シュプリンゲン「23-4」

 

金属と会話している

──制作にはどのくらい時間がかかるものでしょうか? 北千住駅前にある「シュプリンゲン」シリーズの『乾杯』などは大作ですから、だいぶ時間がかかったのではないですか?

宮田 普段はどういうかたちにするのか、それが決まるまでの考える時間が長いんですよ。ただ、北千住の『乾杯』はすぐにかたちが決まって、作業に入ることができました。

 実は北千住駅前に「シュプリンゲン」シリーズのモニュメントをつくることになった経緯には、藝大の千住キャンパスの創設が大きく関わっているんですよ。上野キャンパスはとにかく狭かったので、新しいキャンパスをつくる場所をずっと探していました。それが北千住駅から5分の距離にある千住小学校が廃校になって、その跡地に千住キャンパスをつくることが決まります。北千住の人たちが仲良くなろうということで、記念のモニュメントをつくろうという話が持ち上がった。それで、美術学部の学部長をしていた僕が制作することになったんです。イメージはすぐに浮かびましたが、それでも制作には3年くらいかかっています。交流を深めて仲良くなっていくという意味を込めて、器のかたちにして『乾杯』という題名にしました。

──制作に没頭されているときは、どのくらい作業されているのですか。

宮田 若い頃は2、3日は寝ないでぶっ通しでやっても平気でした。今はもう80歳だからムリはできないけどね。

──本当ですか。身体に悪いのでは?

宮田 それ以上にイメージしているものを早くかたちにしたいと思うと、夢中になっちゃうんだよね。連続で徹夜していたのは最高のときの話で、しょっちゅうではないです。でも平気で7、8時間は叩き続けてました。

──没頭している時間はどんな時間なのか、凡人の我々に伝えることはできますか?

宮田 頭のなかに絵があるんですよ。金属のほうがその絵に近づいてくれるんだよね。作業している間は、金属と会話しているんです。最初は向こうもこちらの思い通りには反応してくれなくて「やだよ」なんて言っているのだけど、次第に「あんたが言っているのはこういうかたちか?」と確認してくるようになるんです。これがおもしろいんです。

 イルカの尻尾のあたりをつくっているとすると、僕の頭のなかにある絵よりも尻尾を反らそうとしてきたりする。僕はそこまで反らさなくてもいいのになと感じていても、向こうのほうから反ってくれたりするわけ。できた作品を見ると、そのほうが「カッコいいな」って思えたりする。こんなふうに金属と仲良くなれている、会話ができているときが最高ですね。

──金属に自分の言うことを聞いてもらうのではなくて、会話しながら仕上げていくわけですね。

宮田 気持ちいいよ。でもね、うまくいかずに悔しくなって「今日は止めよう」と金槌を置いた後に、シャワーを浴びてから飲むビールもまた苦いけど美味しいんだよね(笑)。

 

ヘラブナ釣り用の自作のウキ

──没頭できることがあるのは羨ましいですね。

宮田 私はやたら趣味人間なので、制作以外にもいろいろなことに夢中になってきました。最初にやったのは、少林寺拳法でした。まだ藝大には拳法部がなかったけど、黒帯の友人がいて彼に影響を受けて始めたんです。僕は人を集めるのが好きだから、大学の放送室の職員をうまく騙して、昼休みになると「ピンポンパンポーン! 今から少林寺拳法の練習を披露します」とアナウンスして宣伝していました(笑)。結果、毎日けっこうな人数が集まっていました。

 少林寺拳法には剛法(突き、蹴りなど)、柔法(抜き技、逆技、投げ技など)だけではなくて、整法(整骨など)と言って身体を整える法があるんです。人間には137のツボがあって、その場所を覚えればマッサージと同じようなことができるんですね。作品づくりに没頭したあとに、お互いにツボを押してもらうわけです。そうすると、本当に元気になれる。

 それから、スキーにもハマって、八方尾根のゲレンデにはよく行きました。妻と初めて出会ったのも、スキー場でした。妻は工業デザイナーの榮久庵憲司さんが創設したデザイン事務所の所員でした。夏はヨットにもハマりだしました。『太平洋ひとりぼっち』の堀江謙一さんが乗っていたキングフィッシャー型の中古艇を買って、みんなで外装を塗り替えて、新品同様に改修しました。そういう作業は大得意だからね(笑)。

──スポーツも好きなのですね。

宮田 その後はヘラブナ釣りに夢中になりました。これは徹底的にハマらなければおもしろさは理解できないかもしれない。ヘラブナは餌を食べたいという魚ではないんですね。それをいかに食わせるか工夫をするのがおもしろいんです。そのために道具に凝るようになるんですね。

 自分で言うのもヘンだけど、僕はウキをつくるのがすごくうまかったんです。普通は孔雀の羽根でつくるのだけど、ススキの穂を使っていました。しかも、朝露が降りる手前のススキの茎を切っておいて、それを1年間陰干ししてから制作に入る。かたちができるとそこに漆を塗っていました。藝大の漆芸科の連中に聞いて、漆の扱い方を学びました(笑)。最後は金箔を貼ったりもしていました。自分でつくった道具で勝負する。

──すごいですね。美術品ではなくあくまでも釣果を追い求めた結果ですか?

宮田 途中から釣果よりも美しさを重視するようになりました。でもそれで釣れるんですよ。みんな欲しがるからあげていました。みんな喜んでいましたよ。

 いろいろな趣味に没頭しましたが、どれも10年もすると次第に飽きてしまうんです。ヘラブナ釣りは、釣具メーカーが主催する大会に出て、タイトルを獲得しました。それで満足してしまったところがありましたが、その後は家内と海釣りやダイビングにはまりました。

藝大映像研究科の創設に尽力

──2005年に東京藝術大学の大学院に設置された映像研究科の創設にも尽力されています。

宮田 映像研究科の創設にあたってよく思い出していたのは、佐渡にいたときに開かれていた映画上映会でした。私の住む町には映画館がなかったので、町のいくつかのお寺などを会場にして上映するんです。フィルムは時間をずらしながら、バイクで会場に運ぶんです。そうするとフィルムの到着を待たなきゃならない。フィルムの順番を間違えたりすることもあって、そうなるとストーリーがまったく理解できなくなったりする。でもね、あの待っている雰囲気は妙に良かったな。今でも覚えています。

 映画の良さは、美術と音楽の総合芸術であることですよね。藝大の場合は、その二つが交わることはあまりなかったんです。校舎も道を隔てていて、それぞれ違ったところにあったから両者には距離がありました。それが一体となったら、もっとおもしろい大学となるのではないかという構想がずっとあったんです。

 指導してもらう教授として最初にお呼びしたのが北野武さんでした。彼の凄さを存分に学生たちに伝えてもらいたくて、5年間ですがやってもらいました。すごく良い反響でしたね。大成功だったと思います。

 映像研には、CMプランナーだった佐藤雅彦さんにも来てもらいました。一緒に地下鉄に乗っていて桜田門駅を通ったときに、彼がポツンと「梅じゃないもん桜田門」とつぶやいたんですよ。

──(笑)。

宮田 佐藤さんのその幅の広さはたまらないなと思いました。自分にはないセンスですから悔しいと思いましたよ。畜生って(笑)。絶対に教授になって指導して欲しいと思いましたね。

 

「三の丸尚蔵館」のリニューアルは一世一代の大仕事

──2005年から2016年まで東京藝術大学の学長を務められ、その後2016年から2021年まで文化庁長官を務められます。長官時代のお仕事には、昨年リニューアルオープンした「三の丸尚蔵館」の改修がありました。

宮田 宮内庁は、歴史と伝統を重んじています。新しいことをやるのはたいへんでしたね。尚蔵館にはすばらしい作品がいっぱいあって、展覧会を開催する時に、ここから一つでも作品が展示されることがあると、それでもうその展覧会は大成功になるくらいです。けれども尚蔵館の展示室は、そもそも展示場所ではなくて収蔵庫だったわけですから。

 美術品の展示は「公開・修復・保存」の三つすべてに気を配らなければなりません。公開するのであれば、修復していない作品を出すわけにはいきません。そして公開した後には、それを適切に保存しておかなければ作品が傷んでしまいます。なので、この三つの連携がきちんとできていなければなりません。

 尚蔵館に収められている作品は日本の宝です。適切な管理で立派なかたちで展示することが望ましい。大きな予算他が必要になる事業ですが、構想の多くが実現しました。いろいろな方のお力で、人員もスペースも大幅に拡充していただくことができました。僕にとっては、一世一代の大仕事でした。

 三の丸尚蔵館はこれから一層充実させて、ルーブル美術館のように世界中の人たちが来てもらえる場所になって欲しいです。皇居内にあるわけですから、ロケーションも素晴らしいですからね。

 

人の笑顔は自分の心

──今日お話を伺ってきて感じたのですが、個性を重視する芸術家でありながら、長として組織の持ち味を引き出すことにも向いていらっしゃいますね。

宮田 それは意識したことがないなぁ。ただ小さい頃から、「人の笑顔は自分の心」という気持ちがありました。人が笑ってくれたら、僕の心がそういう笑顔の豊かな状態にあるのだと。自分が苦虫を潰していたら、相手は笑っていないと思うんだよね。人様の目は、まさしく自分そのものを表している鏡なのだなと自然に思うようになりました。

 仲間に嫌われたくないからやっていたという記憶はなくて、それ以上に仲間と一緒に何か楽しいことをやりたかったんです。一人でやるよりも、たくさんの人を巻き込んでやったほうがおもしろくなるからね。

 組織づくりに関して言えば、時間が経ったときに次の人たちが自分より先に行っている感じをつくるのが大好きなんです。僕よりもおもしろいことを考えているな、と感じたり、自分を抜いていく人たちを見るのが好きなんです。

カメ…足の裏には「亮平」と名前が刻まれている。

──今は何に夢中になっていますか?

宮田  もう少しいい作品をつくりたいね。「歴史に残す」なんて大それたことは言わないけど、後世の人が見たときに「いいね」と言われるようなものをつくりたい。今はカメをつくっているんですよ。ちっちゃいんだけどさ、これが本当におもしろい。なぜリクガメはウミガメより甲羅が高いのか、とかカメをじっくり見ながら作品をつくっていくとだんだんハマってくるんだよね。僕がつくるカメは生物学上の正確さを追求したものではないから、陸でも海でもないのだけどね。誰が見てもすぐにカメとわかって、それでいて自分が楽しくなるカメをつくることに今は夢中になっています。

──ありがとうございました。

 

聞き手 本誌:橋本淳一

 

 

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