『公研』2022年2月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

インドへの関心が飛躍的に高まっている。
世界最大の民主主義国は、我々が期待するようなパートナーになり得るのだろうか?
今のインドの行動原理、考え方を探っていく。

 

インドにはなかなか辿り着けない

榎本 インドへの関心が高まっています。特に外交・安全保障の分野ではインド太平洋地域という概念が出てきて、インドの存在が重要視されるようになっています。クアッド(日米豪印)のように、安全保障の枠組みにインドを取り込もうという動きが盛んです。この背景に中国の超大国化があることは、言うまでもありません。

榎本 裕洋氏

 そこまでは、ビジネスの世界にいる我々にもよく理解できます。しかし、「安全保障と同じく、経済の枠組みにもインドを加えるべきだ」という主張を聞くと、インド経済の特性やビジネスのことをどのくらい理解されているのだろうかと疑問に感じることがよくあります。ASEAN(東南アジア諸国連合)やAPEC(アジア太平洋経済協力)の枠組みにインドを貼り付ければ、それでたやすく機能するかのような発想を持っているのではないか、と思えるわけです。

 私はインドを専門に見ているわけではありませんが、ビジネスの世界ではインドと商売することの難しさは、共通の認識になっています。最近では、アメリカや日本の政府から「経済安全保障」という考え方も打ち出されていますから、状況はさらにややこしくなっています。

 政府や外交・安全保障の専門家が言うように、経済の枠組みにインドを入れることが本当に可能ならば、鎖国しているとも言えるインドを相手にどのようなアプローチが有効なのか。私の関心は、ここにあります。

 今日はインドで暮らしたご経験もあるお二人に、まずは私からいくつかの質問や疑問をお伺いしていきます。それを踏まえたうえで、今のインドについて考えていきたいと思います。

 田中さんは、国際交流基金で日印交流の発展に尽力されています。二人のお子さんは現地で誕生されたそうですから、生活に根差したミクロ視点からのインドについてお話しいただければと思っています。伊藤さんには国際政治学の視点から、インド国内に限らずインド太平洋地域あるいは世界の中のインドといったマクロな視点からお話しいただきます。ミクロとマクロの両方の融合から、今のインド像が浮かび上がってくるような「対話」になることを期待しています。まずはお二人の自己紹介を兼ねて、インドとの馴れ初めから始めようと思います。伊藤さんからお願いします。

伊藤 僕は国際政治学の研究対象としてインドを専門にしていますが、もともと関心があったわけではないんです。最初は理論から国際政治学を学び始めましたが、修士課程に入った頃に、指導教授から「どこか専門の地域を持たなきゃダメだ」と言われたんですね。ただ、英語でさえ苦労したのに、他の言語を習得することはムリだというのが正直なところでした。

伊藤 融氏

 それで、英語で研究ができて、あまり対象にされていない地域を考えたところインドに思い至ったんですね。指導教授に報告しましたが、当時インドについて知っていることは、ネルー初代首相の非同盟くらいでしから「そんな発想じゃ飯は食えないよ」なんて言われてしまいました(笑)。実際、インドを国際政治学のアプローチで研究している人は、ほとんどいなかったんです。

榎本 意外ですね。南アジアの大国というイメージがずっとありました。

伊藤 国内政治や経済の専門家はいます。それから歴史学や宗教学の分野では長い伝統がありますが、国際政治学の観点からインドを捉えている人はゼロに近かった。実は今でも状況はあまり変わっていません。日本の一般の大学では、専任教員として南アジア専門の国際政治学者を抱えているところは一つもないんです。最近、僕の教え子が大学に職を得ましたが、南アジア専門ではなくインドとアメリカの関係を中心にしたインド太平洋地域という括りでの採用でした。

榎本 国際政治学では、インドは手付かずの領域なんですね。

伊藤 僕は初めての海外旅行もインドでした。1992年の修士課程の時でした。

田中 初めての海外がインドはすごいですね。

伊藤 完全にバックパッカーの旅ですね。エア・インディアの安いチケットを手配していましたが、出国も一苦労でした。定刻になっても一向に出発する気配がなくて、「そこで待っとけ」と言われて成田空港で5時間も待たされたんです。職員に状況を聞くと、「飛行機は2週間前からストライキで停まっている」と信じられないことを言うんです。リコンファーム(事前確認)は何だったのだという話です(笑)。

 周りの客も激怒しますが、「向こうから機体が来ていないのだから仕方ない」と開き直る始末で、その日は成田のホテルに泊めさせられました。結局どこかの航空会社を乗り継いで、二日かけてやっとインドに辿り着くことができた。

榎本 強烈ですね(笑)。

伊藤 入国からして一筋縄ではいかない国であることを思い知らされました。この時は首都ニューデリーから南東のチェンナイ、東のコルカタを鉄道を乗り継いで周り、コルカタから帰国しました。ちなみに、帰りも予定通りには出発しませんでした。リコンファームしていたにも関わらずです。

 最初のインドで疑問に感じたのは、この国はどのようにして一つにまとまっているのかということでした。北と南ではまったく違う顔の人たちが暮らしていて、使われている言語も文字も違うわけです。実際には揉めごとは無数に起きていて、言葉は悪いですが、南アジアは民族紛争を研究するには材料の宝庫でした。

 修士課程ではパンジャブ州のシク教徒の問題をテーマに論文を書きました。それ以降は民族紛争の観点から、スリランカやカシミールの問題について研究を拡げていった感じです。

榎本 ポストはすぐに得られたのですか?

伊藤 運良く、外務省の任期付きの専門調査員に就くことができました。2002年4月に赴任してすぐにインドとパキスタンの睨み合いが激化して、5月には大使から退避を命じられるなど前途多難な勤務の開始でしたが、2004年までインドに滞在できた。帰国後しばらくは食べていけるポストはありませんでした。ところが、しばらく経つとインドが急にブームになった。

田中 BRICsなんて言われて、持てはやされ出した。まだ南アフリカが加わる前の小文字の「s」だった時代ですね。

伊藤 そうです。それでいろいろなところから呼ばれるようになって、仕事が増えていきました。研究を始めた頃は、まさかインドが国際政治の主要なプレーヤーになるとは、露ほども思いませんでしたね。

 

インドの大学院はRPGの世界

田中 私は学部時代にアメリカの大学に留学していたことがあるのですが、そこで人種問題をテーマにした講座を受けたことがインドに行くきっかけになりました。アメリカの大学はテキストも素晴らしいし、先生たちは熱意を持って学生たちに教えます。学期後に生徒によるアンケート

田中洋二郎氏

で厳しい評価を受けますから、先生たちも必死なのだと思います。クラスでは多くの文献を読み、充実した日々を過ごしましたが、学期が終わった時にふと感じたことがありました。講義を受けた後も本質的には何も変わっていないのではないかと。仮に自分がわかりやすく人種差別を受けたら、「どういうことなんだ」とショックを受けてパニックになるのだと思います。たとえ人種差別の授業を受けても、私自身は人種差別を受けたことも、目の当たりにした経験もありませんから、そうした扱いを受けることの本当のつらさや意味を理解したわけではありません。

 

榎本 文献の情報だけでは物足りなさがあったわけですね。

田中 そうです。先進国側からの物の見方や知識では、世界の一面しか掴まえられない。アメリカ留学を通じて、自分に欠けているのはいわゆる「発展途上国」での経験だと考えるようになりました。なぜなら、世界の多くの国は当時は(今も)発展途上国だからです。帰国後は、周りの人たちは就職していきましたが、それはできないなと思いながら過ごしていました。
その時、まさに今の伊藤先生のお話にもあったように2004年頃になるとBRICsが騒がれるようになって、ある経済学の先生から、「インドの大学院に行ってみないか?」と声をかけてもらったんですね。先生としては、BRICsの実際の様子を知りたい思いがあったのでしょう。それで先生の口添えで、ジャワハルラール・ネルー大学(JNU)の大学院で国際関係論を学ばせてもらえることになったんです。

榎本 インドで暮らした生活実感から何か言えることはありますか?

田中 最初に面食らったのは、インドの大学院がまったくマニュアル化されていない世界だということです。入学の手続きにしてもオリエンテーションが何もない。受講登録も、入寮の手続きも自分で情報を集めることから始めなければならないんです。インドでは「明日まで待て」とよく言われるんですね。それを真に受けて明日まで待つのも選択肢の一つです。「明日まで待てるか!」と怒鳴るのも一つ。他の同級生に聞くのも一つ。あらゆることを自分で考えて、実行して事態を前に進めなければなりません。

榎本 まるでロールプレイングゲームですね。

田中 まさにそうなんです。そういう世界にいきなりぶち当たって、すごく考えさせられました。日本では滅多に停電することはありませんが、インドでは頻繁に起きます。勉強しているときに停電したら、どうやって勉強を続けるのか。自分が乗っているリキシャ(3輪自動車)のガソリンが切れたら、どうやって目的地まで辿り着けばいいのかとか。日本では考える必要のない予期せぬことがインドでは日常的に起きます。それでは、そこでどうするのか。そこに定まった答えやマニュアルは当然なくて、やはり自分で考えなければなりません。インドで生活すると、そういう訓練を受けることになります。

榎本 日印交流のご経験から考える現在のインドについて何か感じることはありましたか?

田中 文化交流を通じて実感したのは、インドは南アジアにおいて圧倒的な文化大国であることです。ここは日本では正確に認識されていないと思います。南アジアでは、ほとんどの国がインドを真似ていると言っても過言ではありません。音楽、映画、それから哲学なんかにしても非常に大きな発信力を持っています。例えば、インド映画の中心地であるボリウッド(ムンバイ)の制作本数や観客動員数はハリウッドの約2倍です。ハリウッド映画のように世界中でまんべんなく観られているわけではありませんが、南アジア地域では、圧倒的な人気があります。

 日印文化交流では日本を売り込むことも必要ですが、「日本映画はいいでしょう」と宣伝しても、向こうは映画大国ですから見向きもしないところがあるので工夫が必要になります。ただ、インドも近年では大きく変わってきています。例えば、新海誠監督のアニメ作品などは非常に受けています。

 ちなみに、日本がソフトパワーの一つとして発信していたアニメに出てくるような「カワイイ文化」は、なかなかインドのメインストリームには響かなかった。どちらかと言えば、あれは東南アジアまでしか受け入れられなかった。インドで言えば、北東州の人たちには受けたんですが…。

榎本 モンゴロイド系の人たちが多く住むエリアですね。

田中 そうです。彼らには早い段階からアニメも受けていたのですが、なかなかアーリア系の主流の方には浸透していかなかった部分がありました。ある一時期までは、インドで最大のコミコン(映画・コミック・アニメ・ゲームなどを扱ったイベント)は、北東部のヒマチャル・プラデッシュ州で行われていました。それがこの5年、10年で大きく変化しています。元々人口が大きい国ですから、全体の人口の数%であっても相当な数になります。そういう若い人たちのあいだで、日本のアニメは人気が出てきています。

 

モディ首相はインドを変えたのか?

榎本 次に2014年のモディ首相登場以降のインドの変化について見ていきます。インド人民党(BJP)を率いるモディさんは、それまで長く政権与党であり続けた国民会議派(インド国民会議:Congress Party)を総選挙で破って政権交代を果たしましたから、インドを変えるのではないかと盛んに言われました。伊藤さんはモディ登場以後のインドをどう見ていますか?

伊藤 指導者像や政策決定のスタイルはだいぶ違いますから、表面的には変わったように見えます。モディは世界の流行りのタイプのリーダーに似ていますよね。安倍元首相やトランプさんと基本的には良好な関係を築きましたが、それぞれ似た者同士です。明らかにトップダウンを好みますから、政策決定のあり方はずいぶん変わってきた。けれども、政策そのものについては、過去との連続性のほうが強いと思います。

 モディ外交は、これまでのインド外交の系譜に連なっているというのが、僕の基本的な認識です。彼は「非同盟」という言葉こそ使わないが、根本には自分たちのことは自分たちで決めるというスタンスがあります。自主決定権を絶対に奪われたくないという意識は、相変わらず非常に強い。大国と同盟関係を結ぶと、結局は自分たちの決定権が奪われてしまいます。非同盟の本質はそうした状況を避けることにありますから、いくら中国の脅威という認識が高まろうともアメリカとの同盟関係に入るわけではない。

 インドに対しては、道義や道徳の国というイメージを強く持っている人が意外と多い印象があります。ところが、そのインドが核実験をすると、そうした人たちのインド像はガラッと変わったりします。理想主義から現実主義の国に変わったと簡単に捉えられたりもしますが、そんなことは決してない。基本的にはネルーの時代のインドだって、別に理想主義だけで生きてきたわけではありません。モディ政権の外交政策も、基本的にはネルー時代からの継続という側面のほうが強いのではないかと見ています。

 

融通無碍な外交スタイル

榎本 外交面で変化が生じない背景には何があるのでしょうか?

伊藤 僕はインド外交には、三つのポイントがあると考えています。一つ目は、インドが多民族国家であるということです。日本とは違って多様な集団から成っていますから、外交を展開するにしても内政の影響が強くならざるを得ないところがある。まずは国家の維持、少なくともバラバラにならないことを優先します。特に近隣諸国との外交政策においては、それが顕著に見られます。例えば、国境を接しているバングラデシュ、ネパール、スリランカなどの国との外交では、それぞれの国境をまたがって暮らしている民族の感情に配慮しなければなりません。これは過去から現在に至るまで続いていることです。

 二つ目は、地域政党の影響力の拡大です。90年代以降インドは連立政権の時代に入ったので、地域政治が外交に口出しすることが多くなってきました。

 三つ目は、インドという国の根本にはプラグマティズムがあることです。先ほども言いましたが、僕はインドが理想主義から現実主義へと移行したと捉えることは皮相的だと思っています。インドは基本的にはずっと変わっていない。とりあえずアメリカと一緒にやっていけばいいというような発想は、決して持たないのがインドです。状況に合わせていろいろな国と関係をつくり、場合によっては壊していく。そういうことを平気でやっています。永遠の友だちのように思っていると、簡単に裏切られてしまう。言い方を変えれば、融通無碍なんです。

 だから、インドは中国を警戒しているから我々の側に付くだろうなどと考えるのは危険です。彼らは、「たまたま向こうがこらちを必要としているから、あなたのほうをちょっとは意識する」という発想でいます。それは別に永遠の関係ではないと思っている節があります。そこは勘違いしないほうがいい。

榎本 インドの基本的な外交スタンスはよくわかりました。ただ一つ気になっているのは、インドが民主主義国家であることです。国民の意見によって外交も影響を受けるのではないかと思うんです。そう考えると、モディさんが選挙で勝っている、支持されている要因には何があるのでしょうか。よくネルー大学で学生が暴れたりしている様子が報道されているのを見ますが、僕らの中では、選挙結果と学生たちの憤りは結び付かないんですよ。

田中 私はまさに大学院時代にJNU(ジャワハルラール・ネルー大学)にいましたが、ここは共産主義思想が未だに強いところです。ただし政権に不満を表明して騒ぐことはあっても、実際は卒業するときちんと企業に就職していたりします。

伊藤 昔の日本の学生運動と同じですね。

田中 まさにそうです。ただ、彼らの熱狂が全国的な活動に拡がっていくこともありますから、現政権もある程度は配慮しているところがあると思います。
私は、2014年にモディ政権が誕生したときには、ちょうど現地にいました。その時は「国民会議派以外の政党に」という空気が支配的で、モディさんへの支持は熱狂的なものがありました。彼はヒンドゥー教の強力な宗教勢力を支持母体に持っていますが、新聞を見ていても、そこにはあまり言及されていませんでした。とにかく、「これでようやく経済が成長する」とか「政治腐敗が解消される」といった期待で埋め尽くされていました。

 その後、確かに行政サービスは一気に改善されたんです。それまでは、1日かけても終わらなかった行政サービスが数時間で終わるようになりましたから、目に見える改革をパッと行いました。それは当時の多くのインド人の期待に沿うものだったと思います。

 

強まるヒンドゥー・ナショナリズム色

榎本 しかし、次第に宗教色を強めていった印象がありますね。そういう意味では、モディさんはヒンドゥー教を国民統合の証にしようとしているのでしょうか?

伊藤 モディというより、BJPは基本的にそういうイデオロギーを持った政党です。ヒンドゥー教の国にするとまではいかなくても、あくまでもヒンドゥー教が主体で、イスラム教を含めて他の宗教はいわば弟分であって対等ではないという発想が基本にありますよね。そこは、長くインドを統治してきた国民会議派の政教分離主義に基づく伝統からすると、異色なことは事実だと思います。

 モディには二つの顔がありますよね。一つの顔は、経済改革者としての側面です。もう一つは、筋金入りのヒンドゥー・ナショナリストであることです。モディはグジャラート州の州首相のときに、ヒンドゥーとムスリムの対立をあおり、暴動を止めようとしなかったと疑われてきました。

 だけど、田中さんがおっしゃるように、2014年の最初の総選挙ではヒンドゥー・ナショナリストとしての側面を封印して勝利した。基本的に国民は、経済改革者としての彼を支持したのだと思うんです。

田中 モディはインドのトラディショナルなスタイルのジャケット(ネール・ジャケット、今ではモディ・ジャケットとも呼ばれる)をよく着ていますが、当時はよく「モディはジャケットの下に、見えないようにしているが、鎧を着ている」とTwitterや巷では揶揄されていました。彼が二つの側面を持っていることは、国民の多くは理解していたのだと思います。

 ただ、それ以上に経済をよくしてくれることに期待していました。アベノミクスという言葉はインドでも知られていましたが、同じようにモディノミクスも勢いがありました。そこに国民が乗っていって後押しした感じですね。

伊藤 ただ、1期目にどれだけの経済的な成果を残したのかと言えば、結局はよくわからないところがある。

榎本 お札は新しくなりましたね。

伊藤 僕は経済の専門ではありませんが、国内の経済改革はほとんど進んでいないわけですよね。インフラや工場などの建設を容易にできるようにするためにも、土地収用法の改定に期待が集まっていましたが、結局それもできなかった。経済成長の点でも期待されたほどの成果は上がらなかったので、2019年の総選挙の時は、厳しいのではないかという予測がもっぱらでした。

榎本 ところが2期目も勝利した。

伊藤 インド至上主義を掲げて、ヒンドゥー・ナショナリストの基盤をフル活用したことが勝因だったと思います。それもあって、第2次政権以降のナショナリスト色の強い政策に繋がっているというのが僕の基本的な見方です。人によっては、モディ政権のヒンドゥー・ナショナリストの側面は、最初から出ていたと言う人もいます。

榎本 つまりモディさんは全国レベルでは経済で成果を出しづらいことがわかったから、第2次政権ではヒンドゥー・ナショナリズムのほうにスタイルを振ってきたのでしょうか?

伊藤 そこまで考えていたのかどうかはわかりませんが、経済的な成果だけでは勝てないと感じていたのは確かだろうと思います。2019年の総選挙を前にした事前予測は、モディ政権にかなり厳しい見方が多かった。けれども、支持率は次第に回復していきます。契機になったのは、選挙の数カ月前の2月に行ったパキスタンへの空爆だろうと思います。これは、パキスタンのイスラム過激派がインド北部のジャム・カシミール州で引き起こし、インドの治安部隊に死者が出た自爆テロへの報復でした。

空爆の直後に、僕はたまたまインドに出張に行っていました。空港で適当なタクシーを捕まえると運転手は、「お前、知っているか。やったんだ!」と興奮していました。この時はORF(オブザーバー研究財団)というシンクタンクの会議に参加しました。ここにはエスタブリッシュメントも出席していましたが、ここでもみんなが空爆を絶賛していました。今まではパキスタンからテロ行為を受けても何もできなかったが、「モディはやった!」と溜飲を下げたわけです。普通の運転手からいわゆる知的エリートも含めてみんなが興奮状態でした。

間髪入れずに3月には人工衛星をミサイルで撃ち落とす、いわゆる衛星攻撃兵器(ASAT)実験に成功します。総選挙を前にしてナショナリスト路線への転換が鮮明になっていきましたが、それが支持を集めた側面もあって第1次政権での失政はすっ飛んでしまった。2019年2月末から3月にかけては、そういう異様な雰囲気がありました。それから、一方の野党の情けなさですよね。政権を奪われ野党になった国民会議派はそれ以降、選挙協力もできずにバラバラになっていきました。国民からすれば、モディ政権は少なくとも野党よりマシだと映る。

 

愛想を尽かされる国民会議派

榎本 ただ、素人からするとわかりにくいところがあります。2000年代初頭のマンモハン・シン政権は、経済もけっこううまくやっていたと思うんです。それこそBRICsの一員として、世界の注目を集めていました。それがなぜ国民会議派は、国民から愛想を尽かされるようになったのでしょうか?

伊藤 第2次シン政権では、リーマンショックもありましたから世界的な経済不況の影響が大きかったと思いますね。インドも成長が鈍化しましたから。

田中 シン政権は、マクロの経済指標的にはうまくいっていた部分もありました。私の印象では、シンとモディでは政治家としてのスタイルがまったく違っていました。シンは経済学者ですから、話が難しくてわかりにくい。もちろん複雑で難しい国ですから、いろいろなことに配慮しなければならないのはわかります。ただ、ずっと英語でスピーチすることもありましたから、国民からすればとっつきにくい印象がありました。

その点モディは明らかにわかりやすいし、上手にヒンディー語を使ってインド人の気持ちを高ぶらせてくれるところがある。あまり学のない人たちにもわかるようなメッセージをドンドン出すスタイルですね。インドからは時折、非常に強いリーダーシップを持った政治家が生まれてきます。モディさん自身の評価はともかくとして、彼は近年まれにみるパワフルな政治家であることは確かです。当時の現地の人たちは、そこに魅了されたところがありました。

伊藤 まるで映画ですよね。

榎本 まさにモディ劇場。それに対抗する野党には俳優がいないわけですね。

伊藤 国民会議派は、地方での支持基盤がガタガタになっていきました。内紛がずっと続いている感じですね。今パンジャブ州や北部のウッタル・プラデシュ州などいろいろなところで、州議会選挙が目前に迫っていますが、すでにそれぞれの地方で反乱が起きています。要するに、国民会議派はもう選挙で勝てなくなっている。

田中 野党で唯一勢いがあっておもしろい存在なのは、庶民党(AAP)ですね。この党はデリーをとっています。ここの党首のアルビンド・ケジリワールも別のかたちのリーダーシップを打ち出すスタイルです。庶民派であることを前面に打ち出して、支持を集めています。デリーでは政権与党のBJPでも議席がとれない。

伊藤 いわゆるポピュリズム政党ですね。

 

台頭する地方政党

榎本 いずれにせよインドの政治のステージは、中央から地方に移っていき、結果として主導的な立場にあった国民会議派が弱体化して、BJPが強くなった。この流れを先につくった要因は、ポピュリズムと地方主義のどちらなのでしょうか?

伊藤 僕は地域主義が先だと思います。地域政党の台頭はもうちょっと早くて、90年代には明確になっていました。90年代以降、連邦政府は連立政権の時代に入っていきます。それまでは国民会議派が単独過半数の議席をとることが当たり前でした。いわゆる一党優位政党制ですね。ここも日本の政治とよく似ています。

90年代以降、優位が揺らいでいった背景には国民会議派から出ていって地方政党をつくる動きが出てきたことがあります。西ベンガルで「全インド草の根会議派」をつくったママター・バナルジーなどはその典型です。彼ら彼女らが各地域で国民会議派に反旗を翻すようになっていきます。タミル・ナードゥ、西ベンガル、アンドラ・プラデシュなどの州では、国民会議派が突き入る隙がないくらいの地域政党ができていきます。

シク教徒が多いパンジャブ州ではもっと早い時期から、そうした動きがありました。シク教徒たちによって結成された政党アカリ・ダルは、過去の怨念があるために国民会議派とは絶対に組みません。1984年6月にインディラ・ガンディー首相は、シク教徒の過激派300人を排除するゴールデン・テンプル襲撃事件を起こします。インディラ・ガンディーはその後、シク教によって暗殺されました。シク教の政党からすると、国民会議派は絶対許せない存在です。

それは、今でも同じです。ちょうど1年前にパンジャブ州でシク教徒による農民デモが始まりました。農業に関する新法に反対するデモでしたが、盛り上がりを見せてモディもそれに屈してしまう事態になります。シク教党の政党アカリ・ダルはBJPと組んでいましたが、このデモが起きたこともあり、決裂することになりました。考えてみれば、ヒンドゥー至上主義政党のBJPとアカリ・ダルは、イデオロギー的には合うわけがありません。こうして、アカリ・ダルはBJPと袂を別つことになりましたが、それでも国民会議派のほうにいくわけでもない。会議派は絶対に「ノー!」なんです。

90年代以降こうした地域政党が強くなっていきました。2000年代に入ると、彼らが連邦政府でBJPと国民会議派のどちらに協力するのかによって帰趨が決まっています。

榎本 地方政党は中央にも影響を持つ存在になった。

伊藤 自分たちを高く売りつけることができるわけです。ただ政権与党からすれば、地域政党に協力を求めることは政策決定のスピードを鈍化させることにも繋がります。国民会議派のマンモハン・シンは調整型の政治家でした。第1次政権のときは左翼勢力に閣外協力を得て、かろうじて政権を維持していました。アメリカとの関係では、その左翼勢力がネックになって政策が硬直してしまうことがありました。彼らは米印原子力協力の推進に反対し続けたので、1年くらい説得を続けたんです。彼は最後まで左翼勢力を切ることをためらいました。

それでも左翼が出て行ってしまうと、今度は別の地域政党を抱き込んで何とか連立政権を維持していきました。ですから、地域政党の力はそもそも大きかったのだと思います。

榎本 今後、国民会議派が再び返り咲く日は、遠い感じですかね。

伊藤 次のリーダーが見当たりません。

 

宗教対立が常態化している社会

榎本 次にインド国内のイスラム教徒の存在について話題を移したいと思います。今までのお話を伺って現在の与党BJPは、ヒンドゥー・ナショナリズムでまとまろうと考えていることがわかりました。かつて主流だった国民会議派は、誰も見捨てないという意味では世俗主義を引っ張ってきたのだと思いますが、弱体化が進んでいます。そうなると、インドに暮らすイスラム教徒の人たちは、どのような行動を起こしてくるのでしょうか。怖くも感じます。

田中 難しいですが、モディさんが登場してきた時からイスラム教徒からは懸念の声があがっていて、今はそれがさらに強くなっていることは間違いないでしょう。その一方で、宗教紛争や民族紛争に関して私がいつも思うのは、インドではいつもそういう問題を抱えていたということです。この20年で宗教絡みのテロ事件がたくさん起きていますが、インド人はこうした世界の潮流を違った感覚で見ている気がしています。そもそも、独立したときから宗教対立のもとで国が生まれているわけです。モディ政権であろうとなかろうと、多かれ少なかれ宗教対立はあるという社会認識があるのだと思います。

榎本 我々にしても、何かが起きた時だけ騒いでいるところはありますね。

田中 テロや紛争が起きていないからと言って、宗教間の対立がないわけではなくて、常に対立しながらも共存しているのがインドの大きな流れかなと思います。共存しながらも内包する潜在的な対立が、何かをきっかけに緊張が高まり大きな対立となってインド全土に拡がる可能を常に孕んでいます。

榎本 そういう意味では、宗教的な対立は常態なんですね。

伊藤 基本はそうだと思いますが、やはりムスリムも一枚岩では捉えられないところがあります。それにBJPのヒンドゥー・ナショナリズム的な政策に対して、疎外感や反発を感じるのはムスリムに限ったことではありません。もちろん、ヒンディー・ベルトと呼ばれるヒンディー語を話すヒンドゥー教徒が多い北部──人口も圧倒的に多いところです──が政策を熱狂的に支持するのはわかります。けれども、それ以外の地域のベンガルやドラヴィダの人たちのようにカルチャーが違う人たちはそれを支持しているわけではない。ドラヴィダの人などは関西人みたいなもので、北部のアーリア系の支配に昔から反感を抱いている人が多いんです。

その一方で、モディ政権のもとで仕事ができたり、所得が上がったりする恩恵を受けている人たちもいるわけです。それから、インドという国の国際社会における存在感が高まっていることに誇りを感じている人は、ムスリムやアーリア系以外の人たちのなかにも一定数いるのだと思います。テレビでは、自分たちが住んでいるインドはすごい国だと放送されていますからね。

榎本 ムスリムでも自分がインド人であることに誇りを持つようになっているわけですね。

伊藤 パキスタンは悲惨な状況ですからね。今さらパキスタンに行きたいとは思わない人たちも当然います。数年前にカシミール問題の調査で何度かイギリスに行ったのですが、そこで分離独立派勢力の人たちに話を聞く機会がありました。「本当はどちらにつきたいのか」と聞くと、彼らは「独立だ」とは言いますが、「パキスタンに戻りたい」と言わないわけです。

榎本 カシミールの辺でも割とBJPは支持されていて、議席をとっていましたよね。

伊藤 それは、旧ジャンムー・カシミール州のジャンムー地域ですね。2019年に、ジャンムー・カシミール州は分割されて、ラダックとジャンムー・カシミールという2つのユニオンテリトリー(連邦直轄領)になりました。ラダック直轄領は、チベット仏教とムスリムが半々ぐらいです。ジャンムー・カシミール直轄領は、南のジャンムーではヒンドゥーが6、7割を占めていて、北のカシミール渓谷のほうはムスリムが9割以上を占めている状況です。ジャンムーではBJPの支持がもう圧倒的です。小選挙区制だから過半数の支持があれば、それですべての議席をとれます。

田中 インドのムスリムを考える時には、13億という人口の規模を常に意識することが重要だと思います。通常の政治構造なり政治力学で考えようとすると、どうしても説明し切れない部分が出てきてしまう。ムスリムにしても1億数千万の人口がありますから、一国を成し遂げるのに十分な数がいます。

伊藤 パキスタン並みですからね。

田中 もちろん、ムスリムだけでも経済コミュニティが成り立つ規模があります。当然、利害関係も複雑です。モディ政権によって経済的に潤う人たちもいれば、政権に強い憤りを持っている人たちもいます。なので極端な言い方をすれば、何らかの紛争で亡くなることがあっても、1億数千万のムスリムが同じ思いを持つわけではありません。受け止め方は様々です。

そういう意味ではインドは広大で多様性に富んでいますから、各地域で一体何が起きているのか一つひとつ丁寧に見ていかなければなりません。一つの地方と言っても、それぞれ一国と同じぐらいの人口規模がありますから、それをマッピングしていくこと自体とても難しい。現実問題として学術的にそれをどこまで追い掛けられるのかという部分があります。我々は主語を「インドは」としてしまうんですが、それだけでは取りこぼしが多過ぎるわけです。

 

アメリカのジュニアパートナーにはならない

榎本 日本のメディアも旧宗主国の英国のメディアも、単純な捉え方をしがちですよね。モディさんについては「過激になっている」といった論調ばかりが目立ちますが、我々日本人もそんなに大騒ぎせずに長いスパンで見ていく態度が必要かもしれません。

私自身はモディの出現でインドの外交がどのように変わっていくのか注目していました。伊藤さんのお話では、非同盟でありプラグマティックなスタイルは建国以来それほど変わっていないとのことでした。ただ、今インドは世界のキャスティングボートを握っているかのような状態になっていて、世界各国からラブコールを送られています。ここでインドはどうすればいいのか。あるいは我々日本からすれば、どうすればインドにこちらを向いてもらえるのか。またインドは、アメリカが期待するようにクアッドやインド太平洋地域で存在感を示してくれるのでしょうか。

伊藤 インドからすれば、利用できるところがあれば利用するというスタンスでいるのだと思います。今なら例えば、自分たちの得意分野であるワクチン製造やその流通を日米豪がサポートしてくれるのであれば、それは大歓迎だという話になります。
けれども、安全保障の分野ではインドは日米豪ばかりに依存しようとは考えないでしょう。特にアメリカの兵器システムに100%依存するようなことは避けるはずです。そうなってしまうとムダに高いものを買わされるかもしれない。インドは兵器を購入するにしてもいろいろな比較検討をして、じっくりと見極めます。アメリカもフランスもロシアであってもコンペにかけて落とすわけです。自分たちの目的に適うもので安く、しかも技術移転してくれるメーカーを選ぶわけです。今はまさに選り取りみどりですから、「別に日米豪だけに依存するつもりはない」というスタンスを強調しているようにも思えますよね。

今まさに問題になっていますが、インドはロシアのミサイル防衛システムS400を購入しました。当然アメリカは嫌がりますが、インドは「制裁をかけられるなら進めたらいい。かけられるものならやってみろ!」みたいなスタンスです。

榎本 トルコに似た感じですね。

伊藤 トルコは、それで制裁をかけられたわけです。トルコはNATOに入っていますからアメリカの同盟国ですが、それでも制裁を受けた。インドに制裁をかけないのは理屈には合わないのだけど、インド人は自信満々ですよね。「アメリカは我々に制裁なんてできっこない」と見ている。実際にアメリカの議会では、インドを特別扱いして制裁を免除することが提案されています。

ですから、やっぱりなかなか難しいですよね。インドを全面的に同盟システムのなかに組み込むなんていうことは、幻想に過ぎないと僕は見ています。

榎本 僭越な言い方になりますが、アメリカあるいは日本は安全保障分野においてインドをどのように使っていくのがいいとお考えですか?

伊藤 まずは、インドは基本的にそういう国だという認識に立つことだと思うんです。決して我々の同盟国になるような国ではありません。彼らはよく、「我々は決してアメリカのジュニアパートナーにはならない」と言っています。日本にはならないと。自分たちのことは自分たちで決めるという戦略的自律性へのこだわりが強いですから、思い通りには決してなりません。要するに、大国意識が強いんです。けれども、利害を共有している分野は必ずあります。例えば、インド洋や南シナ海で中国の影響力が拡大していることには、やはり懸念が相当強いわけです。我々としては、そうした領域でうまく使えるところは使うことだろうと思います。

ただし日印の安全保障での協力には、やはり制約があります。象徴的な演習として日米印豪で共同訓練「マラバール」を行ってきていますが、そこから先に防衛協力を進めることは難しいのではないか。特に兵器協力、日本で言う防衛装備品の協力には限界があります。

日本の飛行艇US-2をインドに輸出しようという話もなかなか進んでいません。価格の問題もあるのでしょうが、インドは別にUS-2を本当に欲しがっているかどうかはよくわかりません。企業からすれば、「インドで製造しろ」とか「技術移転しろ」と求められても困るわけです。日本でもインドについては、「どこかでロシアと繋がっているのではないか」と見ていたりします。協定を結んでいたとしても、機密が漏れるのではないかという心配もある。アメリカにはそうした心配はないでしょうが、インドにはアメリカに依存したくないという大前提があるので、米印にも限界がある。

榎本 安全保障の分野では限界があるとすれば、他には何がありますかね。

伊藤 やはりサプライチェーンの問題だろうと思います。経済安保とも言えますが、中国に依存した経済構造から脱却したいという意思を持っています。特にコロナ禍の中でその危機感はさらに高まったと思います。昨年4月、5月に感染大爆発が起きて、中国から酸素濃縮機を始めとした医療関係物資を緊急輸入することになりました。それがなければ、状況はもっと酷くなっていたでしょう。様々なサプライチェーンを中国に強く依存していることが露呈しました。そんなこともあり、印中貿易は過去最大になりました。圧倒的にインドが中国から輸入しています。

これをどう変えていくのか。インドが期待しているのは、ここでしょう。

榎本 インドの中国依存の経済構造を転換させるような動きを日本には求めているわけですね。

伊藤 果たして、それだけの力が我々にあるのかということになるし、そもそも我々にとってメリットがあるのかが問われています。

財政支援の分野なども、インド太平洋地域で日本が協力できることだと思います。スリランカ南部のハンバントタ港が中国の企業に99年間リースに出されたことが象徴的ですが、いわゆる「債務の罠」をめぐる問題です。中国はインドの周辺国に資金を出して次々とインフラをつくっています。モルディブでもヤーミン前政権の時にモルディブ・中国友好橋をつくりましたが、財政赤字に苦しんでいる。スリランカなどは、破綻寸前まで来ています。

周辺国でこうした状況が起きていることにインドは相当な警戒感があります。中国が資金提供を表明した国に対して、インドもお金を出していますが、やはり規模が違うので中国の影響力が増し続けています。こうした南アジア周辺国が抱えている債務の借り換えに、日本が協力することは歓迎されると思います。

──庭先であるインド洋に、中国資本のインフラ拠点ができることをインドは嫌がらなかったのですか?
伊藤 スリランカは、最初はインドに投資してほしいと呼びかけたのですが、その条件ではインドが受けなかったことがそもそもの発端でした。インドは周辺国に対しては上から目線で見ていますから、小国の立場に立って考える習慣がないんです。自分たちの弟分のように見ていますが、周辺国はインドを兄貴分とは見ていないわけです。インドは未だにそこが基本的にわかっていない気がします。そこに中国は、圧倒的な資金力を背景に入り込んでいきました。

 

自分たちでやるしかないと考えている

榎本 アメリカが主導しているクアッドにおいて、アメリカはインドにどういう役割を期待しているのでしょうか。

伊藤 基本的には、インド洋における海洋安全保障の役割をもう少し担って欲しいということです。それから外交的、政治的メッセージを発信してもらうことでしょうね。クアッドやインド太平洋に協力したり軍事演習にも参加してもらい、民主主義陣営の結束を示すわけです。

榎本 言葉は選ばなければなりませんが、決してインドの方々に血を流して欲しいわけではないと。

伊藤 それはないですね。インドはPKO(国連平和維持活動)では多くの血を流してきましたが、米軍や自衛隊と一緒に戦うことは想定していないと思います。インドは、軍事的な側面のコアな部分は自分たちでやるしかないと考えています。そもそも自衛隊が陸上で中国と戦うことなどは想定していないし、憲法上できない。米軍だって、中国とインドの陸上の国境線に軍隊を送り込んで命を懸けるなんてことはあり得ません。アフガニスタンからでさえ見捨てて出て行くわけですからね。

田中 日米豪印のなかでは、インドだけが中国と陸上で国境を接していて実際に戦って負けています。インドは、中国の脅威を実感していますよね。日本に暮らしていて思うのですが、ここにはずいぶん温度差があります。遠く離れたアメリカの人たちにしても、同じだろうと思います。

インドの人たちは、中国と有事があったら、自分たちで何とかしなければならないという意識を強く持っています。クアッドで「一緒にやろう」という今の動きに対しては、インド人は半分は「そういう考え方もありだ」で、半分は「それは違う」といった受け止め方をするでしょう。有事の際には、自分たちで戦わざるを得ない、中国となんか戦いたくないが、それでも向き合わざるを得ないという心理が働いているのだろうと感じています。

伊藤 実際に戦うのは自分たちですからね。日本はアメリカが守ってくれるという認識がどこかにありますよね。自衛官と話をすると、長い距離の国境を陸上で接しているのと、海を隔てているのとでは緊張感や考慮すべき要素がまったく違うと聞きます。やはり、周囲が海に囲まれていることは、日本人の認識に大きな影響を与えているのだと思いますね。

田中 インドにとっては、主権は本当に重要な問題です。国際政治学者を招いたシンポジウムを開催した時に、あるインドの政治学者が、「イギリスの植民地支配に感謝していることもいくつかある」と言っていたことがありました。英語が話せること、法整備が整ったことなどを挙げたうえで、一番の感謝は「主権というもののありがたみを教えてくれたこと」と言っていたのが印象的でした。

榎本 なくして初めてその有り難さに気付いたわけですね。

田中 そのあたりの歴史的な感覚は、安全保障の考え方にも一貫しているところがあります。
ネルー大学で国際関係論を学んでいた頃は、インドの学生たちとよく核兵器の保有について議論をしました。彼らからすれば、日本が非核を貫いていることがなかなか理解できないようです。「中国は核を配備していて、北朝鮮(当時)も核を持とうとしている状況において、平然としていられる日本人の感覚こそ私たちにはわからない」と言うわけです。学生の大雑把な議論ですが、私は常にクラス内では少数派でした。

日米豪印の安全保障の枠組みを考えるにあたって、またインドの考え方をきちんと理解するためには、自分たちの安全保障の考え方が「絶対に正しい」という前提に立つのではなく、いろいろな考え方があることを知ることが大事です。場合によっては、日本の安全保障の考え方がインド人にはどのように見えているのかを知ることも有意義だろうと思います。

安全保障分野に限らず、そうした双方による理解の確認がないために、インドの行動に対して「なぜそうなるか?」と理解に苦しんでしまうような状況が多く生まれている気がしています。

伊藤 彼らから見た日本が「不思議だ」と感じるのはよくわかりますね。「なぜ日米同盟だけで大丈夫だと思えるのだ」とインド人なら考えるでしょうね。

榎本 確かにそうですよね。同盟は、一種の弱さを含んでいるんですよね。私はロシアを主に見ていますが、ロシアもインド並みに孤高の国なんです。他と組まない。組んでしまうと、そこの言い分も聞かなければならなくなる。相手が弱い国であってもそうです。一方で、アメリカは割と同盟を好みますよね。

伊藤 アメリカは強いから、相手に言うことを聞かせることができるのでは?

榎本 ただ、アメリカもヨーロッパの顔色をうかがう場面が増えている気がします。例えば、トランプが反対したロシアとドイツをバルト海経由で結ぶ天然ガスパイプライン「ノルドストリーム2」については、一応お目こぼしするような態度をとっている。だから、同盟を組んでしまうと、強い国でも弱い相手にも気を遣う局面が出てくるようにも感じています。

 

インドは文化大国であることを理解すべき

榎本 インドとの関係を深めていくためにも、ソフトパワーの面での交流はますます重要になっていると思います。こうした面でインドは日本に何を期待しているのでしょうか?

田中 冒頭でも言いましたが、日本はインドが文化大国であることをもっと理解することのほうが大事かもしれません。日本には、自分たちと同じアジアの国であり仏教発祥の地であるといったかなり強引な結びつきでインドを考える人が今でもたくさんいます。日本人の多くが持っているインド像は、今のインドの現実とはまったく合っていないままという状況が続いています。インドと関係を深めていくには、やはりインドをもう少し正確に見るべきだろうと思います。お互いのレンズがずれたまま付き合おうとしているのが現状です。

日印関係は、「ない・ない・ない」関係だからいいという言い方がされることがあります。領土、歴史、宗教のいずれにも問題は生じていないことは、これから関係を構築していくうえでは好都合ではあります。けれどもそれは、中身がまだスッカラカンであることの裏返しでもある。

榎本 具体的にはどういうことができますか。下北沢にはスパイスカレーのお店がたくさんあってブームになっているし、ヨガも根付きました。インド好きな芸能人もいますし、少しずつ理解が拡がっている印象はあります。

田中 一つは、インドで学ぶ留学生を増やす努力は必要だろうと思います。日本からインドに留学する人は本当に少ないんです。私がインドに留学した時も、気をてらっているような言われ方がされましたが、今でも状況はあまり変わっていません。

伊藤 国際政治学の世界でも、年に一人か二人です。昔は皆無に等しかったから、それでも増えていますけどね。

田中 韓国なども積極的に学生を留学させているし、そのまま企業の駐在に抜擢することにも意欲的です。そういう意味では人的交流がまだまだ弱いのが、日本のインド理解が遅れていることの理由の一つだと思います。

今、新しい動きとして特定技能制度がインドでも始まります。国際交流基金もこれに関連する日本語テストの実施などで関わっていますが、これからはいわゆる「労働者としてのインド人」との付き合いも始まります。受け入れる側の我々が意識しておくべきこともあるでしょう。例えば食文化です。インドには3億7000万人ものベジタリアンがいます。インドで食事を摂る際は、ベジタリアン、ノンベジタリアンがきちんと分けられていて、すぐにわかるようになっています。
日本にはベジタリアンの文化があまりに定着していないので、インドのベジタリアンからすれば、日本の食材はすべてノンベジに思えてしまうんです。例えば、野菜を買ってサラダをつくっても、ドレッシングに牛肉エキスが入っていたりします。今でもITエンジニアなどを中心に多くのインド人が日本にきていますが、実は彼らもこの問題に悩まされていました。日本での食事に不安を感じているインド人はとても多いんです。しかし、このことは、翻っては日本の食文化のさらなる発展にもつながることでもあると思います。

 

インドとの商売は腰を据えて

榎本 最後にビジネスパーソンである読者に向けて、インドと商売をしていくうえでの心構えなどについてご提言をいただこうと思います。冒頭でも言いましたが、インドでの商売には難しさを感じているところが多いと感じています。

伊藤 長期的に見れば、可能性と潜在性はまちがいなくありますよね。13億の人口があり、しかも膨大なボリュームの若年層がさらに増えていくわけです。けれども、短期の利益を求めたらインドではまず難しいと思います。長期的な視点に立たざるを得ないところがあります。

インドが食えない国というのは、その通りだと思います。連邦制の民主主義国家であることが、商売をやりにくくしていますよね。つまり、法制度からして全部違っていて、各地方がそれぞれ勝手なことをしています。権限の多くが州にありますから、モディのように経済改革を掲げる首相が現れても、トップダウンでできることは限られている。連邦のトップリーダーが決めても──決めること自体が容易ではないのですが──それでインド全体が動くかと言えば、そんな簡単な話ではない。インドで新幹線を走らせる構想も、未だに土地の収容ができないこともあって、遅々として進みませんよね。

そこは中国とは決定的に違います。だからと言って短期的に利益を上げられる中国、あるいは権威主義的な東南アジアの国々ばかりを相手に儲けることで本当にいいのか、ということだと思うんです。経済安全保障の話は別にして、日本の企業がサプライチェーンの多様化を進めていくことは重要だと思います。もちろん短期的にはいろいろな問題がありますから、簡単ではないのはわかりますが……。

田中 インドでたいへんお世話になったカシオの現地法人「カシオインディア」で代表を務めていた中正男さんに「インドでのビジネスで成功する秘訣は何ですか?」と聞いたことがありますが、「長期間滞在することだ」と言い切っていました。

やはりインドのルール、論理を理解しないことには、彼らと何かをつくり出していくことはできない。それを知るためには、相手の懐に入りこんで体得するしかない。それなしに、インド人と付き合おうとしてもうまくいかないでしょう。やはり長くインドにいて彼らの考え方を理解することが、遠回りのようではありますが、実は一番の近道なのかもしれません。

──大インド経済圏をつくりあげていくには、どのような段階を経ていく必要があるのでしょうか?
榎本 今、地方選出の国会議員の人たちのメインの仕事は、支持者の子弟の就職の斡旋だと聞いたことがあります。衛生環境が改善されたことから、成人する子どもたちが増えてきました。そうすると、地元の農業だけでは養っていけないから、都会で製造業の仕事を見つけてほしいと親は願うわけです。それが国会議員への陳情としてけっこうあるそうです。これがモディ首相が掲げる「メイク・イン・インディア」の背景の一つだとも言われています。

我々としては、そうした若い人たちの雇用先を確保するうえでも、インド政府にはインドで物作りをするインセンティブを付けてほしいと思っています。東南アジアがやってきたことをインドにも求めたいのです。

経済は「需要と供給」とよく言われますが、長期的には供給力、生産能力を向上させることがさらなる発展に繋がるわけです。そのためにもインドは、世界の需要をとってこなければならないので、RCEP(地域的な包括的経済連携協定)やCPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)などのFTAに入ってほしい。

もっと平たく言えば、貿易自由化を進めて欲しいですね。これをうまく利用したのがまさに中国であって、利用できていないのがインドです。ここの差が如実に出ていますから、遅ればせながらでも貿易自由化に舵を切って欲しいと思いますね。

伊藤 最後に付け加えておきたいのは、今回のコロナ禍でインドはかなり厳しいダメージを受けていることです。今は第3波が拡がり始めていると聞いています。昨年4月、5月には感染爆発が起きて医療崩壊どころか、そこら中でのたれ死にする人が出る状況が報じられていました。貧しい人たちは、そもそもソーシャルディスタンスを確保することなんて難しい環境で暮らしていますから、そうした状況になるのは致し方がないところもある。

世界におけるインドのイメージも低下していて、「インドはまだその程度の国だよね」といったことが聞かれるようになっています。経済的にも、中国との格差はかなり開いていると思います。

今のインドは非常に危険な状況にあります。ここからインドはどうやって立ち直っていけるのか。インドに今の世界が期待するような役割を果たしてもらうためには、アフターコロナに移行したときの復興期を支えることだろうと思います。ここはビジネスも関わる話だし、それこそクアッドの枠組みで協力していくことは重要な課題になると思っています。
(終)

 

伊藤 融・防衛大学校 人文社会科学群国際関係学科 教授
いとう とおる:1969年生まれ。中央大学大学院法学科研究科政治専攻博士課程後期単位取得退学、法学修士。在インド日本国大使館専門調査員、島根大学法文学部准教授、防衛大学校人文社会科学群国際関係学科准教授などを経て2021年から現職。博士(学術)。専門はインドを中心とした南アジアの外交・安全保障。著書に『新興大国インドの行動原理:独自リアリズム外交のゆくえ』がある。
榎本裕洋・丸紅経済研究所 所長代理
えのもと やすひろ:1971年生まれ。大阪外国語大学ロシア語学科卒業後、丸紅入社。木材建材第二部、業務部を経て2001年より丸紅経済研究所、15~17年経済同友会出向、21年より現職。担当は、マクロ経済全般、CIS(特にロシア)地域事情、総合商社論(歴史)など。著書に『ロシア連邦がよ~くわかる本』など
田中洋二郎・独立行政法人 国際交流基金 日本語第2事業部 企画開発チーム
たなか ようじろう:1979年生まれ。明治学院大学国際学部を卒業後、印ジャワハルラール・ネルー大学大学院に留学。国際関係論修士号を取得。07年に国際交流基金に入職。11年から16年にかけ同ニューデリー日本文化センターに駐在。著書に『新インド入門:生活と統計からのアプローチ』、がある。
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