『公研』2021年2月号「めいん・すとりいと」

山極 壽一

 緊急事態宣言が発令されて、また巣ごもり生活を余儀なくされるようになった。この1年間、3密を避けるために私たちは様々な工夫を凝らしてきた。なかでもオンラインの対話は大きな効果を発揮したように思う。これまで集まらなければ始まらないと思っていた仕事も会議もテレワークやオンラインで済ませることができるようになり、時間もコストも軽減できることがわかった。コロナ後の社会でもオンラインを多用すれば、これまで以上に効率的な暮らしを送れるのではないか。

 ただ、オンラインではうまくいかないことがある。社交である。昨年亡くなられた山崎正和さんが2003年に出された『社交する人間──ホモ・ソシアビリス』という本がある。正月に改めて読み返してみて、現代に通じる警告が述べられていることに気づいた。

 まず、「文化とは人間が行動をリズム化しながら生きる生活を基盤として成立する」と言う。この言葉は、私がこれまで「地域共同体は音楽的コミュニケーションによって成り立つ」と言ってきたことに通じる。文化は地域に根差したものであるし、その地域に独特な祭りの音楽、食事や服装、言い回しや作法といった、まさに暮らしにおけるリズムによってできているからである。

 山崎さんはこのリズムの重要性を、「複数の人間を同調させる最適の手段」と見る。「リズミカルな行動は一面で自己を「見る」行動であり、刻々に自己自身を他者に変える行動である」とも言う。そして、社交とは「参加者が協力してリズムを盛り上げる行為」と定義するのである。

 この社交が積み重ねられた結果が文化である。社交の中で人々は自らの欲求を抑え、主催者の立てたストーリーに従って、その流れに乗るように役割を演じる。その場を演出するために、食事の席や装飾物や音楽が用意され、人々は互いの距離を調節しながら会話を交わすことになる。そこで必要なのは、ふだん親しい者だけで固まってはいけないこと、新たな出会いを楽しみ、新たな社会関係を築くことである。文化や分野の違いを超えて会話が生じ、新たな気づきが生まれ、それが未来を創る種子となる。

 そういった催しや集まりがコロナ禍で自粛され、私たちがこれまで築いてきた社交が風前の灯火となっているのである。これは由々しきことだ。社交の衰退は文化の消滅を意味するからである。残念ながら、オンラインでは社交は不可能である。社交を実施するためには何よりその目的に合うように場をしつらえ、人々がそのストーリーに合わせて身なりを整えて集まり、流れに合わせてリズムを作る必要があるからだ。オンラインでは顔を合わせ、会話をすることは可能であるものの、臨場感とリズムを作ることができないのである。

 社交が廃れれば、オンラインの常態化に従って社会は均質化し、文化は消えていくだろう。地域の個性は薄まり、地域の文化に人々がアイデンティティを持つこともなくなる。それはグローバルな時代の必然と見なす人もいるだろうが、人々がつながりを失って根無し草のような存在になることをも意味している。バラバラになれば、人々は個人の利益や安全を求めて利己的なふるまいを増やす。

 新型コロナウイルスは私たちから社交を奪って、人々がつながりあうリズムを低下させようとしている。それは文化という私たちの暮らしの基盤を奪うことだ。緊急事態宣言のただ中にあっても、社交の大切さを忘れてはいけないし、その準備を怠ってはいけない。何より、その場をしつらえる飲食業やイベント業が次々に廃業に追い込まれているのは重大な事態だ。政府はそのことを肝に銘じ、緊急な救済策を講じてほしい。京都大学名誉教授

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