『公研』2023年2月号「めいん・すとりいと」

 

 タンザニアの教育制度は、初等教育7年、前期中等教育4年、後期中等教育2年、高等教育となっている。私は、タンザニアで調査をしていた院生時代、道で中等教育課程の学生の集団に出遭うのが嫌で仕方がなかった。アジア人の女性が一人で下町を歩いていることが珍しかった当時、「やーい、中国人」と囃したてられることは多かった。小さな子どもなら笑って流すが、思春期の少年少女はやっかいだ。彼らは集団になるとカンフーのまねをしたり、「おっぱい見せて」とからかったり、「シカモーと言え」と強要してきたりする。

 「シカモー(Shikamoo)」は、年長者や敬意を払うべき者に対する謙った挨拶の言葉で「ご機嫌いかがですか」などの意で使われる。タンザニアでは、年長者や権威ある者に「元気?」「最近、どう?」のような挨拶をすることは礼儀に反する。アジア人は概して年齢よりも若く見られがちで、私も年齢不詳なのは自覚していたが、ニキビ面の少年少女たちに面白がって「おい、シカモーと言え」と囃したてられると、カチンとくる。無視を決め込むが、時には向き合う必要があることもある。

 調査助手が住む長屋に、中等教育4年の少女が住んでいた。彼女はいつも私に対して「マラハバ(Marahaba)」と挨拶した。「マラハバ」は「シカモー」と挨拶された年長者が目下の者に返す言葉で、通常は先に言うことはない。要は、「謙って挨拶しろ」とほのめかしているのだが、私は聞き流して「元気?」「おはよう」と返すことにしていた。

 そんなやりとりを何度か繰り返した後、少女はしびれを切らして「おまえ、シカモーと言えよ」と叫んだ。そこで私は自身が大学院生であり、彼女より7歳年上であることを説明した。証拠にパスポートを見せると、少女は悔しそうな顔をし、足を踏み鳴らしながら長屋の部屋に引っ込んだ。

 そのすぐ後に、少女の一家は家賃を滞納し、田舎に帰ることになったと聞いた。いつもは強気な少女も残り3カ月の前期中等教育を修了できないと知って軒先で泣いていた。私は当時、1年分の家賃を前払いして部屋を借りていた。その時の調査期間は10カ月でそのうち首座都市で1カ月過ごす予定だったため、家賃3カ月分は捨てて帰国するつもりだった。私は彼女の両親と話しあい、残りの3カ月間、少女に家具ごと部屋を無償で貸すことにした。

 それから何年か経ち、市内のショッピングモールに携帯電話を買い行った際、私は大人になった少女に再会した。私がタクシーを探していると知ると、彼女は「私が探してくる」と言う。「自分で見つけるからいいよ」と断ると、「私を使いに出すのをためらわないで。だって、あなたは昔から私の優しいお姉さんだったでしょう」といたずらっぽく笑った。 

 タンザニアでは大人になると、多少の年齢差ではシカモーと言わなくなる。それは大人になると、年齢ではなく、人生経験を積み重ねるなかで培った「思慮深さや機知(hekima na busara)」こそが敬意を払う対象であることが了解されていくからだ。多様な人びとが関わりあう社会に出てみれば、他者への敬意が単なる年齢差や職種、地位の高さでは決まらないことを実感する機会は豊富にある。とはいえ、学校システムの中で同じレールを歩んでいる時には、つまらない差異を基にマウントを取りあうものかもしれない。そこから離れ人生の多様性とままならなさを知った者たちが、人としての豊かさは客観的な指標では計れないことを自然に納得できる社会でありたいと思う。

立命館大学教授

 

 

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