自民党の少数与党化、参政党の躍進、民意と政治制度のズレ──。
日本政治は潜在化していた課題に直面しているかのような印象がある。
政党政治は新たな局面を迎えようとしているのか?
イギリスとの比較も交えながら考える。

京都大学大学院法学研究科教授
待鳥聡史(画像右)

成蹊大学法学部教授
今井貴子(画像中央)

東京大学大学院法学政治学研究科法学部教授
境家史郎(画像左)


まちどり さとし:1971年生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程退学。博士(法学)。大阪大学大学院法学研究科助教授などを経て、2007年より現職。専門は比較政治論。著書に『政治改革再考』『代議制民主主義』『首相政治の制度分析』『政党システムと政党組織』『民主主義にとって政党とは何か』など。


いまい たかこ:東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。博士(学術)。2009年に成蹊大学法学部助教、10年准教授を経て、2012年から現職(教授)。専門は英国政治、比較政治。ケンブリッジ大学、欧州大学院での客員研究など。著書に『政権交代の政治力学』、共著書に『アウトサイダー・ポリティクス──ポピュリズム時代の民主主義』など。


さかいや しろう:1978年生まれ。2002年東京大学法学部卒業。08年東京大学より博士(法学)取得。東京大学社会科学研究所准教授、首都大学東京(現・東京都立大学)法学部教授などを経て、20年11月より現職。専門は日本政治、政治過程論。主な著作に『憲法と世論』『政治的情報と選挙過程』『戦後日本政治史─占領期から「ネオ55年体制」まで』など。


 

ネオ五五年体制の終焉

 待鳥 昨年の衆院選と今年の参院選を経て、既存政党への信頼低下や多党化の進行など、「日本政治は転換点に差しかかっている」とも言われます。石破首相の辞任から高市首相の誕生、さらには選挙構図の再編まで、政治は一気に動きました。

 本日は「分岐点に立つ日本政治──民意と制度」というテーマのもと、境家史郎先生、今井貴子先生と、いま起きている変化を整理しつつ、日本政治の行方や、これから求められる制度改革について議論していきます。境家先生には有権者の動向を含めた政党政治の全体像についても、今井先生にはイギリスの制度や政治状況との比較からも、是非お話しいただければと思います。

 今井 比較政治の視座から議論の材料を提供できればと思います。

 境家 最初に、足元で起きている変化が何を意味しているのかを整理しておきたいと思います。

 私は、2012年末に成立した第二次安倍政権以降の構図を「ネオ五五年体制」と呼んでいます。自民・公明が強固な与党ブロックを維持する一方、民主党を中心とする野党陣営が分裂を繰り返し、往年の五五年体制を思わせる一党優位状況が長く続いてきました。

 しかし、この構図が大きく揺らいだのが、2022年の安倍元首相暗殺とその翌年に火が付いた旧安倍派の裏金問題です。ここから自民党への不信感が一気に高まり、長く続いた安定が崩れ始めました。さらに物価高対応の失敗によって、自民党の「政権担当能力」へのイメージも大きく損なわれ、昨年の衆院選での大敗につながったと考えています。

 待鳥 おっしゃる通りで、この一連の流れが「ネオ五五年体制の終わり」を決定づけたのだと思います。

 特に物価高対策の失敗は、選挙結果に非常に鮮明に表れました。国民民主党が「現役世代を重視した経済政策」を掲げ、これまで野党側が取り切れなかった層を一定程度掴んだのです。民主党政権が終わってから、経済政策について自民党に正面から挑戦する政党はどれも成功しませんでした。今回は物価高や旧安倍派問題という環境が重なり、初めて有権者にストレートに届いたものと考えられます。

 さらに大きな変化は、公明党の連立離脱です。これは私自身も予想していなかった展開でした。ネオ五五年体制の終わりを決定づけた出来事だと言えます。

 境家 つまり、日本政治の大きな一つの括りがここで終わり、新しい局面に入りつつあるわけですね。

 待鳥 新しい局面として「日本政治は多党化の時代に差し掛かっている」といった論調が、昨年ごろから目立ちます。しかし、実際にはより複雑で、今後の政治の方向性としては三つに想定できる分岐点にあると考えています。

 一つは、自民と維新が事実上のブロックをつくり、野党は分裂したままで、自公の時ほど強固ではありませんが、ネオ五五年体制のような一党優位に近い構図へ戻る可能性です。二つ目は、立憲と公明の連携によって野党側にもまとまった塊が生まれ、二大政党ブロック体制に向かう可能性。もしこの体制になれば、ネオ五十五年体制の終わりはより明確になるはずです。

 そして三つ目は、自民党ですら国会の3分の1規模にとどまるような、本格的な多党制へ進む可能性です。正直、どちらの方向に進むのかはまだ見通せない複雑な状況にあります。

揺らぎ始めたイギリスの二大政党システム

 待鳥 こうした「どの方向へ転ぶかわからない分岐点」という状況は、二大政党が伝統的に強いイギリスとは対照的ではないでしょうか。イギリスは、制度として二大政党制を採っているわけではないですが、小選挙区制の効果が非常に強いため多党化が抑えられて、これまで保守党と労働党が中心に残り続けてきました。今の日本のように「二大ブロックに向かうのか、多党化に進むのか」という分岐点に立つ構造とは、少し事情が違うわけです。

 とはいえ、最近のイギリスでも地域政党が伸びたり、小さな政党が存在感を増したりと、揺らぎは確かに起きている。ここにはどのような意味があるのか、今井さんはどう見ておられますか?

 今井 おっしゃるように、イギリスでも二大政党離れが加速し、小・中規模の政党がかつてない存在感と影響力を示しています。二大政党を軸にした政治システムの改編につながる可能性も否定できません。支持の分散は突発的な事象ではなく、イギリス特有の多層構造がつくる外側からの波及効果が一因でした。単純小選挙区制の国政(庶民院)とは別に、スコットランド議会や欧州議会選挙(当時)といった比例性の高い選挙で、小政党がまず議席を獲得し、有権者がその姿を目にする。外側での成功経験が、「この政党なら国政でも投票してよい」という認識を広げ、多党化を促したと理解できます。

 これと類似した現象は、日本でも見られるのではないでしょうか。

 待鳥 日本でも地方政治を足がかりに参政党が台頭するなど、同様の構図が見られました。

 今井 はい。ただし、日本ではイギリスと違い、外側からの波及効果だけでは説明できません。むしろ、制度の内側から多党化を誘発する構造になっていました。平成の政治改革は「二大政党による政権交代」を想定していました。ところが実際には、勝っている側には求心力が、負けている側には分裂して比例で生き残るインセンティブが働きやすい仕組みです。例えば民主党分裂後、国民民主党などいくつもの新党が比例を足場に政党として残ってきました。

 2009年の政権交代までは、まだ「二つのブロックで競う」という二大政党制的なイメージが共有されていましたが、2012年以降はとくに、野党の側で「分裂して比例で生き残る」ほうが合理的だという学習が定着していったように見えます。政党交付金や政策純度の確保という点でも、構造が内側から分岐を強めていきました。

 待鳥 学習の先に多党化があったということですね。

 今井 はい。そのうえで、有権者側でも「比例であれば小政党に投票しても死票にならない」という経験が、この30年で積み重なっていたのではないでしょうか。さらに、裏金問題や政策不信が重なり、権力を一強に集中させることへの警戒が強まり、多様な価値観を受け止める「新しい皿」を求める機運が高まった。
 多党化を偶然の産物と片づけることはできないと思います。

 待鳥 民意が多党制を求めているということなのでしょうか?そうだと思う半面で、日本社会で人々が多様な価値観を持ち出したのは、最近のことではない気もします。さらに、その多様化が制度にまで表出するかという問題もあるように思いますが、境家さんからするといかがですか?

 境家 多党制という政党システムそのものを有権者が求めているかは、正直わかりません。どちらかというと私は、有権者の素直な選好表明によって、結果として多党化したものと捉えています。

 多党化を促した短期的な要因としては、主要政党の中道化により、イデオロギー的に両端の人たちの意見がすくわれにくくなったという局面の変化が考えられます。昨年秋、自民党も立憲民主党も代表が中道寄りの人物に変わり、少なくとも外見上、二大政党の立ち位置が真ん中に近づくことになりました。結果、左右両極にいる有権者は、「自分たちを代表してくれる政党はこの二大政党ではない」と感じたわけです。中道的立ち位置というのは敵ができにくい半面、強い味方も付きにくいという両刃の剣的性質があります。

 その両端の人々の受け皿の一つとなったのが参政党です。もちろん、参政党支持の理由がすべてそれだとは言えませんが、この構図が大きな要因になったのは間違いないでしょう。

 待鳥 そもそもなぜ上位二政党は中道化したのでしょうか?

 境家 自民党については、中道化そのものが目的であったというより、旧安倍派に絡むスキャンダルがあったので、「安倍的でないもの」の象徴として石破茂氏が選ばれたという党内政局的側面が強いように思います。自民党執行部の中道化は、意図的というより偶発的要素が強いのではないでしょうか。

 立憲民主党については、それまでのリベラル路線の下での党勢低迷に対する、意識的な反省でしょうね。リベラル路線で共産党と組んでも政権交代には届きそうにないと、ようやく党内でも認識されるようになったということでしょう。

 今井 比較の観点からみれば、そうした力学は、欧州の既成政党離れに重なります。経済的にも文化的にも政策距離が接近したように見える既成政党に、有権者は失望と不信感を募らせる。左右の両端に生じた空隙で存在感を示
す政党──とりわけ急進右派ポピュリスト政党──が疎外意識を抱いた有権者を吸収し、多党化につながる票の流動化が進みました。

従来の軸では説明できない不満が多党化を招く?

 待鳥 ただ、ここで一つ考えておきたいのは、これまでも日本では多党化につながりそうな動きは、何度もあったはずだということです。しかし、過去30年に関して言えば、最終的には大きな二つの塊にまとまっていきましたし、主要政党が中道寄りになることは教科書的にはむしろ評価されていました。ところが2000年代以降のヨーロッパでは多党化が進み、日本も同じようになる兆しがある。

 つまり従来の説明だけでは、いま起きている現象を十分に説明しきれないということです。もっと別の要因が働いているのだろうと思います。

 その一つとして考えられるのが、経済政策のような従来型の争点では説明しきれない不満や疎外感を抱く人が増えてきた、という点です。『學士會会報』でも境家さんが論じられていましたが(「今夏の参院選の結果と今後の日本政治の動向」同誌975号)、従来の争点は、「どれだけ政府が社会経済的課題に関与するのか」でした。しかし、それ以外の文化軸的な争点で疎外感を抱く人が増えてきました。そして、この「従来の軸では説明できない不満」が広がると、どの争点を中心にしているのかが曖昧な政党に支持が流れやすくなります。

 これは、参政党の支持者が何者なのかという問題にも関係してくるのだと思います。参政党が急進右派ポピュリスト政党であることは確かですが、どこに一番の顔があるのかわかりにくい部分があります。また、主要政党の外側にいる人たちが「自分たちの声を受け止めてくれる政党がない」と不満や疎外感を持つことは理解できる。しかし、その不満がなぜ「政党」というかたちに結びつくのか、もっと他の方法があるのではないかと思うのです。そこを説明する決定的な要因は、まだ見えていません。

急進右派ポピュリストとしては「純度」が低い参政党

 境家 そうですね。参政党の支持層というのは、まだよくわかっていないところがあります。明らかなのは、いろいろな不満や思いを抱えた人たちの「ごった煮」のような存在で、けっして一枚岩でないということです。イデオロギー的右派層が流れ込んだ部分もありますし、経済的に苦しく「もっと支援をしてほしい」「生活をなんとかしてほしい」という思いから支持している人たちもいるのでしょう。

 待鳥 他方で同じ「端」でも、れいわ新選組はまだわかりやすく、もう少し経済争点に近いところにいるように感じます。急進左派ポピュリスト政党としての基本属性を持っていると言ったらいいでしょうか。反米的な姿勢や、市場経済への批判的なスタンスも見られ、これはギリシャやスペインで登場した急進左派政党とよく似たタイプと言えます。

 境家 れいわ新選組が経済政策によって支持を集める政党であるという点、よくわかります。10月末に宮城県知事選が行われました。結果は現職の村井嘉浩氏が当選しましたが、参政党の支援を受けた和田政宗氏が僅差で2位に入りました。

 出口調査の結果で興味深かったのは、多くのれいわ新選組支持者が和田氏に投票していたことです。私はこのデータを見て、れいわ支持層が、「外国人問題」のようなイデオロギー的争点の政策ではなく、社会経済政策の方向性を判断基準としているのだと強く感じました。

 待鳥 そうなんですよね。れいわ新選組とは対照的に、参政党はよくわからない。適切な言い方かどうかわかりませんが、急進右派ポピュリストとしては「純度」が低いんですよね。「安倍的なものが自民党の中で弱まってしまったが故に、自民党の外に支持層として流れ出た岩盤保守の人々が参政党を支持している」という説明は、現象を半分くらいうまく説明できます。しかし、そこだけでは参政党支持者の説明として不十分だとも思うのです。

 境家 そうですね。参政党はそもそもまとまりのある塊として捉えにくいです。

 待鳥 参政党の支持者の中には、政権交代がおきた2009年の衆議院選挙の時に旧民主党に投票した方が相当数いるのではないでしょうか。このとき旧民主党は、自民党支持者の中にいる「保守だけど現状も改革して欲しい」という層を吸い取りました。

 大阪では、この層は民主党の弱体化とともに維新に行きました。大阪での旧民主党系の政党は、自民党以上に存在感が薄いです。立憲民主党はもはや辻元清美さんの「個人商店」みたいになっている。大阪で民主党から維新に流れた人たちというのは、「弱者支援を厚く」という社民主義的な方向ではなくて、基本は保守寄りだけど現状への強い不満や変革志向を持っているタイプの有権者です。

 全国的には、このようなタイプの有権者の一部が参政党に共感し、流れ込んでいるのではないでしょうか。

 このあたりが、参政党という政党を説明しづらくしている理由でもあると思います。参政党が単純な急進右派ポピュリストなのであれば、高市さんのような岩盤保守に訴求する政治家が自民党を率いるようになれば、「保守層が自民党に戻る」という流れはある程度起きるでしょう。しかし、参政党支持基盤の複雑さを考えたときに、「完全に戻るのか?」と言われると、現時点ではまだよくわかりません。

 境家 待鳥さんがおっしゃるように、参政党は、維新と差別化された改革保守政党の方向性に持っていこうとしていることはわかります。でも、維新と比べても、どうも政策の体系性がはっきりしない。「常識」と違う政策を総花的に掲げているというか。

 待鳥 基本的に体系性はなく、それがポピュリストのポピュリストたるゆえんですよね。

 境家 その場その場で「これが受けそうだな」「支持されそうだな」という問題をアドホックに拾い上げているということですね。そうなれば、支持者にも体系性がなく掴みにくい。

日本で外国人問題は現実の争点として成立するのか?

 待鳥 また、参政党の特徴の一つが「今の目立つ何かを、とにかく変える」というところを強調している点です。典型的なのが外国人政策です。日本における外国人の現状が問題だから、それを変えなければならないという主張なのでしょう。しかし、掲げる政策を実行したら日本がどうなるのか、あるいはすでにある社会とどう整合させるのか、そういう説明はなく、抽象的な存在として外国人の存在が否定的に語られる。

 実際問題としては、身の回りのコンビニにも外国人の店員さんがいるし、居酒屋にも普通にいますよね。その現実とどう整合するのかという話なのに、そこは触れられないまま支持を集めているわけです。

 これはやはり排外主義なのでしょうが、そもそも排外主義的な主張の動機自体も、正直よくわからない部分があります。ヨーロッパで移民・外国人問題が政治的な争点として強く出てくるのは、人口比で外国人が10%程度まで上がった時ですが、日本の外国人比率は現時点で約3%です。

 今井 ご指摘どおりで、日本では実際の人口構成と、政治的な争点化が必ずしも整合していません。欧州では、人口比率で10~20%規模の移民を抱える主要国において、移民・難民政策が、福祉国家の制度や人びとの社会的地位低下への不安と結びつき、主要争点として定着しました。

 一方日本では、移民比率が欧米諸国よりもかなり低い水準であるにもかかわらず、争点として急浮上している。このズレが、日本の文化軸上の対立を理解する鍵ではないかと思います。

 待鳥 そうですよね。いまの日本程度の数字で移民・外国人問題が顕在化することがあり得るのだろうかと疑問に思います。

 実態としては、急増したインバウンド観光客に対する不満とないまぜにしてしまっている部分があるようにも思います。「通学・通勤中に電車で座りたいのに、外国人観光客が大挙して先に座っていて嫌だ」というような感覚。これと定住している外国人に対する不満が、意識的あるいは無意識的にないまぜにされているのではないかという印象です。

 境家 他方で、参政党が外国人政策の厳格化を主張しているのは確かですが、ヨーロッパの極右政党と同じレベルで危険だと言い切れるのか、そこはまだ見極めが必要ではないでしょうか。

 待鳥 まだ実態がわからない部分がありますよね。急進右派だとは思いますが、極右と呼ぶべきかどうかについては、私も慎重です。ただ、どこか危うさも感じざるを得ません。

 境家 興味深いのは、その危うさがありながらも、参政党は一般の人向けにうまくアピールしているところです。一見似たような立ち位置の日本保守党は、おそらくもっと暴力的な要素が強いように見られていて、有権者のウケもあまり良くない。

 待鳥 本当にごく一部の層にしか刺さっていないですからね。

 境家 この2党は同じようなことを言っているようでいて、影響力には大きな差があります。参政党の一般向けの顔が、単なる見せかけなのか、それとも彼らなりに「して良いことと悪いこと」のラインを引いているのか。そのどちらであるかによって、日本の政党システム全体において、参政党台頭の意味することは違ってくるように思います。

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