これをやるのかどうか。それからさらにTPPに加入するのかどうか。これについていずれも、バイデン政権はすぐには手を付けることはないだろうと見られています。特にTPPについては、そもそも民主党は労働組合の強い支持を受けています。労組はどちらかと言えば保護主義の立場ですから、TPPの自由で開かれた貿易経済体制といった考え方には簡単には乗ってこないところがあると思います。
日米の二国間のFTAについてもバイデンさんは、まずアメリカの経済を立て直して、その上で二国間の貿易協定の問題は考えたいという態度を示しています。直ちに日米の第二次貿易協定の話し合いを始めようという感じではないのだと思います。もし協定の話し合いをするのであれば、日本からのアメリカへの自動車および部品の関税をあるタイミングでゼロにすることをアメリカから確保することが焦点になる。逆にアメリカから見ると、日本への農産物の輸出をさらに増やすということを日本にコミットさせることがポイントになってくると思います。
日本はメジャー・パワーの一つとして生き抜く
最後に日本の立ち位置と菅外交について述べさせていただきます。日本が国際社会全体の中でどういう立ち位置をとるのか。非常に混乱している状況の国際社会の中でどのような国家像を描いて、生きていけばいいのか。1990年前後の頃にはGDPで日本がアメリカを追い抜いて、ひょっとしたら日本が超大国になるのではないか、アメリカに学ぶべきことはもう何もないのではないかという雰囲気すらありました。けれども最早そういう考え方をする人は日本ではまずいません。
ある政治家は、「小さくともキラリと光る国」になるべしと言っておられました。これは文化やその他の面において良質で立派な国になるということだろうと思います。それをめざすことは悪くはないかもしれませんが、日本が置かれた地政学的な位置を考慮するとあまり良い選択だとは私には思えません。日本には1億人以上の人口があるし、国力もかなりの規模になっています。そうした日本がそういう国をめざすことで、現在の国際社会におけるステータスあるいは国力そのものを維持できるのかと言うと、私はそうではないのだろうと考えています。
それではどういう国家をめざすべきなのか。それを英語で言うと、「メジャー・パワー」(主要な大国)の一つとして生き抜いていくことではないか。その意志と力を持つべきであると。その力の根幹はやっぱり経済力を強くして行かなければならない。その経済力を世界の平和と安定と繁栄のために活かしていく意欲を持つことが大事だろうと思うんです。歴史を見ると、やはり超大国あるいは大国がお互いに対立したり協力したり、同盟関係を結んだりして、結局大国同士が世界の方向性を決めていったところがあります。弱小国は、そのパワーポリティクスの客体であったというのが否定できない事実で、今後もそういう状況が変わるとは考えにくい。こればかりは人間の本性、国家の本質みたいなものだと思うのです。
だとするとやはり日本は、権力政治の主体の一つになるべきです。客体として扱われるような状況を招いてはならないと思います。そういう意味では、積極的で主体的な外交をやっていく必要があります。そのために何をなすべきかと言えば、やはり国の安全保障はきちんと自分で守っていくことは基本であります。さらには客観的な情勢の下で日本の国力なり、あるいは国民の平和主義的な思考その他を考えると、すべて自前で防衛力を築いていくことは不可能だし、現実的ではありません。そこは同盟国であるアメリカを重視していくことでしょう。それと同時にこの普遍的な価値を共有する国々、例えばオーストラリア、インド、欧州諸国のような国々と広い意味でのネットワークを築いていくことです。準同盟国として協力関係を築いていくことが必要だろうと思います。
そして日本の伝統、精神、文化を守り育てることを忘れてはならない。そして、それと同時に普遍的な価値──自由、人権、民主主義、法の支配等──を尊重するところは決して曲げてはならないだろうと思います。
菅外交の展望についても少しお話しします。菅新総理は、安倍政権の外交・安全保障政策を基本的には継承すると言っています。私も官房長官としての菅さんに5年8カ月お仕えさせていただきましたが、バランス感覚に富んだ方でありリスクの大きいことはしない、とても慎重な方です。ですから、安倍外交とは違ったものをオレはやるんだ、というスタンスを菅さんはあまりお持ちではないように思います。そういう意味では安定した政権運営をしていかれるのだろうと思っています。
日本外交の方向性について一言で言えば、日米同盟をきちんと維持して強化していくこと、それから健全な日中の隣国関係を維持していくこと。この二つのバランスを保っていくことが大事だろうと思います。場合によれば、米中の両国から「日本はどちらの味方なのだ」というようなことで踏み絵を踏まされたり、あるいはあちらを立てればこちらは立たずといった関係に置かれたりすることもあるかもしれません。そこは日本の国家としての座標軸を守りつつ、したたかに生き抜いていくことに知恵を絞るべきだろうと思います。先ほども申し上げましたが、日・米・印・豪──この4カ国を「クワッド」と言ったりもします──との関係が重要になってきています。日米同盟はもちろん大事ですが、最近ではクワッドでハイレベル会議もやるような状況になってきました。以前はなかなかできなかったのです。特に豪州とインドはなかなかこれに乗ってこなかった。しかし、これが次第に現実化しています。
それからASEANも「自由で開かれたインド・太平洋」という考え方をとって、ASEANがその中心に座ることを言っています。これはたいへん結構なことだと思います。アメリカも「自由で開かれたインド・太平洋」という元々、日本が打ち出した構想について、アメリカのほうから自分たちもその表現を使わせてもらうということを言っています。そうした有志国との連携も重要になります。ちなみにイギリス、フランス、ドイツのいずれも「自由で開かれたインド・太平洋」という考え方を支持する立場であります。
韓国の蒸し返しには聞く耳を持たない
今日はあまり多くを語りませんでしたが、韓国との関係についても少し触れておきます。韓国がいわゆるゴールポストを動かしてきて、そして日本がそれに対して改めて謝罪をして何らかの措置をとる。しばらく経つと、同じ問題か違った問題で再び要求を蒸し返す、そしてまたゴールポストを動かし、それに日本は妥協するという歴史をずっと繰り返してきたように思います。しかし、これはもう断ち切らなければならないと私は思っています。
日本は法的な措置すべてとって参りましたし、やるべきことはやってきたと思います。「韓国国民の気持ちに沿った措置になっていない」とか「心からの謝罪をしていない」とか言われます。しかし、彼らが満足するように本当に寄り添う措置や、あるいはその心からの謝罪と受け取ってもらえるような謝罪があり得るのか。
私はそんなのは無理なのだろうと思います。どんな謝り方しても、「いやそれは心からの謝罪とはとても受け取れない」と言われたら、もうどうしようもないわけです。これは我々の個人の関係でもまったく同じことで、いわんや国家の関係となればなおさらです。止むを得なかった部分はあると思いますが、過去の歴史は断ち切って、対等な主権国家同士の正常な関係を築いていくことをめざすべきでしょう。私は現役の時も韓国の然るべき人には、はっきりとそのように伝えています。いろいろなことの蒸し返しには、聞く耳は持たないとも言っています。
4年後のトランプ再出馬はあるのか?
発言者A 今回のアメリカの大統領選挙は「トランプが好きか嫌いか」が問われた選挙だったという話がありました。結果としてはバイデンさんが勝利しましたが、トランプさんもかなり票を集めました。日本の新聞等でも4年後にまたトランプが大統領選に出馬するのではないかといった報道がなされていますが、トランプのリベンジ、復活についてはどのように見通されていますでしょうか?
もう1点はヨーロッパについてです。EUからイギリスが離脱することもあって、最近はドイツが欧州全体をリードしている印象があります。しかし、メルケル首相もそろそろ引退の時期を迎えることになります。そうすると今後のヨーロッパはどの国が中心になってリードしていくのか気になっています。ご見解をお聞かせ願います。
分断や分裂はアメリカ社会に存在し続ける
谷内 トランプさんが根強い人気があったことは確かです。大統領選挙の度に指摘されてきましたが、アメリカでは元々エスタブリッシュメントに対する反感は広く存在していて、ワシントンの古い政治に対する批判は昔からありました。利害関係やしがらみから古い政策が継続されていて、それらを大胆に打ち破ることができないと彼らは感じています。その一つの典型が移民対策だろうと思います。移民こそがアメリカ社会の活力の源であるという考え方があります。クリントン元大統領などはそうした考え方をする方で、移民をたくさん受け入れていることは誇りでもありました。アメリカは、ほとんどが移民とその子孫、末裔で構成されている国ですから、それが伝統的な考え方でした。
けれどもトランプさんは、口にするのも憚られるような言葉で新しくやってくる移民を非難しました。「外から入ってくる連中はロクなやつがいない」とか「国境に壁をつくって物理的に入れないようにするんだ」と主張しました。それを言葉にすると、「人種差別だ」とか「偏見がある」と言われてしまうので、多くの人々は黙っていました。けれども内心では「その通りだ」と思っている人たちがたくさんいたわけです。トランプさんはそうした本音の部分をうまくすくい上げて、はっきりと代弁していたところがありました。
今回の大統領選挙ではアンチ・エスタブリッシュメント層もだいぶバイデン側に支持が移ったとされていますが、白人で低学歴の貧しい労働者にはやはり根強いトランプ人気がありました。我々から見ると、トランプさんはとんでもない大金持ちでエスタブリッシュメントの一人ではないかと思うんです。しかしトランプ支持層は、彼の型破りの言動を賞賛しました。
人種差別の問題についても、トランプさんは従来であれば決して口にされなかった本音ベースの言説が見られました。今年3月には警察官に拘束された黒人男性が窒息死させられるケースがあり、それをきっかけにして抗議の暴動が起きました。トランプさんは黒人男性にも非があり警察官を擁護する発言をして、強い非難を浴びます。しかし白人の広い層が内心では、「黒人は悪いことするやつが多いんだ」とか「黒人はドラッグをいっぱいやっている」といった本音を持っていて、トランプさんはそれを代弁したところがあります。
私も10年ほど暮らしたことがありますが、アメリカにはインテリに対する強い不満が社会のなかに存在していることを感じました。特にニューイングランド(アメリカ北東部)のハーバード大学やイェール大学などのアイビーリーグで勉強して弁護士になり、やがてワシントンで知的リーダーシップをとっているような人たちに対する反発はものすごく強いんです。彼のスピーチは、インパクトの強い、短いセンテンスを用いていますよね。我々からすると口汚くも聞こえますが、わかりやすい言葉で畳み掛けることは支持層には受けるわけです。今回の大統領選挙は、「トランプを好きか嫌いか」が争点になったと申し上げましたが、トランプ支持者の本音はこれからも変わらないでしょう。いわゆる分断や分裂は、アメリカ社会のなかに存在し続けるのだと思います。
ですから、高齢のトランプさんが次の選挙に出馬しないとしても、同じように社会に潜む本音をうまくすくい上げるタイプの政治家が現れてくる可能性は常にあるのではないか。例えばの話ですが、ポンペオ国務長官などはとても頭のいい人だし、ある意味ではトランプさんよりもはっきりとしたことを主張する面があります。彼などはこれから支持を集めることになるかもしれません。あるいはペンス副大統領も頭角を現してくるかもしれません。彼は元々キリスト教右派の福音派の人ですが、とても落ち着いた人で過激な言葉はあまり使いません。政策自体は、過激なことを結構支持しているのだと思いますが、それを表に出すことはありません。それから非常にストイックなところがあって、トランプさんとは対照的ですが、奥さん以外の女性とは絶対に二人きりで食事をしないそうです。こうした品のいいイメージは、意外とトランプ支持層のハートを掴むかもしれません。
トランプさんが4年後に再選をめざすかどうかですが、出馬する意欲は十分にあるのだと思います。彼はものすごく権力志向が強い人物です。自己中心的なところがあって、自己顕示欲も非常に強い。体力さえ許せば4年後をめざすのではないか。同時に、トランプさんを支持する人たちの間でも彼に付いていくのはたいへんだと思っている人も少なからずいるのではないかと思います。共和党内にも一種のトランプ疲れが広がっている印象があります。ですから、4年後の予備選で勝ち進むことには正直に言えばクエスチョンマークが付きます。ただし、彼はやはり人の心を掴む力があるし、カリスマ性を持っています。その時のアメリカ社会の雰囲気によっては、どんどん勝ち進む可能性は否定できないところがあります。
ヨーロッパの南北問題と東西問題
ヨーロッパについては、これからもやはりドイツだろうと私は思っています。確かに、メルケルさんほどの指導力を持った後継者がすぐに現れるとは考えにくいのだと思います。先日も後継者と見られていたアンネグレート・クランプニカレンバウアーさん(ドイツキリスト教民主同盟)が来秋の総選挙を戦うことを断念しました。しかし、ドイツの国力はヨーロッパ内では抜きん出ているし、経済の質も非常に高いですから、ドイツの存在感はこれからも強まるだろうと思います。
フランスもドイツに協力せざるを得ないのではないか。ですから、独仏連携がこれからも続くと私は見ています。むしろ問題になり得るのは、今の欧州にある南北問題とも言える状況だろうと思います。北側のドイツ、オランダ、デンマークなどの経済の調子のいい国々と南側のギリシャ、イタリア、スペインなどの経済不振に喘いでいる国々とでは格差が広がっています。今回のコロナ対策にしても、復興基金をつくるべきかといった課題について北側は自分たちの負担が増えることを嫌って否定的でした。しかし、最終的にはドイツがやるという方向になって一応でき上がりました。
それからヨーロッパでは、コロナを契機にして東西問題とも言える状況が出現しつつあります。西側の自由民主主義の国々と、かつてソ連の配下にあったポーランドやハンガリーなどの東欧諸国とでは、政府のコロナ対応の考え方に大きな違いが見られるようになっています。東側は権威主義的なやり方が目立っています。このあたりは、EUを分裂させる方向の要因にもなっています。その一方で、ここでまとまらなければマズいと考える力学も働いています。イギリスのBrexitを睨みながら、EU内に残った国々はイギリスみたいになっていいのか、という思いもあります。日本からすれば、やはり中国やロシアの存在を考えると強いヨーロッパでいて欲しいですね。同志国として、日本外交におけるヨーロッパの位置付けは今後も高いのではないかと思います。
バイデン氏の公約の実現可能性
発言者B トランプ政権はパリ協定から離脱を表明し、この11月4日に正式に離脱しました。一方のバイデン氏は、今日のお話では環境問題について中国とも協調姿勢をとっていく可能性があるとのことでした。大統領に就任した場合はすぐにでもパリ協定に再加入するのではないかとも言われています。また気候変動対策についても2050年までに100%クリーン・エネルギー経済を実現させ、排出量をネットゼロにすることを掲げています。現在アメリカの二酸化炭素排出量は、世界第2位で年間約50億トンを排出していますから、これはかなりハードルの高い目標値です。
その一方でアメリカ国内に目を向けると、共和党と民主党の分断が続くのではないかと見られており、特に共和党が過半数を占める上院では法案を通すことが難しいとされています。また、最高裁も保守系の判事が多数派を占めています。こうした国内状況を踏まえると、バイデン氏の公約実現はかなり困難であるように思えるのですが、どのようにお考えでしょうか?
苦戦することになる
谷内 私も同じ認識でいます。上院の議員、最高裁判事の構成メンバーが保守系で占められているために、今バイデンさんが掲げている方向性をそこまで貫くことができるかどうかは未知数なところがあります。今はトランプさんを意識して前向きな姿勢を示していますが、実現することはかなり難しいでしょう。
シェールガスやシェールオイルに携わっている人たちからすれば、当然業界に有利なほうに規制緩和してもらいたいと思っています。それは自動車も同じだろうという感じがします。業界の考え方は、バイデンさんの考え方とは隔たりがあります。力関係でどちらが有利になるのかと言えば、利害関係の点から言っても保守派のほうが強いのかなという印象を持っています。環境を重視して規制を強めていくべきだと考えるのは、インテリ層に多いところがあります。「環境問題は世界全体で考えなければならない」と考えるタイプの人たちの発想ですが、国民全体から見ればそれは少数派だろうと思うんです。そのなかでバイデンさんがどのようにリーダーシップをとっていくのか、ここがポイントになるのだろうと思います。
仮に議会を通らなくても、私は一生懸命やったが議会が反対したために実現できなかった、と言って責任を議会に押し付けることも考えられます。政治家ですから、そうしたことは想定しているでしょう。公約通りに進んでいくとは、私はあまり思っていません。苦戦することになるのではないかと私も見ています。
中国の実像
発言者C 今日はあまり触れられていませんでしたが、中国の存在が気になっています。北陸地方の経済界も中国とは深い繋がりがあります。ただし、今の中国は膨張主義的で強権的な態度を見せるようになっています。経済の規模もどんどん大きくなっていて、周辺国は脅威にも感じています。その一方で、すでに高齢化が始まっていることや国内で大きな格差を抱えていることも指摘されています。さらには一党独裁の政治体制のもとでは今後も技術革新を推し進め、経済成長を続けることは難しくなるのではないかとも言われています。そのため、これまでのような膨張一辺倒には歯止めが掛かるのではないかと予想する人もいます。今は習近平さんが絶対的な存在として君臨していますが、今後政権が変わるような事態になれば政策の方向性も変わるかもしれません。
こうした様々な要素を踏まえたうえで、中国の実像、実力をどのように見るべきなのでしょうか。また現在の膨張主義的なスタンスの真意はどこにあるのか、お考えをお聞かせ願います。
世界ナンバーワンになろうという意志がある
谷内 中国の実像を捉えることはなかなか難しいところがあります。どのくらい強い意欲を持っているのか、国力をどのように強化していくのか、といった要素についてもそれを見る期間によって、浮かび上がってくる姿はずいぶん違うのだと思います。ですから10年先、30年先、50年先というように異なる時間軸で、中国のことを考えていく必要があります。
少なくとも意欲や意志という面では、習近平さんは権力志向が強くて、かつ中国と自らを同一化する傾向がとても強いと思います。彼は、最大の戦略目標として「中華民族の偉大な復興」を掲げていて、中華人民共和国の建国100周年に当たる2049年までに、世界ナンバーワンの国家になると言っています。中華「帝国」という言葉は使っていませんが、かつての中華帝国を復活させるイメージを持っているのだと思います。
習近平さんのみならず他の幹部たちも同じように強烈な思いがあります。いま来日している王毅外務大臣もそうだし、私がカウンターパートとしてやってきた楊潔篪さん(中国共産党中央政治局委員)にしても強い意欲をお持ちでした。中国の共産党幹部は、みんなそこは強烈だし、自信を持っています。最近のアメリカの一種の混乱状況を見て、中国は確実にアメリカを追い抜けると思っているでしょう。だからと言って、中国が世界帝国をつくることは現実的ではないと私は思っています。ただし、少なくとも世界ナンバーワンの力を持つ国になろうという強い野心があるし、自信を持っていることは間違いないでしょう。
他方でご指摘のように高齢化がすでに進行しているし、いろいろな意味での格差は深刻です。特に農村と都市部の差は開く一方で、この問題は解決したわけでありません。依然として大きな課題として残っています。こうした問題を抱えながら、中国が今後もどれだけの力を発揮できるのかという疑問は当然あると思います。
多くの課題を抱える一方で、大きな強みも中国は持っています。特にデジタル分野での技術革新はめざましいものがあって、5Gのような最先端分野ではHUAWEIのように突出した力を持ち、グローバルに展開できるだけの実力を備えている企業もあります。もちろん、中国がすべての分野において圧倒しているわけではありません。
経済面でも独裁体制の利点を活かしていることは、重要なポイントだろうと思います。中国は基本的には社会主義市場経済ということで、マーケットを重視していますが、「中国製造2025」にも書かれてあるように、国家が重視している産業分野には国家が思い切った予算措置をしています。大事だなと思われる分野には、予算額にしても人の配置にしても集中的に投下しています。このあたりは中国共産党の独裁体制のメリットを最大限に活かしていると思うのです。「一帯一路」もそのようにして、一気に展開されたところがあります。
もちろん今、いろいろな問題が吹き出してきますが、中国は一度決めたことは運動として取り組んでいきます。そのスピード感や規模に関しては、他の国ではとても真似できない。防衛力や安全保障の面でもアメリカの軍事力にはまだまだ及びませんが、国防費をどんどん増やしているし、やがてはアメリカを追い抜く部分が出てきます。宇宙、サイバー、電磁波などの新しい軍事領域においてはすでにアメリカを追い越している分野もありますから、侮れない力を持っています。
ただし中国には、ソフトパワーがほとんどありません。世界の独裁者は、中国型の監視社会をつくりたいとは思っているでしょうが、自分たちの国を中国のような国家にしたいと決して考えないでしょう。知的にも文化的にも心理的にも中国のソフトパワーがカンフォタブルなのかと言えば、そうではありません。中国に魅力を感じているわけではありません。どこの国の人でも、多くがそう思っているのではないか。この点では、かつて世界中の人たちがアメリカの生活様式に憧れたこととは大きく異なりますよね。
開発途上国がある程度の生活水準に達したときに、次に何を求めるのかと考えたときに、その目標や理想を中国に求めることは現時点ではないでしょう。そうした点での求心力を中国はまだまだ持っていません。アメリカをも凌ぐ超大国になるためには、ソフトパワーの面でも大いに努力することが必要なのだと思います。
カーボンニュートラルを達成するための外交戦略
発言者D 脱炭素に関する動向についてお伺いいたします。菅総理大臣が2050年カーボンニュートラルをめざす方針を示しましたが、その方針を達成するための外交戦略はどのようなかたちをめざすべきだとお考えでしょうか?
コロナ・ショックの影響で分断が加速しており、エネルギー安全保障にも影響が出てくると自国第一主義が進展する可能性もあると思いますが、一方で米大統領がバイデンさんに変わると国際協調が進展する可能性もあると思います。エネルギー自給率が低い日本がどのように他国と連携をとり、脱炭素に取り組んでいくのがよいのかお考えをお聞かせいただければ幸いです。
まずは具体的なアイデアをまとめる
谷内 私も菅総理が2050年までにカーボンニュートラルを達成するというアイデアを出されたことには驚きました。どうやって実現していくのだろうと感じたのが、正直なところです。これを達成するための青写真や工程表が日本政府にも、日本国の中にもなかなか現実性を持った案としては存在していないのが現状だろうと思います。有識者や業界の皆さんなどが集まって具体的に何ができるのか早急に考えていくべきだろうと思います。
具体的なアイデアがなければ、外交的によその国に向けてそれを売り込んでいくことはできません。そのビジョンを実現するために現実的な手段をかたちにしたうえで、それを日本だけがやっていくのではなくて国際的にも展開することだろうと思います。世界各国が日本の提案にコミットして、実行してもらうような体制づくりができれば理想的だと思います。日本はそのリーダーシップをとれる国ですから、アメリカにも中国にもインドにも呼びかけていくことが大事になってくるだろうと思います。
菅首相の基軸・国家観
発言者E バイデン政権は、分断に起因する内政問題に力を割かざるを得ないのではないでしょうか。したがって、外交面では、同盟国との関係強化と対中政策の継続以外の新しい政策は期待できないと思われますが、この認識は正しいでしょうか?
日本の立ち位置の箇所でお話があった日本の伝統・精神とは具体的にどういうことを指しているのでしょうか。菅首相は安倍首相と比べると現実派で、おっしゃったようにバランスを重視されると思いますが、菅首相の判断の基軸・国家観はどのようなものでしょうか。以上3点お伺いいたします。
「和の精神」の良さを再認識すべき
谷内 まずバイデンさんの今後の内政・外交への取り組み方は、私も今おっしゃられた通りだと思っています。まさに分断されたアメリカのなかでまずは内政に取り組んで、融和や統合を図ることに尽力されるのだろうと思います。
外交面では先ほども申し上げましたが、トランプさんを意識して彼とは違ったところに札を張っていくことをやられるとは思います。けれども、斬新で思い切った政策が出てくるとは思っていません。長年、外交・安保に携わってこられたバイデンさんですから、そこは伝統的な考え方に従った手を打たれるのではないか。特に日米関係については、常識的なラインでこられるのではないかと思います。中国との関係でも、さらなる強硬措置を次々と打ち出すようなことはないのではないか。
日本の伝統や精神を守るというところは、広い範囲に渡ります。例えば、日本の社会にある和の精神、武士道、人間の生き方などを含めて、日本の文化、伝統を守っていくべきだと私は思っています。そのあたりの日本人の良さや国民性を再認識しても良いのではないか。今回のコロナへの対応にしても、日本人は政府からの「自粛してほしい」という呼びかけにもきちんと応じています。マスクの着用や手洗い、消毒などの徹底についても自発的に行っています。今は第3波が到来して感染者が増加傾向にありますが、基本的には他国と比較しても対策は成功していると見て良いのではないか。厳しい措置をとらずとも、それなりに成果を上げている背景には日本人の国民性も影響しているのだと思います。
それからビジネスの面でも日本人は基本的には約束を守るし、契約を尊重しますよね。そうではないケースもあるのかもしれませんが、誠実にビジネスをやっていくことを日本の多くのビジネスマンは心がけておられるのだと思います。そうしたことを含めて、私は日本の伝統あるいは精神と言っています。
今は課題に一つひとつ取り組むことが求められている
菅総理は、日本はこういう国家たるべし、といった国家観を先行して打ち出すタイプの政治家ではないのだと思います。理念や世界観よりもむしろ現実の問題に向き合って、それをよく理解してバランス感覚を持って対処されるところに特徴があります。それでは、大局的にはどのように考えているのかと言えば、それはやはり憲法に書かれている基本的な考え方に基づいた発想をされるのだと思っています。
つまりは人権の尊重、平和主義、国際協調などを重視しながら、現実問題に対処していかれるのではないかと私は見ています。政治において、それが良いか悪いかはまた別の話です。理念先行型がいいのか、現実処理型の政治家がいいのかという話になるのでしょうが、今の日本は現実処理型のほうが求められているのかもしれません。特にコロナへの対応および停滞する経済の問題に取り組むうえでは、課題を一つひとつ解決していくことが大事なのではないでしょうか。
「経済安全保障」の考え方
発言者F 最近「経済安全保障」という言葉を聞く機会が増えました。経済安全保障という言葉の意味について政府与党の議員から解説される機会もあって、つまりは国の安全保障のために経済というツールを使う発想であるとのことでした。わが国にはこうした感覚が明らかに欠けているので、だからこそしっかりとやる必要がある、ということでもありました。与党内で経済安全保障のあり方を取りまとめて政府に提言される準備を進めているそうです。
経済安全保障に関わる施策としては、特許の公開を制限することや民間人にセキュリティ・クリアランスの資格を与えるなどの法制度の検討が具体的にはあるようですが、全体的な方向感としては、今米国が中国に対する警戒感から打ち出している施策に準じている印象があります。こうした議論は、特に与党の一部の方は明らかに中国を意識して発言されていて、そういう話をされてしまうと企業側一般としては困惑する面も出てきます。中国とのビジネスに支障が出てくる可能性があるわけです。中国には大きなマーケットがありますから、中国と付き合うことは企業としても非常に大事なわけです。しかし、米国の法制度や基準にわが国が従うのであれば、中国とは付き合えなくなるのではないかという疑念が湧いてくることになります。
経済安全保障に対する意識を持つことが重要であることは理解できますが、結局この問題は、米中対立のゆくえにかかってくるのだと思います。企業としては、やはりそこが気になるわけです。どうしてもそこに辿りついてしまって、解が見えなくなることを繰り返している印象を持っています。谷内先生は、初代の国家安全保障局長を務められましたが、設立当時にはこうした議論はなされていたのでしょうか。この議論について現在はどのような印象を持っていらっしゃるのでしょうか、ご見解をお聞かせください。
言葉が先走るのは好ましくない
谷内 経済安全保障は最近よく使われる言葉ですが、多義的でいったい何を意味しているのかはっきりしないところがあります。使っている人によって、内容が違っていたりします。安全保障のために経済を使うとなると、日本の安全保障政策のためには中国にダメージを与えなければいけないと考える方もいます。そうした発想から、経済的に制裁を加えるべきだという話に発展しかねないところもあります。それこそトランプさんのように中国に対して高関税をかけるような考え方です。それも安全保障のために経済を使うということなのかと言えば、極限状態であればそうした事態もあり得るのかもしれません。しかし、それにはよほど慎重でなければならないと思います。
国家安全保障局で言えば、例えば5Gの基地局にHUAWEIの製品を輸入して使うことで、バックドアで情報を抜き盗られるのではないかという議論はありました。それはもちろんマズいわけです。情報が相手国、特にデリケートな関係にある国に筒抜けになることは、ある意味では安全保障上そのものの問題です。
かつての石油危機の時にアラブ諸国からの石油の輸入が途絶えるのではないかと心配して、供給先の多様化を進める必要性が確認されたことがありました。これはサプライチェーンの問題の一つです。こうした発想は、経済安全保障の問題だろうと私は思いますが、安全保障というよりも経済そのもののために必要でもある。そう考えると、経済安全保障という言葉を使うのが適切かどうかはよくわからないところがあります。もちろん問題としては重要なことなので、国家としてきちんとやるべきだと思っています。けれども言葉が先走って、「だからそれはやっちゃいけない」とか「やるべきだ」という発想になるのはマズいのではないか。
特許の公開制限や民間人にセキュリティ・クリアランスの制度を導入すべきだという議論については、私はやるべきだと考えています。特にセキュリティ・クリアランス制度の整備は急ぐべきです。例えば、アメリカの企業とR&D(研究開発)の協力をする時に、その制度がなければ「協力はできません。お帰り下さい」ということになりかねない。現にそういうことが起きていると聞いています。特許も買ってしまえば、その技術を自由に使っていいのかどうかも大事なところです。これらは経済のためにも安全保障のためにも必要だろうと思います。だから、これを経済安全保障の問題と言って良いのかもしれません。
中国のマーケットも大事
今は米中が大変な敵対関係に入っているので、中国に対しては警戒すべきであるという考え方はあります。中国が繰り返し行っているサイバー攻撃を見ても、まったくきれいな国ではないことは事実です。警戒心を持たなければならないと思いますが、他方であれだけ巨大なマーケットがあるわけです。警戒するあまり、それを完全に諦めるわけにもいきません。
ですから、中国には行儀のいい国になってもらいたいとは思いますが、なかなか難しい面もあります。ただし、良くなっていく可能性があるという前提で中国とは付き合っていかなければならないのだと思います。日本企業にとっては中国マーケットも大事だし、いろいろな面での提携も重要です。まさに安倍政権が成立して以来、中国との関係をそれこそ営々として改善させようと努力してきたわけです。尖閣諸島をめぐって厳しい関係にありながら、それを怠らなかったのはまさに経済界からの、「中国とちゃんとやってくださいよ」という声に応えるために努力してきたことも事実だと言えます。
ですから、アメリカの一部にあるデカップリングのような考え方には反対です。アメリカ自身も本当にやれるのかと言えば、おそらく不可能なのではないか。米中の経済の相互依存関係は相当に深いですから、それを切り離すことはそんなに簡単にはできないだろうと思っています。
アメリカも中国との関係を維持しているわけですから、日本だけが止める必要はありません。それからアメリカは維持していないけれども、日本がやってもいいこともあるのではないか。いろいろなアンテナなり嗅覚その他を研ぎ澄ましながら、日中の関係は模索すべきです。
先ほど申し上げたように、日米同盟を堅持しながら、中国とも良好なる隣国関係を築く。この二つを両立させる外交政策を知恵を絞って考え、したたかに生きていくことに尽きるのだと思います。その際には、経済安全保障の視点も大事ですが、あまり定義の問題にこだわらずに日本に必要かそうではないのか、良いことなのか悪いことなのかを判断していくことだと思います。
香港・ウイグルの問題をどう見るべきか
発言者G 安倍総理は各国に信頼されていたというお話がありましたが、私は谷内さんが外務次官あるいは国家安全保障局長として各国のプロフェッショナルに信頼され、そうした評価につながったのではないかと思っています。長年わが国のために尽力くださりありがとうございました。一国民として感謝を申し上げます。
3点ご質問させていただきます。まず1点目ですが、NSS局長ご在任期間中には数々の危機事象に直面されたことと思いますが、谷内さんから見て最大の危機は何だったのでしょうか? またそこから引き出される教訓などがございましたら併せてご教授いただければと思います。
2点目にこれからの東アジアの情勢を占ううえでお聞きしたいのですが、まず香港です。中国は一国二制度という国際公約を反故にして、相当なダメージがあったと思うのですが、なぜこれに踏み切ったのでしょうか。これをどのように捉えているのかご見解を伺いたいと思います。ひょっとしたら、リーマン・ショックやコロナ・ショックを乗り越えたことで付いた自信がなせるわざなのではないかとも思えました。あるいは自由が横溢してきた雰囲気に対して、習近平さんをはじめとした中国共産党が恐怖を抱いた結果ではないかとも思えます。どのように分析されていますでしょうか?
3点目に新疆ウイグル自治区についてお伺いします。ウイグルについてはニュースも限られているなかで一体何が起きているのか興味を持っています。周縁地域で行われていることが、将来的に我々に対して行われないとも限らないと懸念しています。考え過ぎなのかもしれませんが、気になっています。ウイグルで起きていることについて、ご教示いただけますとたいへん参考になります。
北朝鮮問題は今でも危機
谷内 まずNSS時代の一番の危機事象としては、やはり北朝鮮による核・ミサイルの開発の問題が挙げられます。これには非常に強い危機意識を持っていました。私はアメリカの国家安全保障を担当する歴代の大統領補佐官4名と実際に付き合いました。最初はオバマ政権のスーザン・ライスさん、次にトランプ政権のマイケル・フリンさん──彼は3カ月でお辞めになりました──、それからハーバート・マクマスターさん、そしてジョン・ボルトンさんです。特にマクマスター、ボルトン両氏とはまさに北朝鮮の核・ミサイルの問題についてずっと話し合ってきて、何度もアメリカを訪問する機会もありました。
この問題のポイントは、アメリカが本気にならなければ片付かないということです。日本や他の国がいくら言ったところで、北朝鮮は言うことを聞きません。アメリカの一番怖いところは、その武力、軍事力です。従って、北朝鮮にはすべてのオプションがテーブルの上にあるのだ、ということを明らかにした上で交渉してほしいとアメリカに伝えてきました。最後には外科手術もあり得るという前提がなければ、北朝鮮は真剣に交渉に乗ってきません。
それから、北朝鮮に核やミサイルを廃棄することを明確に約束させた上で、それに至る過程では「行動」対「行動」であるべきだとも伝えました。まずは北朝鮮が核兵器の製造につながり得るモノの購入を止めたり、関連施設を破壊したりする。アメリカおよびその他の国はその見返りとして経済的・人道的に援助する。それが実行されれば次の段階に進むことができます。最終的には核兵器・ミサイルを廃棄することをゴールとして設定して、そこに至るまでのプロセスを考えるべきであると伝えました。北朝鮮がそれを守らなければ何が起こるかわからない、そこをはっきりさせた上で交渉することが大事だとも考えていました。
「行動」対「行動」というのは一見その通りだと思えますが、悪いことをやっているのは北朝鮮です。特に日本から見れば、それは明白です。それに対して「行動」対「行動」で応えなければならないのは、実はおかしな話なんですが、こうしたことをアメリカには主張していました。
アメリカは一生懸命にやってくれましたが、結局はトランプさんと金正恩の首脳外交に移ってしまいました。それが何だか曖昧なかたちになって、問題が消えたわけではないのに何となく後景に退いてしまったところがあります。そういう意味では非常に遺憾なケースになってしまいました。北朝鮮問題は今でも危機的な状況にあると私は認識しています。
豊かさと民主化との関連を中国政府は恐れている
次に香港についてです。中国がなぜこれほど荒っぽいことに踏み切ったのかはわからない部分がありますが、ご指摘のように香港の民主化運動に脅威を感じている面があるのだと思います。香港の人たちはイギリス統治のもとで民主主義の洗礼を受けていますし、本土よりもはるかに豊かでした。ところが本土が次第に豊かになってきていますから、香港の存在感もやや低下してきている。こうした中で民主派の運動の人たちが独立をより求めるようになっていることに、中国の中央政府はやはり危機感を持ったのだろうと思います。民主化運動がさらに進展して、最終的には独立する事態になったらかなわないと考えた。
やはり豊かさと民主化との関連を政府は恐れているのだと思います。豊かになった地域が香港と同じように民主化を求めてくることは、中国共産党からすれば容認できないことです。そうした前例をつくりたくないわけです。それから中国は一つであるという大前提を崩すことは、台湾にも影響します。香港で緩い態度をとると、台湾も自分たちへの締め付けは少なくなるだろうと考えることになります。逆に完全に香港を統合するようだと、その流れで台湾を併合して、尖閣諸島も支配下に置こうといった膨張主義に勢いが出てしまう恐れもある。中国としてはそうしたデザインを描いているでしょうから、香港の民主化運動を看過することは決してないのだと思います。
次にウイグルですが、中国としては国家を分裂させてはいけないという意識がまずあります。そのような動きはウイグルも含めてどこであろうとも許されることはありません。ただウイグルについては台湾とはちょっと違うかなと見ています。独立運動をしている人もいますが、そもそもウイグルは独立したとしても一つの国家としてやっていけるかどうかという問題があります。むしろこの地域で漢民族が増えて、彼らを支配下に置く流れのほうが強くなっています。現に漢民族の人口がどんどん増えています。
中国政府からすれば、そういう状況が進みウイグルの人たちが自分たちに従ってくれればいいと考えて同化政策を進めています。経済支援もしていますが弾圧もしている。アメとムチの両方を使いわけているわけですが、外から見て目立っているのはやはりムチのほうです。100万人近い人を強制的に収容したり、イスラム教を放棄させたり、ウイグルの言葉を放棄させる、その他許しがたいことをやっていると思います。とても人権を尊重しているとは思えない過酷な試練を与えています。
ただ中国はともかく声が大きいのです。それから思い切った報復政策をしてくる可能性があるので、アメリカに歩調を合わせて日本が中国を批難することについては慎重たらざるを得ないわけです。皆心のなかでは同情していますが、如何ともしがたい部分があってひどく残念です。本当はこのあたりすっきりとしたことをやれたらいいのですが、そうもいかないのが現状です。
バイデン政権とTPP
発言者H トランプ大統領は就任早々にTPPから離脱しましたが、バイデン政権のアメリカがTPPに復活する見通しはあるのでしょうか? ご見解をお聞かせ願います。
すぐには復帰しないのではないか
谷内 バイデンさんは、そもそもオバマ政権時代の副大統領としてTPPを推進する立場から日本に対し「TPPに参加すべし」と主張していた人です。しかし、今の時点でのアメリカは基本的にTPPを推進する勢力は限定的で、議会も賛成していません。近くアメリカがTPPに参加するであろうという見方もありますが、私はそれはないだろうと思っています。オバマ政権の終わり頃にTPPを推進すると同時に、中東や大西洋に置いていた軍事的な重点をアジアに移すことをやりました。「リバランス」とか「ピボット(大転換)政策」などと言われましたが、アジア回帰が試みられました。TPPはアメリカを含むアジア太平洋の12カ国が自由で開かれた貿易体制をつくろうという試みですから、アメリカのアジアへのコミットメントをさらに強化することになります。ですから日本からすれば、アメリカには是非ともTPPに参加して欲しいわけです。
ちなみに中国は今「TPPへの参加を真剣に検討している」と言っています。もちろんこれはアメリカを牽制しているのだと思います。中国の貿易経済体制はTPPに入れるほど、自由で開かれたものにはなっていません。課題はアメリカよりもはるかに大きいはずなのです。けれども先日も、インドを抜きにした15カ国でのRCEP(東アジア地域包括的経済連携)が一応の合意に達して中国も参加することになりました。ですから中国が攻勢をかけてくることをアメリカも真剣に受け止めて、TPPへの参加を考慮してほしいと思っています。
RCEP参加の意義
発言者I 米国大統領選については、大手メディアは米国も日本もバイデン勝利が決まったように報道していますが、シドニー・パウエル弁護士(前連邦検事)はまもなく訴訟を起こし、証拠も握っていると発言されています。そこで不正が証明されれば、トランプ再選の可能性もあるのではないでしょうか。
外交関係ではお話にあった通り、日米関係が最も重要だと考えます。RCEPは中国主導の経済圏で、インドは外れましたが、米国大統領選が決着しない中でRCEPの参加を急ぐ必要はなかったのではないでしょうか。トランプ大統領がもし再選される事態になれば菅政権は追いつめられるのではないかとも懸念します。
RCEPは一つのステップ
谷内 バイデンさんの当選については、アメリカの報道もヨーロッパ諸国もその前提で動き出しています。はっきり言えば、大勢はもう決まっていると思いますね。確かにパウエル弁護士が訴訟を起こすと言っています。しかし、どうも報道を見ていると、共和党内でも支持されていないようです。トランプさんの支持層からも「もういい加減にしたら」という声もありますし、おそらく選挙結果が覆されることはないだろうと思います。私も個々の情報を詳しく知っているわけではありませんが、そういう印象を持っています。
それからRCEPについてですが、もともと日本はTPPを推進してきました。それと同時に日中韓のFTAとRCEPを推進してきました。これらのいずれも強く推進しようという立場で今までやってきました。RCEPにおいてインドは特に大事な存在ですから、それが外れることは残念ではあります。いずれにしても、インドに対しては門戸を広げる格好で決着を付けたわけです。その姿勢はこれからも続けるべきだと思います。
日本外交の一貫性、継続性からすればインドが外れるからRCEPには入らないとか、中国が大きな顔をするから嫌だといった態度はやっぱり取れません。むしろ中国の総体的には閉鎖的な貿易経済体制を少しでも広げるためには、RCEPは一つのステップではないかと思っています。先ほどもお話ししましたが、中国はTPPにも関心を持っています。TPPは世界でも最も自由化の進んだ協定のレベルですから、ここに中国が入ることはなかなかできないだろうと思います。もし入るための努力を中国がして、TPPという法規範の範囲内で国際協調を図るのであればそれはたいへん結構なことです。中国が本当にやれるかどうかは未知数ですが、建前や公のポジションとしてはそうした態度で臨まれるのは歓迎すべきことでしょう。(終)