『公研』2024年8月号「めいん・すとりいと」
大学は夏休みになり、一人暮らしをしている学生の中には、お盆休みに実家に帰省して羽を伸ばすことを計画している者たちもいるだろう。息子や娘を一人暮らしさせている両親は、元気な姿で戻ってくることを祈るように待っているに違いない。
タンザニアの都市には、地方から出稼ぎにきた貧しい若者たちがたくさんいる。ただ、多くの若者たちは、何か緊急事態でも生じない限り、めったに帰省しない。実際、タンザニアの若者にとっては、田舎に帰省するのは物理的にも心理的にも大変なことだ。交通費もかかるし、都会で豊かな生活をしているに違いないと信じる数多くの親族は、電化製品や衣類などの土産も期待している。
それに、田舎の親族たちは都会から若者が戻ったと聞くと、待ち構えていたように子どもの学費の支払いや家屋の整備費などの長らく抱えていた問題を解決してもらおうと無心にもやってくる。そこで、親族に心配をかけないよう、彼らの期待を裏切らないよう、都会でそれなりの生活を送ることができているという「ふり」をしないとならないのが、なかなかつらいのだと、若者たちは語る。
私は、都会で知り合った青年たちの里帰りに同行した経験が何度かある。何年かぶりに帰省しても、甘やかしてもらえるのは親族や家族に土産を配って回る数日くらいで、小さなきょうだいの面倒をみたり、畑仕事を手伝ったり、すぐに田舎の生活を支える貴重な労働力とみなされるようになる。
長年の友人であるブクワは、父親がおらず、小さな頃に母親を亡くしたため、弟と二人、母方の祖母にイリンガ州の農村で育てられた。彼の祖母は、いつも夜明け前に起きだして畑仕事をし、その後は片手に竹の樹液を発酵させて作った地酒のコップを持ったまま、炉の前で転寝している。ブクワが寝ぼけ眼で起きてくると、かっと目を開いて「薪を取りに行け」「掃き掃除をしろ」などときびきびと指示を始める。彼女は竹を割ったような性格で、ブクワが田舎の親族たちに大盤振る舞いし、私に小遣いをせびっている様子を目ざとく見つけると、「あんた、人様のお金で見栄を張るっていうのはどういう了見だ」とどやしつけたりもしていた。
でも祖母は優しい人だった。家族の様子をよく観察しており、ブクワの妻が妊娠しているのではないかといち早く気づいたのも彼女だった。「妻のことをもっとちゃんと見なさい。無理させてはいけないよ」とブクワを説教していた姿は、とても頼もしかった。
都市に戻る日、彼の祖母にもう一度別れの挨拶をしようと近所を探しまわったが、幹線道路沿いでバスを待ち構える時刻なり、言伝を残して私たちはバスに乗り込んだ。ふと窓の外をみると、籠いっぱいのキノコを抱えた祖母が、遠くから必死の形相でよたよたと走ってくるのが見えた。あっと思った瞬間にバスは勢いよく出発した。隣をみると、ブクワが大泣きしていた。彼女は、前日に「これぞ実家の味だ」とブクワが喜んで食べたキノコを土産に持たせようと、朝早くから一人で探しに行っていたのだ。
あれから何年も経ち、ブクワの祖母はとうの昔に亡くなった。ブクワは、妻とのあいだに4人の子供をもうけた。いまはイリンガ州に戻り、幹線道路沿いの工場で溶接工をしながら暮らしている。かつてブクワが青春時代を過ごした都市で夫と子供と暮らす長女がたまの帰省をすると、「だらけていないで、掃き掃除をしろ」と雷を落とす。でも彼はいつも言うのだ。「実家に戻るのは、最高の心の治療だ」と。
立命館大学教授