なぜイラン制裁がなぜ成功したのか

鈴木 イラン制裁がなぜ成功したのかと言えば、イランには曲がりなりにも選挙があったからです。2013年の選挙では、穏健派のハサン・ロウハニが核開発を進めてきたアフマネディネジャード大統領に勝利しました。ロウハニは国連による制裁が解除されるように政策を変更することを公約に掲げて出馬して、選挙に勝ちました。国民の声を反映して、国民が制裁の痛みを、政治の転換に繋げることになりました。それは選挙というメカニズムがあったからです。

 残念ながらロウハニ以降のイランは、選挙らしい選挙ではなくなりました。今のエブラーヒーム・ライースィー大統領や今年行われたイランの国会議員を選出する選挙も国民の声がきちんと反映されたものとは言えないものでした。けれども、少なくとも2013年の選挙は、国民に政策変更の是非を問いかけるものでした。ロウハニは、制裁を止めるという選択肢を国民に提示して、国民はそれを選んだために勝利しました。だからこそ、政策を変えられたわけです。

 ロシアや北朝鮮にはこのメカニズムがありません。だから制裁が政策の転換に繋がらないことになります。この意味では、制裁によってロシアの政策変更を期待することは諦めたほうがいいという結論になる。やはり、権威主義国家に政策変更を促すことは極めて難しい。

竹内 それが現実なのかもしれませんね。制裁の最大の効果が政策変更ですが、実際には制裁はその目的のためのツールの一つであると考えます。そして、先ほども議論しましたが、制裁の目的や効果を細分化することは、制裁を理解するうえでとても重要だと思います。制裁をかける側が民主主義国家の場合、制裁には世論の支持が必要です。制裁の目的と効果については、いわば「最終目標」である、制裁を通じて対象国政府の行動を変えさせることに世論の目が行きがちだと思うのですが、実は制裁は最終目標の実現のためのツールの一つであるということ。

 ロシアの例で言えば、その最終目標を実現するために、「継戦能力を削ぐ」、そのために「貿易額を減らす」というような段階的な目的があると思います。制裁に対する世論の支持を得るためには、政府がその点を整理して、説明していかないと、制裁をかける側の国の世論が先に制裁疲れを起こしてしまうような気がします。

 そして、制裁による政策変更が期待できないとすると、ロシア制裁は継戦能力を奪うことに重きを置くべきなのかもしれませんね。

 

いかにしてロシアの継戦能力を奪うか

鈴木 継戦能力は、つまりはお金と弾ですよね。それらがなくなれば戦争を続けられなくなるので、資金と武器を止めることがやはり制裁のカギになります。

しかし、このうち資金の流れを止めることはもう期待できないでしょう。先ほどの繰り返しになりますが、制裁によってロシアの資金を途絶えさせようとすれば、無数に存在している制裁の迂回路をすべて塞がなければなりません。それを可能にするのは二次制裁をかけることですが、できない以上ロシアが戦争の資金を稼ぐ方法はいくらでもあります。

 ロシアに弾切れを起こさせることについては、一定程度は成功していると見ています。ロシアの武器生産能力は西側諸国からの輸入に相当依存しています。特に半導体が入手できないことの影響は大きいでしょう。他には潤滑油、戦車の部品にも使われる自動車部品の輸入がストップしていることが特に効いています。

 しかし、ここにも迂回路はあります。いわゆる第三国を経由した迂回輸出ですよね。例えば、西側諸国で製造された半導体がカザフスタンやモルジブなどを経由して輸出されています。これを止めるのは制裁の執行の役割ですよね。

 どう考えたって、インド洋に浮かぶ小さな島国モルジブに大量の半導体が行くなんておかしな話ですよ。これを止めないほうがおかしいのですが、未だに迂回輸出が続いていることに問題があると私は思っています。

 このあたりの執行を強化すれば、弾切れを加速させることは可能だと思います。ロシアは毎日あれだけ弾を撃っていますから、自然に弾切れは起きるんです。けれども北朝鮮からは弾薬、イランからはドローンを買うなどしてロシアは継戦能力を維持している。資金も武器も制裁で完全に止めることは今のところ難しいのが現状ですね。

竹内 つまり、ロシアは今議論してきたように資金も得ているし、さらに、武器・弾薬に関しても補給路を確保しているということですね。北朝鮮によるミサイルや弾薬の輸出は、ロシアによる北朝鮮との衛星協力などと共に明確な安保理制裁違反ですが、まさにそれを安保理常任理事国であるロシア自身が進めていることはとても憂慮すべき自体です。それに加えて、隣国間での移転なので、安保理決議の違反であるにもかかわらず止める術がありません。

 制裁を受ける側もそれが長く続くと適応していくところがありますね。経済体制を変えたり、レジリエンスを付けていったりすることもある。制裁をデザインした側が意図していなかった効果だとも言えますね。

鈴木 その通りですね。制裁の効果は、落差によって変わってくるのだと思います。制裁によって、企業の収益や自分たちの生活水準が落ちたときには、制裁の効果を実感します。ですから最初の落差には大きなインパクトがありますが、一度耐えてしまうと今度はそれがスタンダードになってしまう。

 日本の例が適切かどうかはわかりませんが、第二次大戦中の日本社会も似たところがあったのではないか。食料が不足して配給制になっても、それによって国民が反戦運動を展開したのかと言えば、まったくそんなことはなかった。結局その暮らしに慣れてしまって、それが当たり前の生活になった。人間は不便な生活を強いられても、それに適応しようとして、慣れてしまえば何とかなってしまうところがありますよね。

 

権威主義国とメディア

竹内 先ほどの「民主主義は制裁に弱い」という鈴木先生のご指摘を聞いていて気が付いたのですが、やはりメディアが持っている力は看過できないですよね。権威主義的な国では、政権が国営メディアを握って世論を操作しています。そうした国では制裁を課されるほどに、苦境にあえぐ国民に向けて「悪いのは制裁をかけた相手国だ」とメディアを通じて喧伝するわけです。結果として制裁が政権の権威をかえって高めてしまう可能性すら出てくる。どこまで本当に信じているのかは別として、北朝鮮の国民は「悪いのはアメリカだ」という政府の主張をずっと聞かされ続けています。「北朝鮮にいる間は、自分たちの生活が苦しいのはアメリカが主導する制裁のせいだと思っていて、アメリカへの憎悪を募らせたし、ミサイル発射実験のニュースを見ると愛国心が沸いた」と話す脱北者もいます。

 今、ロシアのメディアも同じことをしていますよね。ロシアは開戦直後、報道を規制する法律を制定し、ウクライナに関して「戦争」「侵攻」と呼ぶことすら違法としました。反戦的な報道や、ロシア軍に関するネガティブな報道は処罰の対象です。このような厳しい統制下で、ロシアの主要メディアは「悪いのはNATOであり、ウクライナであって、我々は西側の脅威に対抗するための行動しているのだ、自分たちの領土を取り戻そうとしているだけだ」と繰り返している。その影響なのか、国民のあいだにも民族主義的な感情が台頭してきていて、今のプーチン体制をむしろ説得的に支持してしまっていると感じています。

 なぜイランではそれが起きなかったのでしょうか。イラン国民は海外のメディアに触れる機会が多かったために、政権の言い分に対しても懐疑的な視点を持ち得たということでしょうか?

鈴木 権威主義国が体制を維持できているのは、まさにメディアをコントロールして情報を制限しているからですよね。「今こういう苦しい思いをしているのは、制裁をかけている国のせいである」というプロパガンダをやることで、国民の意思を操作することができている。ロシアや北朝鮮は、それをやっているわけです。言わずもがなのことですね。

 それではイランの場合はどうだったのか。イランの政権は、1979年のイラン革命以来ずっと「アメリカは悪魔である」「すべてアメリカのせいである」と言い続けていました。街中のいたるところの壁には、「down with USA(くたばれアメリカ)」といったアメリカ批判のメッセージが刻み込まれているわけです。

 さらには核兵器の開発によって、経済制裁がかけられるようになると「皆がよく知っているように、アメリカのせいで苦しくなっている」といったプロパガンダを盛んに展開しました。けれども興味深いことに、イラン国民の不満は制裁をかけられた政権側に向かったんですよね。

 なぜそういうことが起きたのかと言えば、結局のところ、イランの市民社会が政権批判に向かうだけの抵抗力があったからだろうと思います。一昨年くらいから、イランではヒジャブ(女性のイスラム教徒が頭や身体を覆う衣類)が大きな問題になっていますよね。イスラム教徒の女性は、髪を隠さなければならないという解釈があります。イランはイスラム主義を基調とする国家ですから、体制側は女性にヒジャブの着用を義務化しています。それを破ると、学級委員のような風紀警察に逮捕され、罰が与えられることになる。

 女性たちはそれに反抗して、どんどんヒジャブを取って、髪を隠さずに街を歩いたりするわけです。イランにはこうした抗議活動が実際に起き得る市民社会が存在しています。政権や体制に対しても対抗力がある社会なので、いくら体制側が「アメリカが悪い」と言い募っても、「そんなことあるかいな。悪いのはお前らだ」と思っている人たちが山ほどいるわけです。そして選挙というメカニズムがあるので、政権がひっくり返ることが起こり得る。ですから、メディアも国民の意思を完璧にコントロールできるわけでありません。
やはり、市民社会が体制に対抗するだけの強さがあるのかどうかがポイントになっているのだと思います。イランにはそれがありましたが、ロシアにはそれがありません。第一次大戦前に活躍したアントニオ・グラムシというイタリアの共産主義の理論家がいます。ロシア革命が起こる前のことですが、彼は「西側諸国の市民社会は強固であるが、ロシアの市民社会はゼラチン状である」といった言い方をしていました。

 要するに、ロシアには市民が組織化して市民社会が権力に対抗するというメカニズムが基本的には働かないので、結局、前衛党である共産主義がゼラチン状の市民社会を一纏めにしないと、ロシア革命は成立しないと述べていました。グラムシの見立ては正しかったわけです。

 そういう市民社会の脆弱さとメディアによるプロパガンダの効果は連動していると思っています。結局のところ、ロシアの市民社会は未だにグラムシの時代と大差がないのかもしれません。

 翻って言えば、今のアメリカの市民社会にも脆弱さがどんどんが出てきている印象を持っています。例えば、FOXニュースのような偏りの大きいメディアの報道に踊らされている人がとても多いことを考えると、アメリカの市民社会のレジリエンスの弱体化を懸念せざるを得ないところがあります。

 こういうことが民主主義の危機といま連動しているのだと思うんですよね。今日の本題からはズレますが、市民社会の脆弱性が浮き彫りになるような現象が世界中で見受けられると感じています。

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