『公研』2021年5月号「めいん・すとりいと」
奈良岡 聰智
最近、共著『清風荘と近代の学知』(京都大学学術出版会)を出版した。清風荘というのは、「最後の元老」西園寺公望が京都に持っていた別荘である。西園寺が文部大臣として京都帝国大学創立を実質的に決定した縁などから、彼の死後同大学に寄贈され、現在京都大学が管理している。小川治兵衛が作庭した見事な庭園があり、2012年には、邸内の12棟が重要文化財に指定されている。
もともと清風荘は、西園寺の祖父徳大寺実堅の別荘であった。実堅は学問や文化を深く愛した人で、晩年をこの邸宅で過ごし、茶事に勤しんだ。実堅の嗣子公純も、隠退後この邸宅で学問や文化に親しむ生活を送った。邸内には、実堅時代に建てられた茶室「保真斎」が今でも遺されている。
公純の死後、清風荘は長男実則が受け継いだが、やがてその実弟(公純の六男)住友春翠に譲渡された。春翠は、荒廃していた同邸宅を整備し、実兄(公純の次男)西園寺公望の政治活動のために提供した。西園寺は大正期前半の約七年間、ここを本拠とした。その後彼は、気候の良い静岡県興津町に転居したが、引き続き定期的に清風荘を訪問し、政治活動や文化人との交流のために活用した。元老として、この邸宅で首相の決定も二回行っている。清風荘は、公家文化の変遷や大正・昭和初期の政治の中枢を目撃してきた「歴史の生き証人」である。
戦後京都大学は、建物や庭園の維持・管理に努める一方で、清風荘を賓客接遇のための迎賓館的な施設として活用してきた。また、学内の重要な会議や、様々な学術的・文化的催しのためにも使用している。そのため、清風荘は「知る人ぞ知る」存在ではあったのだが、広く一般に公開されたことはなく、邸宅・庭園に関する研究もあまりなかった。その意味で、このたびの拙共著の刊行は、清風荘を初めて広く「一般公開」する機会になった。同書では、私が政治史的な観点から叙述を行っている他、中嶋節子氏が建築史、今西純一氏が庭園史の観点から、行き届いた考察を行っている。写真家高野友実氏が撮影した写真の数々も、目を楽しませる。ぜひ多くの人びとに手に取って頂き、清風荘の歴史や魅力を感じて欲しいと願っている。
上述したとおり、清風荘は京都大学が関係する学術的・文化的催しのために活用されており、利用に際しては厳格なルールが存在する。それが故に、大学ならではの「学知」の交換の場として有効に機能していると言えるが、他方で、関心を持つ一般の方への公開をどうするかという問題も存在する。大学の施設として日常的に活用されていることに加え、重要文化財に指定されている建物や庭園内の貴重な植物を保護するため、大規模な一般公開は難しい。近年は、毎年開催される「ホームカミングデイ」という卒業生の交流イベントの際、一般の参加者でも抽選に通れば見学が可能になったが、一度も見学したことがない在校生や卒業生も多いことを考えると、見学対象者を大きく拡げるのは現実的ではない。
こうした中で、昨年突如として新たな試みが行なわれることになった。コロナ禍によって「ホームカミングデイ」がオンライン開催となったため、同イベント随一の人気企画であった清風荘見学も、オンラインでの実施になったのである。同イベントの特設サイト内に作られたページ「清風荘見学(VR)」(https://hcd.alumni.kyoto-u.ac.jp/vr01/)からは、ドローンが駆使されたVR映像を誰でも見ることができ、ある意味では実際の見学以上に清風荘の魅力を体感できる。
文化財の保存、活用と公開のバランスはまことに難しいが、このようにインターネットを利用した動画などの公開は、今後より拡充されるべきではないだろうか。コロナ禍を奇貨として、保存と両立する形での文化財公開が各方面で進むと良いと思う。京都大学教授