『公研』2019年9月号「issues of the day」

向山 直佑 

 産油国をめぐる政治的混乱が連日紙面を賑わせている。世界最大の石油埋蔵量を誇るベネズエラでは経済危機が続き、今年に入ってマドゥロ、グアイドの2人の大統領が並び立つ異常事態へと発展し、深刻な政治的・人道的危機が生まれている。同じく世界有数の産油国であるイランでは、アメリカのトランプ政権が核合意から離脱し、イラン産原油の禁輸措置を再開したことによって経済状況が悪化しており、地域情勢も不安定化しつつある。

資源と分離独立運動

 産油国にまつわるこうした問題は、実はそれほど新しいものではない。いわゆる「オイルショック」とその後の経緯を観察した、中東やラテンアメリカを対象地域とする研究者は、1990年代頃から、一見成長と発展を約束するかに見える石油が、実は政治・経済・社会に様々な弊害をもたらすとの指摘を行ってきた。「資源の呪い」という言葉で総称されるこうした問題の具体例としては、非民主主義体制の存続、経済成長の鈍化、分離独立運動の発生、国際紛争などが挙げられる。

 このうち、三つ目の分離独立運動について考えてみよう。分離独立運動とは、要するに、多くの場合国内の特定地域に集住する少数派が、現在所属する国家から独立して自らの国家を樹立しようとする運動である。近年の例としては、スペインのカタルーニャ、イギリスのスコットランド、イラクのクルディスタンなどを挙げることができるが、石油の存在は、これをより起こりやすくすると言われている。上記の三つの例のうち、後の二つには石油の要素が関係している。その他にもインドネシアのアチェ、ナイジェリアのビアフラなど、石油が絡んだ分離独立運動は、歴史に数多くの例を見出すことができる。

 しかし、「分離独立運動」の例とは、すなわち「独立に成功していない」事例であることには注意が必要である。独立に成功していれば、独立運動が現時点で生じているはずはないからだ。クルディスタンにせよ、アチェにせよ、これらはいわば独立の「失敗例」なわけだが、それでは、「成功例」は存在しないかといえば、そうではない。成功例が論じられることがないのは、それらが既存の国家からの「分離独立運動」としては立ち現れてこなかったからである。

独立「成功例」の落とし穴

 今日我々が当たり前のように認識している「主権国家」という存在が世界のほとんどを覆い尽くすようになったのは、世界史的に見ればごく最近のことだ。ヨーロッパに由来する主権国家は、第二次大戦後の脱植民地化によって急速に世界全体に広まった。かつての植民地が新たに国家として生まれ変わったわけであるが、その際、どこからどこまでを一つの国家として独立させるのかは、必ずしも自明ではなかった。宗主国と現地指導者、あるいは第三国や国際機関が絡んだ政治的プロセスの中で各国家は生まれたのである。その際に、周辺から「分離」して単独独立を果たした国々が存在する。

 具体的には、東南アジアのブルネイ、中東のカタールやバーレーンといった国々が、これに当たる。ブルネイは、1963年にマラヤ連邦とシンガポール、そしてボルネオ島の一部地域が合併して誕生したマレーシア連邦の設立交渉に参加しており、マレーシアへの統合が見込まれていた。同様にカタールやバーレーンも、71年に誕生したアラブ首長国連邦を構成する一首長国になることが既定路線とみられていたのである。にもかかわらず、これらの地域が連邦計画を拒否して単独で独立することを選んだ背景には、石油の存在がある。単純化して言えば、周辺と比べて早期に石油開発が進んでいたこれらの地域は、より貧しい周辺地域とその石油収入を共有せざるを得なくなることを嫌ったのだ。

 周辺地域に併合されずに単独で独立を果たすということは、独立に「失敗」している、先に挙げたような諸地域を考えれば、「呪い」とは正反対の「祝福」のように映るかもしれない。しかしながら、別の側面を切り取れば、全く違った様相が見えてくる。ブルネイやカタール、バーレーンは、世界で最も非民主的な国々の一つであり、また一様に石油や天然ガスへの依存からの脱却に苦慮している。豊富な石油収入は、王族の支配を永らえさせてその権力を強化し、強権的な支配が温存される結果を招いた。また、石油収入のために「働かずとも食うことができる」状況が生じ、その他の産業の発展が阻害された。周辺国の多くも同様の状況にあるカタールやバーレーンはともかく、ブルネイが仮にマレーシアに参加していれば、人々は少なくとも現在よりも自由で、より多様な産業が発達した社会に生きていたとは考えられないだろうか。

 「禍福は糾える縄の如し」とは使い古された言い回しだが、これらの事例は、ある側面での「祝福」が、別の側面での「呪い」を意味することがあることを教えてくれる。石油が果たして「呪い」であるのか「祝福」であるのかは、一筋縄にはいかない問題なのである。オックスフォード大学博士課程

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