『公研』2022年22月号「めいん・すとりいと」

 

 新型コロナウイルス感染症の流行が長引き、新たな変異株も登場する状況の下で、岸田政権の対応は特徴的である。個別具体的な案件について早くに方策を打ち出し、世論の反応が好意的であればそのまま実施、否定的であればすぐに修正する。

 18歳以下の子供を対象とした10万円給付、オミクロン株の世界的流行が始まった際の入国制限措置、ワクチン追加接種の早期化、大学入試の受験機会確保、軽症・無症状者の自宅療養容認、濃厚接触者の待機期間短縮など、いずれも同じパターンを示している。

 それは、安倍政権や菅政権とは明確に異なる。両政権では、一度決めた方策をほとんど修正せず、修正するとしてもかなりの時間を要した。修正までに批判が強まっている場合が多く、政権への大きなダメージになった。菅政権のGoTo事業はその典型であった。

 岸田政権の対応は、安倍政権や菅政権と同じ轍を踏みたくないという意識の表れであることは明らかだが、それ以外にも理由があるように思われる。

 一つは、具体的な案件を所轄する府省の提案を、まず受け入れて政府案とするためであろう。
たとえば、10万円給付の際に、当初は今年度中に5万円、来年度に入って5万円という分割支給が打ち出されたが、それは予算上の財源の違いが理由とされた。濃厚接触者には大学入試共通テストの受験を認めないという当初案も、従来の入試の常識や慣行に即した判断であった。いずれも財務省や文部科学省の思考様式の直接的な反映だといえる。

 もう一つは、個別案件への対応という範囲を超えた基本的な方向性を、政権として持っていないからなのであろう。たとえば、世界的に見て先進国では類例がない厳格さで入国制限を継続する一方で、国際的な高度人材の獲得競争やそれを基礎とした科学技術の水準向上には楽観論を語る。そこには、日本政府は何かあると鎖国同然の措置を辞さず、国民もそれを安易に支持する傾向があり、外国人が安心して長く暮らせる国ではないと海外から見られることが、今後長期的に何をもたらすのかについての意識は感じられない。

 「過ちては改むるに憚ること勿れ」という。パンデミックへの対応には試行錯誤が不可避なので、いかなる政権でも最初から正解が出せるはずもない。案として出した方策が不適切なら、体面などを気にせず迅速かつ柔軟に変更することは、むしろ望ましいともいえる。それが安倍政権や菅政権に対して有権者が感じていた不満を解消する効果も持っていることは、支持率の動向から明らかである。少なくとも今夏の参院選まではこの進め方で、というのが政権の気分なのだろう。

 しかし、方策の不適切さの判断基準が、もっぱら世論の短期的評価であって良いのだろうか。世論は移ろいやすく、短期的には矛盾や間違いも多い。現在の日本の場合、社会の高齢化に伴ってリスク回避に重きを置きすぎるという偏りも起きやすい。

 世論を無視しない結果として試行錯誤があるとしても、政権としての大きな方向性は定まっており、その下での具体化が適切さを欠く場合と、そもそも方向性がないので間違いもランダムに起こる場合では、意味は全く異なる。前者は経験の蓄積と改善につながるが、後者はただ混乱が残るだけだからである。それは柔軟さではなく迷走と呼ぶべきだ。

 迷走状態になっている場合には、難しい案件や世論の関心が乏しい案件の変更はできないことが多い。変更を求める際に論理性を欠き、説得できないからである。ワクチンの追加接種や病床確保など、厚生労働省と医療関係者が関与する案件が停滞しがちなのは、業界の内向きな論理が強い場合に、それを乗り越える力が政権にないことを示唆する。

 柔軟と迷走は結果次第の面もある。だが少なくとも、感染対策と社会経済活動の両立といった当たり障りのない立場を超えて、迷えば私の政権ではこちらを取る、というメッセージを強く打ち出す必要はある。それこそが、首相の仕事の一丁目一番地なのである。

京都大学教授

 

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