『公研』2022年2月号「めいん・すとりいと」

 

 雪に埋もれて静かに春が来るのを待つ身だ、と言えば聞こえがいいが、仕事から離れた自分には時間だけがやたらと多く持て余している。

 あれはもう65年も前のことになるが3年間、日本一と言われる豪雪地帯で高校時代を過ごした実に面白い経験がある。今愚痴をこぼしている我が家の雪は1メートルに満たないので、飯豊山の懐にあるキリスト教独立学園は毎年3、4メートルの積雪があったから比較しようがない。

 一番近い伊佐領の駅がすでに原生林に囲まれクマが出るほどの山奥で、谷川沿いに8キロメートルの道を歩いて学園にたどり着いた時にはあまりのみすぼらしさに驚かされた。多くを紹介するのはいつの日かに譲ることにし、冬になればみんながスキーをした中で、私は鉄砲撃ちに興じて過ごした面白い日々をご紹介したい。

 ブナの原生林に深く雪が積もり、自由に歩き回れるようになった1月のある日、近所の知り合いのおやじさんからメモが届いた。「今夜バンドリ撃ちするから来い」という簡単なものだった。

 バンドリとはムササビのことで、「青空に薄雲がかかった月夜」に、20メートルも高く伸びたブナの枝先に取り付いているバンドリを撃つ。青空だけで雲がなければ空に枝先が映らずバンドリは見えない。

 真冬にこんな条件のそろった日はめったにない。「今日はオギュウタから狐屋敷にかけて回るぞ」と言われた。ブナの原生林には皆名前が付けられていた。

 カンジキをはいておやじさんの後を歩いて行った、ブナの林の入口に差し掛かった時、突然頭上から「女がすすり泣く」と言えばいいのか、「細い笛の音」と言えばいいのだろうか「ヒュルルルルー……」という音がした。

 この世に幽霊が居たらこんな声を出すだろうと思った。身の毛がよだつ思いで立ち止まると、「これはバンドリが警戒した声だ」とおやじさんが言った。

 見上げるとブナの大木の先に何か黒い塊がくっついていた。「あれがバンドリだ撃ってみろ」と言われ、雪の上に腰を下ろして狙いを定めて撃ってみたが当たらない。筒先が見えない夜に狙って撃ってもなかなか当たらないものだった。おやじさんが撃ってまず1匹捕まえた。「今日は案外いいかもしれないぞ」と言った。

 さらに奥へと入ってゆくと、20メートル以上もあるかと思えるブナの大木に2匹も3匹もバンドリが見えた。雪の上にあお向けに寝て2発、3発と撃ってやっと1匹捕まえた。下手なもので、ここで弾をムダに使ってしまった。さらに奥でおやじさんが撃って落としたバンドリを拾いに行ったとき、死んだと思ったバンドリが生きていてブナの木に登り始めた。おやじさんが筒先で叩いて落とそうとしたときに、引き金を引いてしまった……。すこし離れて見ていたこちらから、ズドンという音と赤い火が見え私の横のブナの木に弾が当たる音がした。

 切羽詰まったおやじさんの声がした「大丈夫だがー! 当らねがったがー!」弾が飛んで来た先に私が立っていたから、てっきり私を撃ってしまったと思ったらしい。

 弾が尽きるまでバンドリを追い回してくたびれて、死にそうな思いで帰ってきたが、獲物は5匹だったか6匹だったか定かではない。私がもう少し上手だったら、倍も獲れただろうがまあ仕方がない。

 あの雪深い山中の集落には肉屋も魚屋も八百屋もない、昭和30年ごろの貧しかった時代だ。獲ったバンドリはすべて貴重な食料として歓迎され、鉈でぶつ切りにし野菜とつぶした大豆と一緒に味噌で煮られた。旨いというほどではないが、なんとなく木の味がして、少しだけ脂がのってみんなが喜んで食べてくれた。夢か幻のような思い出になってしまった。

鶴岡市立加茂水族館名誉館長

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