『公研』2024年12月号「めいん・すとりいと」

 

 ピアノを上手く弾くには、日々の長時間にわたる練習が必要ということは多くの人の認識だろうと思う。そういった努力が必要なのはピアノに限らず、美術工芸やスポーツなどでも同じことだ。

 ところで、ピアノを習ったことがあるという人は決して少なくはないと思うけど、練習がイヤだったとか、いつも練習しなさいとばかり言われて結局嫌いになって辞めてしまったという人も多くいるはず。しかし、ピアノを弾くのに果たしてそんなに練習が必要なのか? 答えは半分イエス、半分はノーだ。どういうことか?

 そこで、何のために練習が必要なのかという話を、練習と呼ばれるものをいくつかの要素に分けながら見ていきたいと思う。

 ①指や身体の使い方のためのトレーニング

これは、とてもわかりやすいと思う。指が思うように動かなければ、ピアノで音楽を奏でることは出来ないから。でも、これだけでは演奏出来ない。

 クラシックの場合まずは楽譜が読めないといけない。だから、

 ②楽譜を読み取る

そして、

 ③読んだ楽譜を音楽にする

楽譜というのは実に不完全なもので、決して音楽の全てを記号に置き換えられるわけではない。読み取った音符や記号から音楽をイメージ出来ないといけない。またそれは過去の作曲家がつくったものでもあるから、

 ④その音楽を作曲家の頭と心から出てきた作品として想像し再構築する

 すなわち、楽譜を読むということは、作曲家の心の内を読み取るということに他ならない。慣れてしまえば②から④は同時に出来るだろうが、本質的には別の作業。

 そして実際に演奏するためには、

 ⑤音楽を覚える

ということが必要となってくる。ある程度覚えていないと、その都度楽譜に書かれている膨大な情報を読み取って演奏することになり、その際にわずかな時差が生じてしまう。

 ちなみにここで言う覚えるとは、必ずしも暗譜で弾くということを示しているわけではなく、頭の中が整理されていて次々と淀みなく弾いていくための指令が脳から発令されていけるかどうかということを意味している。実は、この①から⑤までの過程というのは、必ずしもピアノが無くても出来ることなのです。つまり、自分自身の身体的なトレーニングと、頭の中の整理ということ。そしてようやくこの先に、

 ⑥頭の中で作り上げた音楽をピアノの鍵盤やペダルを通して実際の音楽にする

この段階に来て、ようやくピアノという楽器の出番なのです。本来の本質的な意味での練習とはこの⑥のことを指す。そして、①から⑤までが不完全なまま⑥に進んでも良い演奏にはならない。そのあまり美しくない演奏を練習段階で自分の耳に繰り返し聴かせることで段々と感性や神経が鈍り、もはや良いのか悪いのかの判断がつかなくなるという悪循環に陥る。つまり良い演奏をするためには不完全な練習は害でもあるということ。

 いま一度整理すると、①はある程度長い月日をかけたコンスタントなトレーニングが必要だけど、必ずしもピアノが無くても出来る。②から⑤がいかに素早く正しく緻密に頭の中で出来るかがピアノを弾く上での大きなポイントなのです。特に③と④に対する意識が希薄で、そのために膨大な無駄な時間を使っていることを練習することだと思っている人が多いように見受けられる。

 練習とは、いかに短く出来るかを考えるべきで、それによって得られた時間でさらに他の曲に取り組めたり、また違う分野の経験が出来ることこそが人生を豊かなものにしてくれるはずで、それがまた演奏にも反映されるという良い循環に繋がるのではと思う。

 なんでこんな専門的なことを書いたのかと言えば、それは多くの人の仕事についても同じことが言えるのではと思ったからで、目的意識を持って効率的にこなすことで時間を短縮出来れば、もっともっと視野を広げてより楽しく豊かな人生を送れるのではと思ったからなのです。

ピアニスト

 

 

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