『公研』2023年11月号「interview」※肩書は掲載当時のものです
多くの人が「世界が広がること」を期待して、英語を流暢に話したいと考えているだろう。
ただ、英語ができるからこその葛藤も存在する。
英語が少女の人生にもたらす余波を描いた、半自伝私小説『不機嫌な英語たち』。
著者の吉原真里さんにお話を伺った。
ハワイ大学アメリカ研究学科教授 吉原 真里
英語が人生を大きく変えた
──普段はハワイ大学のアメリカ研究学科で教鞭をとっている吉原先生が、今回、私小説『不機嫌な英語たち』を発表されました。私小説ということで、吉原先生が小学5年生のときに、カリフォルニアという英語の世界に突然入ることで起こる様々な実体験が描かれています。
吉原 英語という道具を手にしたことで世界が大きく変わった私の人生を本にしました。東京のマンションでごく普通の中流階級の暮らしをしていた私は、ある日突然父の転勤をきっかけに渡米することになったのですが、当時はまったく英語がわからなかったので、毎日の学校生活をサバイブすることに必死でした。そして徐々に英語ができるようになると、自分と世界の関係が決定的に変わったのです。ただそれは、「世界が広がる」というようなおめでたい話だけではありませんでした。日本語と英語という二つの言語で生きることで生まれる葛藤や人間関係の複雑さを、この本で描きたかったんです。
──そもそもアメリカ文化をご研究されている吉原先生が、文芸書の私小説を執筆しようとしたきっかけはなんでしょうか?
吉原 日本とアメリカで過ごした時間が人生の半分ずつくらいになったところで、これまでの人生を一度ふり返ってみたかった。そして、これまでアメリカ研究者として向き合ってきた人種、ジェンダー、階層などについての知見をもとに、自分自身の物語を描きたいと思ったんです。
──その方法が私小説だったのですね。
吉原 私小説という方法をとったのは、私が以前から大ファンで今では個人的にも親しくさせていただいている作家の水村美苗さんの影響が強くあります。水村さんの『私小説from left to right』では、12歳のときにニューヨーク郊外で暮らすことになる「美苗」が英語の世界で生きる中で日本語への焦がれる想いを強めていく物語が綴られています。
その水村さんの経験と私の経験には、重なる点と、そうじゃない点があります。例えば、私も水村さんと同じくらいの年齢で、同じく父親の駐在が理由で、まったく英語ができないままアメリカの社会に放り込まれ、英語というものに出会い、大きく人生が変わり始めました。ただ、水村さんは渡米後に20年もアメリカでの生活を続けましたが、私は2年半で日本に戻り、日本の教育を受けました。また、水村さんとは年齢が一回り半の差があるので、生きてきた時代も違いますし、水村さんが暮らした東海岸と私が行ったカリフォルニアでは、文化も人種構成も異なります。そうした、似ているようでもあり、違うようでもある物語を、同じ私小説というかたちで描いたらおもしろいのではと思ったのです。
ただ、私は小説家ではないですし、水村さんのような文才もありません。水村さんは漱石の文体を模倣し現代の視点から『明暗』を完成させるという大胆な試みで小説家としてデビューをしましたが、私は水村さんの作品を前にそんな大それたことをしようなどという気持ちは初めからありませんでした。ただ、『私小説 from left to right』にはとても強い思い入れがあるので、それにあやかるようなかたちで、自分版の私小説を執筆してみたかったのです。
──文芸書ならではの工夫はありますか?
吉原 学者として研究書や文化論の書物は何冊も執筆してきましたが、この本では研究や学術的知見にもとづいた「正論」ではないもの、ポリティカル・コレクトネスの見地からも必ずしも正当とは言えないものを書くことを大切にしました。むしろ、学者として「正論」を追求するようになるまでに、そして学者になってからも日常的に経験する、リアルな葛藤やクラッシュの過程を描こうとしました。
アカデミックな視点を持った今の自分にはわかるけれども、そのときは生きるので精一杯のマリやMariには見えなかったこと、だからやらかしてしまった、人間としては決してほめられないような自分の行いについても書きました。例えば、私がカリフォルニアの小学校に転入した数カ月後に、マチコちゃんという日本人の子がやってきたのですが、私と比べて彼女は英語がなかなか上達しなかったので、先生からの連絡事項なども私がマチコちゃんに日本語で伝える役割を与えられるようになりました。そんな状況の中で私はマチコちゃんに対して大きな優越感を抱くようになったんです。そして、小学6年生の私はマチコちゃんを仲間外れにしてほかの子と英語で話したり、わざとマチコちゃんに英語を使ったりと意地悪をしました。本当に嫌なヤツですよね(笑)。
──確かに子どもの頃の吉原先生は少し意地悪だなと感じる部分もありました(笑)。
吉原 読者に良い人と思われたいという衝動と戦いながら、あくまで正直に書くことを心掛けたので……。やはり私も良い人と思われたいという気持ちが少しはあるのですが、そういう欲求が滲み出た文章は文学作品としておもしろくないですよね。
人種や階層、ジェンダーや年齢、様々な力関係が交差
──「ニューヨークのクリスマス」のエピソードが印象に残っています。
吉原 ブラウン大学での大学院時代、クリスマス休みに、仲良くしていた少し年上の日本人男性3人と車でニューヨークに旅行に行ったときの出来事です。車は有料駐車場に停め、素敵な3日間を過ごしたものの、いざ駐車場に戻ると、車のバッテリーが上がっていてエンジンがかからない。3人のうちの1人で車の持ち主でもある坂上さんという方は、駐車場を管理する側の不手際が原因と考えて、黒人の従業員に文句を言おうとするのですが、自分で言うのではなく、「マリさん、バッテリー上がってるって言って」と英語ができるマリにしつこく指示を出し続ける、というエピソードです。
──車という閉鎖された空間での緊張感の中で、マリが英語を不自由なく使う日本人女性だからこそ経験する葛藤が、見事に描かれていると思いました。
吉原 あのエピソードが一番印象に残ったという声を読者から多く聞いています。海外生活経験のある女性読者にとってはあるある話、男性読者にとっては「もしかして無意識のうちに自分もこういう振る舞いをしているんじゃないか」とドキッとする話のようです(笑)。
あの駐車場でのやりとりは、実際にはせいぜいおそらく数十分間、その後、高速道路に乗ってから私が「お腹空いた」と口にするまでも1時間くらいだったと思うのですが、そのちょっとしたやりとりの中に、人種や階層、ジェンダーや年齢といった、いろいろな力関係が交差していたと思うんですよね。あの場面で、駐車場の従業員が白人だったら、私が男性だったら、坂上さんと同い年あるいは年上だったら、年下でも英語が話せなかったら、物事は別の結末を辿っていたと思います。
そうしたことも、研究者になった今ならわかりますが、当時はその場で起こっていることを理解したり筋道立てて反論したりするだけの言葉を持っていませんでした。あの車の中で私の中からこぼれ出たのは、自分でもすぐには言語化できないフラストレーションや怒りの涙だったのだと思います。
──タイトルの「英語たち」には「たち」という複数形の助詞がついています。何か意味があるのでしょうか?
吉原 英語は今の世界において普遍語としての機能を持っています。だからこそ、普遍語である英語を駆使することは特権であり、英語の能力をめぐって人と人との間に力学が生まれるのです。
私のマチコちゃんへの意地悪な態度は、人に対して優越感を振りかざすために英語という武器を使った例ですが、駐車場での出来事は、英語ができる私に「通訳」という役割を押しつけることで、英語が不自由な外国人であるがゆえに喪失しがちな男性としての立場を坂上さんが取り戻そうとした例と言えるでしょう。その他の章に登場する、私がカリフォルニアのESLのクラスで出会った子どもたちや、坂上さんの研究室の後輩の中国人留学生で後にビジネスで大成功するシャン、ハワイ大学で清掃員として働くピジン話者のHowardやエルサルバドル移民のXavierなど、それぞれの登場人物にとって、英語という言語の持つ意味は異なります。英語は「英語ができるようになって世界が広がり良かったね」、では片づけられない様々な作用を生み出すのです。英語が持つそういう複雑さを、「たち」で示唆できていればよいのですが。