公研2025年12月号「めいん・すとりいと」

 2025年10月、ポーランドのワルシャワでのショパンコンクールが行われた。本来なら5年に1度のはずだが、前回はコロナ騒動で1年延期になり4年ぶりとなる。この開催間隔の長さも稀少性と結びついているのか、世界で最も権威のあるピアノコンクールと言われている。

 そもそもは100年ほど前に誤ったかたちで広まってしまっていたショパンの演奏解釈をポーランドの国の威信をかけて正すために始まったのが由来とされている。ショパンの生きていた19世紀のポーランドは、ロシア、オーストラリア、ドイツによって分割統治されていた。20世紀に入り、ショパンにとっても悲願であった、ポーランドの独立をようやく果たし、今度はポーランドが国をあげてショパンを守ろうとしたとも言えるだろう。

 しかし、皮肉なことに国の威信をかけて始めたショパンコンクールの優勝者は、第3回までは、かつて統治側だったソ連からの参加者に独占された。

 本来音楽と政治は別物であるように思えるが、同じく人によって成される以上は全く無縁とも言えないかもしれない。

 ポーランドとしては、かたちの上では独立を果たしても、ロシア革命後のソヴィエト主導の共産主義圏の枠組みに入れられることになり、ポーランドの本当の意味での独立はペレストロイカを経てソヴィエトと共産主義が崩壊してからのごく最近のことと言えるだろう。街並みから人々の表情までとても同じ国とは思えないほどだ。

 ちなみに第1回のショパンコンクールの開催から約30年後にソ連が自国文化の喧伝のためにモスクワで始めたチャイコフスキーコンクールの第1回の優勝者は、アメリカのヴァン・クライバーンだった。彼の師はロシアからアメリカに渡った人であり、これも皮肉なのか、偶然なのか、仕組まれたものなのか…。

 審査では、クライバーンの優勝をあと押しするかのようにリヒテルという名ピアニストはクライバーンにのみ満点を付け続け、それ以外の参加者にはゼロ点だったそうだが、それによって政府から抹殺されることもなく、咎められたという話も聞かない。

 アメリカ人が優勝となった第1回目チャイコフスキーコンクールによって逆にコンクールの名は世界的に広く知られるようになった。第2回目のコンクールでは、自国からの参加者であるアシュケナージが優勝するように仕向けられた。それにも関わらずその後、彼は祖国を捨て亡命の道を選んでしまう。この事実を見ても、政治や国のあり方と音楽、音楽家は切っても切れない関係にあると言えるのではないだろうか。

 1990年、ショパンコンクールがポーランド国家による主導から離れて、いわゆる西側社会と同じようなスポンサーからの経済援助によって初めて行われた。この年は日本人も多く勝ち進み、僕も賞をいただくことができた。

 近年のショパンコンクールはアジア人、特に中国系の台頭が著しく、逆にフランス、ドイツ、イギリスといった伝統国からの参加者はほぼゼロに近い。これも時代の流れというものと片付けるのは簡単だけれど、それがさらに他の政治や経済的なことにどう絡んでいて、今後どう展開していくのか僕には予測がつかない。またかつては国をあげてのバックアップ体制があったロシア(ソ連時代は特に)は、オリンピックなどと同様、国籍のない状態での個人参加という奇妙な形態を取らざるを得なくなっている。

 ところで音楽におけるコンクールは本来若い才能の発掘という登竜門としての役割が主にあるはずで、そのあたりが競技の最高到達点にあるオリンピックや世界選手権などのスポーツの世界とは異なるはずだが、特に最近は競技会を見ているような錯覚に頻繁に陥る。視覚的な部分も含め、どれだけ目立ち個性的であるか、つまり音楽への心からの共感よりも、いかにしてインパクトを残し、かつ欠点を見せないか、のようなものである。

 音楽における価値観も時代と共に移り変わってゆくものだろうから、そのように感じてしまうということ自体新たな流れについていけてないとも言えるかもしれないし、逆に世の中がおかしな方向に進まないための僕自身の中での警告のアラームなのかもしれない。

ピアニスト

 

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