極端な政党の参入を止める「防疫線」

 待鳥 そういった面でも、新興急進政党の「危うさ」や、多党化に伴う政策決定の難しさという点から、自民党と日本維新の会が連立合意に盛り込んだ議員定数の削減案について、私は当初マイナス評価ばかりではないように考えています。

 議員定数の1割削減が妥当かどうかはいろいろな考え方があるとしても、比例代表を削減して小選挙区の比重が高まれば、比例代表で議席を得てきた小規模政党が国政で影響力を持ちにくくなる。そこにはもちろん、左右両翼の急進政党も含まれます。その効果は考える価値があるかもしれない。ところが、結局は小選挙区と比例代表を似た比率で削減するようで、それでは単なる定数削減に止まります。

 今井 たしかに、イギリスの場合は、小選挙区制が極端な政党への参入障壁として機能してきました。日本の場合、少なくとも現時点では、排外主義が欧州のように構造化した争点になっているとは言いにくいでしょう。そのうえで、民主政の安定には制度的抑制という観点は避けて通れないと思います。欧州は全体主義の反省から、制度や慣行による「防疫線」を張って反民主的政党の影響を限定してきました。

 しかし、現状を見ると、その抑制力にも限界があることがはっきりしてきました。急進右派ポピュリスト政党であるリフォームUKを見ると、2024年総選挙では14・3%得票で5議席に抑え込まれ、小選挙区制の効果が働いたように見えました。しかし、最大野党の保守党の議席率は20%を切り、野党の多党化が進んでいます。翌25年の地方選では改選議席の4割を獲得し、政党支持率でも首位に立つ世論調査が相次いでいます。リフォームUKの党勢拡大は、労働党の移民政策を確実に右方向へとシフトさせている。

 有権者行動が変化して、制度の壁を押し動かすほどの力を発揮しつつある。比例制がないから極右を抑制できるという前提が崩れているのは注目すべきポイントだと思います。

 境家 リフォームUKはすでに3割ほどの支持率を持っているわけで、それはもう「端」の存在とは言えませんよね。この数の人を排除する選挙制度にすると、政治システム全体に多大なストレスがかかってしまうのではないかと心配です。そう考えると、日本の「端」の勢力はまだそこまでの規模には至っていません。

 待鳥 左右両翼の急進政党の支持率を合わせても、「最大瞬間風速」レベルで15%ほどです。このぐらいの規模だと、まだ選挙制度によって、「政治過程の正当性を持ったプレイヤーではない」と脱正統化し、一時的なブームを終わらすことができる。

 ただ、制度で抑えるにしてもどこかには限界点はあるので、そこを超えると難しいというのもおっしゃる通りです。リフォームUKの数字でギリギリで、ドイツのAfDほどの支持を集めてしまうと抑えることは難しいのでしょう。

無防備な日本の制度

 境家 選挙制度によって防疫線を引くという意味では、単純小選挙区制以外にも、ドイツのいわゆる「5%条項」がわかりやすい例かと思います。比例得票率が5%に届かない政党には原則として議席を与えない。小さな政党が乱立しないようにするための制度的な防疫線です。

 待鳥 日本の比例代表制度にはこの防疫線がまったくないのが問題です。最低得票率の条件がないから、全国で1~2%しか取れなくても比例で議席が取れてしまう。昨日まで「諸派」だったのに、今日は政党名で呼んでもらえる。これは、相撲で言えば幕下の力士が十両に昇進して、一夜にして関取として扱われるようになるのと同じくらい、立ち位置が大きく変わります。これはやはり制度としてあまりに無防備だと思います。

 今井 日本の制度は開放性が非常に高いと言えます。欧州ではすでに突破されつつあるとはいえ、制度、選挙協力、政治文化といった点を含めて、日本が向き合わざるを得ない本質的な課題だと考えています。日本の場合、どの段階でどのレベルで防疫線を引くのが適切なのかという制度設計の議論は、十分に進んでいません。

 欧州諸国は、選挙制度だけでなく、連立交渉の段階での排除、閣外協力の限定的利用など、防疫線を重層的に組み合わせてきました。ただし、政治学者の空井護さんが指摘するように、排外主義を掲げる勢力に対して、基本的人権の保障や法の支配といった民主主義の基盤を守るために排除の理論を適用することは、厳密にいえば民主主義の寛容原理と整合的ではありません。いわゆる寛容のパラドクスに向きあうジレンマです。

 待鳥 今井さんのお話にあった「どこに防疫線を引くか」は、本当に難しい。大連立で政権に入れないようにする方法もありますが、実際には簡単ではありません。結局、その線引きが難しすぎて、境家さんがおっしゃるようにむしろ政治システム全体にかかるストレスのほうが大きくなってしまうという懸念もあります。
 あとは、ドイツのように、憲法レベルで「民主的基本秩序を害する政党は違憲とする」といった基本法21条を設けたり、政党法で厳格に条件を定めたりする方法もあります。ただ日本で同じことをやるのは、現実的にはかなり難しいでしょう。どの勢力を禁止対象にするかで、激しい政治論争になりますし、戦後の歴史認識まで巻き込んだ議論に発展する可能性が高い。

 結局、理念レベルではなく、選挙制度の段階で排除力を持たせる方向が、やはり日本では一番現実的なんじゃないかと私は思います。

民意の行き場は政党なのか?

 境家 ただ、現実的に考えると、すでに一つの勢力として政党が成立してしまってから後づけで排除ルールをつくるのは、政治的に相当難しいだろうと思います。

 待鳥 おっしゃるとおりで、参議院ではすでに相当の勢力を参政党やれいわ新選組は持っているので、ここは仕方がないです。しかし、参議院というのは結局のところ「第二院」で、そこで得られる正統性もいわば半分くらいですよね。参議院にしか議席がない政党は、制度で排除しなくてもだんだん穏健化していくか、長続きしないかのどちらかになりやすい。

 新興急進政党も穏健化していくのなら、私は特に問題ないと思っています。参政党の場合、一番まずいのは排外主義の部分なので、そこを手放して、反科学・環境・スピリチュアル寄りの政党として再編されるのなら、それはそれで党として成立し得るかもしれません。右派の環境政党は世界的にも珍しいですが、あってもおかしくはない。

 今井 参政党の「環境」への言及は、欧州の緑の党のようなリベラル環境派とは、性質が異なります。気候変動・再エネ推進ではなく、むしろメガソーラー反対など、地域共同体や景観といった保守的主張に根ざしています。これはイギリスで農村保守層の不満を吸収したUKIP(現リフォームUK)に近い位置取りです。
 こうした争点は、大政党で吸収し得る領域ですが、日本の場合は、新しい政党として外側に出やすい。比例代表で一定の議席が取れるため、独立した政党として成立する構造が働く。

 待鳥 そうですね。そのような主張をする勢力を、わざわざ独立した政党として外側に置く必然性があるのかは疑問です。メガソーラー反対のような主張は、自民党の中にも共感する人は相当数いるはずで、本来なら党内分派として吸収できる話なのです。

 どのような勢力であれ、ある争点に関する主張に一定の支持があるからといって、すぐ「新しい政党」というかたちで外に出す必要があるのか。むしろ二大政党の内部に分派として抱え込んでおいたほうが、政治全体としてはまだ健全だと感じています。

 「民意があるんだから全部そのまま出せばいい」と考えるのは、実はすごく単純化された理解なのです。民意をそのまま政治に流し込めば、民主主義がうまく動くわけではなくて、実際には整理整頓のプロセスが必要ですし、民意を表出させるルートもある程度絞り込む仕組みが必要です。

 そもそもイギリスの小選挙区制は、民意を細かく拾うように設計されていないエリート主義的制度です。だから不満はたまりやすいし、拾いきれなかった声はたしかに積み上がっていく。でも、制度としてはどこかで線引きが必要で、すべてのルートを開くわけにもいかない、という側面もあるのだと思います。

穏健な多党制という「誤解」

 待鳥 これまで「日本が多党化傾向にあること」についてお話ししてきましたが、この多党化の議論に関連してよく耳にするのが、「日本は二大政党制に向いていないから、むしろ穏健な多党制をめざすべきだ」といった主張です。

 しかし、穏健な多党制が成り立つには、かなり特殊な条件が必要です。実際にそれが成立していたのは、20世紀後半の大陸ヨーロッパのように、「主要政党のあいだで争点について一定の合意があり、経済成長が続き、分配のパイが安定的に確保されていた時期」でした。そうした前提があったからこそ、政治の争点は「そのパイをどう配分するか」に集中し、政権がどちらに移っても政策が大きく変わらないという状態が保たれていたのです。

 今井 日本は分配のパイ自体が痩せ細り、国債に依存している状況であり、分配構造の点でも、政党配置の点でもそのような条件が当てはまっていないと思います。

 待鳥 中小政党の指導者などがポジショントークとして語るのは理解できますが、それに引き寄せられる人が一定数いるのも事実なので注意が必要です。

 今井 ご指摘のとおり、現在の日本は「穏健な多党制」が成立していた欧州とは前提条件が異なります。また、主要政党の間で争点をめぐって合意を形成する制度整備もありません。合意形成型の多党制を機能させる土台が備わっていないと思います。

 一方で、日本には二大政党制はそぐわないという議論については、やや見直しが必要だと感じています。勝者と敗者を明確に可視化する多数決型が安定するには、社会の分断が相対的に限定されていることが大きな意味をもちます。イギリスにおいても北アイルランドのように深い亀裂があると、対立を助長し政治が不安定化します。日本社会における社会的分断が相対的に限定的であるとすれば、本来的には二大政党制が馴染まないという結論へと導かれない。

 ただし現在の日本で起きているのは、どちらの制度が適しているかという次元よりも、既存政党の外側に次々と新党で出ていく分裂型の多党化で、判別がしにくい状況です。

 待鳥 多党化をめぐる議論で一つ気になるのが、衆議院がどんどん多党化していくことを、まるで時代の自然な流れのように語ることです。「多党化時代」という言い方も、どこか日本政治が社会の流れに合わせて勝手にかたちを変えていくような、昔ながらの文化論に聞こえてしまう。しかし、実際には政治制度は人為的に選べるのであって、多党制にしたいならそう舵を切ればいい。

 ただ、多党制を本気で考えるのであれば、極端な立場の政党が出てくることを前提に議論する必要があります。今の日本で多党制を議論するときには、そうした視点があまり見られず、どこかで「穏健で扱いやすい多党制」を都合よく想定してしまっているところがあるのではないか、と感じています。

 既存政党の外側に次々と政党が生まれるようなかたちで多党制が進んでしまうと、政治のハンドリングはかなり難しくなります。それならば、選挙制度で過度に極端な勢力を排除しておいたほうがまだ良い、と私は思うのです。

不十分な制度改革がもたらした現在の混乱

 境家 そもそも、今のように次々と小さな政党が生まれる状況は、当初、選挙制度改革でめざしていたかたちとは大きく異なります。1994年の選挙制度改革では、本来、小選挙区制を軸に「政権交代が可能な大きなまとまり」をつくることをめざしていました。少数意見を拾うために比例代表を併用したとはいえ、今のような多党化が進む状況になるとは想定されていなかった。

 待鳥 この改革で問題だったのは、中選挙区から小選挙区に移行した際の激変緩和措置として、比例との並立制を採用したことにあると考えます。小選挙区と比例代表制という、二つの異なるロジックが同居することで、制度としての一貫性が保てず、比例だけで議席を得られる構造が生まれてしまった。

 また、参議院の選挙制度や、両院の権限関係の整理が放置されてきたことも大きい。どちらか一方でも手をつけていれば、今のような運用上の混乱はかなり違っていたはずです。例えば、参議院の問責決議は「法的拘束力はない」と明確にしておくだけで、辞任圧力や審議ストップといった過剰な政治的混乱を防げましたし、両院協議会の仕組みも少し見直すだけで改善できたはずです。

 境家 当時は、「とにかく中選挙区制が問題だ」「変えれば今よりは良くなるだろう」という点だけをとりあえずコンセンサスとして、改革に走ってしまったわけです。

 今井 国会を含め、その改革は未完であると思います。さらにここにきて、選挙制度改革を求める声が改めて上がっていることも側聞します。しかし、選挙制度そのものを再び大きく組み替えるとなれば、その政治的・社会的コストは相当高いはずです。現在の日本に、そうした議論を本格的に進めるだけの余力があるのかとなると、やはり難しい状況だと思います。

 待鳥 今の日本政治にその余力はないですね。

 今井 だからこそ、現実的には「今ある制度をどう運用するか」を考えることになります。多数決型であれば、与野党間のほぼ互角の競争を通じて政権交代の可能性が確保されるはずでした。しかし日本では、これまで一貫して非対称な状況が続き、そのうえ政党交付金や比例枠の仕組みが重なった結果、政党システム全体に遠心力がかかってしまった。

 となると、必要なのは制度を作り直すことよりも、現実に合わせて制度運用のルールを整えることです。多数決型に向かうにせよ、合意型に近づけるにせよ、いずれにも野党に特化した支援制度や透明性の確保といった固有のルールがあるはずですが、十分に整備されてこなかった。そうして築かれた経路によって、制度がうまく噛み合わなくなっているのだと思います。

 待鳥 まったくそのとおりですね。にもかかわらず、去年あたりから、「多党化すれば合意形成型の熟議の国会になる」といった議論をずいぶん目にしています。これも相当に甘い感じがあって、実現させようと思ったら、相当な制度改革と運用の転換が必要になる。

 例えば、多党制による合意形成型方式に近づけようとすると、本来は法案ごとに頻繁な修正が必要になります。ところが日本の国会は、省庁と与党の事前審査で法案がほぼ固まり、野党の批判はあっても多くの法案がそのまま通る前提で人員や時間が配分されています。つまり、合意形成型に移行するには、この前提となっているリソース配分自体を根本から作り直さなければなりません。

 今井 構造変化に適合的な制度やルールの再設定は、他国でも経験されていることです。

 待鳥 さらに、多党化した後に政治はどう運営されるのか、そのためにどこを改革すべきなのかという肝心な部分については、誰も明確な答えを持っていないし、真剣に考えようとしていないのが現状です。そうなると、多数決型でもない、合意形成型でもない、よくわからない類型として生きていくしかなくなります。

 今井 おっしゃるとおりで、多数決型と合意型、あるいは日本独自の折衷、いずれかの制度モデルで政治を運営するのかを、政治の側は見極めなければならない。
 そのうえで、もし多数決型を維持する方向に考えるのであれば、参照のためしばしば持ちだされるのがスウェーデンのブロック政治です。選挙前の段階で入念な政策協議を行い、右派・左派の二つの大きな塊をつくり、有権者がその二択の間で政権を委ねる仕組みです。ただし、日本の場合は政党分布が右に偏っているため、左側のブロックが小さく、より多くの選択肢がある自民党が有利であるように見えます。

公明党の選択が左右する二大ブロックの行方

 待鳥 そこに関して言うと、日本が二大政党ブロック制に近づくかどうかは、冒頭でも少し出てきましたが、結局、公明党がどれくらい本気で自民・維新のブロックと距離を置くかにかかっているところが大きいと思います。もし公明党が腹をくくって、立憲民主党側につくのなら、日本政治は本当に二大ブロックに再編されます。

 ただ、公明党がどういった意図で連立を抜け出したかは、本当のところは誰にもわかっていないので先が読みにくい。

 境家 公明党の中の人も、正直、自分たちがこれからどこに軸足を置くべきなのかまだ決めきれていないんじゃないでしょうか。今は、高市政権がこのまま安定するのか、それとも転ぶのか、見極めをしている段階だと思います。

 もう一つ公明党が注視しているのが、立憲民主党の政策位置です。特に外交・安全保障分野がカギで、公明党はこれまで政権与党として、立憲民主党の立場を非現実主義的として批判してきた経緯があります。

 これに関して注目されるのが、10月に立憲の枝野幸男氏が平和安全法制について「違憲部分はない」と発言したことです。枝野氏は元来、現実主義的政治家だと思いますが、とはいえこのタイミングでのこの発言は、国民民主党や公明党との連携を見据えた動きと考えるのが自然でしょう。党内での足並みはまだまだそろっていないようですけれども。

 いずれにせよ、五五年体制の時期にも、公明党は「自公民路線」と「社公民路線」を行き来するなど、結局、勝ち馬に乗ろうとする傾向が強い。そう考えると、公明党の態度は今後も立憲民主党の動向次第で変わり得る、ということだと思います。

 待鳥 立憲の幹部は公明党との連携に前向きでしょう。ただ、地方組織や支援者には護憲・リベラル色の強い層が多いので、党としてどちらへ舵を切るのかは、正直読めません。

 境家 立憲が党全体として右寄りに舵を切るのは簡単ではないと思います。

 待鳥 いまの立憲の支持層は高齢者が中心で、旧社会党系の支持者を再発見して取り込んだ層が厚いですからね。その支持を手放すのは難しい。

 実際、過去の旧民主党は、外交・安保をある種「棚上げ」して曖昧にし、旧社会党系の支持をつなぎとめながら政権交代に成功しました。今また同じように「外交・安保は棚上げします」と言えば、都合よく使い分けているように見られ、支持者は反発するでしょう。大量に離れていくとは思いませんが、投票意欲は下がり選挙ではマイナスに働きます。

 境家 その一方で、やはり公明党と組むメリットは、立憲にとってかなり大きいのでしょうね。

 待鳥 減ったとはいえ、公明党には600万の得票能力があります。ある程度の立憲支持者が離れたとしても、その分を補って余りある票数です。一方、維新と自民が組んでも、大阪以外では、維新が自民候補を応援しても効果は限定的でしょう。大阪は維新、それ以外は自民という地域分業になるはずです。

 そうなると、本当に立民・公明で組むことになれば、割合素直に二大ブロックに収斂する可能性があります。ただ、立憲はもともと揺れやすい党であると、政治家が一番知っているので、最終的に誰も組まない可能性も十分あり得ます。

トップダウンが効かない野党

 今井 お二人のお話を伺っていると、立憲民主党が公明党と本格的に組めるかどうかは、外交・安全保障についても党として一貫した立場が示せるかが核心であると感じます。

 そしてこれは、支持層構造だけでなく、立憲の政党組織そのものの弱さと結びついています。本来、小選挙区制のもとである程度の規模を維持できている政党であれば、幅広い支持層を抱えたまま党内で合意をつくり、「一つの声」として方針を示せることが必要です。しかし現状ではその仕組みが十分に機能しておらず、結果として、政策的位置づけが見えにくくなり、対抗政党としての存在感が損なわれている。

 もっとも、立憲には避けがたいジレンマがあります。間口を狭めれば党内の統一は進む一方、小選挙区で勝つには、幅広い人材と政策の振れ幅を抱える必要がある。支持層の幅を維持すれば党としての声がまとまりにくい。イギリス保守党が幅を狭めすぎて再生が難しくなっているように、過度に狭めれば政党としての再編可能性を損ねてしまいかねない。

 その意味でも、公明党との連携が現実味を帯びてくるほど、立憲が「どこに立つのか」を明確にし、党内で整理しきれるかが問われると思います。

 待鳥 日本の小選挙区制だと、与党側は間口が広くても比較的まとまりやすいんですよね。政権を担っている分、党の規律が働きやすい。総理や執行部にはポストや財源、公認権というアメとムチがあり、所属議員を従わせる力があるから、トップダウンを効かせるインセンティブが強く働きます。

 一方、政権を持っていない野党は、そのトップダウンがなかなか効きません。野党には官僚機構も予算もポストも動かす権限がないので、執行部が「こうする」と言っても議員に従わせる実効的な手段が弱い。従っても得が少ないですし、逆らっても大きく損をするわけでもないので、議員がそれぞれの支持基盤や地域事情に合わせて動きやすく、党内がまとまりにくい。

 だから、むしろ野党の段階では間口を広くして、ある程度まではいろんな人に参画してもらう回路として政党を使ってもらう、「うちの党を使ってくれていいですよ」という見せ方が必要です。その上で、最終的にはしっかりまとまる。そういう二段構えの運営をしていくことが大事だと思います。

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