『公研』2020年6月号「めいん・すとりいと」

武内 宏樹

 周知のように、米国の新型コロナウイルス感染拡大は大変なことになっている。当初は状況がここまで悪くなるとは思わなかったが、米国のお粗末な健康保険制度を考えると宜なるかなという気もする。その上、トランプ政権下で政府機能が脆弱になっていたところをパンデミックが直撃したために、初動の遅れから深刻な事態を招いてしまったというところであろう。筆者が住むテキサス州では感染者も比較的少なく、医療崩壊が起きて死者が爆発的に増えたニューヨーク州などと違って、今のところ医療機関が対応できてはいる。広大な土地に人が散らばっていて誰もが車で移動するという地理的優位性を生かして、このままコロナ禍が収まってくれることを願っているが、貧弱な健康保険制度を考えると医療崩壊はどこで起きてもおかしくなく、こればかりはどうなるかわからない。

 米国では、共存も含めたコロナ禍の収束とアフターコロナの新しい社会の舵取りを選ぶ大統領選挙の年である。3月3日に、大票田のカリフォルニアやテキサスを含む全米14州で予備選が一斉に行われる「スーパーチューズデー」があった。その後のウイルス感染の爆発的拡大を思えば「滑り込みセーフ」のタイミングだった。

 ここで、民主党大統領候補指名獲得争いに異変が起きた。それまでは、急進左派として知られるバーニー・サンダース氏が快進撃を続けていたが、直前まで劣勢だった穏健派のジョー・バイデン氏が突如としてトップランナーに躍り出たのである。最大の代議員数を誇るカリフォルニアではサンダース氏の後塵を拝したものの、14州のうち10州を制し、なかでもテキサスをはじめとする南部のノースカロライナ、バージニア、テネシー、アラバマ、アーカンソーで全勝したのは特筆に値する。

 ただし、一連の展開を見ていると、「バイデン氏を選んだ」というよりは「サンダース氏を選ばなかった」と言ったほうが正しいのではないかと思われる。「『ほかに誰もいない』感がこれほど強いトップランナーも珍しい」(中山俊宏慶應義塾大学教授、3月30日付『日本経済新聞』「経済教室」)とは言い得て妙である。

 なぜ南部諸州の民主党員は「サンダース氏を選ばなかった」のか。アイオワ州とニューハンプシャー州で惨敗したバイデン氏は、ネバダ州でもサンダース氏に大差をつけられ、指名獲得がほぼ不可能と思われていた。潮目が変わったのは、2月29日に行われたサウスカロライナ州予備選である。予備選4日前に、地元選出で下院民主党指導部ナンバースリーの院内幹事であるジェイムズ・クライバーン下院議員がバイデン氏支持を表明すると、態度を決めかねていた有権者が雪崩を打ってバイデン氏支持に回り、結果としてバイデン氏がサンダース氏に30ポイント近い差をつけて圧勝したのである。

 では、なぜクライバーン氏は「サンダース氏を支持しなかった」のか。理由はこの州のドイツBMW社の存在に帰する。近年南部諸州では、外資系企業の海外直接投資を誘致し、自由貿易と移民の増加によって製造業の雇用を大きく増やしてきた。サウスカロライナでは、病院などの医療機関を除けば、BMWが最大の雇用主である。同州スパルタンバーグ郡にある組み立て工場は、1万人以上を雇用し、世界中のBMWの工場のなかで最大の生産量を誇る。製造業では、グローバルバリューチェーンとよばれる国境をまたぐ工程間分業に基づく産業内貿易が今や世界の常識である。一方、保護貿易主義は、サンダース氏が声高に主張するところであるが、生産コストを引き上げ、雇用を減らすことにつながる。BMWはトランプ政権の保護主義政策に嫌気がさして、ラインの一つをサウスカロライナから中国の瀋陽に移してしまったほどである。州経済の事情を熟知しているクライバーン氏のひと声が、州の有権者に、自分たちの雇用と生活が脅かされない道を選ばせた。

 保護主義は、グローバリゼーションの恩恵を受ける地域の経済成長を阻害する。サンダース氏は、2016年の大統領選挙の折も南部11州でヒラリー・クリントン氏に全敗した。保護主義を叫ぶサンダース氏は、国際主義で米国経済を牽引する南部では受け入れられないことを再度示した。かつてビル・クリントン氏が言ったように、“It’s the economy, stupid”(大事なのは経済なんだよ、わかってないなあ)なのである。サザンメソジスト大学(SMU)准教授

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