『公研』2020年4月号「めいん・すとりいと」

岡ノ谷一夫

 コロナウイルス禍は、教育の現場にも変化を迫ってきている。感染の拡大を防ぐため、大学でも、講義室による対面講義を、インターネットを使った電子配信による講義、すなわちオンライン講義に置き換えよという指示が出ている。感染を拡大させず、かつ、これまでのやり方と大きく変わらない方法で教育を授けるために、今もっとも現実的な方法はそうかも知れない。そもそも放送大学というものは昔から存在しているし、一部の予備校では人気講師による衛星授業というものが行われているらしいから、大学でもそれが出来ないはずはないだろう。でも本当か?

 インターネットが動画を配信できるだけの速度と帯域幅を持つようになれば、当然それを利用して講義を配信しようと考える人はいる。コロナウイルスの世界的流行が起こるより10年ほど前から、大学の講義を電子配信する試みは行われており、一部の講義はたいへんに有効であるとされている。

 こういうものはMOOC(Massive Open Online Course)、大規模公開オンライン講義と呼ばれている。スタンフォード大学で作られた機械学習のプログラムは、優秀な修了者を生み出している。修了者には、よく知られた情報技術系企業に就職している方が何人もいるという。ただしコースを完了する割合は数パーセントだそうだ。私自身もすぐに挫折したが、大規模公開で無料なので、受講する者は莫大に多く、その中には私と違って有能な学生ももちろん多い。それらの学生を検出するには有効なシステムであろう。

 しかし、それは教育の工業化であるようにも思う。対面講義をオンライン講義に変えることで何が失われるのか。オンライン講義で質疑応答を行う技術はすでに利用されているから、直接的な相互作用がなくなるわけではない。失われるものは、講師が飛ばす唾や居眠りをしている学生に発せられる嫌みくらいか。いや、そういったものも含め、場を共有するという経験が失われるのである。場を共有する経験の効用を数値化して説得することは難しく、だから不要な変数として切り捨てられてしまうであろう。

 逆にオンライン講義で得られるものは何か。通学に要する時間が浮く。質問は電子掲示板に書き込めばよいので、挙手する勇気はいらない。講義室もいらないので、場所代と冷暖房代が浮く。オンライン講義は良いことづくめに見える。コロナウイルス禍が平定された後、実は大学の講義はオンラインのほうがいいんじゃない? という声も出てくるだろう。しかし、オンラインのみで人は本当に学ぶことはできるのだろうか。

 ミネルヴァ大学という、2014年につくられた大学は、講義はすべてオンラインである。しかし全寮制である。全寮制だが、世界の6都市を移動しながら大学の課程を文化の多様性と共に学ぶ。全寮制だから、世界中の学生と仲良くなれる。ミネルヴァ大学は今やハーバード大学より人気が高いそうだ。オンライン講義で欠けている学びの場を、全寮制であることが補っているのであろう。実は、有効な教育には有能な教師よりも切磋琢磨する仲間のほうが大切なのかも知れない。

 もしそうだとすると、へぼ教師の私の立場はないが、コロナ禍が続く限り全寮制というシステムも危険になる。人が集まって何かを考える・何かを感じる場というのは、バーであれ劇場であれ大学であれ、創造の畑なのだ。コロナ禍が創造の畑を壊してしまうことを、私達は断固阻止せねばならない。 東京大学教授

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