大政党への期待と、抱えるジレンマ

 今井 おっしゃるように、野党は間口を広げざるを得ないため、そのぶん政策の集約が難しくなります。だからこそ、分散しがちな党内政治において、異なる考え方を最終的に集約させる手続きや場を制度化することが欠かせません。

 待鳥 それこそ、イギリスでも見られることですが、名古屋大学の近藤康史さんが指摘するように(『社会民主主義は生き残れるか』)、大きな政党は本来、市民が政治的意思決定に関わる「参加の回路」として機能し得ます。政党組織論から見ても、大政党にはそうした役割が期待されているのです。

 そういう意味でも、私は多党化と言われる今でも、大政党中心の政治や二大政党制に「もう未来はない」とまでは思っていません。運営の仕方次第で可能性はいくらでもありますし、大政党が持つ利点は今でも十分に大きいと思います。

 今井 たしかに、大政党には本来「参加の回路」としての役割があり、その潜在力は大きいと思います。他方で、その役割を本気で果たそうとすると、とても難しい側面もあります。

 待鳥 そうです。簡単ではないです。というのも、大政党が本気で党内民主主義を徹底して、参加の回路として間口を広げようとすると、どうしても意思決定に時間がかかってしまう。結果として、大政党中心の政治の強みである「政策転換のしやすさ」や「決定のスピード」が損なわれかねないわけです。だからこそ、どこまで開くか、そしてどうスピード感を保つか、そのバランスが常に問われるのだと思います。

 また、党内を開いていくと、仲間に対して不寛容になったり、アイデンティティ政治を強く主張する純粋主義の人たちも出てきて、内部対立の火種になることも少なくありません。アメリカ民主党がまさにその典型で、そうした対立で何度も空中分解しかけています。

 今井 文化軸での対立は党内にも分極化を引き起こします。とくに野党は、議員・選挙区組織・党員の立場がそろいにくく、価値観の争点が入るとまとまりが崩れやすい。参加を広げるほど多様性は確保できますが、そのぶん立ち位置も不安定になります。

 立憲民主党の場合は、党分裂後に調整の仕組みを十分に作り直せていない点が大きいと思います。参議院との関係も含めて、最終的に意見をどこでまとめていくのかが明確でない。与党とのまとまりの差が如実に出てしまう背景には、この集約の場の欠如があるように思います。

 本来であれば、文化軸の対立をそのまま党内の亀裂構図にしないためには、組織設計として、参加を広げる回路と、最終的に政策判断をくだす意思決定メカニズムの回路が鍵になるでしょう。ここが整わない限り、大政党として開かれれば開かれるほど、かえって不安定化するという逆説が起きてしまう。

依然として凝集性の高い自民党

 今井 その意味で、自民党の凝集性の高さは対照的ですね。政策的に距離がある政治家がいても、最終的には「どこで集約するか」の仕組みが一定程度働いている。石破氏のように独自性の強い政治家がいても、基本線では党内は一貫していた、という理解でよいのでしょうか。

 境家 そうですね。石破氏は昔から自民党にいましたし、基本的な状況は今も変わっていないのではないでしょうか。自民党は依然として、立憲民主党に比べれば凝集性の高い集団だと言えるでしょう。

 いま顕在化している外国人問題にしても、自民内では意見の温度差はあるにせよ、党を本格的に割るほどの争点にはなっていません。リベラル派の知識人などに、自民党のイデオロギー軸に沿った大分裂を期待する向きもありますが、そんなことは歴史的に起きたことがないですし、近い将来にも起きそうにないと考えます。
 要するに我々は、今後も引き続き、右派の大政党とバラバラの野党を前提にした政治システムと付き合っていかざるを得ない。この前提の上で、いかに政治のパフォーマンスを上げていけるかを考えなければなりません。

 ふり返って見ると、政治運営の仕組みという点で、五五年体制はある意味でよくできたシステムでした。自民党と社会党が表では外交安保や憲法をめぐってプロレスのように戦いながらも、裏では社会経済政策面で取引し、一定のコンセンサスがあった。

 こうした構図は、今後もかたちを変えて再現し得るでしょうか。つまり、主要政党間で形式的なイデオロギー対立の図式を示しつつも、社会経済政策分野では合意をつくりながら着実に政策を前へ進めていくような政治のあり方です。

 待鳥 政党間の合意で私が理想だと思うのは、まず安全保障の分野で、最低限の共通理解があることです。そのうえで、社会経済政策の分野では、たとえば「高齢世代を重視する政党」と「将来世代を重視する政党」が、現役世代の支持をめぐって競い合うようなかたちが望ましい。

 というのも、境家さんがおっしゃるような「社会経済政策での合意」だと、今の主要政党ではどうしても「現世利益」を優先した政策ばかりが前面に出がちで、将来への負担を先送りにしがちになってしまいます。このやり方だと社会の持続可能性がありません。複数の責任政党が長期視点を共有して競争する。この前提があってこそ、二大政党制は本来の力を発揮できるはずです。

 今井 五五年体制がイギリスの戦後コンセンサスとある意味で似た構造を持っていたことがわかります。表では明確な保革対立がありながら、福祉国家の枠組みという基本土台には合意があり、具体的な拡充や調整をめぐって競い合っていた。しかし、低成長、財政余力といった前提条件が大きく変わった現代では、そうした合意をそのまま再現することは難しく、持続可能な政策についてどこまで共通了解を持てるのかが問われます。

 また、イギリスのように政権交代を前提に、安全保障や外交の継続性を確保するための慣行(機密の共有など)が日本には存在しません。そう考えると、現実に政権交代があってもなくても、それを想定して国家運営が途切れないための制度的・運用的な基盤をどう整えるのかが、今の日本の論点になるのではないでしょうか。

 待鳥 おっしゃる通りで、野党化した与党にも情報を共有する慣習を作るべきなんですよね。

 ここが難しい背景には、なにより自民党が「いざとなれば政権を降りる」という選択肢を持たない、持とうとしないことがあると思います。そのため、何としても多数を維持する方向に動きがちで、これが政治の構造を固定化させている。ここが変わらなければ、全体の動きもなかなか変わらないでしょう。

 また、安保法制をめぐる対立がこの10年、日本政治に与えた影響は本当に大きかったと思います。そろそろこの分断の構図を終わらせるべきではないかと考えています。

経済政策の核心から逃げる中道左派

 待鳥 今後の政治を考える上で大事なのは、最大野党の立憲民主党が「きちんとした経済政策」を打ち出せておらず、そのせいで政権担当能力を自ら下げてしまっているという点です。安全保障以上に、経済の部分で的外れなことを言っていることが多い。ただ、中道左派の政党が体系的な経済政策を示せないというのは、実は日本だけでなく国際的にも見られる傾向です。

 1990年代にはニューレーバーなどをきっかけに、世界的に中道左派のリバイバルが起こりました。イギリス労働党・アメリカ民主党・ドイツ社民党などが相次いで政権に戻ってきた。日本の民主党も、その流れにゆるく乗っていくかたちで、2009年に政権交代をしました。

 その時代の中道左派は、グローバル化に上手く対応して、グローバル化の利益を国内の再分配に回そうという発想だったと私はざっくり理解しています。しかし、リーマンショックでその路線が崩れてしまってからは、中道左派がこれだと言えるような新しい経済政策の柱が、世界的にほとんど出ていません。

 アメリカの民主党は、文化やアイデンティティに関わる文化リベラルのほうへ軸足を移していきましたし、日本の立憲民主党は逆に外交・安全保障の議論に重点を置くようになりました。

 境家 どの国の中道左派も、経済政策の再構築という核心から視線をそらしていますね。

 待鳥 そうですね。別の争点へ逃げている状態です。だからこそ、中道左派がかつてのような魅力的な経済ビジョンを再構築できるのか、そしてその可能性がどこにあるのか、ここについては、まだ私も確信が持てないところです。この点について、イギリスの与党である労働党の最近の動きはいかがですか?

 今井 欧州の中道左派に共通することですが、いまの労働党政権にとって決定的なのは、経済の再構築に踏み込もうとしても、財政を動かす余地がほとんどないという点です。日本とは異なり赤字をこれ以上広げる選択肢は取り得ない。労働者層への増税もできない。つまり、中道左派が強みとしてきた分配政策を動かすスペースがないわけです。

 政権交代の直接の契機は、保守党への経済運営における信頼がトラス・ショックで崩れたことでした。裏付けのない減税と財政出動で市場が混乱した。労働党はその反動として市場に不安を与えない均衡財政を優先し、増税に踏みこまざるを得なくなった。

 こうした厳しい制約のなかで、彼らが頼れるのは「5年」という任期の長さです。地味でも確実な改善、たとえば労働者の権利強化や公務員給与の底上げ、公共サービスの改善、貧困対策など、再分配を進めようとしています。ただ、財政の引き締めはすぐ痛みが出るのに、こうした政策は即効性に乏しく、支持率には結びつきにくい。

経済争点を示せない立憲民主党

 待鳥 こういう状況は左派にとって本当に難しい。MMT(現代貨幣理論:自国通貨を発行できる政府は、財政破綻しないという理論)が話題になったのはコロナ前くらいで、「お金を刷って配ればいい」という主張が、中道左派にとっては最後の希望みたいに扱われた時期もありました。

 しかし、日本では安倍政権の中盤から、それに近い政策である大規模な金融緩和や財政出動をすでにやってしまっていました。だから左派としても、その路線を自分たちの武器として打ち出せなくなり、ますます苦しくなっているという状況です。

 立憲民主党がもし公明党と組めるなら、公明党が持っている徹底した「現世主義」のような、すごくミクロで身近な政策は一定の効果があるかもしれない。ただ、それは長期的なビジョンではないから、本当に一緒にやるのがいいのか……という気持ちもある。

 境家 中道左派は、体系的で実現可能な経済政策を見失っている。だから結局、その場しのぎのワンショット政策で支持を取りに行くしかなくなる。国民民主党の「手取りアップ」政策にもそうした側面があって、それはそれで有権者にウケたわけですが、立憲民主党に至ってはそういうアピールのアイデアすら出てこない。

 待鳥 「手取りを増やす」といっても、あくまで成長後の最終的な結果にすぎません。投資して成長した結果を手取り増に回そうという話であって、成長の部分は別に新しくも無いんです。配分の部分だけをうまく見せたものという面がある。

 境家 ただ、逆に言えば、少なくとも有権者への「見せ方」としては、国民民主党はうまくやったということです。同じようなことを立憲も本来はやれたはずだと思うのですが。

 今の立憲民主党は売りとなる政策が一つもないですよね。「紙の健康保険証復活」などと言っているようでは……。

 待鳥 話にならないですね。今年の参議院選挙でも最後の最後に経済政策の柱を消費税減税にしました。そもそも、消費税減税自体が責任ある主張かどうか疑わしいのに、他の政党が減税を掲げた後に、ただの後追いのように出してきたのが、残念な感じがしました。やはり、最大野党である立憲民主党がどう次の一手をだすのか、ここも今後の日本政治の動向を決める上で重要になるのでしょう。

 冒頭でもお話しましたが、いま日本の政治は分岐点にいる状況です。大政党制ブロック化するのか、またネオ五五年体制のようなものに戻るのか、本当に多党化するのか。ただ、オーソドックスな多党化が起きて、自民党が過半数に全く届かない、30%程度の議席しかとれない未来もあまり想像できないんですよね。そして、そうなった時に日本の政治に何が起こるのか見通しづらいのも正直なところです。

 しかしながら、制度の側から見ても、政党の側から見ても、これまでの延長線上だけでは対応できない局面に入っている。必要なのは、制度をどう運用するか、そして政治文化そのものをどうしていくかという視点です。自民党も立憲民主党も難局に立たされているので簡単ではありませんが、こうした議論を重ねながら、次の枠組みをつくっていくことが求められているのだと思います。(終)

 

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