『公研』2020年6月号「めいん・すとりいと」

村上龍男

 昨日、今年初めての海釣りに行った。「じいちゃんがメバルをいっぱい釣らせてやるぞ」と近くに住む孫二人に声を掛けた。まぁ役得とでも言えばいいのか、5年前まで務めていたクラゲ水族館の採集船を借りて、磯の先に船を止めて生きたイサダ(アミの一種)を撒き餌にして竿をのべた。

 我が家は、修験者で有名な羽黒山のふもとにある。海までは20キロメートル以上あるが、はるかかなたに遠望できる鳥海山を見れば、海の状態がよくわかる。

 靄もかからず綺麗に見えていれば陸から海へ向かって風が吹いて、波は穏やかで船を出しての釣りに丁度いい。連休も開けたし、そろそろ磯の魚が戻ってくる頃だとみた。ウミタナゴ、アイナメ、メバル、クジメ、それにアジのいいのも産卵に来ているはずだ。

 長年海のそばで仕事をしていた関係で、その季節で海の状況がよくわかる、狙いはたがわずイサダを播き始めて30分で釣れ始め、入れ食いがしばらく続いた。3・6メートルの細いヘラ竿が見事に曲り、4メートル底の岩穴に一気にメバルは潜り込もうとする。

 立てようとする竿が逆に引き込まれて起きてこない。「こいつは大きい」堪えきれない気持ちが思わず「アーっ!」と声になって出る。これが釣りの醍醐味と言うのだろう。最大29センチメートルを筆頭にメバルが30匹、いい型のアジやクジメが少々、そして水族館の展示用にフグが10匹ほど釣れた。

 今年はコロナウイルスの騒ぎで3月から、ほぼ家に閉じこもって90パーセント人との接触を断っている。そうなるとさぞかし不便なストレスの溜まる日々を送っているだろうと思われがちなのだが、さにあらず。この田舎暮らしが意外な結果をもたらしてくれた。

 わが家は昔の区割りが幸いして、裏の畑や花壇なども含めると1000坪ある。いつもは気が乗らないと言いながら草むしりも人が通るところだけにして、畑も花壇も荒れ放題だった。しかし今年はコロナのお蔭で家にいる他なく、仕方なしに毎日毎日麦わら帽子をかぶり手には鍬や小さな鎌を持って畑を耕し草をむしり。荒れたところは一輪車を駆使し、かたずけして回る他仕方がなかった。

 やってみれば意外だった。畑に植えたエンドウマメやらジャガイモやら、ズッキーニ、トマトにキュウリの畝が整然と並んで絵になっている。草むしりした庭が美しい。なんとなく心地よくまた達成感もあり、「明日はどこを手掛けようかな」といつの間にか思いを巡らしている。

 こんな暮らしを夢見たことを思い出した。49年間も勤めた水族館を5年前に引退する時だった。思えば私はずいぶん周りの人と対立してきたし、厳しいことも言ってきた。まだこの世にないクラゲ水族館を1つオープンさせることは大事だった。

 あんな日々から抜け出したいと思った。これまでの生き方をすべて脱ぎ捨てて、パソコンも携帯も持たず、物書きもせず、電話にも出ず、誰かに呼ばれても行かず、人様と対立もせず、これまでと違う静かな生き方をしようと思った。しかし、結局思いは実現しなかった。いつのまにか忙しい日々に戻っていた。

 それが今は静かに好きなことをしながら過ごしている。コロナのお蔭で心に願った理想の生き方を実現しているようだ。新緑の今、月山の中腹には私が切り開いた「イワナ道」が待っている。雨の後に釣りに行けば良い型が入れ食いになる。都会に住んでおられる方には申し訳ないが、私は今、意外に心地のいい穏やかな日々に感謝している。鶴岡市立加茂水族館名誉館長

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