『公研』2023年1月号「interview」

 

 一見、日本のどこかの地図に見えるが、実際には存在しない都市を描く「空想地図」。とてもニッチな趣味かと思えば、それを仕事にしている人がいた。

 

地理人 今和泉隆行

 

実在しない、とある国の都市

──まず、空想地図とはなんですか?

今和泉 実際の地図のように見えますが、実在しない世界、実在しない都市を舞台に描かれた地図のようなものです。空想とはいえ、自分の理想の都市をつくり上げたというわけではなく、都市の歴史や発展、社会や人々の動向が反映された実際にありそうな都市です。

──今和泉さんの作成した空想地図の代表的な都市が市です。いったいどのような都市なのでしょうか?

今和泉 とある国の首都から30キロメートル内陸にある都市で、県庁所在地であり郊外のベットタウンでもある都市です。首都圏だとさいたま市のような立ち位置ですね。小学生の時から今まで空想地図を描き続け、描画範囲を広げたり、改良を重ねたりしていますが、どこが終わりか私でもよくわかっていません。いま地図になっているのは11×13キロメートルの範囲です。

 中村市の中で一番書き直しが多いのが中心部、元城下町の部分です。城下町が形成されるときには、どこに武士が住み、どこに町人が住むかという江戸時代の計画が反映されるのですが、最初に描いた中村市の城下町部分にはその町割りが考慮されていませんでした。また、城下町の中の街道は攻め込まれにくいよう、意図的にくねくねと曲がってつくられます。中村市の旧街道はまっすぐだったので、それらしく曲げたりして、150年前の時点でも不自然でないよう、歴史や都市発展の経緯を考えています。

 

自然発生的なごっこ遊びの延長

──空想地図を書き始めたきっかけは?

今和泉 小学校1、2年の頃に始めたので、なぜ始めたのかよくわからないんです。後から推測すると、空想地図はある種のごっこ遊びと似たものだったと思います。子供の頃って何かを知ると自分の手で再現したくなりますよね。例えば、大人の買い物について行くと、子供同士でお店屋さんごっこをして、買い物を再現したくなります。私の場合、地図を眺めることが身近だったので、都市は道路網が密集していて、田舎の山道は道が曲がりくねっていることなど、道のかたちの違いを見たらおもしろくなり、それを自分で再現してみたくなったのではないでしょうか。自然発生的なごっこ遊びの一つと言えます。

──今も、当時と同じモチベーションで地図を描いているのですか? 

今和泉 空想地図を描きたいと思うモチベーションには波があります。気分が乗ったときは進むのですが、乗らないと全く描きません。描き始めてから30年近く経ちますが、全く描いていない時期もあります。

 空想地図が仕事になってからは、現代美術として美術館の展示等に出品する機会が出てきたので、展示までに大幅に描き進めたり、修正点や改良点に気付いた時に描き直します。大きな情熱に突き動かされるというよりは、「仕方ない、描き直すか」というきっかけで描き直しに挑み、始めると淡々と数週間作業が続きます。

──中村市がどんな都市なのか詳しく教えてください。

今和泉 中村市には中村駅と平川駅の二大主要駅の間に中心市街地ができています。多くの路線が乗り入れるターミナル駅である中村駅の周辺は、百貨店や大型商業施設が集まっていて、日本で言えば仙台駅、立川駅、小倉駅ぐらいの規模です。平川駅周辺はさきほど言った元城下町ですが、広善公園という公園が城の跡地で、その東側に城下町だった街があります。

 駅の場所も悩みながら置いています。中村駅、平川駅は城下町から少し離れたところあるのですが、改良を重ねるうちに、駅はもう少し城下町に沿った端にできることがわかりました。本来はもっと城下町の近くに駅ができても良いのですが、できなかった理由として、街道沿いの町が伸びていたこと、沼があったことで駅がつくれなかった、という経緯を考えて辻褄を合わせたりしています。こうして元沼地が埋め立てられた歴史ができてしまいました。

──描きたいように描いているわけではないのですね。

今和泉 そうですね。例えば、中村駅・平川駅の南側に出ノ町駅があり、第3の市街地を形成しています。出ノ町駅は鉄道の主要路線と平川駅に繋がる街道の交点、結節点として開業しました。南方面から中村市に来て平川駅に行く人は、出ノ町で乗り換えることになります。もともと街としては大きくはなく、道路も狭い住宅地でしたが、乗換客を中心に街は多くの人で賑わいます。そのため、小さな道沿いの古くて小さな建物に入る個人店がたくさん残っているのです。中村や平川は街自体が大きく、大きなビルの賃料は高いのですが、出ノ町はそんな状態なのでそこまで賃料が高くありません。出ノ町を通る三つの路線の駅はそれぞれ少し離れた場所にあるので、人々が広い範囲を回遊します。こんな経緯もあって、出ノ町は多くの飲食店が連なっています。高円寺や下北沢ほどの規模はありませんが、狭い道路に多数の飲食店が多い様子は少し似ていそうです。

──この街が今和泉さんの空想ということを忘れてしまいそうです。 

今和泉 後は、この場所は元々どんな場所だったのかも考えます。例えば、白枝公園は軍用地の跡地につくられているという背景があります。大きな都市は広い空き地がなかなかありませんが、軍用地は戦後使われなくなるので、まとまった広い土地として公園ができるという、ありそうな流れを考えます。また、中村大学は、旧制高校と師範学校の跡地にできています。旧制高校はいわゆる旧帝国大学へ進学するための予備教育の役割をもっていました。師範学校は教員を養成する学校でしたが、日本では戦後、学制改革でどれも新制大学となります。大学ひとつ描くにも、歴史や経緯を考えないとそれらしさが出ません。空想地図を描く人は地理的、歴史的に考えたらキリがない沼に入ってしまいます。それはそれでおもしろいのですが、終わりがないので疲れる作業でもありますね。

 

 

47都道府県の都市を回りきる

──都市発展の知識が必要なのですね。専門的に学んでいたのですか?

今和泉 高校生の時には都市計画を専攻しようと工学部の建築系へ進学を見据えて理系を選択しましたが、高2で物理の単位を落として強制的に文系になったので、大学では地理学専攻になりました。しかし、その後地理学科を出て専門性を活かす進路は、中高の先生か研究者になるのが王道でした。学校の先生になるのは嫌だったので、3年生のときに別の大学の経済学部に編入し、まちづくりのゼミに入りました。

 ただ、大学で得た知識で空想地図を描いたかと言うと、そうでもありません。それより大学時代に全国47都道府県を勝手に回ったことのほうが大きいと思います。

──それは空想地図の精度を上げるために?

今和泉 そうでもないんですよ。むしろ全国を回っていた時期は、空想地図製作がストップしていた時期でもありました。と言うのも、私にとって現実逃避したいときに行きたくなるのが地方都市だったのです。中高生だと地方都市への憧れがあっても、一人で行くのはためらわれます。その代わりに空想地図を描くことで地方都市への憧れを満たしていました。今の日常と全く異なる現実的な世界が、私にとっての現実的な現実逃避だったのです。これが、大学生になると一人でいくらでも地方都市に行くことができるようになります。そうなると自然と空想都市の優先順位が下がっていきました。地方都市は無数にあるので、空想地図に注いでいた熱量を、全国各地を回りたい熱量が上回ったのです。空想地図のためではなく、ただ行きたいから全国回っていただけですね。

──現実逃避の手法が地方都市を訪れることってあまり聞かないです。旅行とは少し違う気もします。

今和泉 そうですね。映画鑑賞や小説を読むことが一般的な現実逃避でしょうが、非現実的なファンタジーだと、私には起こり得ない関係のない話だと思えてしまい、逃避できた感覚が得られませんでした。テーマパークだと現実味からは逃避はできますが、入場料を払い続けてこそ体験できるファンタジーです。一方で地方都市は、そこで仕事をして住むことができるという、今の日常を丸ごと取り換えることができる舞台です。それはただの引っ越しとも言えますが(笑)、新天地がだんだんと地元になっていく、新鮮さと地元感を同時に味わえる感じが好きなんです。観光というより「この場所に住んだら、日常的にどこでご飯を食べて、どこで買い物するのか」という動きを、ただ現地民になったつもりで回っていました。結果的に日本全国主要都市の土地勘はつき、ここで得た知識が地図製作にも有益だったと思います。

 地方都市を回る際には、路線バスによく乗ります。その街の日常に没入するにはバスが最適です。私が車を運転できないということもありますが、運転に気を取られず、少し車高の高いところから風景観察に集中し、地元民と同乗することで地元感も味わえます。平日の朝、バスに乗っていると「ここから人がたくさん乗ってきて、通勤通学客が増えるのか」といった具合に、通勤通学圏を知ることもできます。鉄道は、新幹線や特急より普通列車を選ぶのも同じ理由です。新幹線ものぞみだと、新横浜を出ると静岡県内は止まらずに名古屋に着いてしまいますが、静岡県の風景を高速で見せられて、その土地の空気に全く触れないまま通過してしまうより、普通列車で一駅ごとにドアが開いて、現地民と現地の空気が入ってくるほうが地元に浸れます。

──知らない土地となると、日本だけではなく海外の都市もおもしろそうですね。

今和泉 そうですね。日本の主要都市はほぼ回りきったので、最近だと海外の都市も回っていて、日本に隣接する国はすべて回りました。実際に行ってみると、歴史や経済発展、人口密度や国のシステムによって都市発展のかたちが変わってくることに気づきました。

 

古地図の景色が残る北朝鮮

──おもしろかった都市はありますか?

今和泉 北朝鮮は、日本の古地図で見た集落や主要道路に近い様子が、そのまま残っていたのがおもしろかったです。コロナ以前は基本的に観光客を受け入れていて、国営旅行会社の代理店に申し込んで行くことができました。自由行動はできないので、街で現地民と同じ空間で過ごすことはほぼ不可能でしたが、車窓を観察するだけでも発見がありました。平壌だけは建国後の計画都市として、重厚な建物と広い道路が続き、昔の建物や道はほとんど残っていませんが、平壌以外の地方都市だと、戦前からあると思われる建物や道路が残っています。

 一番印象に残っているのは、過去の白黒写真でしか見られないような1920年代頃の道路や集落の景観を、リアルタイムで見られたことです。この時期は、日本はまだ国産車を生産し始めたぐらいの時期で、個人で車を保有する人はほぼいませんでした。この頃から少しずつ、バスやトラック等の業務用の車両と、要人の送迎用の車などが走り始めます。そこで、明治期までは車がすれ違うのが難しいほどの狭い道幅でカーブの多かった国道が、車が通れるよう、片側一車線くらいの道幅で直線的な道になり、今で言う国道の旧道ができ始めた頃でした。1920年頃はそんな車の通行に対応した新しい国道と、片道一車線もない未舗装の国道のどちらも見られましたが、当時(2016年)の北朝鮮はこの状況だったのです。「あ! これ古地図で見た!」と思いながら車窓を見ていました。小さな道が小さな川を渡る際は橋がなく、そのまま川を渡っていくスタイルだったり、道路標識も人の目線の低い位置にある小さいもので、ドライバー向けではなく歩行者向けのものです。日本ではもう離島でしか見られない光景です。

──現在、空想地図作家としてどのように生計を立てているのでしょうか?

今和泉 著述、地図の制作、美術館への展示、グッズ販売、ワークショップなどで、今は100%自営業です。地図の制作は空想地図だけでなく、最近は江ノ電バスの路線図などの実際の地図のデザインもしています。空想地図の制作依頼は2年に1回ぐらい来ています。2015年にNHKで放送された横山秀夫さん原作のドラマ『64』の中で使用する地図を製作しました。舞台が架空の県で、まだネットやカーナビのない1989年なので、架空の部隊の紙地図が小道具として必要だったのです。

──マニアックな好きを突き詰めてそれが仕事に繋がっているのは凄いことですね。

今和泉 望んでこうなったように見えるかもしれませんが、狙ったわけではないんです。どちらかと言うと安定志向なので、こうなるはずではありませんでした。学生時代はまちづくりの仕事に就くことを考えつつ、自治体からの仕事を受ける都市設計コンサルタントのアルバイトをしていましたが、当時は平成の大合併が進む時期で自治体の数がどんどん減り、中小の業者の仕事の取り分は少なくなっていたはずです。地理もまちづくりも仕事にするのは難しそうだと考え、大学卒業後の進路からは外しました。社会科の先生や地理学の研究者は学校嫌いの事情で外しました。地図会社に就職するという選択肢もありましたが、当時2社しかなかった地図会社はとても狭き門に感じ、これも選択肢から外します。私はどうも勝てる確率が低いと、最初から選択肢を切っていく癖があるようです。

 また、大学を編入しているため、二つの大学に通いましたが、自分で選んだくせにどちらの校風も合っていませんでした。こうして自分に合った学校を選ぶセンスがないようだと学生時代に気が付きます。

 

中村市で見つかった落とし物の財布。レシートの内容まで物語がつまっている。

 

現実逃避したい時に空想地図製作が進む

──自分への客観的な視点が強いですね。

今和泉 客観視だけで生きてきたようなものです。学校選びが失敗するなら、会社選びも一発ではうまくいかないだろうと思い、できるだけ幅広い業種のたくさんの取引先がいる会社に入ることで一旦社会に出てみて、社会人になった状態でシビアに会社を見る目を養おうという目的で会社を選びました。結局、卒業後は地図とは関係のない会社で働き、案の定そこも合わず2年で辞めることになるのですが

 会社を辞めたのも「空想地図で仕事をする!」と腹をくくったわけではなく、実際のところ嫌になったから辞めた限りです。社会人2年目ぐらいは会社が嫌すぎて現実逃避として空想地図を描いていました。日常に不満を感じるときに空想地図製作が進む傾向があります(笑)。今はそこそこ満たされてしまっているので、仕事モードのマインドセットをしないと空想地図はなかなか進められない。しかし、一旦描き始めると集中モードに入り、他の作業や返信を無視しそうになるので、これはこれで危険です。もともとはやらなくてもいいのに、暇つぶしに勝手に始めてしまう衝動が発端なので、学生時代は授業中に進むこともありました。テスト前に無性に部屋を片付けたくなる衝動にかられる人が時々いますが、それと似ているかもしれません。自分の中でバランスをとるための気分転換なんだと思います。

 

受動的営業術で活動が広がる

──空想地図作家として活動をするきっかっけとなった、『みんなの空想地図』はいつ頃出版のお話がきましたか?

今和泉 仕事を辞めた半年後にお話がきて、2年後に刊行しています。仕事を辞めたときも、空想地図で食べていけるとは思っていませんでしたが、空想地図のウェブサイトだけはつくっていました。これは私の受動的自営業の処世術の始まりで、自分から売り込んだり提案はするのが苦手な性分なので、せめて興味を持ってくださった人が見つけて連絡しやすいようウェブサイトだけは整えておこうと考えていました。なので、積極的ではないけど、お問い合わせフォームやSNSの準備は早かったと思います。

 当時は、地図やデザイン関係のもっと安定した仕事が欲しいと思っていたので、本を出すお話が来たときは、本を書いた後、何かしらの仕事につながるイメージが湧かず、「本書いてどうするんだ?」と思いましたが、編集者さんの熱意に圧倒されるかたちで進めました。しかし、後々振り返ると空想地図の本が今の仕事に繋がったなと感じます。

 とは言え、最初は地図とは関係ないデザインの仕事が多かったです。独立して個人で活動している、ということが知られて頼みやすくなったのでしょう。空想地図から繋がったお仕事でいうと、ドラマなどの空想地図製作がまさにそうですが、他に地図会社のアドバイザーとして入ることもありました。例えば、ある地域の観光アプリをつくるにあたって、回遊性の高いエリア区分を考える仕事です。また最近は執筆の仕事と展覧会への出品が主ですが、水道管インフラを整えるFRACTAというベンチャー企業とのプロジェクトは意外な展開でした。老朽化した水道管から優先的に交換しようとしても、記録が残っていないほど昔のものだと、どこから交換すれば良いのかわかりません。道路の形状や位置を地図で見て、道路の新旧を判断するAIを作るにあたって会議に参加したりしました。

──空想地図ワークショップも開催されているんですね。

今和泉 そうですね。子どもから大人まで幅広い年代向けに空想地図をつくるワークショップを開催しています。地域や年代によっても地図のつくり方が変わってきますが、小学校3・4年生が一番素早く大胆に地図を仕上げてきます。1・2年生だと自分で行ける範囲が限られているので、地図の範囲は徒歩2、3分圏内の狭い範囲ですが、3・4年生の特に男子は自転車に乗って学区外の広範囲に行きはじめ、広範囲の土地勘を身につけ始めるので、つくる空想地図の範囲は大幅に広がります。5・6年生になると大人になってくるので、現実的な視点で考えて、きれいなかたちに落ち着きます。

今和泉さんが作成した、本数が多いほど路線が太くなる路線図。

 

誰しも幼少期はオリジナルな遊びを持っている

──確かに多くの人が子供の頃に空想の遊びをやりますが、次第にやらなくなる傾向がありますね。

今和泉 そうなんです。小学校高学年から中学校にかけて次第にそういう遊びをしなくなります。幼少期は、他人からしたら「なんだそれ?」というようなオリジナルな遊びが多々見られます。しかし、小学校3・4年生ぐらいになると、ゲームなどの大人がつくったみんなで共感できる遊びのほうが流行ります。さらに、中学校に入ると部活動が勉強以外のメインの活動になる人が多く、趣味は体育系と文化系合わせて20から30個くらいに絞られます。こうして、いつしか自分の好きなことが部活動でやっていることになっていく。私はゲームにも部活にもおもしろみを感じず、オリジナルな遊びが続いていました。そんな小学校高学年から中学校にかけての時期が空想地図への熱量が一番強かったんです。

 今となっては良かったと思いますが、正直、部活動で楽しめる人のほうが輝いて見えていましたよ。友達との交流はありますし、誰かが教えてくれて技術も向上しますし、応援や共感もあります。オリジナルな趣味だとそのすべてがありません。孤独ながらも楽しみを見つけて細々と続け、今に至りますが、暇つぶし、くらいの意識だったので続いたんだと思います。

──空想地図を描いている人は今和泉さんの他にどのくらいいるのですか?

今和泉 空想地図をネットに上げたことがある人はざっと100人くらいいると思いますが、子供のころに落書きのように空想地図を描いたことがある人なども含めると、1万人に1人ぐらいはいると思います。実は国学者の本居宣長も空想地図を描いています。彼の地図は京都のような街並みですごく綺麗です。あとは、イギリスやドイツなど、海外にも作者はいます。

 先日も、空想地図学会の集まりがあって、25人が各々の空想地図を持ち合いました。私は人文地理寄りの作者ですが、自然地理が得意な作者で、かなり現実的できれいな等高線を描く人もいて、近年はさまざまな強みを持つ空想地図作者が出てきています。私はメディア露出が多いほうですが、私より優れた地図作者が多数出てきていて、私は空想地図界隈で有名で歴史だけはある老舗みたいになってきちゃっています。しかしそこにあぐらをかいてもしょうがないので、いっそ彼らを紹介しようと思い、今年出る新刊では多数の空想地図作者を紹介する本を執筆中です。

──中村市の枠を超えて次は国規模の空想地図も見てみたいです。

今和泉 世界地図のラフ絵のようなものはつくっていますが、今後大きく変わると思うのであまり公開していません。国の規模になると地殻変動などの地学的なことまで考えないといけないので、長いこと勉強中です。

──楽しみにしています! ありがとうございました。

聞き手:本誌 薮 桃加

ご経歴
いまいずみ たかゆき:1985年生まれ。空想地図作家としての活動、都市や地図の読み解き方に関する執筆活動を行う。その他、ワークショップや研修、テレビドラマの地理監修・地図製作にも携わる。著書に『みんなの空想地図』『「地図感覚」から都市を読み解く:新しい地図の読み方』『考えると楽しい地図:そのお店は、なぜここに?』など。

 

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